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第九章 剣仙の皇子と秩序の壁

九の捌.

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 蘭華は牡丹達に囲まれ月門を去って行く。
 その後ろ姿は西陽に焼けて何処か寂しい。

 それを刀夜達は黙って門先で見送った。

「追わなくて良いのですか?」

 とぼとぼと歩く蘭華の背中を見ながら夏琴が心配そうに刀夜へ問い掛けた。

「芍薬や牡丹がついているから心配はいらないだろう」

 刀夜は蘭華の霊獣達が尋常ではないと見抜いていた。物理的に蘭華を害せる者は殆どいないだろう。

「それに俺には今の蘭華に掛けてやれる言葉が無い」

 ただ、目に見えない攻撃とは防ぐのも守るのも難しく、やがて精神を蝕んでいく。それを何ともできない自分が刀夜には歯痒かった。

「本当に俺には何の力も無いのだな」
「刀夜様は剣仙の皇子と呼ばれる程のお方ではありませぬか」
「剣を振り回すしか能が無いだけさ」

 強力な神賜術かみのたまものである千剣の仙を持って生まれ、それに溺れることなく研鑽を積んできた。

 刀夜にはその自負があったが、蘭華が受けている不条理を目の当たりにすると己の力不足と未熟を痛感する。

「剣が幾ら強くとも差別や不条理は斬れん」
「そうですな」

 刀夜の悲嘆に夏琴が肩を竦めた。

それがしの剣も宮中に巣食う権謀術数には届きませぬ」

 常々斬り伏せたいとは思うのですが、と物騒な夏琴の冗談に刀夜は苦笑いした。

「だからと言って本当に宮中で剣を振り回してくれるなよ?」
「心得ております」

 保身と利権を際限なく求める貴族達の欲望は厄介だ。たとえ邪な願望を抱く貴族を斬っても腐肉に群がる羽虫の如く次々に沸いてきりが無い。

 また、その羽虫を悉く叩き潰せたとしても、清廉な国は生まれず荒涼が広がるばかりとなるだろう。

 悪を斬って解決するほど単純な話ではない。清濁を併せ呑まねば政治まつりごとは回らないのだ。

「それらが実体を持った妖魔あやかしとなってくれたら簡単なのですが」
「まったくだ」

 目の前の敵を屠るだけ良いなら、それほど簡単な事はない。

 だから刀夜は皇子として生きる道を捨て剣を取った。剣の道なら何も悩まずに済むと思ったから。

「泰然兄上のように国を変える力こそ皇子には必要な力なのだな」

 だが、月門に来てから刀夜は少し後悔していた。

(剣の道が何も考えないなどと……俺は本当に愚かだな)

 政治は自分には向かない、そう決め込んで考える事を放棄していただけ。

「俺は剣に邁進していたのではなく、剣に逃げていたんだな」

 皇子という立場にありながら蘭華を助けてやれない不甲斐なさに、全てを先送りにして逃げていたツケが回ってきたのだと刀夜は痛感した。

「刀夜様、人は二つの手しかありませぬ」
「うん?」

 突然、夏琴が脈絡の無い話題を持ち出し刀夜はどう反応したものかと迷い曖昧に返事をした。

「だから無理に何でもかんでも掴もうとすれば必要なものまで手から擦り抜けてしまいまする」
「そうだな……確かにそうだ」

 人の能力には限界があり、全てを背負うなど到底不可能だ。無理を押して全てを救おうとすれば、手の平に掬った水の如く指の隙間から零れ落ちてしまうだろう。

「俺は欲張り過ぎていたか」
「刀夜様が言われたではないですか。某では刀夜様の留守は守れぬと。ようは適材適所にございます」
「ははは、夏琴の言う通りだ」

 夏琴は真っ直ぐだ。その実直さが刀夜に道を示してくれる。愚直だからこそ真理に一直線に進める。

 所詮、迷ったところで自分は自分以上のものにはなれない。

「俺は俺の出来る事をしよう」

 順序を間違えてはいけない。

「夏琴、お前を連れてきて良かった」
「某は思った事しか口にできませぬが?」
「お前はそれで良い」

 留守を任せた儀藍ぎらんは優秀だ。だが、それだけに道に迷った刀夜に真っ直ぐ応えてはくれなかっただろう。

 今すべきは窮奇の件を解決すること。それが邪悪な陰謀を挫き泰然の王道のたすけとなる。

 その先にきっと蘭華の境遇を変える手立てがあると信じたい。刀夜は迷いを吹っ切った。

「まずは窮奇の件を片付けるぞ」
「はっ、何処までもお供致します」

 次に窮奇が現れるのは田単でんたんの邑《ゆう》。さっそく小邑むらへ赴こうと馬を預けている大酒店やどやへ向け踵を返した。

「もし、お待ち下さい」

 だが、すぐに呼び止められ、刀夜が振り向けば六十前後くらいの初老の男が立っていた。
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