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第二話 ナーゼル伯爵

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 レイマンが父シュタイマンに連れられてやってきた、ファルネブルク侯爵家の所領の一つナーゼルは、現在レイマンの大叔父に当たるカランツ・ナーゼル伯爵が治めていた。

 カランツとは親族としてレイマンも面識があった。彼は齢六十を越える高齢であったが、矍鑠かくしゃくとしており、未だにナーゼルの地を無難に治めている。

 見るからに好々爺で、実際に温和な人柄のカランツをレイマンは嫌いではない。むしろ、親族の中では一番好きな人物かもしれない。

 今、その好々爺であるカランツが、ナーゼル領の屋敷の玄関先でシュタイマンとレイマンを待ち受けていた。

 レイマンを引き摺るように馬車から降りたシュタイマンは、カランツに対して慇懃に挨拶を述べた。

「伯父上、ご無沙汰しております」
「シュタイマン、己がやっていることの意味をきちんと理解しておるのか?」

 しかし、いつも優しく笑う彼の顔はいつになく厳しく、その口調は険しいものであった。

 それも当然であろう。いかにナーゼルの伯爵位がファルネブルク侯爵の持つ爵位であり、シュタイマンに任命権があるとは言え、現ナーゼル伯爵であり、伯父でもある自分になんの相談もなく性急に事を決めたのだ。しかも爵位を譲る相手は親族間で問題となっている元嫡子だ。面白い筈がない。

「伯父上には後継あとつぎがおりませんし、レイマンは十分にナーゼルを治めることのできる能力を持っていますよ。問題はないでしょう」
「お前はどこまで恥知らずなことを!」

 いつも穏和なカランツの、今まで見たこともない怒気を含んだ表情に、シュタイマンは首をすくめ、ばつの悪そうな表情で、レイマンに別れを告げることなく、置いて逃げる様に馬車で王都へと引き返していった。

 カランツはシュタイマンの乗る馬車を鋭い目で睨み上げていたが、やがて一つ溜め息を吐くとレイマンに顔を向けた。怒りをこらえながらも拳を強く握り、恨み言を発さないこの明敏そうな子供に罪はない。

 むしろ早くに実母を亡くしただけではなく、喪が開ける前に父親が、愛人を後妻として子供と一緒に家に引き入れたのだ。それだけでも許されない行為だというのに、あの男は実の息子であるレイマンを嫡子から引き摺り下ろし、愛人の子を嫡子にしたのだ。

 カランツの目に憐憫れんびんの情が浮かんだ。

 レイマンの事を不憫に思う彼であったが、同時に恥知らずなシュタイマンを思い出してしまい再び臓腑ぞうふが煮えくり返りそうになった。

 しかし、落ち着いて今後を考える必要がある。幸いと言っていいのか、カランツには後継者がいなかった。数年前に跡取りであった息子をその妻と共に事故で亡くしていたのだ。レイマンを嫡子として受け入れるのに問題はない。

「レイマン、これからお前はこの地を故郷とし、この地を治め、この地に生きていかねばならん」

 そう語り始めたカランツの顔を下から覗く様に上げたレイマンの顔には怒りが見え、その瞳にはまだ父親への憎悪の炎が消えていなかった。

「シュタイマンが……父が憎いか」
「母も僕も裏切った恥知らずなあの男は、もはや父ではありません」

 貴族なら好悪を表に出すものではない。しかし、レイマンはまだ十歳。しかも、到底ありえない仕打ちを受けているのだ。表情に出すなと言うのは酷というもの。寧ろよく激情を抑え、喚き散らさないだけ胆力と分別があり、状況を見極める判断力がある。

――この子は十分に見所がある。

 カランツは一つ頷き、このレイマンを己の嫡子とすることを決意した。

「わかった。ならば今日よりお前を我が嫡子とする。レイマン・ナーゼルを名乗ることを許そう」
「はい、ナーゼル伯」
「他人行儀な。これから私とお前は父と子。私のことは父と呼べ」
「はい、父上。では僕のことは『レイ』とお呼びください」

 将来、ナーゼルの伯爵を拝命することが決まったレイマンは、ナーゼルの地に降り立ったこの時からレイマン・ナーゼルを名乗ることになった。

 カランツを父とあおぐことにしたレイマンは、立場だけではなく気持ちの上でも、父シュタイマンと永遠の訣別をしたのだ。

 ナーゼルの屋敷に少し冷気を含む風が吹き抜け、庭に咲く元気のないカモミールの花が揺れた。

 この時ナーゼルには春が訪れていた。しかし、レイマンが踏みしめたナーゼルの地は硬くひびが入っていた。枯れかけたカモミールと同じように、まだ冷たい風がレイマンをなぶるように吹き抜けていった。
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