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第十話 赤いポピー

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 ナーゼルに最寄りの町で一泊したエリサベータ達は早朝に出立しナーゼル領へと向かった。

 昨日と同じように町を出立した時はとても良く晴れた空であった。冷たかった朝の空気もだいぶん柔らかくなっており、絶好の日和であった。

 事故もなく馬車は順調に走り、予定通りの行程を進んでナーゼルの領都へと向かっている。

 穏やかな日差し、気持ちの良い暖かな風、陽気に誘われ街道の近くまで顔を出す小動物達……

 平和で長閑な旅路にエリサベータの顔も自然と綻ぶ。

 しかし……

 領境を越えてナーゼル領へと入ったあたりから雲が次第に厚くなり、明るく陽気な雰囲気にかげりがでてきた。

 その空模様の変化と同じように、エリサベータの顔も曇り始めた。その彼女の少し憂えた表情に、二人の従者も不安そうに主を見詰めた。

──雲一つなく晴れ渡っていたのに……

 車窓の窓帳カーテンを軽く引き上げ見る空は、遂にはどんよりとした曇天となってしまっていた。雨でも降ってきそうな天候である。

 だが、エリサベータの懸念は雨が降るかどうかにはなかった。

──レイマン・ナーゼル様も、この空の様なお気持ちなのでしょうか?

 彼女にはナーゼルの空がレイマンの心情を現しているのではないかと感じられたのだ。

 エリサベータは町歩きをする中で、様々な話に耳を傾けている。その中には王都のレイマンの事も含まれている。彼が二年前に実母を亡くし、昨年には嫡子の座を追われたことは彼女も知っていた。

──お可哀想に……

 エリサベータが視線を自分の持つ書類に戻した。レイマンについて王都から現在に至るまでの情報をアムガルトがまとめたものだ。実はエリサベータはアムガルトから手渡されたその報告書の封を自領から開かずにいた。彼女には迷いがあったのだ。

 この天気の様にレイマンは悲哀を抱いて過ごしているのではないかとエリサベータは考えていた。今回のナーゼル伯爵の要請はレイマンの哀しみを癒すことが目的だろうとエリサベータには思われた。

 その為にはアムガルトの報告書に目を通してレイマンの現状を把握しておくべきだろう。

 だが……

──やはりこれからお会いするのに下手な先入観は必要ありません。

 軽く首を振るとエリサベータは書類を放棄した。

 別に交渉や戦いに行くわけではないのだ。友好関係を結ぶに当たり、エリサベータは第一印象を大切にしようと考えた。

──先入観は邪魔になります。それは直感を曇らせるから。

 レイマンの為人を肌で直接感じようと、エリサベータは決意した。人との出会いは時に直感こそが重要になる事を、まだ幼いエリサベータは知っていた。

 再びエリサベータは車窓から外を眺めれば、やはり雲は晴れていない。そのことがエリサベータには気がかりだった。

「ナーゼルも自然が豊かでございますね」

 暗く沈んだエリサベータを気遣ってツェツィアが口を開いた。エリサベータが天候を気にしていることはツェツィアにも分かっていたが、敢えて外にある別の事に注意を向けてエリサベータの気を曇り空から反らそうとした。

「そうね……」

 ツェツィアの気遣いはエリサベータにも直ぐに分かった。エリサベータはそんな彼女の思い遣りに従うことにした。

──気を揉んでいても仕方がありません。

 確かにナーゼルは良い土地だった。季節も春で目を楽しませる自然が豊かだ。

 その時、気分を変えて外を眺めていたエリサベータの視界に赤い花が数輪過ぎった。

「あら?」

 その後もまばらに同じ花が咲いていて、所々でその赤がエリサベータの目を楽しませた。少し嬉しそうな様子を取り戻したエリサベータに気が付いたツェツィアは、エリサベータの視線を追って赤く愛らしい小さな花に目が止まった。

「まあ!ポピーですね。まだ少し早いですが、咲き始めているものもあるようです」
「ふふふ……可愛い」

 エリサベータの花も綻ぶ様な笑顔にツェツィアとエトガルは顔を見合わせて、ほっと胸を撫で下ろした。ナーゼル領に入ってからエリサベータの表情が今の空の様に曇っていたのを心配していたのだ。

 突然、エリサベータの胸中に予感めいた想いが湧いた。

 これからナーゼルで素晴らしいことがあると、レイマンとの出会いはきっと運命になると。

 車窓から車内に光が刺す。灰色がかった暗い雲の隙間から光が漏れ出て大地に降り注ぐ。

 ナーゼル邸へ向かって走る馬車をそんな優しい光が包みこんだ。

「この晴れ間は吉兆。きっとレイマン・ナーゼル様との出会いは良いものになります」

 エリサベータには確かな予感がした。レイマンにもエリサベータにも全てがいいようになるのだと。

 馬車は光を纏いながらナーゼルの大地を進む。空を見れば次第に雲は流れて太陽がその姿を現した。
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