魔女の闇夜が白むとき

古芭白あきら

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第六章 剣仙の皇子と窮奇の行方

六の伍.

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「しぃ! 声が大きい」
「も、申し訳ございません」

 慌てて口に手を当て夏琴はキョロキョロと見回した。誰も聞き耳を立てていないとホッと胸を撫で下ろすと刀夜に顔を寄せた。

まことでございますか?」
「間違いない」

 刀夜は確信を持って頷いた。

 常夜の森では昏すぎて判然としなかったが、月門で再会した蘭華の瞳を何度も確認した。

「あの紅は紅三家こうさんけのものだ」

 暗がりでは血のように赤く見えた瞳は陽の下では鮮やかな紅であった。

「ですが、それにしては……」
「ああ、庶子であっても蘭華の境遇は歪だ」
「庶子……いえ御落胤ごらくいんであっても九卿きゅうけいの、それも紅三家の姫君ならば暮らし向きが貧し過ぎますし、これ程の差別を受けている意味が分かりません」

 九候家は陽、月、星の三国を治める三公家に次ぐ名家。三公家が太師、太傅、太保の最上位官職を代々継いでいるように、九候家も天官、地官、春官、夏官、秋官、冬官の長と少師、少傅しょうふ、少保の三少と呼ばれる九つの高位官職を代々受け継いでおり九卿とも呼ばれる。

 故に、この公家候家を合わせて三公九卿さんこうきゅうけいと呼ぶ。

 その中でも紅三家は九卿の頂点である天官、地官、春官の官職を得ている名家中の名家である。その落とし胤ともなればそれなりの待遇は約束されている筈だ。

「彼女はいったい何者なのでしょう?」
「分からん」

 蘭華の性質は間違いなく善であり、優しく献身的な彼女は好ましいと刀夜も感じている。だが、何分にも蘭華には謎が多い。

「あの若さで方士院の連中さえも及ばぬ見事な医術の技だった」

 方術の習得には長い歳月を要する。蘭華は年齢を上に見ても二十半ばは越えていない。

「従えている霊獣と言い、彼女の家の結界と言い、方士院の連中より遥かに優秀だ」
「それ程ですか……」

 蘭華の高い能力に夏琴は唸った。

「ああ、しかも月門周辺の森に蘭華一人で結界を張っているらしい」
「なんですと!?」

 ぎょっとして夏琴は目を剥く。

「さっき施療院で聞いたのだが……」

 斉周から聞いた話を刀夜が話せば、夏琴の形相はみるみる険しくなっていった。

「それが本当なら方士院の怠慢では済まされませんぞ」

 常夜の森は妖魔あやかしの領域。そこの結界が破れれば日輪の国は魑魅魍魎で溢れ返ってしまう。最悪、国が滅びる可能性も高い。

「当然、月門の邑を統治している泰然兄上にも累が及ぶだろう」

 故に結界の保全は国家のだいじ。これを疎かにすれば第一皇子である泰然と言えども無事では済まされない。継承権の剥奪、最悪の場合は廃嫡もあり得るのだ。

「だが、あの兄上がこの状況を放置するとは考え難い」
「確かに……」

 恤民じゅつみんに厚く為政者としても優秀な泰然の所業とは思えない。

「であれば兄上が月門の現状を知らないと考えるのが妥当だろう」
「ですが、これだけの重大事を邑の令長が泰然様に報告しない筈は……まさか!?」

 ようやく刀夜の言わんとする所を理解し夏琴は驚きに目を丸くした。

 そして、刀夜は静かに頷く。

「ああ、俺は月門ここの令長を疑っている」
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