蒼玉の瑕疵~それでも廃公子は呪われし令嬢に愛を告げる~【完結】

古芭白あきら

文字の大きさ
上 下
8 / 50

第七話 廃公子の初恋

しおりを挟む
 そして、ヴィーティン子爵令嬢が来訪する日がやってきた。

 他人と会うことに忌避感を抱いているレイマンは、彼女に会うことに乗り気ではなかったが、礼儀としてカランツとともに屋敷の前で出迎えることにした。

「レイ。来て貰っているのだ。あまり嫌そうな顔をするでない」
「心得ております」

 そう答えたレイマンが女性の好みそうな美しい無感情の笑顔アルカイックスマイルを作るのを見て、カランツはその子供とは思えぬ見事な擬態に感心するとともに、彼の他者を受け付けないかたくなさに呆れを含む、なんとも言えない苦笑いを浮かべた。

──ふん!貴族の女なんてみんな同じさ。宝石やドレスのことにしか頭に無い、くだらない奴らばかりだ。相手をする価値もない。

 レイマンは王都での貴族令嬢のことを思い出すして、そう胸中で吐き捨てた。

──まあ男どもも同じだがな。

 親友の様に振る舞っていた連中も、彼が嫡子の座を追われれば簡単に手の平を返した。

──僕の友はギュンターだけだ。

 この間きた手紙の主を思い出し、冷えた心が少しだけ温度を取り戻す。これから来る貴族令嬢の事を考えて重くなった気持ちを、レイマンは唯一無二の親友を頭に浮かべて自分を慰めた。

 やがて門扉が開け放たれ、そこから鹿毛の二頭立ての馬車が入ってきた。馬と同じ赤茶の飾り気のない、しかし品の良い車体がレイマン達の前で止まる。

 レイマンは再びげんなりした気分に引き戻された。

──まあ、父上の顔を立てられればいいだけさ。

 そう割り切って、愛想の良い笑顔の仮面を貼り付けたレイマンは、令嬢が降車してくるのを待ち受けた。

 だが、馬車の扉が開かれ、踏み台ステップに足をかけた童女を見てレイマンは息を飲んだ。

 簡素だが幼い少女らしい薄い水色の可愛らしいワンピースに身を包み、従者の手を借りて踏み台ステップに足をかけて降り立つ光景は一枚の絵画の様で、レイマンはその少女に見惚れてしまった。

 年齢は自分よりニつ下と聞いているので九歳であろう。まだ幼くはあるが、プラチナの様な白銀の長い髪はきらめいている様に見えて美しく、その愛らしく小さな唇は薄桃色で、服から覗く白磁を思わせる白くきめ細やかな肌には染み一つ無く、芸術性の高い一点物の磁器人形を思わせる。

 だが何よりもレイマンの心を掴んだのは、彼女の長い睫毛まつげの下に収まる二つの蒼玉。レイマンを見詰めるその瞳は、今まで見たどのサファイアよりも蒼く、美しく、澄み、輝いていた。その至玉に貴族たちはこぞって大枚をはたきそうだ。

 童女とは思えぬ恐ろしい程に美しい相貌。おそらく王都の同年代の貴族令嬢たちで彼女に匹敵するのは、ハプスリンゲ公爵家の珠玉アグネス・ハプスリンゲだけだろう。

──だがハプスリンゲ嬢に相対した時でも、ここまで動揺はしなかったぞ。

 自分の心臓がバクバクと音を立てている。体が思うように動かない。

「エリサベータ・ヴィーティンだね?私はこの地を治めているカランツ・ナーゼルだ。招きに応じてくれて感謝する」

 そんなレイマンの動揺を他所に、カランツはすぐにその少女を歓待した。持て成しを受けて少女はカランツに優美な微笑を向ける。

「お初にお目文字つかまつります。私はヴィーティン子爵の娘エリサベータ・ヴィーティンと申します」

 自分よりも歳下の少女が、目の前で挨拶をする際の見事な跪礼カーテシー。その声は凛としていて、童女とは思えない澱みのない明瞭な物言い。

 レイマンは自分の顔が上気している自覚があったが、どうにも己自身を律することができない。心臓が早鐘の様にうるさい。頭が真っ白になって、体がふわふわする。何か良くない病気をわずらったのだろうかとレイマンは真剣に考えた。

 ゴホン、ゴホンっとレイマンの横でわざとらしくカランツが咳払いをした事で、レイマンは己の失態に気がついた。返礼をしていなかったのだ。

「お、お、お招きに応じて、く、くださり、か、感謝の念に堪えません。え、遠方より、よ、ようこそいらっしゃいましたエ、エリサベータ嬢」

 舌が上手く回らず、それが焦りに拍車をかける。レイマンはあまりに酷い自分の有り様に、羞恥で上気したのを自覚した。何とか取り繕わないと、と思えば思うほど悪化する。

「ぼ、僕はレ、レイマン・ナーゼルです。レイとよ、呼んでください」
「では私のことはエリサとお呼びください」

 にこりとレイマンに微笑みを向けるエリサベータの顔は、年齢よりもずっと大人に見えた。その笑顔は朗らかで王都の貴族子女達の無感情な微笑とは全く異なるものであった。

 レイマンはその優しい微笑みに、どきりと心臓を高鳴らせた。

──なんという体たらくだ。

 彼自身も嫡子時代は稀な美少年と持てはやされ、侯爵家の跡取りとして磨いた洗練された所作も相俟あいまって、同年代の令嬢たちから秋波を送られていた。ナーゼル領では修学に励み、同年代の貴族子女の誰にも劣らないと自負してもいた。

 それなのに、歳下の少女にあたふたとみっともない。しかも挨拶を返すのを忘れて、その少女に跪礼カーテシーの姿勢を長時間とらせてしまった。大失態である。彼は自己嫌悪に陥りそうだった。

「エリサベータはしばらくナーゼルの別邸に逗留することになっている。仲良くするといい」

 そんな年頃の少年を微笑ましく見ながら、カランツはこのニ人の出会いはきっと好ましい結果をもたらしてくれると予感がした。

 普段は大人びた言動を心掛けているレイマンのカランツの言葉にコクコクと頷くだけしかできない珍しい姿に、周囲の家人たちも微笑ましく見守っていた。

「別邸までご案内します」

 何とか浮つく気持ちを鎮め、姿勢を正して繕うと、レイマンは今ある全ての勇気を振り絞って手を差し出すした。途端、エリサベータの表情が一転した。大人びたたおやかな笑顔がパッと花が咲いたような明るく可愛らしい笑顔に変わったのだ。

 その彼女の変化は、まるで薔薇の様な大輪の美しい花が咲くと予想される蕾から、ちいさなすみれの様な可憐な花が咲いた様で、レイマンの視線は釘付けになった。

「ありがとうございます」

 そう礼を述べてエリサベータは差し出された手に、その手をそっと添えた。彼女の手はとても小さく華奢きゃしゃで、それでもしっかりと彼女の温もりをレイマンに伝えてきた。

 やっと落ち着いたレイマンの心臓が再びドクン!っと大きく跳ね上がり、胸がキュゥっと締め付けられる。自然とレイマンは息を飲み、呼吸ができなくなった。彼女の添えられた自分の手から汗が滲み出るのがわかる。まだ少年のレイマンはする必要のない手袋を気取って身に付けていたのだが、そのお陰で己の手汗をエリサベータに気付かれずにすんだ。全く、自分の幼い虚栄心と手袋に感謝したい

──どうすればいい?この後はどうすればいい?

 レイマンは狼狽ろうばいして思考が纏まらない。エリサベータの手を取ったまま固まり、視線は辺りを彷徨さまよう。

 そんな彼の視界に一片ひとひらの花びらがひらりと舞った。

 ふわっ 

 優しい風が吹き抜けた。

 暖かな風が可愛らしい薄桃色の花びらを数片ヒラヒラと運んできた。エリサベータの艶やかな長い髪が小さく乱れ、彼女のスカートの裾が軽くひるがえる。

 風光る季節。

 思春期の少年はその光景に目を奪われ、心を揺らされた。頭の中は何も考えられずに真っ白になり、口は言葉を発するのを忘れてあわあわと戦慄わななき、足は地につかずふわふわと宙に浮いたようにおぼつかない。

 エリサベータの添えられた手を思わず握り締め、彼女が不思議そうにレイマンを見詰めて小首をかしげると、その美しくも愛らしい仕草に、彼はボワッと顔が発熱したように熱くなった。心臓は痛い程に高鳴り、体は全く自分の意にそぐわなくなった。

 まだ未熟なレイマンは思う。自分はいったい何の病をわずらったのか?


 レイマン・ナーゼル十一歳の春。これが彼の初恋であった。
しおりを挟む
感想 18

あなたにおすすめの小説

【完結】巻き戻りを望みましたが、それでもあなたは遠い人

白雨 音
恋愛
14歳のリリアーヌは、淡い恋をしていた。相手は家同士付き合いのある、幼馴染みのレーニエ。 だが、その年、彼はリリアーヌを庇い酷い傷を負ってしまった。その所為で、二人の運命は狂い始める。 罪悪感に苛まれるリリアーヌは、時が戻れば良いと切に願うのだった。 そして、それは現実になったのだが…短編、全6話。 切ないですが、最後はハッピーエンドです☆《完結しました》

断罪される前に市井で暮らそうとした悪役令嬢は幸せに酔いしれる

葉柚
恋愛
侯爵令嬢であるアマリアは、男爵家の養女であるアンナライラに婚約者のユースフェリア王子を盗られそうになる。 アンナライラに呪いをかけたのはアマリアだと言いアマリアを追い詰める。 アマリアは断罪される前に市井に溶け込み侯爵令嬢ではなく一市民として生きようとする。 市井ではどこかの王子が呪いにより猫になってしまったという噂がまことしやかに流れており……。

完結)余りもの同士、仲よくしましょう

オリハルコン陸
恋愛
婚約者に振られた。 「運命の人」に出会ってしまったのだと。 正式な書状により婚約は解消された…。 婚約者に振られた女が、同じく婚約者に振られた男と婚約して幸せになるお話。 ◇ ◇ ◇ (ほとんど本編に出てこない)登場人物名 ミシュリア(ミシュ): 主人公 ジェイソン・オーキッド(ジェイ): 主人公の新しい婚約者

【掌編集】今までお世話になりました旦那様もお元気で〜妻の残していった離婚受理証明書を握りしめイケメン公爵は涙と鼻水を垂らす

まほりろ
恋愛
新婚初夜に「君を愛してないし、これからも愛するつもりはない」と言ってしまった公爵。  彼は今まで、天才、美男子、完璧な貴公子、ポーカーフェイスが似合う氷の公爵などと言われもてはやされてきた。  しかし新婚初夜に暴言を吐いた女性が、初恋の人で、命の恩人で、伝説の聖女で、妖精の愛し子であったことを知り意気消沈している。  彼の手には元妻が置いていった「離婚受理証明書」が握られていた……。  他掌編七作品収録。 ※無断転載を禁止します。 ※朗読動画の無断配信も禁止します 「Copyright(C)2023-まほりろ/若松咲良」  某小説サイトに投稿した掌編八作品をこちらに転載しました。 【収録作品】 ①「今までお世話になりました旦那様もお元気で〜ポーカーフェイスの似合う天才貴公子と称された公爵は、妻の残していった離婚受理証明書を握りしめ涙と鼻水を垂らす」 ②「何をされてもやり返せない臆病な公爵令嬢は、王太子に竜の生贄にされ壊れる。能ある鷹と天才美少女は爪を隠す」 ③「運命的な出会いからの即日プロポーズ。婚約破棄された天才錬金術師は新しい恋に生きる!」 ④「4月1日10時30分喫茶店ルナ、婚約者は遅れてやってきた〜新聞は星座占いを見る為だけにある訳ではない」 ⑤「『お姉様はズルい!』が口癖の双子の弟が現世の婚約者! 前世では弟を立てる事を親に強要され馬鹿の振りをしていましたが、現世では奴とは他人なので天才として実力を充分に発揮したいと思います!」 ⑥「婚約破棄をしたいと彼は言った。契約書とおふだにご用心」 ⑦「伯爵家に半世紀仕えた老メイドは伯爵親子の罠にハマり無一文で追放される。老メイドを助けたのはポーカーフェイスの美女でした」 ⑧「お客様の中に褒め褒めの感想を書ける方はいらっしゃいませんか? 天才美文感想書きVS普通の少女がえんぴつで書いた感想!」

【完結】伯爵の愛は狂い咲く

白雨 音
恋愛
十八歳になったアリシアは、兄の友人男爵子息のエリックに告白され、婚約した。 実家の商家を手伝い、友人にも恵まれ、アリシアの人生は充実し、順風満帆だった。 だが、町のカーニバルの夜、それを脅かす出来事が起こった。 仮面の男が「見つけた、エリーズ!」と、アリシアに熱く口付けたのだ! そこから、アリシアの運命の歯車は狂い始めていく。 両親からエリックとの婚約を解消し、年の離れた伯爵に嫁ぐ様に勧められてしまう。 「結婚は愛した人とします!」と抗うアリシアだが、運命は彼女を嘲笑い、 その渦に巻き込んでいくのだった… アリシアを恋人の生まれ変わりと信じる伯爵の執愛。 異世界恋愛、短編:本編(アリシア視点)前日譚(ユーグ視点) 《完結しました》

あなたには、この程度のこと、だったのかもしれませんが。

ふまさ
恋愛
 楽しみにしていた、パーティー。けれどその場は、信じられないほどに凍り付いていた。  でも。  愉快そうに声を上げて笑う者が、一人、いた。

人生を共にしてほしい、そう言った最愛の人は不倫をしました。

松茸
恋愛
どうか僕と人生を共にしてほしい。 そう言われてのぼせ上った私は、侯爵令息の彼との結婚に踏み切る。 しかし結婚して一年、彼は私を愛さず、別の女性と不倫をした。

【完結】おしどり夫婦と呼ばれる二人

通木遼平
恋愛
 アルディモア王国国王の孫娘、隣国の王女でもあるアルティナはアルディモアの騎士で公爵子息であるギディオンと結婚した。政略結婚の多いアルディモアで、二人は仲睦まじく、おしどり夫婦と呼ばれている。  が、二人の心の内はそうでもなく……。 ※他サイトでも掲載しています

処理中です...