52 / 94
閑話⑪ 母たちの語らい
しおりを挟む
セシリアはメネイヤを屋敷内の小さな応接間に案内した。
「ごめんなさいね。うちではこれで精一杯」
小さな部屋。安物のテーブル。安物のソファー。とても上等とはいえない調度の数々。高位貴族のメネイヤからすればありえない対応だろう。
だが特にメネイヤは何も反応を示さなかった。
「ちょっと待ってて。お茶を淹れてくるから」
通常なら侍女もしくは女中が行うべき仕事。女主人が手ずから行うことではない。かなり失礼にあたる行為である。何故ならホストがゲストを放置することになるからだ。貴族の応対としてはとてもありえない。
ところが、これにもメネイヤは眉一つ動かさない。
ソファーに座るメネイヤは時が止まったかのように目を閉じ微動だにしない。
室内の振り子時計のカチカチという音だけが室内に響く。
やがて扉の向こう側からパタパタ人の歩く音とカチャカチャと食器がぶつかり合う音が聞こえてくるとメネイヤはそっと目を開けた。と、それを図ったかのように扉が開きセシリアがトレイを片手に入ってきた。
「粗茶よ。まごうことなきね」
メネイヤの目の前にお茶を用意すると片目を閉じておどけて見せるセシリアにメネイヤは苦笑いした。まるで先ほどまで止まっていた時間が動き出したかのようだった。
音もたてずソーサーを片手にティーカップを持ち上げるとメネイヤは一口お茶を口に含んだ。反対に座ったセシリアはティーカップだけを手に取りごくりと飲む。
「相変わらずね。セスはいつも茶化してばかり」
「しょうがないでしょ。うちはしがない男爵家。そんな空気の場所よ」
そのセシリアの言葉にメネイヤは目を閉じ、部屋に再び沈黙の空間が訪れた。
セシリアはそんなメネイヤをじっと見詰めてただ彼女を待った。
ほんの十数秒の沈黙であったはずだが、セシリアには2人の間に随分と長い時が流れたようにも感じた。それは2人が隔ててしまった時間のせいなのかもしれない。
「まずは謝罪と感謝を」
目を開けたメネイヤが最初に発したのはそんな言葉だった。
「突然の訪問の先触れを許してください。そして、それを受け入れてくれたこと感謝いたします」
セシリアはただ呆れた。
「相変わらず堅いのね」
「そう言う貴女は相変わらずいい加減」
そう言い合いをしているように見えて2人は微笑んでいた。対照的な微笑みではあったが。
セシリアは春の木漏れ日のような明るさと暖かさがあるのに対して、メネイヤは真夜中の満月のようなひっそりとそれでいて周りの目を引くような笑みであった。
「それにしても……私たち2人だけで話がしたいだなんて」
「どうしてもセスだけと話がしたかったの……」
お互い視線を交わし合っていたが、やがてメネイヤが少し視線を落とし膝の上で掌を組んだ。
「昨日、王妃様の拝顔を賜りました」
「エルゼリベーテの?」
尊貴の名を呼び捨てするセシリアにメネイヤは少し眉を顰めたが咎めることはなかった。セシリアとエルゼリベーテはそういう気安い関係なのだ。本来はメネイヤもだが……
むしろエルゼリベーテは敬称で呼ぶメネイヤに苦言を呈しているくらいなのだ。
公の場ならともかく私的に2人でいる時くらいは名前で呼んでくれと。昨日の会談の時にも苦情を言われたくらいだ。だが、メネイヤはそんな自分を変えることはできない。
そう変えられない……
どんなに悩んでも。
どんなに苦しんでも。
──私はエルゼやセスの様には生きられない……
そうメネイヤは思う。
分かっていたことだ。
自由で奔放なこの2人。
嫉妬と羨望を抱きながら、だけれども憎めない。
無意識のうちに掌をより強く固めてしまったメネイヤは気がついても緩めることをせず、チラリと覘くようにセシリアに視線を向けた。
「セスも気がついているのでしょう?要件は私の娘と貴女の娘こと……」
その言葉にセシリアは軽くため息をついた。
「そう……ルルの中にはメイの娘が……」
「ええ……リリと、私の娘リリーエン・リュシリューと貴女の娘ルルーシェ・ルミエンは入れ替わっているわ」
「私と貴女のねぇ……ふふ、こういうのを巡り合わせというのかしら?」
笑顔を向けるセシリアに対してメネイヤはその美しい顔を少し歪めた。
「おかしいことかしら?」
「だって、学生時代の親友の娘が入れ替わって関わりを持ったのよ。凄い偶然じゃない?」
その言葉にメネイヤは苦い顔をした。
「私のことを親友と呼んでくれるのね」
「あら違った?私の一方的な片想いだったのかしら」
「そうかも知れないわね」
「またまたぁ。私のこと大好きなくせにぃ」
メネイヤはセシリアのおどけた言い回しに苦笑いした。
「貴女とエルゼ様のそういうところ嫌いよ」
「あ!エルゼって呼んだ!」
「あ!」
セシリアが指摘すると失言したとメネイヤは慌てて口元を抑えたるが、むふふふと笑うセシリアに少し頬を膨らませてそっぽを向いた。
──かぁわいいなぁ。
幾つになっても可愛らしさのある親友をセシリアは微笑ましく見詰めた。この親友は『黒百合姫』などと呼称されて近寄りがたい雰囲気を帯びているが、セシリアは中身は随分と可愛らしいことを知っていた。
「貴女はいつもそう!そうやって私をからかって!」
「だってメイ可愛いんだもん」
普段はあれほど澄ましているのに、セシリアがからかうとこうやって地が出てしまう。
「貴女はそうやって私の内をさらけ出そうとする」
「その方がメイは魅力的よ」
「そうかしら……」
「そうよ」
2人は真顔に戻るとお互いを見合い、しばし沈黙が流れる。
「……私はね」
先に沈黙を破ったのはメネイヤだった。
「私はね貴女が羨ましかった」
「しがない田舎の子爵令嬢だった私を?」
「そう、羨ましくて妬ましくて……憎らしかった」
「裕福で高い地位の貴族で高い能力と惜しまぬ努力。しかも誰もが羨む美貌の持ち主の貴女が?」
セシリアは「ふふふ」とおかしそうに笑った。
「普通は逆でしょ」
「そうね……そうかもしれない」
メネイヤは「だけど」と続けた。
「貴女はいつも自由で、活発で、そして誰からも愛されていた」
「メイだって皆から愛されていたでしょう」
「私は違う!!」
思わず声を荒げたメネイヤはそんな激情を飲み込むようにぐっと歯を食いしばった。
そして、セシリアを少し恨みがましい眼差しを向けた。
「……私は畏怖されていただけ」
「それは貴女が真面目だから。高位貴族としての責務を全うすることに妥協しなかったからでしょう?」
「そうよ!!!」
そう叫んで、再び昂った気持ちをぐっと堪えようと唇を噛みしめたメネイヤは顔を落とし、両手で顔を覆った。
「……そう。私は高位貴族として果たさなければいけない責任がある。そしてそれを背負っている矜持がある。私は……私はセスやエルゼ様のようには生きられない」
「メイは十分によくやっているわ。もう少し肩の力をぬいたら?」
「できないわ……私そんなに器用じゃない。知っているでしょう?」
色々と拗らせている友人をセシリアは痛ましそうに見詰めた。
「セスやエルゼ様はすぐ皆と打ち解け、周囲に溶け込んだわ。皆がすぐにセスやエルゼ様を好きになる」
「メイ……」
「でも私は……リリだってそう……あの子、エルゼ様に懐いているわ」
メネイヤはきっ、とセシリアに顔を向けた。
「セス……私からリリを奪わないで!」
その顔は目に涙をため、今にも泣きだしそうだった。
ああ、メイはまた拗らせたのね。とセシリアは合点がいった。きっと娘と上手くいっていない、もしくは上手くいっていないと思い込んでいるのだろう。
だからセシリアはメネイヤの横に移動して彼女の手をしっかりと握る。
「何を言っているのメイ……私はリリちゃんを奪ったりしないわよ」
「違う!リリはきっと貴女に懐いてしまう。エルゼ様の時もそう……あの子は……リリは私を嫌っているもの」
ついに決壊した涙は次から次へと流れだす。
「何でそう思うの?リリちゃんは良い娘よ。貴女を嫌うわけないでしょ」
「だって……私は……いつも厳しい態度だし、うぅ……冷たい人間だって、グス……思われているわ」
セシリアに向けたのは流れだした大粒の涙でとくしゃりとした顔で……メネイヤはいつもならこのような表情は絶対に見せないはずなのに。
その子供の様な泣き顔はメネイヤの心のうち、弱く脆い彼女なのだとセシリアには思われた。だからセシリアはメネイヤの華奢なその肩を優しく抱き寄せた。
メネイヤはそのセシリアに縋りついた。
「お願いよセスぅ……私からリリを奪らないでぇ」
次から次へ流れ落ちる涙を拭いもせず、ただただメネイヤは訴えた。
それは彼女の思いの丈。
それは彼女を苛む恐れ。
「何を言っているのメイ……私は奪ったりしないわよ」
肩を抱かれたメネイヤはセシリアに縋りつきながら「うぅ、グス、ヒック……」と泣き続けた。
「でも、ヒック……リリは、ヒック……あの子は私を嫌っているわ!」
「そんなわけないでしょ」
メネイヤは顔を上げずにただ首を振った。
「だってぇ、グス……リリ、ヒック……私の前だと、うぅ……他人行儀で……」
「メイは本当に不器用ねぇ。リリちゃんの前でも格好つけて澄ました態度で接してたんでしょ?リリちゃんも対応に困っちゃうわよ」
「だって、だってぇ、ヒック……リリすっごく優秀なんですもの、グス……なんでもできちゃって……」
「意地を張るから。隙のない母親演じるから……最初から素の貴女で接していたら拗れなかったのに」
「もうだめよぉ……リリに嫌われたら……私もう生きていけない」
少し涙も落ち着いてきたようだが、今度は恐れと不安をないまぜにした目で見上げてくるメネイヤにセシリアは優しく頭を撫で笑いかけた。
「大丈夫。リリちゃんはメイのことをちゃんと愛しているわ」
メネイヤは首をふるふると振る。
「そんなはずない!あの子はエルゼ様のことが好きなの。きっと貴女のことだって……」
そう嘆くメネイヤの唇に人差し指をあててセシリアは言葉を封じた。
「貴女の娘はとても聡い娘よ」
だからね。とセシリアは続ける。
「大丈夫。リリちゃんはメイの不器用だけど確かな貴女の愛をちゃんと理解している」
「ほんとうに?」
いつも凛として美しい大人の女性が、冷たい氷のような美貌を備えた女性が、セシリアの目の前で子供の様な不安そうな顔をしている。セシリアは学園時代のメネイヤをそのまま重ねた。
──当時からこのギャップが凄く可愛いかったのよねぇ。
貴族としての矜持を大切にし、領民を守るために努力し、家族を愛しているため自分にも他人にも厳しくなる不器用で真面目な友人。だけどその内面はとても脆く弱い寂しがり屋なのだとセシリアは理解している。
だけどいつまでも親友を愛でているわけにもいかない。
「ええ、間違いなく。リリちゃんは貴女に似ているもの。メイをよく見ているからよ。それは貴女のことをちゃんと愛している証拠よ」
とても優しいのと抱きしめるメネイヤに囁くと、メネイヤは顔を上げてセシリアをじっと見た。
「リリは私のこと……好き?」
幼児退行してしまった美しいくも愛らしい親友にセシリアは苦笑いした。
「当たり前でしょ。もっとリリちゃんを信じなさい。リリちゃんは貴女に似てとっても良い娘でしょ」
「ええ……リリは良い子よ。優しいし、気配りがよくできるの」
次第に穏やかな表情になるメネイヤは、やがて満面の笑顔になっていた。
「ルルーシェさんもセスの若いころにそっくりよ」
「あら!私あそこまで粗忽者ではなかったわよ」
「そうだったかしら?」
クスリと笑うメネイヤはとても魅力的だとセシリアは思った。
「だけど、ころころ表情が変わるところと……思い遣りがあるところはやっぱり貴女の娘よ」
「まあ、あんなのでも一応自慢の娘だもの」
2人は顔を見合わせて声を出して笑った。
その後はメネイヤもセシリアも娘たちの話題は出さず、学園時代の話に花を咲かした。それは卒業してから疎遠になってしまった親友同士の溝を埋めるかのようだった……
~~~~~後書きコント~~~~~
ルル「えへへへ。うちのお母さんいい人でしょ」
アンナ「貴女の場合は前世の両親が問題すぎでしょう」
ルル「あんまり思い出したくない過去です。アンナさんの前世はどうなんです?」
アンナ「私の前世で思い出されるのは『ヤツ』との確執ばかりですね」
ルル「『ヤツ』ですか?」
アンナ「ええ。前世で一度も勝てなかった私の生涯のライバルです」
ルル「えええ!!アンナさんが勝てなかったんですかぁ!?」
アンナ「はい。ヤツは大会の日10tトラックに戦いを挑み帰らぬ人に……」
ルル「(おかしな人だったんだなぁ)」
アンナ「もうヤツに勝てないと知った私はヤツを越えるために10tトラックに挑んだらここにいました」
ルル「(アンナさんも大概だなぁ)」
「ごめんなさいね。うちではこれで精一杯」
小さな部屋。安物のテーブル。安物のソファー。とても上等とはいえない調度の数々。高位貴族のメネイヤからすればありえない対応だろう。
だが特にメネイヤは何も反応を示さなかった。
「ちょっと待ってて。お茶を淹れてくるから」
通常なら侍女もしくは女中が行うべき仕事。女主人が手ずから行うことではない。かなり失礼にあたる行為である。何故ならホストがゲストを放置することになるからだ。貴族の応対としてはとてもありえない。
ところが、これにもメネイヤは眉一つ動かさない。
ソファーに座るメネイヤは時が止まったかのように目を閉じ微動だにしない。
室内の振り子時計のカチカチという音だけが室内に響く。
やがて扉の向こう側からパタパタ人の歩く音とカチャカチャと食器がぶつかり合う音が聞こえてくるとメネイヤはそっと目を開けた。と、それを図ったかのように扉が開きセシリアがトレイを片手に入ってきた。
「粗茶よ。まごうことなきね」
メネイヤの目の前にお茶を用意すると片目を閉じておどけて見せるセシリアにメネイヤは苦笑いした。まるで先ほどまで止まっていた時間が動き出したかのようだった。
音もたてずソーサーを片手にティーカップを持ち上げるとメネイヤは一口お茶を口に含んだ。反対に座ったセシリアはティーカップだけを手に取りごくりと飲む。
「相変わらずね。セスはいつも茶化してばかり」
「しょうがないでしょ。うちはしがない男爵家。そんな空気の場所よ」
そのセシリアの言葉にメネイヤは目を閉じ、部屋に再び沈黙の空間が訪れた。
セシリアはそんなメネイヤをじっと見詰めてただ彼女を待った。
ほんの十数秒の沈黙であったはずだが、セシリアには2人の間に随分と長い時が流れたようにも感じた。それは2人が隔ててしまった時間のせいなのかもしれない。
「まずは謝罪と感謝を」
目を開けたメネイヤが最初に発したのはそんな言葉だった。
「突然の訪問の先触れを許してください。そして、それを受け入れてくれたこと感謝いたします」
セシリアはただ呆れた。
「相変わらず堅いのね」
「そう言う貴女は相変わらずいい加減」
そう言い合いをしているように見えて2人は微笑んでいた。対照的な微笑みではあったが。
セシリアは春の木漏れ日のような明るさと暖かさがあるのに対して、メネイヤは真夜中の満月のようなひっそりとそれでいて周りの目を引くような笑みであった。
「それにしても……私たち2人だけで話がしたいだなんて」
「どうしてもセスだけと話がしたかったの……」
お互い視線を交わし合っていたが、やがてメネイヤが少し視線を落とし膝の上で掌を組んだ。
「昨日、王妃様の拝顔を賜りました」
「エルゼリベーテの?」
尊貴の名を呼び捨てするセシリアにメネイヤは少し眉を顰めたが咎めることはなかった。セシリアとエルゼリベーテはそういう気安い関係なのだ。本来はメネイヤもだが……
むしろエルゼリベーテは敬称で呼ぶメネイヤに苦言を呈しているくらいなのだ。
公の場ならともかく私的に2人でいる時くらいは名前で呼んでくれと。昨日の会談の時にも苦情を言われたくらいだ。だが、メネイヤはそんな自分を変えることはできない。
そう変えられない……
どんなに悩んでも。
どんなに苦しんでも。
──私はエルゼやセスの様には生きられない……
そうメネイヤは思う。
分かっていたことだ。
自由で奔放なこの2人。
嫉妬と羨望を抱きながら、だけれども憎めない。
無意識のうちに掌をより強く固めてしまったメネイヤは気がついても緩めることをせず、チラリと覘くようにセシリアに視線を向けた。
「セスも気がついているのでしょう?要件は私の娘と貴女の娘こと……」
その言葉にセシリアは軽くため息をついた。
「そう……ルルの中にはメイの娘が……」
「ええ……リリと、私の娘リリーエン・リュシリューと貴女の娘ルルーシェ・ルミエンは入れ替わっているわ」
「私と貴女のねぇ……ふふ、こういうのを巡り合わせというのかしら?」
笑顔を向けるセシリアに対してメネイヤはその美しい顔を少し歪めた。
「おかしいことかしら?」
「だって、学生時代の親友の娘が入れ替わって関わりを持ったのよ。凄い偶然じゃない?」
その言葉にメネイヤは苦い顔をした。
「私のことを親友と呼んでくれるのね」
「あら違った?私の一方的な片想いだったのかしら」
「そうかも知れないわね」
「またまたぁ。私のこと大好きなくせにぃ」
メネイヤはセシリアのおどけた言い回しに苦笑いした。
「貴女とエルゼ様のそういうところ嫌いよ」
「あ!エルゼって呼んだ!」
「あ!」
セシリアが指摘すると失言したとメネイヤは慌てて口元を抑えたるが、むふふふと笑うセシリアに少し頬を膨らませてそっぽを向いた。
──かぁわいいなぁ。
幾つになっても可愛らしさのある親友をセシリアは微笑ましく見詰めた。この親友は『黒百合姫』などと呼称されて近寄りがたい雰囲気を帯びているが、セシリアは中身は随分と可愛らしいことを知っていた。
「貴女はいつもそう!そうやって私をからかって!」
「だってメイ可愛いんだもん」
普段はあれほど澄ましているのに、セシリアがからかうとこうやって地が出てしまう。
「貴女はそうやって私の内をさらけ出そうとする」
「その方がメイは魅力的よ」
「そうかしら……」
「そうよ」
2人は真顔に戻るとお互いを見合い、しばし沈黙が流れる。
「……私はね」
先に沈黙を破ったのはメネイヤだった。
「私はね貴女が羨ましかった」
「しがない田舎の子爵令嬢だった私を?」
「そう、羨ましくて妬ましくて……憎らしかった」
「裕福で高い地位の貴族で高い能力と惜しまぬ努力。しかも誰もが羨む美貌の持ち主の貴女が?」
セシリアは「ふふふ」とおかしそうに笑った。
「普通は逆でしょ」
「そうね……そうかもしれない」
メネイヤは「だけど」と続けた。
「貴女はいつも自由で、活発で、そして誰からも愛されていた」
「メイだって皆から愛されていたでしょう」
「私は違う!!」
思わず声を荒げたメネイヤはそんな激情を飲み込むようにぐっと歯を食いしばった。
そして、セシリアを少し恨みがましい眼差しを向けた。
「……私は畏怖されていただけ」
「それは貴女が真面目だから。高位貴族としての責務を全うすることに妥協しなかったからでしょう?」
「そうよ!!!」
そう叫んで、再び昂った気持ちをぐっと堪えようと唇を噛みしめたメネイヤは顔を落とし、両手で顔を覆った。
「……そう。私は高位貴族として果たさなければいけない責任がある。そしてそれを背負っている矜持がある。私は……私はセスやエルゼ様のようには生きられない」
「メイは十分によくやっているわ。もう少し肩の力をぬいたら?」
「できないわ……私そんなに器用じゃない。知っているでしょう?」
色々と拗らせている友人をセシリアは痛ましそうに見詰めた。
「セスやエルゼ様はすぐ皆と打ち解け、周囲に溶け込んだわ。皆がすぐにセスやエルゼ様を好きになる」
「メイ……」
「でも私は……リリだってそう……あの子、エルゼ様に懐いているわ」
メネイヤはきっ、とセシリアに顔を向けた。
「セス……私からリリを奪わないで!」
その顔は目に涙をため、今にも泣きだしそうだった。
ああ、メイはまた拗らせたのね。とセシリアは合点がいった。きっと娘と上手くいっていない、もしくは上手くいっていないと思い込んでいるのだろう。
だからセシリアはメネイヤの横に移動して彼女の手をしっかりと握る。
「何を言っているのメイ……私はリリちゃんを奪ったりしないわよ」
「違う!リリはきっと貴女に懐いてしまう。エルゼ様の時もそう……あの子は……リリは私を嫌っているもの」
ついに決壊した涙は次から次へと流れだす。
「何でそう思うの?リリちゃんは良い娘よ。貴女を嫌うわけないでしょ」
「だって……私は……いつも厳しい態度だし、うぅ……冷たい人間だって、グス……思われているわ」
セシリアに向けたのは流れだした大粒の涙でとくしゃりとした顔で……メネイヤはいつもならこのような表情は絶対に見せないはずなのに。
その子供の様な泣き顔はメネイヤの心のうち、弱く脆い彼女なのだとセシリアには思われた。だからセシリアはメネイヤの華奢なその肩を優しく抱き寄せた。
メネイヤはそのセシリアに縋りついた。
「お願いよセスぅ……私からリリを奪らないでぇ」
次から次へ流れ落ちる涙を拭いもせず、ただただメネイヤは訴えた。
それは彼女の思いの丈。
それは彼女を苛む恐れ。
「何を言っているのメイ……私は奪ったりしないわよ」
肩を抱かれたメネイヤはセシリアに縋りつきながら「うぅ、グス、ヒック……」と泣き続けた。
「でも、ヒック……リリは、ヒック……あの子は私を嫌っているわ!」
「そんなわけないでしょ」
メネイヤは顔を上げずにただ首を振った。
「だってぇ、グス……リリ、ヒック……私の前だと、うぅ……他人行儀で……」
「メイは本当に不器用ねぇ。リリちゃんの前でも格好つけて澄ました態度で接してたんでしょ?リリちゃんも対応に困っちゃうわよ」
「だって、だってぇ、ヒック……リリすっごく優秀なんですもの、グス……なんでもできちゃって……」
「意地を張るから。隙のない母親演じるから……最初から素の貴女で接していたら拗れなかったのに」
「もうだめよぉ……リリに嫌われたら……私もう生きていけない」
少し涙も落ち着いてきたようだが、今度は恐れと不安をないまぜにした目で見上げてくるメネイヤにセシリアは優しく頭を撫で笑いかけた。
「大丈夫。リリちゃんはメイのことをちゃんと愛しているわ」
メネイヤは首をふるふると振る。
「そんなはずない!あの子はエルゼ様のことが好きなの。きっと貴女のことだって……」
そう嘆くメネイヤの唇に人差し指をあててセシリアは言葉を封じた。
「貴女の娘はとても聡い娘よ」
だからね。とセシリアは続ける。
「大丈夫。リリちゃんはメイの不器用だけど確かな貴女の愛をちゃんと理解している」
「ほんとうに?」
いつも凛として美しい大人の女性が、冷たい氷のような美貌を備えた女性が、セシリアの目の前で子供の様な不安そうな顔をしている。セシリアは学園時代のメネイヤをそのまま重ねた。
──当時からこのギャップが凄く可愛いかったのよねぇ。
貴族としての矜持を大切にし、領民を守るために努力し、家族を愛しているため自分にも他人にも厳しくなる不器用で真面目な友人。だけどその内面はとても脆く弱い寂しがり屋なのだとセシリアは理解している。
だけどいつまでも親友を愛でているわけにもいかない。
「ええ、間違いなく。リリちゃんは貴女に似ているもの。メイをよく見ているからよ。それは貴女のことをちゃんと愛している証拠よ」
とても優しいのと抱きしめるメネイヤに囁くと、メネイヤは顔を上げてセシリアをじっと見た。
「リリは私のこと……好き?」
幼児退行してしまった美しいくも愛らしい親友にセシリアは苦笑いした。
「当たり前でしょ。もっとリリちゃんを信じなさい。リリちゃんは貴女に似てとっても良い娘でしょ」
「ええ……リリは良い子よ。優しいし、気配りがよくできるの」
次第に穏やかな表情になるメネイヤは、やがて満面の笑顔になっていた。
「ルルーシェさんもセスの若いころにそっくりよ」
「あら!私あそこまで粗忽者ではなかったわよ」
「そうだったかしら?」
クスリと笑うメネイヤはとても魅力的だとセシリアは思った。
「だけど、ころころ表情が変わるところと……思い遣りがあるところはやっぱり貴女の娘よ」
「まあ、あんなのでも一応自慢の娘だもの」
2人は顔を見合わせて声を出して笑った。
その後はメネイヤもセシリアも娘たちの話題は出さず、学園時代の話に花を咲かした。それは卒業してから疎遠になってしまった親友同士の溝を埋めるかのようだった……
~~~~~後書きコント~~~~~
ルル「えへへへ。うちのお母さんいい人でしょ」
アンナ「貴女の場合は前世の両親が問題すぎでしょう」
ルル「あんまり思い出したくない過去です。アンナさんの前世はどうなんです?」
アンナ「私の前世で思い出されるのは『ヤツ』との確執ばかりですね」
ルル「『ヤツ』ですか?」
アンナ「ええ。前世で一度も勝てなかった私の生涯のライバルです」
ルル「えええ!!アンナさんが勝てなかったんですかぁ!?」
アンナ「はい。ヤツは大会の日10tトラックに戦いを挑み帰らぬ人に……」
ルル「(おかしな人だったんだなぁ)」
アンナ「もうヤツに勝てないと知った私はヤツを越えるために10tトラックに挑んだらここにいました」
ルル「(アンナさんも大概だなぁ)」
0
お気に入りに追加
159
あなたにおすすめの小説
悪役令嬢になりたくないので、攻略対象をヒロインに捧げます
久乃り
恋愛
乙女ゲームの世界に転生していた。
その記憶は突然降りてきて、記憶と現実のすり合わせに毎日苦労する羽目になる元日本の女子高校生佐藤美和。
1周回ったばかりで、2週目のターゲットを考えていたところだったため、乙女ゲームの世界に入り込んで嬉しい!とは思ったものの、自分はヒロインではなく、ライバルキャラ。ルート次第では悪役令嬢にもなってしまう公爵令嬢アンネローゼだった。
しかも、もう学校に通っているので、ゲームは進行中!ヒロインがどのルートに進んでいるのか確認しなくては、自分の立ち位置が分からない。いわゆる破滅エンドを回避するべきか?それとも、、勝手に動いて自分がヒロインになってしまうか?
自分の死に方からいって、他にも転生者がいる気がする。そのひとを探し出さないと!
自分の運命は、悪役令嬢か?破滅エンドか?ヒロインか?それともモブ?
ゲーム修正が入らないことを祈りつつ、転生仲間を探し出し、この乙女ゲームの世界を生き抜くのだ!
他サイトにて別名義で掲載していた作品です。
オバサンが転生しましたが何も持ってないので何もできません!
みさちぃ
恋愛
50歳近くのおばさんが異世界転生した!
転生したら普通チートじゃない?何もありませんがっ!!
前世で苦しい思いをしたのでもう一人で生きて行こうかと思います。
とにかく目指すは自由気ままなスローライフ。
森で調合師して暮らすこと!
ひとまず読み漁った小説に沿って悪役令嬢から国外追放を目指しますが…
無理そうです……
更に隣で笑う幼なじみが気になります…
完結済みです。
なろう様にも掲載しています。
副題に*がついているものはアルファポリス様のみになります。
エピローグで完結です。
番外編になります。
※完結設定してしまい新しい話が追加できませんので、以後番外編載せる場合は別に設けるかなろう様のみになります。
【完結】ヒロインに転生しましたが、モブのイケオジが好きなので、悪役令嬢の婚約破棄を回避させたつもりが、やっぱり婚約破棄されている。
樹結理(きゆり)
恋愛
「アイリーン、貴女との婚約は破棄させてもらう」
大勢が集まるパーティの場で、この国の第一王子セルディ殿下がそう宣言した。
はぁぁあ!? なんでどうしてそうなった!!
私の必死の努力を返してー!!
乙女ゲーム『ラベルシアの乙女』の世界に転生してしまった日本人のアラサー女子。
気付けば物語が始まる学園への入学式の日。
私ってヒロインなの!?攻略対象のイケメンたちに囲まれる日々。でも!私が好きなのは攻略対象たちじゃないのよー!!
私が好きなのは攻略対象でもなんでもない、物語にたった二回しか出てこないイケオジ!
所謂モブと言っても過言ではないほど、関わることが少ないイケオジ。
でもでも!せっかくこの世界に転生出来たのなら何度も見たイケメンたちよりも、レアなイケオジを!!
攻略対象たちや悪役令嬢と友好的な関係を築きつつ、悪役令嬢の婚約破棄を回避しつつ、イケオジを狙う十六歳、侯爵令嬢!
必死に悪役令嬢の婚約破棄イベントを回避してきたつもりが、なんでどうしてそうなった!!
やっぱり婚約破棄されてるじゃないのー!!
必死に努力したのは無駄足だったのか!?ヒロインは一体誰と結ばれるのか……。
※この物語は作者の世界観から成り立っております。正式な貴族社会をお望みの方はご遠慮ください。
※この作品は小説家になろう、カクヨムで完結済み。
誰からも愛されない悪役令嬢に転生したので、自由気ままに生きていきたいと思います。
木山楽斗
恋愛
乙女ゲームの悪役令嬢であるエルファリナに転生した私は、彼女のその境遇に対して深い悲しみを覚えていた。
彼女は、家族からも婚約者からも愛されていない。それどころか、その存在を疎まれているのだ。
こんな環境なら歪んでも仕方ない。そう思う程に、彼女の境遇は悲惨だったのである。
だが、彼女のように歪んでしまえば、ゲームと同じように罪を暴かれて牢屋に行くだけだ。
そのため、私は心を強く持つしかなかった。悲惨な結末を迎えないためにも、どんなに不当な扱いをされても、耐え抜くしかなかったのである。
そんな私に、解放される日がやって来た。
それは、ゲームの始まりである魔法学園入学の日だ。
全寮制の学園には、歪な家族は存在しない。
私は、自由を得たのである。
その自由を謳歌しながら、私は思っていた。
悲惨な境遇から必ず抜け出し、自由気ままに生きるのだと。
悪役令嬢でも素材はいいんだから楽しく生きなきゃ損だよね!
ペトラ
恋愛
ぼんやりとした意識を覚醒させながら、自分の置かれた状況を考えます。ここは、この世界は、途中まで攻略した乙女ゲームの世界だと思います。たぶん。
戦乙女≪ヴァルキュリア≫を育成する学園での、勉強あり、恋あり、戦いありの恋愛シミュレーションゲーム「ヴァルキュリア デスティニー~恋の最前線~」通称バル恋。戦乙女を育成しているのに、なぜか共学で、男子生徒が目指すのは・・・なんでしたっけ。忘れてしまいました。とにかく、前世の自分が死ぬ直前まではまっていたゲームの世界のようです。
前世は彼氏いない歴イコール年齢の、ややぽっちゃり(自己診断)享年28歳歯科衛生士でした。
悪役令嬢でもナイスバディの美少女に生まれ変わったのだから、人生楽しもう!というお話。
他サイトに連載中の話の改訂版になります。
シナリオ通り追放されて早死にしましたが幸せでした
黒姫
恋愛
乙女ゲームの悪役令嬢に転生しました。神様によると、婚約者の王太子に断罪されて極北の修道院に幽閉され、30歳を前にして死んでしまう設定は変えられないそうです。さて、それでも幸せになるにはどうしたら良いでしょうか?(2/16 完結。カテゴリーを恋愛に変更しました。)
悪役令嬢に転生しましたが、行いを変えるつもりはありません
れぐまき
恋愛
公爵令嬢セシリアは皇太子との婚約発表舞踏会で、とある男爵令嬢を見かけたことをきっかけに、自分が『宝石の絆』という乙女ゲームのライバルキャラであることを知る。
「…私、間違ってませんわね」
曲がったことが大嫌いなオーバースペック公爵令嬢が自分の信念を貫き通す話
…だったはずが最近はどこか天然の主人公と勘違い王子のすれ違い(勘違い)恋愛話になってきている…
5/13
ちょっとお話が長くなってきたので一旦全話非公開にして纏めたり加筆したりと大幅に修正していきます
5/22
修正完了しました。明日から通常更新に戻ります
9/21
完結しました
また気が向いたら番外編として二人のその後をアップしていきたいと思います
転生令嬢の涙 〜泣き虫な悪役令嬢は強気なヒロインと張り合えないので代わりに王子様が罠を仕掛けます〜
矢口愛留
恋愛
【タイトル変えました】
公爵令嬢エミリア・ブラウンは、突然前世の記憶を思い出す。
この世界は前世で読んだ小説の世界で、泣き虫の日本人だった私はエミリアに転生していたのだ。
小説によるとエミリアは悪役令嬢で、婚約者である王太子ラインハルトをヒロインのプリシラに奪われて嫉妬し、悪行の限りを尽くした挙句に断罪される運命なのである。
だが、記憶が蘇ったことで、エミリアは悪役令嬢らしからぬ泣き虫っぷりを発揮し、周囲を翻弄する。
どうしてもヒロインを排斥できないエミリアに代わって、実はエミリアを溺愛していた王子と、その側近がヒロインに罠を仕掛けていく。
それに気づかず小説通りに王子を籠絡しようとするヒロインと、その涙で全てをかき乱してしまう悪役令嬢と、間に挟まれる王子様の学園生活、その意外な結末とは――?
*異世界ものということで、文化や文明度の設定が緩めですがご容赦下さい。
*「小説家になろう」様、「カクヨム」様にも掲載しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる