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第九章 剣仙の皇子と秩序の壁

九の弐.

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「当たり前か……もともと彼女は何もしていないのだから」

 刀夜は声も荒げず静かに語る。だが、彼の発する逆らい難い雰囲気に子雲のみならず、この場の誰もが反論できない。

「お前達が流す『常夜の魔女』の悪評は都邑みやこ常陽にまで届いていたが本当に酷いものだった」

 思い出したように刀夜は自重気味に笑った。その噂を信じて常夜の森まで蘭華を訪ねたのは他ならぬ刀夜自身だから。

「『常夜の魔女』はまち人に暴虐を為し、暴利を貪り、怪しげな術で人民を惑わし、およそ人の情を持たぬ冷酷無比な毒婦とな」

 刀夜の上げた噂に心当たりがあるのだろう。刀夜の金青の瞳と真面に目を合わせられず、全員が顔を背けた。

「だが、実際に来てみればどうだ。蘭華は門番からは謂れ無き罪で刃を向けられ、子供からは石を投げられている。いったいどちらが暴虐なのだ?」

 刀夜に目を向けられた子雲は問いに答えられない。

「暴利を貪る?……俺は彼女の家を見たが、窓は破れ壁も剥がれた破屋あばらやだった。今着ている深衣もかなり痛んでいる。正当な工資ちんぎんを得ている導士ならもっと裕福だし、暴利を貪っている者なら尚更ではないか?」

 刀夜が見回すが誰もが目を逸らし答えない。

「怪しげな術どころか蘭華は施療院で患者を診て、森の結界の修繕までしている。聞けば周辺に出た妖魔あやかし退治も請け負っているとか……」

 刀夜は子供達へと視線を戻した。

「それも殆ど見返り無しでだ」

 震えながらも何進は背後の友人達を守るように立ち、刀夜の目を真っ直ぐ見返す。子雲達よりよっぽど気骨があると感心したが、それだけに刀夜は子供ではなく一人の男として何進を相手にした。

「それ程の善行を積んでもなお蘭華は悪い魔女だと思うか? 爵位が無いというのが罪なのか? 神賜術かみのたまものを持たぬのがそれ程に悪い事なのか?」

 刀夜が畳み掛けるように問う。

 それは先程、何進が朱明から突き付けられた現実。それは彼の短い人生の中で形成された価値観を揺るがした。

此奴こやつらはただ爵位が無いという理由だけで蘭華を悪い魔女だと詰っているようだが……自分を迫害する者にも手を差し伸べ尽くす蘭華と、満足に恩に報いず当然と彼女の施しを受けてなお迫害を加える者とどちらが正義なのだ?」

 拳を握り締め唇を噛む何進に問い掛ける刀夜の声には怒りよりも悲しみの色が濃い。

わっぱはどう思う?……それが貴様らの善行か?」
「それは……違う……と思う」

 か細いが答えを返す何進に刀夜は頷いた。

「確かに生まれながらの家柄や能力は尊重されるべきものだ。だが、それ以降は重ねた研鑽と積み上げた徳だけが人を測る物差しとなる」

 分かるか?…と問われ何進は首を横に振る。
 理解できずとも仕方なかろうと刀夜も思う。
 まだ十を過ぎたばかりの少年には難しい話。

わっぱ神賜術かみのたまものや爵位を誇るのは間違いではない……が、それらの優劣、高低が品性や人格までも決定するものではない。それは此奴こやつらの振る舞いを見れば……」
「それ以上はいけません」

 誰もが下を向き反論できない中、滔々とうとうと語る刀夜の言葉をわかい女の声が遮った。
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