氷塊は太陽と桜温泉に融かされて

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#1 てるてる坊主と卒業式

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 放課後になると、いつもの場所に向かう。いつものように『写真同好会★活動中』と、手作りポップで装飾された引き戸を開ける。
 しかし、俺は入るべき教室を間違えたのかと一瞬面食らってしまった。
 推定八畳、教室としては圧倒的に狭い部類の小部屋。黒板もなく、代わりにホワイトボードがあるのみで、椅子と机も8ペアだけ。放課後、小テストやらの再受験のために使われてきたこの小教室は所謂“おしおき部屋”――数学の再テストで夜遅くまで残された哀れな生徒が恨み節から名を付けたという噂だ。
 噂はともかくとして、この教室は正真正銘(?)俺たち写真同好会のボックスでもあるはずなのだが……。四つの机を引っ付けてできた卓上には、所狭しと裁縫道具一式に、布の切れ端や綿、糸屑が散らかっており、トドメには大量のお菓子まで。
 およそ写真とは無関係な物が見るも無惨に散乱している様子が視界に飛び込んできて、俺はため息混じりの皮肉を垂れる。
「いつからここは手芸同好会になったんだ、会長さんよ?」
「ヒュウ!」
 “会長”は入ってきた俺の声を聞くなり、ピクリと耳を立てて、太い縞模様の尻尾をヒュンとうねらせ……、
「掃除当番お疲れさんだっ!」
 破顔させたクリクリの童顔で俺を出迎えてくれた。
「おうよ」
 軽く応じて、対角線上の椅子に腰掛ける。視線を移したその先では、ずんぐりレッサーパンダの写真同好会(仮)会長こと日菜太(ひなた)が何やら裁縫に勤しんでるご様子。
「何作ってんのかと思えば、まさかそれ」
「そう、てるてる坊主! 僕らのお守り!」
 変声期前の少年声……それも、変声の兆しを全く見せないソプラノボイスで元気よく答えた。
「またかよ……!」
 本来の活動そっちのけでお守り作りに精を出していた日菜太は、ぴたりと作業の手を止めた。眉尻をほんの少し下げ、幼げな表情に翳りを見せる。
「だってなぁ、一週間後やもん。旅立ちの日こそ絶対晴れてほしいのんはそうだし、あとは……んー、泣かんためのお守りかな? 雨避けるんなら涙にも効くかもー?って」
「オマエ泣くようなやつだっけか? 泣くとこイマイチ想像つかないな」
 日菜太は校舎三階に位置するこの小教室から、遠く彼方の雲を眺めながら、胸の内を漏らし始めた。
 その丸くて愛らしい琥珀色の目は潤んではいなくとも、やはりどこか哀しげで。
「僕ねー、清桜ヶ丘(せいおうがおか)好きなんよね。入学前にここ来た時から何かイイことありそう!ってずっと思っとって、実際そうやった。住んできたとこで一番『好き』って思えてなー。だから高校も、この町も離れるんはちょっとつらいな。泣かんようにはするけど、泣いちゃうかも」
「…………」
 両親は転勤族で小学校の頃から転校を繰り返し、各地を転々としてきたと、かつて話してくれたことがある。独特なイントネーションがそのことを如実に示していると思い、妙な納得感で頷いたのを覚えている。
 故郷と呼べる故郷もなく、長い付き合いの友達もいない。加えて大学でも下宿生活が決まっているという日菜太の境遇を慮り、返しに窮してしまった。
(ようやっと馴染んで、好きになれたモンから離れるのは辛ぇよな……。ま、それは俺も同じか……)
「でもでも! 今までどおりこのお守りがあれば大丈夫な気がする! あ、ヒュウのオオカミ坊主も今作ってあるかんね! 式当日雨降らんかったら卒業旅行に使いまわそう」
 ほらと、グレーの布地を使って可愛らしくデフォルメされたオオカミ坊主を俺に見せてはニヘッと笑い、沈んだ空気と曇った表情を吹き飛ばした。
「そこまで作ってくれてなんだが、俺は元々泣かねえぞ?」
「さあどうかなー? 優しいヒュウはもらい泣きとかしちゃったり?するかもなー!?」
 すっかり元気を取り戻した日菜太はイタズラっぽい笑みを顔一面に浮かべている。
「泣かねえってば」
「ホント?」
「本当だ」
 俺は泣かない。泣くわけなんかない。泣くと余計に辛いから、未練が湧き出て収拾がつかなくなっちまうから。
「さて……」
 気持ちを切り替えてカメラを手に、活動の準備を進めていると、背後より声がかかる。
「お、撮ってくるんな?『日菜足すヒュウアルバム』の完成目指して頑張っといでー! ヒュウのアルバム楽しみにしとるよ!」
「なんとかならんのか、その命名センスは? ……使い回しするとこも嫌いじゃねーけど」
 後半の言葉は日菜太の耳に届かないように、ボソッと呟くに留めておいた。
「じゃ、行ってくる」

 清桜ヶ丘での最期を撮りに校庭へ、町へと赴く。
 同好会活動の集大成、三年間のキロクを纏め上げる『日菜足すヒュウアルバム』の編纂活動。二冊合わせて一冊のペアアルバムを作ること。それが今取り組んでいる内容だ。
 日菜太が愛したこの学校と町を、思い出として余すことなく記録するためのツール。
 俺たち二人だけの小さな青春を、アルバムという形あるものにするために。
 俺の撮った写真で、あいつの心に何か輝くものを残してやりたくて、あいつがファインダー越しに見たものをずっと手元に置いておきたくて。
 物理的に距離が離れたとしても、いつでも日菜太を側で感じていたかったから――
『同じアルバム二冊作るよりかは俺が日菜太のを、日菜太が俺のを作り合って交換するってのはどうだよ? 二冊で一つのアルバム、どうだ?卒業記念っぽいだろ?』
 ――そう、提案した。
『ええな!それ乗った! まさに日菜足すヒュウってやつ!?』
『お前のあのヘンな掛け声聞いてたら思い付いたよ』
『さっすがヒュウ、あったまいいー! ヒュウヒュウー!』
 せめてアルバムだけでいい。
 こんな形でも日菜太と“つがい”になれたらいいのになと、本心を秘匿したまま。
「俺は、卑怯なオオカミだ……」


 程なくして遊歩道公園に着いた。
 そこは、学校から歩いて十分弱のところに位置する自然豊かな憩いの場。名を『清桜ヶ丘記念公園』と言う。
 四季折々の花が彩りを見せるこの公園でも今は季節が冬だ。葉を落とし尽くした枯れ木が立ち並び、道脇には雪掻きの時に固められた泥色の雪が佇むのみで、冬季特有の侘しさを漂わせている。
 まだ春の片鱗を見せず、人通りがほとんどないことも相まってもの悲しい雰囲気を纏っているこの記念公園だが、四月にもなれば遊歩道の桜並木が一斉に咲き誇るのだ。
 その圧巻の景色は清桜ヶ丘の名物ともなっており、俺の記憶に焼きついた見えない証拠と、写真に収めた見える証拠が、その秀麗さを物語る。
(小さい頃からずっと見てきてるけど、カメラ持ち始めてからはまた変わって見えたんだよな)
 地面の下に春の芽を埋め込んでいる公園の中心でただ一人、次なる季節の到来に思いを馳せながらひとりごちる。
「あと一週間で三月、いよいよ卒業……。日菜太との同好会も終わり、か。……桜、今年はもう、見られねぇんだ」
 そう言葉にすることで、いつまでも湧かない実感を得ようと試みた。
 強くならなくては。
 “終わり”を受け入れなければならない。
 進路は決まっている。無事に第一志望の大学に合格してみせた。一週間後に高校を卒業し、一ヶ月後には生まれ育った故郷を出て行くはずなのに。寂寥の念が大津波となってドッと押し寄せるでもなく、努力の末に掴み取った新生活に胸をときめかせるでもなく、途方に暮れてなんとなしの空虚な日々を送っている。
 始まりがあれば終わりがくる。終わるからこそ何かが始まる――そんな当たり前のことすら今日ここまで忘れて、いや、無意識のうちに真理を拒んでいたんだ。
 それほどまでにあの場所で過ごした三年間は平和で、心地よくて、心満たされる日々で……。
「……楽しかったな」
 口を突いてぽそりと出たそれは混じりっけのない純粋な感想。本心の露呈だった。
 本当に楽しかった。だから「あっという間だった」と、また声が漏れ出てきてしまうのだろう。
 そして、呟いた声に呼応するように、心の奥底で凝り固まっていた想いが氷解し始める。

 できることならば。
 卒業なんかしたくねぇ。大人になんか、なりたくねぇなぁ……。
 ずっと一緒に居たかった。俺たちだけの居場所でもっと多くを語り合い、笑い合いたかった。
 日菜太の撮る写真をもっと見たかった。俺の撮る写真をもっと見て欲しかった。
 二人一緒にこの町に住み続けたかった。今年もカメラ首から下げて桜並木の遊歩道を共に歩きたかった。
 受けた恩も、募りに募った気持ちも、何一つ俺は……。
 返せないまま、伝えられないままお別れなんて……。
「日菜太……俺はまだ何もお前にっ……!」 
 熱涙で目が潤みかける。抑えていた気持ちが融解し、破裂しそうになった俺は、すんでのところで言葉を切った。
 目を瞑り、ゆっくりと深呼吸して心を落ち着ける。
 すぅ、はぁ、すぅ、はぁ、すぅ、はぁ――
 寒空に震える中、新鮮な空気を胸いっぱい吸い込む。肺中を占めている重苦しい空気とそれを取り替えると、だいぶと楽になれた。

「まだまだ寒いけど――」
 今は二月も直に過ぎ去ろうとする冬の暮れ。
 狼の鼻をスンと鳴らせば、生まれたての春の香りを薄っすらと感じられる程にまで季節は更けていて。
 両手を大きく広げて耳をピンと立てれば、三月の極僅かに暖かい粒子を含んだそよ風が灰色の獣毛を撫でていって。
「――とうとう春が来ちまった」
 ぽつりと零すと、突如として背中に清らかな、一陣の風が吹きつけられた。
「……ウソ。やっぱもう、寒くねぇや」
 前言を翻したのは、風が優しい暖かさを孕んでいたから。励まして、次へと送り出してくれるような、そんな暖かさ。
 ――卒業するからって終わるわけじゃないよ――と、耳元で囁いてくれた気がした。
 身を切るような冷たさであるはずのそれは心の灯火に酸素をもたらし、
「ぜってぇいいモン撮ってアルバムに収めてやる! んで、次へ進んでやる……! もう泣かねえッ!」
 蒼く、寂寂と、それでいて厳かに力強く燃える炎を宿させた。



 遂にその日は足音も立てることなく清桜ヶ丘高校を尋ねた。

 桜の花は、まだまだ顔を見せない。


 三月一日。
 清桜ヶ丘高校卒業式当日。

「行ってきます」
 いつもと変わらぬ挨拶を済ませて玄関を出る。
 庭木に駐まる子鳥の囀りと、日に日に暖かさを増してゆく朝の陽光。今日が最後の登校だということを除けば、他は何もかも変わらない、日常の朝。
「無事晴れたな。……そうだ、アレ」
 門から出て、通学路に一歩踏み出した俺は忘れ物に気がついて引き返した。
「あら、忘れ物? 卒業式って何か要るものあったかしら」
「無いけど要るんだよ」
 ドタバタと階段を登りながら答えになっていない返答をし、自室へ。
「……一応、お守り」
 窓辺に吊るしていたそれをブレザーのポケットに忍ばせ、
「んじゃ、今度こそ行ってきます」
 再び家を出た。

「おはー!」
「おはよ、日菜太」
 親友と記念公園の遊歩道を並び歩いて学校に向かう。その道中に交わす話の中身と言えば、アルバムの進捗状況と、そして当然、今日のこと。
「どうお? 卒業するって、ヒュウはどんな感じ?」
「どうって、そりゃまあ……ちょっとは寂しいけどよ、今は案外フツーだな」
 以前みたいに実感が湧かなくて虚無感を覚えているのではない。
 一週間前のあの日。卒業したとしても終わるわけではないのだと、風が教えてくれたから平常心を保てている。
「ふふふ、実は僕も。でも、お祝いされるんだから気分は悪くないかもな! 多分お饅頭も貰えるしっ」
「目の付け所そこか!」
 小さな笑い声が俺たちを包む。
(日菜太、大丈夫そうかな……!)
 ブレザーの右ポケットの膨らみに触れ、「効能が今日一日続きますように」と、密かに祈った。


 体育館に着いて程なく、式は開始された。
(相変わらず体育館寒ぃしパイプ椅子は硬えわ、話長すぎだし……。俺たちが主役なんだしさ、もっとこう……おもてなしの精神があったって……)
 だが同時にこうも思っていた。こっち側ってのは、なるほど日菜太の言うとおり悪くない気分だと。
 巣立ってゆく上級生を見送る側の時は、寒い中同じ動作の繰り返しばかりさせられて、うんざりの時間だったので早く終わってくれと思っていた。
 けれども、いざこうして主役となって門出を祝福されるというのは、少し気恥ずかしく思うとともに、果然晴れやかな気分にもなるものだ。
 祝辞を貰い、校歌を歌い、最後は吹奏楽部の奏でる荘厳な音楽に見送られて式は幕を閉じる。
(俺は今どんな顔をしているんだろうな。誇らしげ? それともやっぱ寂しげか? ……フツーかな?)
 ふと過った確かめようもない疑問をそのままに、学び舎まで歩を進め、クラスルームへ入る。
 見飽きた黒板に、座り慣れた木製の椅子と、傷だらけの机……何もかもが今日でサヨナラだと思えば、急に愛着や物哀しさがじわじわと湧いてきてしまう。
 今日でサヨナラ、今日で終わり……。あぁ確かに。失う時になって初めて、判る。
 いつもはふざけあっている男子共も今日はしんみりと鳴りを潜めており、暗涙に咽ぶ者までいる始末だ。
 そうして教室全体が哀愁ムードを帯びだすと、ここで過ごせる時間が刻一刻と過ぎ去っていくことを意識せざるを得ない。教壇の上にある時計は、相変わらず秒針音を立てずシームレスに時を刻んでいるが、そのことが余計に時の経過を意識させる。

「冬月氷優(ふゆつきひゆう)君、卒業おめでとう。一年生の頃から冬月君を見ていたけれど、よく成長してくれたと思います。学業も卒なくこなし、周囲と協調も取れる子に育ってくれましたね」
 あなたの担任であれたこと、誇りに思います――担任が生徒一人一人にメッセージを添えながら卒業証書を手渡すシーンでは、思わず感極まって泣きそうになってしまった。
 衆目の中照れくさいこと言いやがって、なんて心の中で文句を言えるのもこれで最後だと思えば、ジンジンと目頭が熱くなってきてしまう。
 いや、違うな。
 確かにそれもあるにはあるのだが、なにより俺の右斜め前でシクシクと袖を濡らしている親友の姿が胸を締め付ける大きな原因となっている。
 机に突っ伏し、太い縞尻尾をだらんと垂らして幼い子どものように咽び泣いているレッサーパンダ。
(ダメだったか……)
 初めて見る親友の弱々しく脆い姿。
(泣くなよ日菜太……それじゃお守りの効果否定してることになっちまうぞ)

 同好会の仲間でもあり、たったひとりの友達にして、最高の親友である、唯一無二の存在。そして俺の懸想相手でもある――それが日菜太。
 丸っこいずんぐり体型と童顔で愛嬌のあるこいつは誰に対しても分け隔てなく接し、皆に可愛がられながらもずっと俺の側だけは離れないで手を握っていてくれた。どうしようもない俺に手を差し伸べてくれて、俺の人生を180度変えてくれた。

 そんな日菜太との忘れがたい出逢いはこうだった。



 入学式後の自己紹介時、所謂友達要りません宣言をキメて以降、孤立孤独の一匹狼だった俺に、
「もしもーし? オオカミさんオオカミさん?」
 声を掛けてきたヤツがいた。
 机に突っ伏し、寝たフリを通していた俺に、だ。
(…………んぅ……、え……俺……?)
 おもむろに顔を上げれば、まん丸童顔のレッサーパンダが柔らかい笑顔を湛えていた。
「へへ、やっぱ起きとった! キミ、清桜ヶ丘の子でしょ?」
「……だったら何だってんだ」
 食後の快眠を妨げられたという体を貫き、目を擦りながら超が付くほどのぶっきらぼうな返答をしたのにもかかわらず、レッサーパンダは怖気付くような素振りを見せるでもなく……、
「この町のこと、僕に教えて欲しいなーなんて!」
 ニッコリと、ただ純粋な子どものように笑うのみだった。
「それとねそれとね、あともう一個だけお願いっ」びしっと人差し指を立てて付け加えた。
 この時の俺は、まさかここで人生の転換期を迎えることになるとはつゆにも思わなかった。
 そう。思えるわけが、なかった。

「写真同好会の一号メンバーになってよ!」

(……一体、何が目的だ……?)
 あんな宣言した上に目つきも悪い。性格も捻くれてオーラまでもが暗いという印象最悪な灰色狼……こんな俺なんかを誘っちゃって心底変なヤツに違いないと警戒したんだっけな。
「……なんで俺なんだよ」と、気怠げに睨みをきかすと、簡明直截な答えが返ってきた。
「んー冬月くんなぁ、ずっと寂しそうな顔しとったから! なーんかヒマそうにもしとるしな?」
 変な上になんてストレートな物言いの失礼なヤツ……。呆れて言葉も出なかったが、事実そうだったのだから、黙って拳を握りしめて唸り声をあげる他なかった。
 寂しそうな顔? 俺としたことが、知らず知らずのうちに寂寥感の尻尾を出してしまっていたらしい。
 ……あぁ、でも、これでよかったんだ。
 このまま、身を任せて流されてやろう。
 泥沼の最深部に一筋の光明が差し込んだのだから。やっと抜け出せる、やっと救われる。

「……そういえばお前の名前――」

 一点の曇りない笑顔で声をかけてくれたゴールデンウィーク直後の昼休みの記憶は、今でも色褪せることなく脳裏に焼き付いている。
 これが俺と風変わりな日向とのファーストコンタクトだった。


 他に打つ手なしだった俺は、藁にもすがる思いで同好会に加入することになったのだが、カメラ好きの日菜太と過ごすたびに影響を受け、いつしか写真を撮るようになっていた。ちょっとばかしカッコつけて、中古の一眼レフなんかを手にしてみたり。
 今まで特に目に留めてこなかった日常をよく観察し、限られたスクエアの中に収めていく。そうやって日に日に撮り続けていくと、ファインダー越しにあらゆるものが見えるようになってきて、モノへの見方が変わってきて、世界の広がりを感じた。見たような気になって、何も見えていなかったのだと、悔しくも嬉しい気付きを得ることもできた。
 写真が上達していく楽しさと、褒めてくれる日菜太のおかげで、いつしか放課後が、毎日の学校が待ち遠しく思えてきて……。
 強引に懐へと飛び込んできたコイツのおかげで、今の俺があると言っても過言ではない。写真同好会を通して俺の人生に色がついた。角が削ぎ落とされて、心から笑えるようになったんだ。

 そんな恩人でもある日菜太の涙姿を目にして、胸のあたりから沸々と込み上がってくるものをグッと抑え続ける。今まで見たことのなかった姿だけに涙を誘う力は思いのほか強かった。
 ……が、一度回想を始めてしまえば、思うようにブレーキが掛からない。涙紛らわせの自衛機構なのかも知れないと思い、暫し追憶に耽ることとした。
 過ちの痛い過去に立ち返るのは苦しいけれども……。

 再度記憶を遡り、一年生の春の頃へ。

 今思い返せば、俺はどうしてああも卑屈だったのだろう。
 一匹狼ぶって、周りに興味がないフリをして、挙句『友達なんざいらねえ』。全部まやかしだ。擬勢もいいところ。正体はただの寂しがり屋の小心者のくせして。
 自覚があれども、認めたくなかった。だから、自己を偽って、他人に悟られまいと人を遠ざけた。

 その始まりは、中学の友達に裏切られたという思い込みと、幼い中二心より派生した虚栄心からだったと、今振り返るとある程度推測がつく。

 中学を卒業し、春休みを迎えてすぐのことだった。
『すまん氷優。急遽明日交流会が開かれることになったからオレそっち行くわ』
『前から約束してただろ!? なんで俺じゃなくてあっちなんだ……ッ』
 アイツは高校の入学前交流とか言うものに精力的になっては、共に三年間を過ごした俺との約束を反故にしやがった。
 許せなかった。何処の馬の骨とも知れぬ奴らを優先し、俺を捨てる。そんなヤツだったのか、オマエは。ずっとこの先も仲良くやっていけると信じていたのに、所詮卒業までの解除条件付き友人契約だったんだな。
『準備の一環ってやつ。高校生活を楽しくするためのな。氷優も意地張ってないでやれよ? 友達作るチャンスだって』
 心の奥では理解していた。
 別に友達をやめると言われたわけでも、見捨てられたわけでもない。
 アイツは交流を広く持つことにし、俺の優先度が相対的に下がるだけだ。人間関係、こと友達についてはきっとそういうモンだろうと。
 分かってるけど、解りたくない。
 取り替え引っ換え、広く浅い関係を構築するプロセスで順位付けが行われ、魅力のない者は溢れる。俺みたいな奴が見切りをつけられるんだ。
(んなモン寧ろこっちからお断りだ! そんな“友達”なんざ要らねえ!)
 捨てられるぐらいなら独りで逞しく生きてやろうと思った。
 こうして小さな僻みは拡大を続け、抜けきっていない中二心と融合した。その産物が、孤独でも傷つかずに、飄々となんでもこなし一目置かれる“氷の一匹狼”という虚像。それを理想と位置付けてしまった俺は、本心との乖離を感じながらも、その内慣れるだろうと安直な考えで我が道を突き進んだ。その先は、独り勝手に藻掻き苦しむ未来しかない、暗くて深い泥沼なのではと疑いもした。それでも、沼底で輝くモノを信じて、後戻りできない道を進まなければならなかった。
 怖くて苦しい。だけど、きっとあと少し、今さえ乗り切れば――。

 一瞬だと思っていた今は終わりを迎えることはなかった。

 アレ以降、本当に誰も寄り付いてこなかったっけな。ははは、思惑通り……なわけあるか。
 一目置かれるだ?氷の一匹狼だ? バカバカしい。奇異の目で見られるならまだマシ。眼中にすら入れてもらえないという、世界から見放されてしまったような空虚な日々を自分に強いてしまっただけだ。
 悔恨の渦に苛まれる一ヶ月を過ごして、愚かな思想の段階で踏み留めておくべきだったと臍を噛んだ。
 でも、今更になって「寂しいです、仲良くしてください」なんてどの口が言える? それをすると俺の今までは何になる? 逆に気味悪がられて孤立を極めるだけではないのか?
 覆せない過ちに、抗う術のない現状。これが信じて進んだ道の正体だった。

 未熟な精神ゆえに見誤った理想像に縋って自縄自縛、その末に自己嫌悪に陥って五月病までもが蝕んできたあの日の昼休み――太陽が闇夜を晴らすように、あいつは笑いかけてきた。
 最初は身構えて警戒もしたさ。だけれども、この巡り合わせを逃してしまっては後がないと強く感じたのは虫の知らせがあったというべきか、あるいは本能が一期一会を直感させたというべきか……。
 俺はこの風変わりなレッサーパンダにかけてみることにしたんだ。


「――お前確か……笹田って言ったっけ」
「んなー!? 僕は笹原(ささはら)だッ!笹原日菜太ーっ! クラスメートの名前ぐらいちゃんと覚えろーっ!」
 ニッコリ笑顔から一転、頭から湯気を放出させ文字通り急沸騰を起こしたレッサーパンダを「悪い。今覚えたから」と適当にあしらい、当然の疑問を呈した。
「町の案内はまぁ別にいいけど。んで、写真同好会って何だよ? 何するんだ?」
「おー? 食いつきええなー! 冬月くんちょっと興味ある感じ? ええよ、教えたげる」
 詳しく聞けば、同好会とは言っても届出をしたわけでもなく、放課後の空き教室で小さく活動するだけの同好会(仮)だそうだ。
「許可取ってもねえのに空き教室占領って、それ思っくそ非合法なヤツなんじゃ……」
「ダイジョブダイジョブ! ドアにポップ飾ってたら一ヶ月は保ったんよ! バレなきゃ大丈夫!」
 ……人はそれを『大丈夫』とは言わない。
 そんな同好会紛い……というより完全なる非合法組織の活動内容は、ネットや雑誌上で行われる写真コンテストへの応募がメインという建前の元、笹原が撮った写真を見ては感想を述べたり、写真撮影を兼ねた散歩や雑談をする予定だという。端的に言えば、緩さの塊しかないものだった。
「そんなわけで、僕の写真見てって欲しいんだー。冬月くんも興味あるなら撮り始めてみるんもいいかもね? 僕教えるからさ」
 つまりは客観的に評価してくれる人が欲しかったってなわけだ。別に写真を見るのは嫌いじゃないし、“求められる”というのは案外悪い気はしなかった。それに、ここで突っぱねるという選択肢はもはや残されていない。
 笹原の誘いに、首を縦に振って応えていた。
「よぉしきた! じゃあ放課後この教室におってね! 案内するよっ」


 あの時、どんな写真を目にして、何を述べたのか、今となっては仔細に思い出せない。
 しかし、未来永劫忘れることのできないであろう茜色のメモリーは、三年が経った今でもその全貌が脳裏に刻み込まれている。
 それは、最終下校の時を告げるチャイムが響き渡った直後、落陽が教室に射し込む時刻の記憶片。

「――やっぱり笑ったら優しそうな顔してんね。“あんなこと”言っとったけど、ホントは優しい子なんよね? 一応は氷“優”くんだもんね、ふふふっ」
「……放っておけ、余計なお世話だ」
「えへ、僕にはお見通しだかんね」
 口ではそうは答えたが、言葉とは裏腹に嫌な気はしなかった。
 精悍で、冷徹で、知的で……誰かに言われたでもないけれど、そんなものより胸を強く打ったのは一部に名前贔屓的な作用もあったのかも知れない。けれども、優しそうだと、そう言われたことで確かな嬉しさを覚えて尾が揺れだしそうになったのだった。
(なんだ、俺……)
 何かが少しずつ崩れて融けゆく感覚を味わったのは、この時が初めて。
(なんて言やいいか分かんねぇけど……)
 自己の感情に戸惑いながらも良い方向へ動き出せていると、勘がそう告げていた。
「どおどお、今日は楽しかった? 写真って見るだけでも結構楽しいもんでしょ? 冬月くんさえ良ければまた明日も来てほしいなあ」
 悪くないと、思った。
 居心地が良いと、思った。
 掴みかけた何かを離したくないと、思った。
 だから、俺の答えは明白だった。
「……ん。明日も、来てみる」
 素直に首を縦に振る動作が妙に照れ臭くて恥ずかしくて……しかし一方で、心が軽くなって、気持ち良いと感じている自分がいた。
「やった!! 明日と言わずにこれからもさ、また写真見てってよ、笑った顔みせてよ! 僕本気で冬月くんに入って欲しいって思っとるよ!」
 ――だって今日、僕も楽しかったんやもん。友達になりたいって思っちゃった――
 トクトク、トクリ、ドクリ。
 小さな鼓動が、やがて大きな音を響かせるそれへと変化してゆく過程をはっきりと感じ、身体と心が熱を帯び始める。

(あぁ、俺はこんなにも簡単に……。もしかして、もしかしなくとも、こいつとなら……きっと……!)

 笹原は俺の頷きを認めるや否や、クリクリ琥珀の瞳を一段と煌めかせて手を取る。友達になれて嬉しいと、毎日が楽しくなりそうだと言って、俺の手をぶんぶんと振る。
 もう五月だというのに、ぷっくらとしたその手は無性に温かく感じられた。安堵感を覚え、一瞬のうちに心を許してしまうのに十分過ぎる程の温もりだったのを、今でもはっきりと覚えている。
 ――ともだち、トモダチ、友達――
 まるで耳鳴りのように、頭の中で何度も何度も響き、繰り返されるその言葉で、身に纏っていた冷たい穢れが浄化されてゆく。幾重の氷層に覆われていた本心が優しく炙り出されて、記憶の彼方にあった幼くて懐かしい感情が表出する。
 ――もっと知りたい。一緒に過ごしたい。友達になりたい。笑っていたい……!
(俺にもまだ、あったんだな……こんな気持ち)
『友達』……こんな俺でも“そんな風に”思ってくれているのなら……! 変わっていいのなら……!
 耳の先まで真っ赤に紅潮させた俺は、そんな恥ずかしい顔を茜色の夕陽が隠してくれているとは微塵にも思わず、顔を背けながら持てる限りの勇気を振り絞って、震える声をかろうじて言の葉にした。

「これから、よろしくな。日菜太」
「! ……氷優くん! こっちこそっ!僕の方こそいっぱい、いーっぱい!よろしくねっ! さあっ、帰りにでもこの町案内してもらおーかな!」

 こうして写真同好会はその日の夕刻、俺の加入とともに産声をあげた。
 以降三年間の日々は推して知るべしだ。平穏で安らかな二人っきりの放課後は、ぬるま湯のように心地よくって、一方のファインダー越しの知らない世界は刺激的で毎日が楽しみで仕方なかった。
 俺は自分と世界に色が付いていく瞬間を観測した。彩度が上がるって、こういうことなんだと身をもって体験した。


「氷優くん撮る写真、僕のんと違ってて好きだなー。もしかして氷優くんめちゃ才能あったり!?」
「補習なんてヤだよー! なんでヒュウは寝てばっかなのに成績いいのさ~納得いかん! ……コレ終わったら待望の海やから頑張れるけどっ! いよっし、笹原日菜太、“おしおき”されてくるよ!」
「ロープウェイから見下ろす紅葉めっちゃええなー! まさにエモミジ……なんちて!たははっ」
「メリークリスマース! そしてなんとぉーっ……はいっお誕生日プレゼントも! えっへへー、二つとは驚いたでしょ? ――ううん、こっちこそ! いつも僕と一緒におってくれてありがとね! さ、ケーキもあるよ!」

 春夏秋冬の記憶が、走馬灯のように浮かび上がってきては瞬時に頭の中を駆け巡る。
 目を閉じれば、カメラでは切り取れなかった何ともない日常と、色彩豊かな光景が瞼の裏すぐそこに浮かび上がる。
 耳を立てれば、少年のような透き通った声で「ヒュウ」と俺を呼ぶ声がどこからともなく聞こえてくる。

 いつの間にか、向ける矢印の色形が変わっていた。特別な理由やきっかけなんてありもしない。一緒に居られるだけで心満たされて安心感を覚える、ずっと側にいたいと思える。日菜太のいない日常は、嫌だ。
 ただ、それだけ。
 色恋沙汰とは無縁で、恋煩いの経験などない俺にも分かった。これは恋心と見て間違いないと。
 ホモだろうがなんでもよかった。
『日菜太が好き』それだけは自分に嘘がつけなかったから。
 そして、共に過ごす時間を積み重ねるほどに潜熱を高める恋慕の情は俺を存分に悩ませた。
 募る想いを正直に伝えたい。あわよくば同じように想われてみたい。
 それが叶えばどれほど幸せになれるだろう? 相思相愛の有頂天ハッピーエンドを思い描いて、しかし、現実にはそうならないことを悟ると、どうしようもなく胸がズキズキと痛んでしまった。
 俺は小心者だから……。
 弱くて脆くて卑怯で、ホモで……。
 日菜太にはもったいない相手……。

 拒絶されて、一緒に居られなくなる結末を想像すれば、手足指先が震えて泣き崩れてしまいそうになる。
 きっと俺では掴み取れない一握りの未来。それでも、意識とは無関係にハートの燃焼は止まらない。燃え続けてジリジリと胸を焦がす。……熱くて、痛くて、切ない。

 かつて、一つ試してみたことがあった。
「氷優、よく聞け。お前には……お前なんかにゃ無理なんだ、よ。だからっ、あいつのことは綺麗さっぱり!……諦めて、楽になっちまえ……っ」
 顔をくしゃくしゃにして、咽び泣く自分の醜体を、鏡は容赦なく反射させた。
 ああ、諦めきれないんだ。
 逆方向へ踏ん切りをつけられるほど強くもないんだ。
 この期に及んで恋心を断ち切るのはもはや不可能だと言ってよかった。想いは熱膨張を続けて膨れ上がっていて、鏡に向かって自己暗示だなんておまじないにすらならなかった。
 日菜太、好きだ。でも、ダメなんだ。
 想いと絶念が鬩ぎ合って熱を生む。
 太陽の恋路に迷えば迷うほど、自分像が崩れるように融解が進んでいき、優しく心が蝕まれる。
 激しい感情の嵐は、いつかは時間の作用で弱まってくれる……なんてことはなかった。
 だから、気持ちを凍らせて蓋をして、自分にも日菜太にもウソを重ねて、このままの関係を保ったまま逃避する……これで、これでいいんだ。
 屈託なく太陽のように眩しい笑顔と、いつも朗らかに俺を呼ぶ声を、もっと見ていたい、ずっと聴いていたいから。
 もしかしたら、日菜太も俺のことを少しは思慕してくれているのかも知れないと、ポジティブに夢想してみたことも無いわけではなかった。
 けれども、一方通行だっていい。全てを零し尽くして楽になれなくてもいい。日菜太の近くにいられるのなら。
『これ以上は望まないから、今の幸せが、どうかどうか末永く続きますように……卒業して離れ離れになっても心だけは引き離さないでください』
 何度手を合わせたことか。
 だから、崩壊へ導く愛の言葉など決して口にしてはならない。宿した恋情を外へ曝け出すなどもってのほかだ。
 そうだ、これは俺たちの今後のため。
 そのためなら熱く燃えたぎる炎でさえ凍てつかせて、胸底に秘めたままにだってできる。今度こそ、これだけは絶対に融かさせはしない俺の本心。

 融かさずに何としても守りぬけ。氷の恋情コアを。
 負けるな氷優。熱に、太陽に、日菜太に。

 氷の狼たる俺にはできる。なんたってここまで持ち堪えさせたのだから。
 それがたとえ今日という卒業の日でも。
 親友が泣きじゃくっている中、愛を遠吠えして共に涙の海に溺れてしまいたくとも、俺にはやるべきことがある。
 

「泣くな日菜太。お前は滅多に泣かない芯のあるヤツだろ? せっかく作ったお守りの効果、見せてくれよ」
 
 返しても返しきれない恩を今こそ少しでも返せるように、震える背中をポンと軽く叩いてさすってやる。優しく、ゆっくり、壊さないように、ありったけの友愛と激励を込めて……。
 分かっているのに、やってしまう。こんなことをすれば、ずっと堪えていたものが堰を切って溢れ出すだけだ、と。
 それでも、俺はこいつの晴れ姿が好きだから。こんな日こそ、いつもみたいに笑っていて欲しいと願う。
「ヒュウ……」
 日菜太は濡れた袖で涙を拭って、嗚咽を漏らしながらに言葉ならない言葉を紡ぐ。今日をもって同好会が終わること、思い出の学校や町、みんなともお別れであること、訥々と胸の内を明かし始める。
 想いを言葉にのせ、赤裸々に曝け出すと、それに比例するように涙は量を増して被毛を染めた。
 その姿はあまりにもいじらしくて、できることなら今ここでぎゅっと抱きしめてやりたい。痛む心も俺が全て肩代わりしてやりたい。
「えぐっ、ごめんね、……ヒュウっ、ううぅ~……泣いちゃダメ、なのに……! ひぅ、やっぱり僕だめやった……ッ! ぐすっ……もうここで、ヒュウと一緒に話せん、写真撮れんのかと思っちゃったら……涙止まらんなって……! 離れたくないっ、よぉ……!」
 ティアドロップだけにとどまらず、顔一面を涙でびっしょりにするまでに雨を降らせて……。
 ヒュウは悲しくないのかと言いたげな琥珀の瞳は潤み、ひっくひっくとしゃっくりが止まない。
 胸がギュウッと締め付けられる。
 その気持ちが手に取るように理解できるのは、俺も同じだからだ。俺も悲しいに決まっている。泣いていいなら泣きたい。
(俺も離れたくねえ!離したくねぇよぉッ! ホントなら!俺の全部を受け入れてくれるまでずっとずっとここで一緒に――!)
 叶うことのない願いに、涙の防波堤は既に決壊寸前になっている。だが、それが何だと、親友を覆う雨雲を払い退けようと、手を止めずに宥め続ける――俺が泣いてどうする、堪えろ、強くあれ、自分にそう言い聞かせて。

 てるてる坊主にできねぇのなら、俺がそいつの代わりに大雨止ませて太陽取り戻させてやる!

「卒業旅行行くんだろ? 同好会はまだ終わっちゃいねえ!春の写真もまだまだ撮りに行く!アルバムもまだだ!まだ交換してねえ! みんなともまた会えるし、今度は俺が離れねえでずっと一緒にいてやる! だからっ、だから……っ」
 口早に慰めの言葉を捲し立てた俺は、「泣くな」と言いかけて口籠もった。言葉に詰まって、それ以上何も言えなくなってしまった。

 ずっと一緒にいてやる?
 この気持ちをひた隠しにしたまま?
 二人とも離れ離れになるのに?
 泣くな? 俺も心で泣いてるのに?

 あまりにも無責任――自分の言ってることがそう思えてきたので。
 あまりにも不器用――日菜太の心に寄り添ってやれない自分が悔しくて。
 背中をさする手すらも遂に止まって、その代わりに溢れ出てきたもの――それは

 ポツン。

 日菜太の左肩、ブレザーに一粒の雫が垂れては染みを作った。

(クソっ、もらっちまった……!)

「っ日菜太! クラス写真撮る時までには泣き止んどけ。せっかくの写真が台無しになるぞ!」

 いたたまれなくなった俺はそう言い放ち、トイレへと駆け出していた。

 誰もいないトイレで、大声をあげた。
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