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第九章 剣仙の皇子と秩序の壁

九の陸.

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「朱朱ちゃん……」

 既に朱明の姿は視界から消え、その声も届かない……筈だったが、蘭華の耳にはいつまでも朱明の泣き声がこびりついていた。

「蘭華さん」

 それを見送る蘭華の隣に翠蓮が立った。

「今のは朱明が可哀想です」

 翠蓮が珍しく蘭華を咎める。

「朱明、泣いてました。大好きな大姐おねえちゃんに裏切られたって傷ついたと思います」
「だけど私と関わり合えば朱朱ちゃんが不幸になるのも事実よ」

 蘭華には朱明の母親が心配するのも理解できる。

「私はぜんぜん不幸なんかじゃありません。それはきっと朱明も同じです」
「翠蓮……」
「朱明は幼く神賜術かみのたまものや爵位による確執なんて理解できていません」

 だからこそ幼い少女のまなこは曇りが無く真実を写した。大人達の事情の外にいるから爵位に囚われず蘭華を慕い懐いたのだ。

「蘭華さんは他人に優し過ぎるんです」
「私はただみんなが幸せであればと……」
「その中に蘭華さんは含まれているんですか?」
「私の……」

 翠蓮の指摘は蘭華に初めて自分と向き合わせた。

 蘭華は物心ついた頃より師の元で導士としての修行に明け暮れていた。考えてみれば導士としての心構えを叩き込まれた蘭華にとって自分の幸せを考えた事などない。

「蘭華さんは自分の幸せを知らないから……朱明の幸せも分からないんです」
「朱朱ちゃんの幸せ?」

 翠蓮や朱明の幸せ……それは普通に結婚し、子供を育み、愛する家族に囲まれる。そんなふうに漠然と想像していた。

 だけど、翠蓮に指摘されて、その状況を自分に置き換えた時、それは本当に幸せだろうか?……蘭華には分からなくなった。

「朱明の想いは蘭華さんに直向きで、だからそれを返してくれなければ朱明にはただ蘭華さんに見捨てられた記憶しか残りません」
「翠蓮……私はどうすれば良かったの?」

 達観しているように見えても蘭華とてまだ二十になったばかりの若輩者。どんなに優れた術者であっても人生経験に乏しい。

 朱明に対して何をして上げれば良かったのか……蘭華には判然とせず表情に翳が落ちる。

「ごめんなさい。蘭華さんが悪いんじゃないって分かってるんです。それでも朱明が可哀想で……」

 曇る蘭華の顔に翠蓮は苦しそうに顔を歪ませ、謝罪すると朱明が連れて行かれた方へと走り去った。
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