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Episode.イブキ〈フェアウェル、ぼくらの恋〉
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ぼくには世界で一番優しくしてあげたい人がいる。
それなりに苦労した夏休みの先生生活がいったん終わると、季節は冬に向かって一直線に進んでいく。
体育祭と文化祭はつつがなく終わり、残っているイベントといえば、来月に控える修学旅行くらいだ。冬の気配と共に、もの淋しさを感じるようになってきた。
しかしなんたって、修学旅行は楽しみだ。今年は念願叶って三人同じクラスになれたから、一緒の班で寝泊まりできるのだし。まあ、それが終わってしまえば、いよいよほんとの受験生になるわけだけど。ならざるを得ない、というべきかも。うーん、なかなかつらいな。
クマキチのやつは今ごろ勉強頑張ってるかな。それとも、後輩の指導で疲れコケてもう寝てるか?
前者だといいけれど、後者が濃厚かなー……。季節柄、体調を崩しやすいから無理しないことが一番だ。健康でさえいれば、勉強の方はぼくがなんとかしてやればいい。
寒くなるにつれ、湯船に浸かる時間も比例して長くなるもので、くらっとのぼせる寸前まで考えごとに耽ったりしていた。
つい長湯してしまったぼくは急いで風呂からあがり、縁側で涼を取ろうと思いたった。
台所へ行き、牛乳をコップいっぱい注いで縁側へ持っていく。窓を開けると、暗がりの中、庭の虫たちはいかにも秋っぽい声で「我らが秋の主役だぞ」と主張する勢いで鳴いていた。
夜の寒さが乾ききっていない被毛を掻き分けて、ほてった体に心地よくしみこむ。
虫の声と、わずかに聞こえるご近所さんの生活音に耳をすませながら、
それにしても、今年の体育祭は色々とアツかったなぁ。
などと、今度は残暑のキツかったひと月まえのころをしみじみと思いだしていた。側から見れば、今のぼくは、秋の夜の優雅さに浸ったのんきなシロクマおやじに映るかもしれない。そう思ったりしながら。
いったい何がそんなにアツかったのかというと、閉会式前に行われた部活対抗リレーだ。あれは本当に、今まで生きてきた中で間違いなく、最も血湧き肉踊る瞬間だった。なにしろ、一度引退した三年生がその日限定で舞い戻って、部の意地をかけて級友たちとガチンコで争うのだから、情熱的になれないわけがない。
誇張抜きに、ぼくは柄にもなく終始、大・大・大興奮していた。元所属の水泳部以外にも、クマキチのアメフト部と、イブキの陸上部のことも大声張り上げて応援をしたし、なんなら最後には情緒がヤラれてボロ泣きしてしまった。それに、二度も……。
ひと月経った今でも、部員たちの想いを背負って懸命に走る姿が、本気の顔が脳裏に去来していく。思い出すだけで泣けてくるもので、興奮冷めやらぬとは、まさにこのことだ。
もちろんぼくも部の代表として全力で走った。あんなに誰かのために走った200メートルは初めてだった。追い抜いてやる、負けるもんかと、全身に力を込めた数秒間は、しっかり「先輩」としての矜持を示せていたと思う。結果は別にして、ぼく自身が、あの時の自分を肯定してやれるだけの勲章を持っていると思えるのだから。
だけれどやっぱり、もっとも泣けたのは、親友の――イブキの“あの言葉”だったなぁ。
陸部は惜しくも二位だった。アンカーのイブキが三位から怒涛の追い抜きを見せつけ、ゴール前あともう一歩前に出られていたら……と、そんな具合のデッドヒートだった。
絶対的な順位は二位だけど、一位よりも圧倒的に輝いていた。少なくとも、ぼくは胸を張ってみんなに宣言できる。それくらい、親友として誇らしい気持ちだった。
ぼくはイブキの走りが大好きだ!
現役選手としてのイブキはまだまだ健在だった!
――その再確認もできて、たまらなく嬉しかった。
勇姿を見届けたその時点で目と鼻の奥がじんじんときていたのだけれど、閉会式の始まる前にイブキの元へ行ったとき、人目も憚らずに感泣してしまった。
悔しがっているだろうイブキを励ますつもりだった。いや、今冷静に振り返ると、そんな高尚な心づもりさえなかったかもしれない。
言葉を用意している時間はなかった。ただ、あの時のぼくは、いち早く、イブキに何かを伝えたかったように思う。それはやっぱり「カッコよかった」とか「一等賞だったよ」とか、他愛ないけども照れくさい、頑張りに寄り添うための言葉〝だった〟に違いない。そう、過去形でいったとおり、それは叶わなかった。伝えるよりも前に、ぼくはだめになってしまったから。
イブキはぼくがいうよりも先に、ぼくに気づいてこういった。
「あー気持ちよかった! 走るのって、やっぱりいいな!」
大柄な体型なのに、耳も垂れていて声も高いから、ひとつ年下のような幼さを感じさせるバーニーズマウンテンドッグはくよくよしていなかった。思っていたよりもずっとたくましく見えた。そのタフさにぼくは圧倒されかかっていた。
「サイコーの走りができて楽しかったぜ!」
イブキはとびっきりの笑顔で、息を弾ませながら「ユーミもそう思うだろ!?」と続けた。悔しさを見せまいと、いつも以上に気丈に振る舞っているわけではなさそうだった。ほんとうに、心からの、陸上選手としての生の声だった。
「……うん」
たった一言しかいえなかったこのとき、既にぼくは言葉を失っていたと思う。いい意味で。
胸の奥深いところで生成されかけていた“伝えたかったこと”は失われ(要するに、ぼくが寄り添う必要はなかったというわけだ)、それと入れ替わるように、
イブキよかったなぁ……!
という気持ちが、ぶわーっと、ものすごい勢いで湧きたった。自分でも驚くほどに、ピュアで優しい気持ちだった。だから、けっこう沁みたのかもしれない。
ぼくは衝動的にイブキに抱きついていた。そうするしか、なかった……。
「お、おぉっ……!? ユーミ……?」
涙の出る仕組みは複雑なようで単純だ。たぶん、このときのは、感情を受け止める器官のキャパオーバーといったところで、生まれた感情がぜんぶ涙になるとか、とにかく脆い状態だった。
いいたいことは他にもいろいろあったはずなのに、想いは「よかったな」という言葉に一律変換された。ぼくはイブキに背中をさすってもらいながら、「よかった」と涙声でこぼし続けた。
「ああ、よかった」
イブキは抱擁を強めて応えてくれた。ぼくはもっと泣いた。
「ユーミは優しいな。さすが、あいつのお兄ちゃんなだけある」
涙の理由は聞かないでいてくれた。口にしなくてもわかってるぞと、そういわれているみたいだった。
ただ、山のように、どっしりと受け止めてくれた。縋られて、受け止めてやるのはぼくの方かもしれなかったのに……。
イブキはこの時、まだ泣かなかった。タフなやつはどこまでもタフなんだと、暑苦しい中、イブキの体に顔を埋めながら思い知らされたものだ。
ぼくはイブキの〝事情〟をぜんぶ知っている。イブキはそのことを知っていて、だからぼくが繰り返しいった「よかった」の中身も、ちゃんと伝わっていたのだ。
(よかったなあ)
気づけば、コップの牛乳はなくなっていた。閉会式前の一幕を思い出してはけっこう長いことしんみりしていたらしい。
こうして夜にひとりで寛いでいるとき、思い浮かべるのがイブキのことだというのは、なかなかによき友に恵まれているな、という気になれる。小学校からの長い付き合いなのもあるけれど、イブキとは本当にいい縁がある。
高校は別になってしまうのがずいぶん惜しいけれど、こればっかりは仕方ない。同じ森河原高校を目指すぼくたちクマ兄弟(命名はイブキ)と違って、イブキは清桜ヶ丘高校の推薦枠を狙う。イブキの実力であれば、一般受験でも十分合格圏内のはずなんだけど、そこはカテイノジジョウというやつだ。
本人曰く、推薦でさっさと合格キメてやることやる、とのこと。理由はだいたい察しがつく。そうだよな、お兄ちゃんに休みはないもんなぁ。と、まあ、ヤマシロ家はいろいろと複雑なのだ……。
それでも、ぼくら三人は高校に進学してもきっとイイ感じにやっていくんだろう。予感めいたそれはぼく個人の密かな願いでもある。
(絶対、そうしよう。ぼくから誘ってでも、イブキたちとは……)
そんなことを考えていると、遠くでイブキたちの声が聞こえてくるような気もする。ユーミ、ユーミ、とぼくの名を呼ぶ声が頭の中に響けば、忙しない日常にゆるやかな幸せがやってきた証だ。
そのとき突然、家電の鳴る音が廊下の方から聞こえてきて、思考は中断された。
なんだ、あいつ、まだ寝てなかったのか。リアルに呼んでたんだな……。
母さんが、
「悠海、電話ー」
と呼ぶ前にささっと腰を上げ、廊下へ急いだ。
いつものことだ。9時半をまわろうとしている時刻に電話をよこしてくるヤツなど、この世で一人しか知らない。
明日のアレでお困りかな。あたりをつけながら電話に出る。
「おお、起きててくれたかユーミぃ!」
わざとらしい一声だった。そのいい方だと、ぼくが先に寝るのが常みたいだけど、まったくそんなことはない。わかった上でふざけているのだ、照れ隠し的なやつで。
「クマキチのために、こんな深夜まで起きて電話番してるんだよ」
皮肉をぶちかましてやると、クマキチは、
「シンヤだぁ? まだ9時半だぞぅ?」
電話の向こうでハテナマークを飛ばしており、予想どおりの反応をしてくれた。
「クマキチにとってはほぼ深夜じゃん。どうせ明日提出のやつで寝れないほど困ってんだろ」
「でへへ」
「でへへじゃないんだよ。なに、どこで詰まってんのさ」
クマキチの先生は文字どおり常勤である……。夏休みが終わっても、実はこうして常勤講師として面倒をみる役割が続いていた。途中でやめるわけにはいかないし、なんなら好きでやってるから別にいいんだけどね。
なんだかんだ雑談もしてしまい、電話が終わった頃には11時が過ぎていた。普段そんなにおしゃべりじゃないのに、どういう訳か電話越しだとケッコウ饒舌になる。面と向かってじゃ絶対口にしない、シモの話をしてきたこともあって、ぼくの方が焦ったっけ。小声でぽしょぽしょと報告してくれるのはちょっとかわいかった。
変なヤツだなって思うけど、向こうにいわせると、用件をお見通しなのは「エスパー通り越してヘンタイ」だそうで。決してぼくがすごいのではない。クマキチが単純なだけだ。意味がわからない。
まあでも、頼られてるうちが華というか、一人で抱え込まれるよりいいかな。もっとも、あいつが一人で悩むなんてことはなさそうだけど……。
良くも悪くも行動が先で、考えることが苦手なのだ。どんな些細なことであれ、共有してくれたり、頼りにしてくれるのは逆に安心できてしまう。かわいがられるタイプって、ああいうやつをいうのだろう。
ぼくはそんなことを考えながら、寝る準備を済ませてベッドに入った。
(ん? 外……なんだろ?)
体を横にしてすぐに違和感があった。カーテンの外がやけに明るいのだ。
新しく街灯が取り付けられたのかもと思い、カーテンを開けると、まん丸で黄色がかっている、立派な満月が見えた。カーテンを突き破って射し込んでくる月明かりなだけあって、今夜の月は力強さに満ちた輝きを放っていた。
縁側だと見えなかったけど、そうか、今日は満月の日だったのか。
(きれいな月……! こんなに立派なのは久しぶりだ)
麗しくも妖しい……ふしぎな月に見惚れていると、眠気をもっていかれるようだった。きれいな満月が放つ月光って、そんな力があるかも。
案の定、目が冴えてしまって、
(クマキチとイブキも気づいていればいいのになぁ)
……とか考えてるんだもん。なんなら、教えてやりたい。教えるだけじゃもったいなくて、許されるなら夜に抜け出して三人集まれたらきっと楽しいだろうと、仰向けになってまた二人に対して思いを募らせていた。
ぼくはもしかしたら、今、さみしかったりするのかもしれない。さんざん話し終わった後だというのに。
真っ暗な時計の文字盤と針がひどく歪んで見える。目を細めて、今日はまだ明日になっていないことが確認できた。なんとなく、今日の夜はいつもより永いぞ、という気がした。
そうして段々と、ぼくの考えることは、さらにしんみりとしたこと――つまり、部活リレーが終わったそのあと、閉会式後のことになっていった。
ぼくら白組は優勝だった。
三人揃って汗と涙と砂埃を身にまとい、今日のハイライトについてあれこれ喋りながら歩いて帰った夕暮れ。消耗して確実にヘトヘトだったはずなのに、テンションだけは嘘みたいに高く、体も負けじとついてきた。
その頃にはもう、イブキに対するあの異様に優しい気持ちはいくらか鎮まっており、普段の調子で、
「イブキはしばらく英雄かー。いいなあ、そういうの」
などと、活躍ぶりを羨ましがったりできていた。
「なぁー。おれなんてバトンミスっちまってよぅ……イノッチに悪いことしたぜ。イブキは最初から最後までカッコよかったよな!」
ぼくとクマキチが誉めたのを、イブキは「よせやい」といって照れた。
「女子たちもカッコいいって、いってたぜぃ」
「うん。キャーキャーしてたね。モテるじゃん」
「えっ、誰誰? 誰がいってた!?」
「どうするよ? 明日とか急にコクられたらさぁ?」
クマキチは誰がいっていたか、には答えず、照れているイブキに追い討ちをかけるように煽る。
「ないないないっ! あるわけない!」
過剰に照れて……というより、もし自分の身に色恋沙汰が降りかかっては困るといいたげな、なんともイブキらしい反応だった。そのくせ、女子の正体も案外気にしたり、挙句ちょっと赤くもなりやがって、どっちなんだよ……。
手振りを大きくしてイブキはいった。
「おれはそういうのとは縁がないんだって。そもそもデカくてモサいのはモテないんだって、なあクマキチ、おまえもよおく知ってるだろ?」
「まあなー。しゃーないってやつだぜ」
道端の小石を軽く蹴飛ばしたクマキチはまったくのノーダメージというふうに、ケロッと事実を受け入れた。
クマキチはともかく……イブキに関してはそうでもないんだけどなー。むしろ女子人気は高い方だと思う。男子の中じゃダントツに甘みのあるフェイスだって噂されてるの聞いたことあるし。女子のいう「カワイイ」の意味は多岐に渡るし要注意ワードだけど、そういわれていたことだってある。そもそも女の子は外見以外のとこもしっかり見てるもんだ。
根拠はそれだけにとどまらない。学校生活を長いこと送っていると、その手のイベントに遭遇することもある。ぼくが経験したのは、いわゆる告白の仲介役ってやつだった。
イブキがゲイだと知っていたので、ぼくは勘弁してくれよという気で、なるべく穏便にことを片付けた……つもりだ。相手には「ヤマシロ家には高校生になるまで恋愛禁止のルールがあって」という、咄嗟に思いついた方便で諦めさせ、一方のイブキには素知らぬ顔で突き通すといった具合に、仲介者としてあるまじき方法で……。
もし役割をまっとうしていたら、イブキは無理をしていたかもしれない。自分に遠慮をしてでも相手のためになろうとする。そういうヤツなのだ、ぼくのよく知るイブキは。
その状況だけは避けたかった。つらい思いはさせたくなかったし、ぼくとしても二人を見るたびにいたたまれない気持ちになっただろうな。
だから、そうした。誤りの最適解を選んで。
卒業してしばらくしたらイブキに謝ろう。
イブキが許すなら、その子にも本当のことを伝えよう。
と、まあ、悪いことをした自覚がありつつ、損な役回りを押し付けたその子にも非はある。ぼくはそう思っている。自分の気持ちくらい、自分で伝えるべきだ。傷つく可能性を回避して、人に気持ちを運んでもらおうとする魂胆は情けない。イブキはその点、オトコマエだったなあ……なんて。
ともかく、片想いされていたことを知らないイブキは非モテラベルを自分に貼っている、というわけだ。
「けど、わかるなぁ。走ってる姿、惚れ惚れするもんな」
「ユーミまで……どうしたんだよ?」
「どうもこうもないよ。ただ、ほんとのこと」
「走るのが早いやつはやっぱりカッケェよなっ!」
「お、おまえら……なんか、ヘン!」
足が速いやつはモテる、という噂があるけど、あれは案外正しい、と思ったりもした。当の本人は客観的に自分の走りを見ないので、そう思ったことはないのかもしれないけれど。根も葉もない法則を妥当だと思わせるくらい、イブキはみんなを虜にする走りを見せつけた。
イブキの走りはとっても魅力的だ。足が速いことに加えて、とにかく姿勢が洗練されている。
巨体で風を切り裂くような力強い走り。それでいて姿勢にブレがなくて美しい。いつもは垂れている耳は風圧で激しく揺れ、黒くて長い尾もスクリューみたいに振れる。尻尾の先は白いから、ちょっとした残像みたいにうつるのがかっこいい。
イブキの好きなところに、走る時の格好が上位で入ってくる。それほどまでに、ぼくは惚れているのだ。小学校のときから変わらずに、ずっと……。
中学最後の体育祭で見届けることができて幸せに思う。そこに順位は関係ない。二位でも一等賞だ。
アンカーをつとめたイブキはキラキラしていた。走り終えた後、あんなに楽しそうにしていたイブキは間違いなく果報者だろう。トラックの戦士として、報われた瞬間だったに違いない。だから「よかった」って、ぼくは……。
ぼくは……?
じゃあ、イブキは……ほんとうは?
…………。
一瞬、自分が二人に分裂したような錯覚を覚えた。“そう”思い込もうとして、二位を美談に仕立て上げようとしている自分がいることに気づいて。
思い出した。イブキのもとへ駆け寄ったとき、悔しそうにしていたら慰めるつもりだったじゃないか。なのに、あんまりにもカラッと、屈託のない顔で喜んでいたものだからぼくは真意を見抜けなかった。その可能性は大いにある……。
幽体離脱のごとく、俯瞰して見つめているもう一人のぼくは、そんなエゴの塊みたいな自分から目を逸らすように(否定したかったのかもしれない)、
「にしても終わっちまったなー体育祭」
クマキチと喋っていたイブキに、あまり訊いちゃいけないことを訊こうとしていた。
「ねえイブキ」
一度芽生えてしまったらもう引き返せない。ぼくは真意を確かめたかった。だけど、ストレートに訊くのはよくないと思ったので、フランクにつとめて、確かこのようなことを訊いたっけ。
――陸上人生、報われた?――
イブキに「うん」って、胸張って堂々といってもらいたかった。だけど、返ってきた答えは「わからない」だった。
「どうかな……。リレー終わって、ユーミが来てくれたときはいい終わり方できたって思ったかも。でも、ユーミごめんな。おれさ、やっぱり一位がよかった」
イブキは立ち止まって、最初、弱く微笑んでいってくれた。まるでぼくの心を読んだみたいに、素直であってくれた。
それでこそイブキのマインドだって、ちょっと安心してしまった。そして例のごとく、イブキの隠し事には、最後まで気づいてやれないのだ。悔しさと安心した気持ちがごちゃごちゃに混ざって、何もいってやれなかった。
「せっかくなら勝たせてやりたかったなー」
頭の後ろで両手を組んでそういったイブキに、
「勝たせたいって、なんかそれ、いいよなぁ」
クマキチもつられたのか同じポーズをとって、ぼくの思ったことを代わりに伝えてくれた。
「おれが取った一位で後輩みんなを立ててやれるの、カッコいいからな」
大人っぽいなあ。カッコいいなあ。今度はそう思って、目の奥がツンときた。
イブキの考えることはいつも大人っぽい。大人の定義はいくらでもあるけど、イブキを見ていて“大人っぽい”とは、自分の中に常に多くの人の存在があることと、あともう一つ、自分より他人を優先してやれる器の大きさのことだと思わされる。
だが、そんなイブキも、いつまでも大人でいられるわけではなさそうだった。ふいに空を仰いだイブキを見た瞬間、ぼくにはいろんなことがわかってしまった。
後輩を想う優しさが時間差で伝わってきたら、急激に目元がジワッと熱くなって、痛んだ。
「おれ、欲張りかな? 久しぶりに気持ちいい走りできて、あんだけみんなに喜んでもらってさ、ユーミにも『よかったな』っていってもらったのに、おれ……やっぱり一位がいいって、あんな辞め方しといて……そんなのっ、思っていいのかなあ」
悔しさに溢れて潤んだ声だった。
「一位で終わりたかったよぉ……! ユーミっ、クマキチっ、おれ……やっぱ悔しい……!」
いつもは山のようにタフで気高いイブキは、とうとう脆く崩れてしまった。堪えていた涙をこぼして泣きじゃくる姿は“らしく”なく、年下の弟みたいだった。不謹慎にもひどく愛おしく思ってしまい、どうにかして慰めてあげたくなった。だけど、終わって結果が出たものはどうしようもない。やるせなく思いながら、モラってしまい、せめてクマキチには見せまいとイブキを抱き寄せた。
ぼくよりも大きくて立派な体躯。柔らかくてすべすべな毛並み。脂肪の上にしっかり筋肉もあってアスリートの体つきだ。なのに、今は嘘みたいに小さく、弱く、空っぽのように感じられてしまった。
(終わってから今までずっと、こんな……こんな……!)
身体を受け止めてようやく伝わってくる、イブキの隠していた気持ち。
悔しくても悔しいって……口が裂けてもいえなかった。ぼくや陸上部みんなの――いや、白組みんなのためだ。今ならわかる……。
とたんに、胸がぎゅっと締め付けられる。痛さをごまかすように腕に力を込めてしまった。そうまでしてやっと、自分の中に押し殺していた、紛れもない本音に気づくことができた。
そうだ。イブキには、イブキこそ一位が似合う。キラキラで唯一無二の一位をとってほしかった。一位で一等賞のキミに「サイコーだった」って胸を張ってほしかった。ぼくはお疲れさまって労って、悔しさの溶けてない涙を流したかった。
「イブキ……!!」
そして確信した。ぼくらは二度目の抱擁にしてようやく、互いのもっともっと近い領域へ踏み込むことができたんだ。
ああ、結局――心のどこかで、こうなることを予想していたかもしれなかった。あるいは最初から望んでいたのかもしれなかった。
どうしてぼくはこんなにも、イブキに何かをしてあげたいんだろう。どうして、ぼくなんかを優しい気持ちにさせてくるんだろう。
「あたりまえ。思っていいよ。ぼくもイブキに一位とってほしかった。惜しかったもん。それでもね、カッコよかった。イブキ、よかったよ」
やっとこさ――言葉になってくれた。
濁りないけれど、形の定まらなかった気持ちは、イブキが確かな本音を見せた今、ようやく対等な形になることを許された。
「おっ、おまえらなぁ、泣くなよっ!! ちっくしょう、あぅ……おれまでっ……! イブキ!ユーミ!泣くなよおおおおおお!!」
クマキチのばかでかい声が妙に心地よかったのを覚えている。それはたぶんだけど、あいつも優しい気持ちを持っていたからだと思う。不器用なりに「前向けよ」って……涙を追っ払おうとしていた。ぼくとイブキをどかっと包み込んだ、力加減なんてあったもんじゃない腕もそんなふうだった。「泣くなよ」って言葉とは裏腹に、ふしぎと涙が生まれて止まらなくなる、大雑把で雑で、優しい腕だった……。ぼくは優しい弟がとても誇らしかった。
ぼくたちはやっぱり、イブキに優しくしたかった。
「おれ、高校で陸上部やるよ!」
涼やかな顔でそう宣言してきたのは体育祭翌日のことだった。当然高校の合格はまだ決まっていないし、まさか登校の道で告げられるとは思っていなかったから「気が早いなぁ!?」と、やや的外れな驚き方をしてしまった。その後すぐに、
「でも、そうやって目標作っとく方がいいよな。勉強にも熱入りそうだし。頑張れよ!」
そう応援したんだっけ。
クマキチもクマキチで、
「よっしゃ! その調子だぜっ」
「うおっ、ひっつくなよ~」
「遠慮すんなよぉ! 昨日はもっとこう、ぎゅー!だったぜ?」
「!」
「高校の体育祭呼べよー? また見せてくれよな~!」
復帰宣言への喜びを全身で表現していた。
さすがにもう、抱きついたりはしなかったけれど、内心すごく嬉しかった。
体育祭は絶対見に行こう。クマキチと行って、応援して、またあのすてきな走りを見よう。そう思って、ちょっとウルっときかけた。
「おまえらありがとな! おれ頑張るよ!」
きっとイブキならなんとかするんだろう。家のことも、自分のやりたいことも……。持ち前の明るさがどこかにいってしまわない限り。
人並みに弱い部分だってそりゃあるけれど、イブキはぼくらが思う以上にしっかりしている。
そういう健気なとこがあるから、支えてやりたいと思うのかもしれない。
「イブキが復帰するなら昨日泣いたのも報われるよ」
ぼくはつい自虐的にいっていた。
「ユーミが泣かせたやつな~」
「違うし。騒音レベル一番高かったくせに」
「なんだと! おれも泣かされた被害者なのに!」
「いやいや、自分の意思で泣いてたよ!?」
「まあまあ。全員同罪ってことで勘弁してあげたらどうだ?」
「おれたち罪なのかよぅ?」
「まあ、あんなとこで三人揃って泣いたらそうかもね……」
「ハハハ! 悪くない悪くない!」
イブキが笑うと、つられてぼくたちも笑った。
その日は朝からずっと心が晴れやかだった。そして、それからもぼくたちは心穏やかに学校生活を過ごしていった。
行事ごとがまた一つと終わり、学年全体が受験の空気に染まっていってもふさぎ込まずにいられたのは、どうやらイブキたちのおかげらしかった。
世界で一番優しくしたい。そんな思いを抱くようになった直接的なきっかけといえば、イブキのとある相談事から始まった一連の出来事に違いない。少なくとも、半年前についたウソがトリガーとなっていることには間違いがないと思う。
本当はこんな表現許されないんだろうけれど――簡単にいうとぼくはイブキのことをフった。自身に向けられた好意を「それは違うよ」って捻じ曲げて、摘んでしまった。
ウソにまみれたその選択は正しかっただろうか。悪いくせだと自覚しているけれど、こうして時々、取り返しのつかないことについて迷ってしまう。迷って、苦しくなって、胸がざわざわする。
「イブキ」
暗闇の天井へ右手を伸ばしたら、ふと口から漏れだした親友の名前。呼ぶと、今さらながらにとてつもなく愛おしくなってしまって、
(大好きなのに、ぼくは……)
心の隅に追いやって目を逸らしていたはずの、本当の感情が突然溢れてきた。それを認めると、後悔にのまれてしまうからひた隠しにしてきたはずなのに……。
イブキにウソをついた後、遅れて自分の気持ちにもウソをついていたことがわかって、つらかった時期のことを思い出した。
ウソをつくことはなんであれ、精神的にくるものがある。
イブキはぼくのことを好いてくれて、ぼくもイブキが好き。ならばもう答えは決まっていると思われるかもしれない。
だけど、好きだと伝えてしまうのは、つまり、告白を受け入れて恋仲になるのは違うという気がした。一度伝えて、関係が変わってしまったらもう二度と友だちとして側にいることはできなくなってしまうからだ。
ぼくがイブキに対してどうありたいか。
答えは、やっぱり「親友でありたい」だった。いくら親しくて好きだったとしても、“恋人”になることは未熟な感じがして怖かった。三年生にあがったばかりのぼくたちが、しかも男同士で恋愛関係になるなんて脆すぎる。簡単に歪みが生まれ、いずれ壊れ、修復できなくなる。そんな不安感が、今を守りたい気持ちが、告白された嬉しさよりも勝ってしまって。
だからぼくはこう思うことにした。ついたウソで、イブキの親友であるポジションを守れたのだと。おかげで幸せな今がある。そのことだけは確かで、訂正しようとは思わないし、そんなことは許されない。
イブキの親友はぼくであってほしい。ぼくじゃなきゃ、いやだ。
コイビトだなんてそんな大そうな、不相応なものはいらない。ただ、いつまでも一番の友だちとして、一番近くにいられたら……。そうして時折、好意に触れあえる瞬間があればそれでいい。そういうのが、いい……。
でも、ぼくは確かにイブキのことが好きなのだ。好きだからこうして今でも悶々と悩むんだ。どうして友だちと恋人って両立できないんだろう。もう、どうしたらいいのかわからない。その気持ちだけでも伝わればいいのになあって、思ってしまう。
わがままの対価ってのは大きい。ぼくはもう、イブキと相思相愛でも恋仲にはなることはできない。なにか一つを選びとることは、他にあった選択肢を捨ててしまうのと同義だ。だからぼくは選ぶのが苦手なんだ。
……今日はやたらと心が湿っぽく、しんみりしてしまう。恋しく、切なくて、チンチンのあたりがムズムズとうずく。そこと連動するように心臓の動きも勝手に早くなって、身体は意思とは関係なく体温を上げていく。
きれいな満月のせいだろうか。それとも、寒さに抗おうとしているせいなのかな……。
ヒクン、ヒクン、と何度も脈打って、トランクスの中で擦れながら(残念ながら皮を被ったままだけど……)ムクムクと大きくなっていく。快感とむず痒さが欲求をともなって襲ってくる感覚は、もう慣れているとはいえ、どこか新鮮ささえあった。
仰向けのままだとチンチンの逃げ場がなくてキツいので、体を横向きにして背を丸めた。足も曲げ、そこをベッドに押しつけて鎮めようとしたけど、無駄だった。刺激を与えれば与えるほど、おしりのあたりまで疼いてしまって、勃起が止まらなくなった……。
ぼくは布団の中でズボンとパンツを脱いで、熱を持ちはじめたそこを握った。硬くて、そしていつにも増して熱かった。
夜にイブキのことを考えるとこうなることは珍しくないんだけど……。やっぱり今日はなんだかヘンで、いつもより大きく膨らんでいる。
(ほんとはこんなの、よくないのに……)
自慰行為なんかで止まるほど、この切なさは浅くない。かつて止まったことはなく、むしろ逆で、したあとも解消しきれずに虚しさが倍になって襲ってくる。理性では理解できているのに、行き場のない性欲はどうにかして外へ出ようと暴れる。
「んっ……」
そのままぼくは、イブキと触り合いっこに発展したときのことをオカズに、チンチンを擦る手を止められなくなってしまった。
******
「今日の学校終わり、空いてるか?」
朝から妙に尻尾をそわそわさせていると思ったら、どうやら用があるらしかった。さっきまで一緒にだべっていたクマキチがトイレに行くなり、まるでタイミングを見計らったように、しかも落ち着かない様子でそういうのだからそれなりにまじめなことなんだろう。遊びに誘ってくるときなんかとは緊張感が違っていた。
「水曜だしいけるけど。どうしたん?」
水曜日は半数の部活が休みになる曜日で、水泳部と陸上部もちょうど休みが被る。クマキチのアメフト部は代わりに木曜が休みだ。
クマキチに声をかけなかったわけも併せて訊ねると、やや焦った様子で、
「えーとな、色々と難しいんだ。あとで全部話すよ。陸部の部室来てくれな!」
イブキらしくなく曖昧に濁したり、強引に場所まで決めていった。
「わかったよ」
承諾しつつ、ぼくは(なにか隠してるな、相当)という表情をしてしまった。イブキはイブキで怪しまれるのも織り込み済みだったのか、肩を小突いて「そんじゃ、頼んだぜー!」と、やっぱり強引な逃げをかました。同時に昼休み終了のチャイムが鳴り、ぼくはイブキに一発やられたような気持ちで、五時間目の教室移動の準備を始めた。
「今日のイブキ変じゃない? なんか知ってる?」
「?そうかあ? フツーだぞ?」
予鈴が鳴ってものっそりしているクマキチに聞いても無駄だった。まあ、あえて自分だけが指名されたんだし、蚊帳の外のクマキチが何も知らないのは当然といえば当然か。
「じゃあ気のせいかな」
「今日の給食がよっぽどウマかったんだろーよ」
「それ自分のことじゃん」
「だはは。メロンパン最高っ!」
「おかわりのジャンケン勝ててよかったな。ぼくもほしかった」
こういうとき、変に事情を話して巻き込まない方がいい。イブキはぼくに用がある、といったのだ。あえてクマキチが席を外した瞬間に。
クマキチはキャプテンで大変なんだし、部活中に気が散るようなことを伝えるのも憚られる。ぼくにもそんな思考ができるようになったのは、いよいよ三年生になったというか、大人っぽくなったよなぁ。とか、ひっそり成長を感じる瞬間だった。
……こうして、ぼくは五時間目と六時間目を悶々とした気持ちで過ごすハメになり、一方のイブキもそわそわがおさまらずに何度か視線を送ってきた。そのくせ、目が合ったかと思うと、プイっと視線をはずす。めったに見せない、秘密ごとを抱えている顔だった。
もう、いったい何なんだよ! まさか……恋しちゃった、とかいうなよ!?
放課後。
掃除当番をちゃちゃっと済ませ、部活の邪魔にならないように指定場所――運動場の隅にある部室棟に向かった。
部室棟は2階建のプレハブ小屋になっていて、陸部の部屋は1階のちょうど真ん中にある。
(ここだ。イブキはもう中にいるんだよな)
ぼくはちょっとドキドキしながら、部屋の前で立ち止まった。部室は更衣室を兼ねているので、外からじゃ中の様子は窺えない。
ドアには陸上部と書かれた木札が掛けられているほかに、部員の似顔絵マグネット(デフォルメが効いているのにうまい具合に特徴を捉えていてこれがまたかわいい!)が貼ってあったりしてけっこう目立つ。イブキいわく、陸部では入部の際に上級生に描いてもらうのが慣習になっているとのこと。今年はイブキが新入りたちの分を描く担当になっていて、腕が鳴るんだと、これはさっき昼休みに聞いた話。陸部のそんなこんなを見聞きするたびに、ほんと仲良さそうだよなって思う。
「おーい、入るぞー」
いちおう一声かけてから、ノブを捻った。と同時にドアが内に開き、
「おっ、サンキュー! さ、入って入って!」
イブキが出迎えてくれた。尻尾をわさわさ振りながら。
「ここの部室、異常なほどきれいだよね。土足で大丈夫なんだよな?」
「マットのとこまではいいよ」
縦長い部室にあがったぼくは、整理整頓された部屋を見回してすっかり感心していた。陸上部っていうと、砂っぽい部室を想像しがちだけど、ここはまったくそんなことない。
練習に使う用具などは砂を払ってコンテナに収納されており、奥のホワイトボードも、予定や連絡事項のみが丁寧にまとめられている。ロッカーや机類も新しくはないものの、清潔さが保たれていることがわかる。決して派手さとかおしゃれさはないけれど、ミニマリズム的な機能美を感じる。
もはや部室というか、休憩室のような雰囲気だ。いやもう、これほどきれいだとちっちゃい冷蔵庫やレンジの類いなんかも置けちゃうわけだ。
そして気になることがもう一つ。前よりもさらに清潔になっているのはどういうわけなんだろう……。
「はやみんがキャプテンやるようになってからだよ。土曜とかさ、掃除だけで終わる日もあったんだぜ」
ぼくの思っていることを察したのか、イブキは補足した。
「はやみんって、隣のクラスの速水くん?」
「そー。チンチラのなー。あいつ、絵ヘッタクソなのに、片付けと掃除のセンスすごいんだよ」
「潔癖症って噂だしね。ほんと、ウシザキのところとは天と地ほどの差だ……」
「野球部は……うん、地獄だよな。これでも体験入部の前にだいぶ片付けたよ。おかげで今年は部員の集まりがいいんだ」
速水くん、まさかそのことを見越していたのか……?
あまり面識はないけれど、定期テストの成績は上位群らしいし、なかなかデキるやつだとぼくは今この場で確信した。
「この部屋、なんかいい匂いまでする」
「おお? ユーミもいい鼻してんなあ」
そうだ。さっきから部室の場にそぐわない、妙に香ばしい匂いまでするのだ。
「え、なんだこの甘い匂い? まじでパンでも焼いてる?」
「えへへ。まあ席座りなよっ。おもてなしってやつ!」
イブキはそういって、ロッカー前の長テーブルに案内してくれた。机の上には紙パックのコーヒー牛乳と、そして甘い香りの正体が置いてあった。
「メロンパン!?」
「トースターで焼いたんだ。おれ、焼いた方が好き」
「給食で出たやつだよね。食べなかったの?」
「うん」
「おもてなしってこれのこと?」
「そうだよ。あったかいうちにどーぞ!」
頷いてはにかむイブキの表情にも声音にも、なんとなく媚びているような感じが漂っていた。隠そうとして、隠しきれていないものが(だいたいそういうのってわかるものなのだ)チラついていた。
惜しくもじゃん負けで逃したメロンパンに、まさかここで再会を果たせるとはつゆも思わず、
「餌付けされてる?」
素直に喜ぶよりも先に、なにか裏があるんじゃないかと訝ってしまった。よく考えなくてもそりゃそうだ。あの大人気のメロンパンがタダで、それもご丁寧にトーストされた状態でもらえるなんて、そんな甘い話があるわけないしな……。
イブキは一瞬、垂れ耳を跳ねさせるほどにぎくりとした。
「えっ、餌付け? そんなこと、ない、よ?」
「さすがに何かあるでしょ。もともとその気で来たんだし」
……みるみるうちにニコニコ顔が崩れていって、
「おれ、もしかして怪しいヤツか?」
「うん、朝からヘン。何隠してんのさ」
「あー、そうだな……何もない……っていえばウソかも……」
結局、メロンパンと飲み物は「お願いの対価」だったのだと打ち明けた。
「ごちそうさま。美味しかった」
「お粗末さまでした。おれが作ったわけじゃないけど……」
「ううん、いい焼き加減だったよ。焼いた方が美味しいな!」
香ばしくサクサクになったメロンパンと、コーヒー牛乳を平らげたぼくは、イブキに尋問するような気でいた。
「さて。そんじゃ話してもらいますか、イブくん」
「う、うん」
「まあぼくから聞くんだけど。お願いってさ、クマキチじゃダメなやつ?」
「あいつよりもユーミの方がいいかなあ……でへへへ……」
なんだか恥ずかしそうに、若干の嬉しさを含ませて笑うイブキ。頼られてるってわかったぼくも照れくさくなってくる。
「なんだよその笑い。朝からずっとそわそわしてるし」
「お、おれだって、悩んだりすること……あるもん」
「ん、イブキ悩んでんの? そのことでお願いか?」
珍しい。イブキが、というより、友だちが悩んでて、相談を受けるなんて初めてのことじゃないか。気づけば若干、身を乗りだしていた。
「ちょっとなー。カラダのことで……」
目を伏せがちに、ぽつっとつぶやいた瞬間、
(エッチなやつか!?)
14年の勘でいろいろと察してしまい、なるべくセンシティブな空気感に呑まれまいと頑張って耐えた。心を落ち着けて、いうべき言葉を探した。ああでも、多分これ……。どうしよう……?
短時間の間に頭をフルに働かせたあげく、
「どこか調子悪いの? 足痛むのか?」
……やってしまった。とぼけたフリ。
だってさ、しょうがないじゃんか。
ねえどうすんの、こういう時……。わかんないよ!?
「あ、足じゃないよ! ええっとな、調子悪いっていうかだな……でへへ……! んー、良いか悪いかだとやっぱ悪いんかも?」
「ど、どうしたんだよ?」
また出た、その笑い方。イブキはなかなか話したがらずに、曖昧に笑ってごまかしているみたい。
「笑わないって約束な……? あ、あとクマキチとかに喋るのもダメだぞ?」
やっぱりそうだ。目の前でモジモジしているバーニーズはよっぽど人に相談しにくい性のことで頭を悩ませているんだ。きっとそうに違いない。
「そんな、人の悩みを笑ったり、いいふらしたりするやつがあるか」
どちらかというと、さっきまでの尋問する勢いはなくなっていて、寄り添う気持ちで促した。身体のことは悩んでても相談しにくいもん。
「だよな……ユーミのこと信じるぞ」
「大丈夫だよ。いってみ」
「ちん……ちんこの大きさって……ひ、人それぞれじゃん?」
「うん」
ここまで来たらもう驚かない。驚かないし、ああなるほど、と納得した。イブキのあれを思いだしながら。
ここはどしっと大胆に構えて(だけどイブキの口から発せられたそのワードに興奮をおぼえながら……)悩みを解決――
「おれのさ、もしかしたら……小さいかも、なんだけど……っ」
イブキは大きな体をぎゅっと縮め、もともと垂れている耳をさらにぺたっとさせ、目まで瞑って、ぽしょっと小さい声で打ち明けた。そんないたいけたっぷりな様子で言うもんだから、
解決してやる。できたての気概は瞬時に崩れ去って、ぼくは思いもよらぬ感情を抱くはめに――当時はその正体に気を取られている場合でもなかったので、もうすこし後でわかったことなんだけど――つまり、イブキのことを心底からかわいいと思ってしまった。
考えてみれば、同性に対してハッキリと胸をときめかせた初体験だった。無意識的にクマキチへ「守ってあげたい」と思っていたのとは種類の違う、今思えば恋に育つ一歩前の気持ち……。
「ユーミ?」
「ああっ、うん、うん。ちゃんと聞いてるよ。キイテル」
どうやらぼーっとしていたらしい……。
「そっ、そんでだな……頼みがあるんだけど、さ……」
「ん」
「ホントに小さいのかって確認のために、み、見してくれないか? このとーりだっ」
う、いきなりそれかよ。見てくれないか、じゃなくて、見せてくれ……ってのもどうなんだ。しかし交渉下手なやつだな、イブキは。普通に考えてだよ? 「見せて」って頭下げられてすぐに「ほらどうぞ」ってチンチン出すと思うか? しかもこのぼくが、だぞ? まあ、思ってるからいってくるんだろうな。給食のメロンパンまで差し出してさ。
やっぱりそういうところも含めて、実直で真面目なやつなんだよな。
眉間にシワを寄せて(さて、寄ったかな?)、ぼくはいってやった。
「ぼくのは別に変わってないよ? 何回か見てるだろうし、見せるのはいいんだけど」
「けど?」
「一方的に見せるのは嫌だ。フェアじゃない」
付き合いが長いとお互いの裸を見ることだってある。チンチンだって一緒にお風呂に入ったりするときに見ているから、別に今さらイブキのモノを特別見たいわけじゃない。そう思ってたけど、こう、大きさの話をされると話がすこし違ってくるもので……。純粋に性的好奇心を刺激されてしまうというか……。
前に見たのは中二の夏だっけな。確かに、体型の割にはだいぶに小ぶりだった。成長期とはいえど、二年生だしまあこんなものだろうと。それが今、最高学年になってどれだけ大きく育っているか、気になるのはその点だった。
なので、「じゃあ、せーので見せるか?」と持ちかけられて「それならいいよ」と簡単に承諾してしまうぼくなのであった……。
外から部活生たちの元気な声が入ってくる午後4時。対する部室内はひっそり、異様な空気に支配されていた。
いくら部活が休みとはいえ、部室で性器の見せ合いっこをするのは異常なことだ。部屋に閉じ込められた空気も、そんなふうに警告しているみたいに、あるいはこの空間から抜け出そうとざわめきあう。
ふと、イブキと視線があった。気まずさから、へへへとあやふやに笑うほかなかった。
何もいえないもどかしさに耐えられずに、同時に目を逸らした瞬間、
(見たいけど、見せるのは恥ずかしい……)
ぼくたちは今、考えていることがお互いに筒抜けの、非常にモロい心理状態にあることがわかった。
「なあ……」
数秒してからイブキがいった。
「わ、わかってる」
「とりあえずだな……」
「ズボン、脱ごっか……」
そういってベルトを緩めはじめると、突然下半身がブルっときた。胸のドキドキとそわそわが尿意を催させる。混乱しかかった脳が勝手におしっこをしたいと思い込ませているのかもしれない。
そのまま制服のズボンを下ろして、イブキも一歩遅れてパンツ姿になった。鮮やかな青色のボクサーブリーフが目を引く。
「おニューのはいてきた。てへへ」
「張り切ってんなぁ」
ぼくはいいながら、
(計画的なやつめ……見せる気満々じゃないか。ほんとに悩んでるのか? こうなることがわかってたみたいじゃん)
イブキの無邪気な狡猾さに舌を巻いた。
イブキは幼い子どもみたいにもう一回照れ笑ってから「じゃあパンツもいくか」といって、ゴム部分に手をかけた。
「あ! ボッキさせるのなしなっ?」
思いついたように念を押すイブキに「勃たないよ。緊張してんのに」と返した。
「うう~っ……あー! ドキドキするなあ……!」
「誰のせいだよ?」
「へへ! じゃ、せーのーでっ!」
ぼくらは立って向かい合ったまま、目を相手の股間に目を釘付けにして――パンツを脱ぎ下ろした。
その瞬間、ムチッと肉付きのいい股間部で、自分と同じ白色をした性器がぷるっと跳ねてあらわれた。剥けてなどいなくて、ほとんど同じ形の、だけど二回りほど小さいチンチン。視界にそれが入るなり、ぼくは(勝った!)と胸の中でガッツポーズを決めてしまい、誇らしさと嬉しさで心が満ちた。満ちてしまった。
「だ~っ! やっぱおれのってちっちぇのな……。負けたかー」
「勝負じゃないってば」
口では勝ち負けじゃないといいつつ、内心思いっきり勝負あり!としたのはずるい。
だけど本当に、ふしぎなことでもあるけれど、恥ずかしさよりも単純に嬉しさが勝ったのだ。身長だとか、スポーツテストの記録における勝敗とは明らかに何かが違った。むずむずと沸き上がるような誇らしさ……これって、オトコとして至極当然の感情なんだろうか。
ともかく――イブキのチンチンは前に見たときと比べて、これっぽっちも変化がなかったということだ。
「成長期なのにこれだけしかないのっておかしくないか? 背は伸びるのにこいつはずっと子どものままなんだよ。養分とられてんのかなあ……おれ大丈夫かなあ」
一とおりぼくのソレと見比べたあと、急に不安げな表情を浮かべるイブキ。そわそわしたり、張り切ったりで忙しいやつだ。
「慰めになるかわかんないけどさ――」
ぼくはパンツを上げて、頭にあいつのことを思い浮かべながらいった。
「クマキチも相当ちっちゃいよ。たぶん、イブキよりも」
というのも、ついこの前、春休みにうちへ泊まりにきた時にお風呂で見えたからだ。その時は別に見比べてやろうとしていたわけじゃなくて、単に「変わらないやつだなー」と思っただけなんだけど……。
「知ってる。こないだトイレで見ちゃった。おれよりちっこかった……」
「そうさ、下にはちゃんと下がいるんだからあんまり心配すんなよ」
「む……! そのいい方なんか傷つく! どんぐりの背比べじゃん!」
イブキは心外そうに頬を膨らませた。
「ごめん」
確かに今のは慰め方として得策じゃなかったかな。本気で悩んでいる人にそういうことを口にするのはやめておこう。
それにしても、
(どんぐりの背比べか。どんぐり……)
イブキのいった「どんぐり」が、幼い子を連想させたうえに――狙ったのかわからないけど――形状までほんのり似ているものだから、
(なんか、かわいいな)
と、不意にキュンときた。またしも失言するところで、その感想は心にそっとしまっておいた。
「ちなみにちゃんと剥けるの?」
同年代の幼なじみが知らないところで成長(性徴?)しているかはもちろん気になるとして、それとは別に、そう訊くのにもちゃんと理由がある。なんでも、皮が剥けないままだと先っぽが大きく成長しないらしいからだ。
情報源はヤツだ。猛牛・ウシザキ……。だけどウシザキは結構デカいので、信じるには値するのかな。
「む、剥けるよっ」
「ほんと? 見せて」
……だんだん気持ちがエスカレートしていっているのがわかった。相談に乗るという大義名分のもと、好奇心を満たそうとして、心臓はドクドクと音を大きくしていく。
「嘘じゃないぞ。ほら」
イブキは指三本でチンチンを摘み、くに~っと、ゆっくり包皮を剥いてみせた。分厚い皮がめくれて、真っピンクの割れ目が顔をのぞかせはじめる。メリメリっと裂けて音が鳴るんじゃないかとドキドキしながら、ぼくは目を離すことができなかった。
被っていたときは白一色だったそれは見る間にピンク色へ変化していく。まるで親指サイズの桃の実……。イブキは途中で皮が戻ってしまわないように、付け根をずっと指で押さえていた。湿っぽく、濡れた亀頭が全部出てくるまで、世界がスローモーションの映像になったみたいだった……。
――初めて見た人の亀頭はとてもエッチだった。自分のと形も違えば、大きさも色も、皮のたゆみ方だって何もかもが違う。きっと感触も違うんだろう。その至極当たり前のことが、冷静さを欠いた今、とてもエッチなことに思えてならなかった。
興奮は一瞬のうちに極限へ達し、
「すご……。もっとみせてよ」
気づけばそういいながら屈んで、露出した小さな亀頭へ顔を近づけていた……。もうだめだった。友だちに「変態」って罵られてもいいや、仕方ないやって、思った。昂った気持ちは熱く激しく、14歳の理性でどうにかなるものじゃなかった。
「そっ、そんな見るなよぉ……。恥ずかしいだろ……。おいユーミ、おまえ、なんかヘンだぞ……」
目と鼻の先にあるかわいらしいチンチンにくらっときて、目を回しそうになりながら、鼻をスンスンと、二回ほど鳴らしてしまった。
「ふぁ……へんなにおい……」
「コラ匂うなあっ!!」
「イテッ」
これも自分のと似たようでやっぱり違う、独特のしょっぱい刺激を伴うにおい……。
「いっとくけど、ちゃんと毎日洗ってるからな……!」
イブキはぼくを見下ろして、不服そうにいった。頬をりんごみたいに真っ赤にして、すばやく皮を戻してパンツまであげる一連の動作が、ぼくの奇行度合いを物語っているようでもあった。
「だったら心配しなくてもそのうち大きくなるんじゃないかなあ」
なんだかテキトーな返答をしてしまい、あまり頭が回っていない気がした。そんな状況だったけれど、
「ん、あれ? ねえイブキ……もしかして、勃ってる……?」
きちんと異変に気付けるのは、イブキのカラダに興味津々で感覚が敏感になっているからなのか……。
青ブリーフのピコッと膨らんだ一点を捉えて離さないぼくの視線。
「してないっ!」咄嗟に覆い隠すイブキの手はプルプル震えていた。
「してないよ……」
肥えたお尻をこっちに向けて、ボソッと……。尻尾まで芯が通ってピンピン……もう、かわいいやつだなぁ。
「絶対してるじゃん。もう今さらって感じするし。もっかいさ、見せっこしようよ」
どうしてそんなことをいいだすか、もはやわからなかった。というか、さっきからそうだ。体も口も、頭で考えるより先に動いている。イブキはこんなぼくを見て若干引くかもしれない。距離を置かれるのは嫌だな……。
「ぼくも勃ってる。見る?」
不安な気持ちをよそに、それでも見たかったのだ。イブキのかわいいアソコがちょっぴり勇ましくなった姿を、どうしても……。たとえ自分の痴態を晒してしまってでも、変態扱いされようとも……。
振り向いてくれないイブキに、
「見たいんじゃないの、ぼくのチンチン。今日しかないよ?」
悪魔の誘惑を振りかざすと、
「ん……み、見る……」
イブキは案外あっけなく、おずおずとだけど“取引”に応じる。ゆったりとした動きで(尻尾はハタハタさせて)ぼくの方を向いてくれた。
おろしたてのパンツはまだ馴染んでいないのか、ぱりっと窮屈そうなテントを張っていた。パンツの上からでも推測できるおおよそのサイズ感に安心するとともに、むず痒い嬉しさが再燃した。
ぼくらはもう一度立ったまま向き合う形になり、互いの膨らみを熱っぽい目で見下ろす……のはさっきと同じ。
恥じらいを覚える間もなく、同時に下着を脱いで性器を露出させた……。
硬い棒が布地に擦れて、ぶるっと、勢いのよい音を立てる。ビンビンに張って硬くなった二つのチンチンが、まるで今から決戦するかのように向かい合わせになって、
「わ……エッロぉ…………」
「かわい……」
ドックン、ドックン、バクバク。一目見るだけで心臓の音がうるさく邪魔をして、呼吸するのさえ難しく感じられた。実際、息が詰まりそうだった。それほどまでに、親友の大きくなった秘部に興奮を抑えきれず、欲情すらしてしまっていた。
イブキのもぼくのも、完全に勃っても先まで皮が覆っているのは変わらなかった。剥き慣れていないのか、イブキの方がすこしだけ皮が余り気味で未熟な印象だ。長さと太さもこっちに分があったけれど、平常時から想像するよりもけっこう立派に見えた。
「ぴくぴく動いてんね……」
地面と平行に伸びた、短いそれは何かを求めるかのごとく、ひくんとうごめく。
おしりの穴をキュッと閉じ、ぼくも動かしてみせた。
「ちんこ、すげー動く……」
可動域はけっこう大きく、角度がぐっとせりあがってお腹の方へ向く。
もう何も失うことのない状態でフル勃起を大っぴらに見せつけるのは快感だった。サイズ差を誇示するようにチンチンをピクピクさせてやる。何度も何度もやっているうち、先っぽから液が漏れる感覚があった。
「手で握れる?」
我慢できずに、いきり勃って熱っぽい棒に手を当てがい、
「シコシコするとき、手でさ、こう、やってる?」
重ねてぼくは訊いてみた。ピンクの中身が露出しない程度に軽く扱きながら……。
「おれ、指派……。握るほどデカくない……こんな感じ」
イブキも同じく皮がめくれない程度に、指全部を使って前後にくにゅくにゅし始めた。乱れる息づかいを殺しているのがわかって、
「ね、ちょっと剥いてシコシコやってみせてよ」
また調子に乗ったお願いをしてしまう。だって、今日のイブキ、エロくてすっごくかわいいんだもん……。恥ずかしいところ、もう全部、余すことなく見せてほしい……。ぼくの頭は、そんな淫らな欲望一色に支配されていた。
「そういうんならユーミも見せろよな……」
「もちろん」
怒張したチンチンを摘み、根元の方に皮を引っ張るイブキ。さっきよりも包皮がキツそうにめくれていって、充血した亀頭がゆっくりと露出していく。
(なんか、アンバランスだ……)
やがて剥けきって、うっ血気味の皮がマフラーを巻いたみたいにカリのところへ引っかかったチンチンを見て、そう思った。先端の割れ目には露ができて、今にも糸を引いて垂れだしそうだった。まるで子どもを無理やりオトナにしたような……未熟と成熟が無理に入り混じって、痛々しさすら感じる性器に、喉がゴクリと鳴る……。
ふう、はあ、と舌を出して、イブキはいってたとおりに指全部を使って、刺激を再開する。被っていたときよりも激しくイジって、皮を戻したり剥いたり、人差し指の肉球で亀頭を擦ったりなんかもして……。
「はっ……、はあっ……んん……っ」
吐息と、くちゅっと湿っぽく淫靡な音が、狭い部室に広がっていく。
(そんなエロい顔すんだ……)
いつまでもピュアで純情さを纏っていた幼なじみ。どこか甘くて幼い顔つきと声質の割に、五人兄弟の長で頼れるお兄ちゃん。スポーツ万能で、器用で、気のきく優しい親友。そんなイブキが、今、目の前で気持ちよさそうにオナニーに興じている。ぼくの中のイブキ像が、ものすごい早さで崩れていく。
ぼくはイブキのことを知った気でいて、全然知らなかった。イブキはもう、ずっとオトナになっていたのだと気付かされた。自分と同じように、性器をイジくって、オナニーをするんだ……。目を疑うような事実に、頭に血がのぼってぶっ倒れそうになってしまう。
「はふうっ! ユーミもっ……!」
我を忘れて見入っていたぼくだけど、約束はきちんと果たそうと思う。
普段しているようにチンチンを右手で握り、皮をずらす。既に先走りで中がヌルヌルになっていたから、剥けるときの感覚がいつもと違った。パンパンに膨れ上がって、真っ赤な亀頭が空気にさらされ、早くもイってしまいそうだった……。
射精したい欲求をなんとか抑えて、チンチンを扱く。
イブキは息子をイジる手を止めることなく、しきりにぼくのとを見比べ、「交換してくれよ」とつぶやいた。
「あ、あげないよ」
羨望の眼差しを向けられてチンチンも気をよくしたのか、先走りがトプッと溢れて床に垂れた。
「……やらしーちんこだ……」
「イブキこそやらしいよ。なに、触ろうとしてさ……」
「えへへへ……。いい?」
恥ずかしくて「うん」がいえず、小さく頷いて同意を示す……。今まで人に触られたことなんてなかったから、正直なところちょっと怖かった。だけど恐怖以上にぼくだって触りたい……イブキのチンチン……。
「さ、触るぞ……」
ゆっくりと伸びてくるイブキの手に、心臓が激しく縮む。ドキドキが収まらないのに、チンチンは触れてほしそうに勝手にピクンと跳ねる。
「あっ!」
剥けたままの敏感な状態で、下からそっと握られ、情けない声が漏れた。
「すげー……握れる……。握っても余る……おっきい……」
「ん……っ」
意図しない、コントロールもできない刺激は反則級だ。イブキはチンチンの皮を被せようと先端に向かって何度か扱いてきたけど、先走りで刺激された亀頭は大きく膨張していて、うまいこと包皮が被さらなかった。普段は嫌でもすんなり戻るのに、そんなことは初めてだったので、ぼくは変に興奮してしまった。
「うおっ、ユーミがズルムケちんこに……!」
「んわ、ちょっ、イブキ触りすぎ……っ」
自分だけこんな目にあってちゃ不公平なので、なんとかイブキのそれを触りかえす。
「ん……やば……きもちい……」
ヌメヌメでガチガチに固いそれは手で握るには小さかった。ぼくの手が大きいのもあると思う。そっと手で包み込み、指に力を込めてギュウっとやると、
「いっ、ひやあっ、やめ……」
「痛くない? だいじょぶ?」
「いっ、いたく、ない……けど……、んあっふ! おれだめだぁ……!」
イブキは高くかわいい声をあげた。形勢逆転だ。イブキが手を離したのをいいことに、ぼくは腰をぐいっと突き出し、チンチンとチンチンをひっつけた。大量の先走りにまみれた亀頭同士が糸を引き、透明な粘液を互いに受け渡す。
「ユーミなっ、何してん、ふあああああ!?」
逆にイブキは腰がヘコッと逃げて、チンチンも快感を拒むように動いた。でもそれは、本当に嫌がっているわけじゃない。
「何って、キスだよ。ほらほら、逃げないで」
ヌルテカになったイブキのチンチンを掴んで、くちゅくちゅ揉んでやる。揉みこんで、扱く速度をあげて……それだけに飽きたらず、ぼくは自分の根っこを持って、イブキのかわいいサイズのそれにベチベチと叩きつけた。
「ひ……やぁん! だめだめえっ、んふあっ!? 皮……戻っちゃ、からぁ……!」
「あ、被っちゃった。剥くよ?」
すっぽり被って、先っぽのすぼんじゃった子どもチンチン……。指を絡めて、タマの方へ、ぐぐっ、ずりゅっ、と……!
「はふッ! んんんんんっ!!」
再び剥きだしになった先端部をしきりにひっつけ、先走りを塗り込むように、二本を同時に扱きあげる。
荒く乱れた吐息も、ヌトヌトに粘っこい汁も、イジる音すらも……どっちがどっちのものか、判別がつかない状態だった。
ぼくらは次第に身体もひとつにして、のぼりつめていった。
「んくっ! ゆ、ゆ……う、みぃ……!!」
「ど、どうした? もう出る、か……?」
「んっ、あうぅ……おれ、もぉ……イきそ……! ちん、こ……もぉ、いやだぁ……触ん、ない、でぇ……!」
「……なん、だ……弱いな、あ……イブちゃ、ん……っ、かわいいっ、なぁ……!」
「あっあっ、ゆう、みぃ……いっ、一緒に……ふあっ、……ゆ、う……みぃ……!!」
変声期前の甘っぽく、とろけた声で名前を呼んでくる。ほかの言葉を忘れちゃったみたいに、何度も……。ぼくはもう、胸がきゅんきゅんと疼きまくって、いよいよ限界を迎えて破裂する寸前だった。溢れる愛おしさを何かに変換しないとやばい。おかしくなってしまう。そう直感した……。
精を飛ばしてしまいそうになりながらも、辿りついた答えは――
「んあっ、ふんっ……んんんんんーッ!?!?」
口の中に、イブキの喘ぐ声が響いた。
初めてのキスはあまりにも熱く、頭をひどく混乱させる。どうすればいいかわからなかったけれど、本能的に舌を絡ませて、イブキを味わおうと口内をまさぐった。噛まれるかと思ったけど、イブキは噛まなかった。最初ガチガチだった舌も、徐々に柔らかくほぐれていって、ぼくを優しく受け容れてくれた。イブキとひとつになっている間、視界は真っ暗だった。
愛おしい気持ちと快感が重なり合って、もう果てるってとき、イブキの大きな身体がブルブルと震えだした。
(イブキもう限界か……! ぼくも、そろそろ……っ!)
ぼくはイブキを接吻から解放して、
「んっ、はあっ! ゃ、だめだぁ、もおっ……ひぐ、イっちゃうぅ……!!」
そっと抱き寄せ、思う存分イかせてやった。
「んあぁああああっ、ぐ……ッふぅ、ううううううぅぅぅ……!!」
ビュッ、ビュッと、精液が勢いよく、腰回りや太もものあたりに打ちつけられる。
(あっ、イブキ……射精……してる……!)
肩を貸していたので、射出の瞬間は見れなかったけれど、断続的に続いた生温かい感触が親友の絶頂を伝えた。
気持ちよさそうな射精に呼応して、ぼくもすぐにでも果てるってとき、
「はあっ、ふう、はあっ……ゆうみも……、んふーっ! い、いっしょに……いこっ?」
(…………っ!?)
射精を終えてぐったり脱力したイブキが、最後の力を振り絞るようにチンチンをそっと握ってきた……!
「だっ、めええ……っ! にぎっちゃ、いやあっんっ、ん! 出る出るっ、いくぅ……!!」
……ひどく情けない声をあげて、ぼくは果てた。
イブキの手の中で痙攣がおさまらず、何度も精を吐きだして、ついにはボタボタと床に垂らした。感覚的には一分……。本当の時間はわからない。だけど、それくらい長いこと射精が続いて、チンチンから精液が漏れていた……。
いつの間にか、ぼくの方がイブキに縋るような形になっており、
「はあー……気持ちよかったな……。なあユーミ、どおだ? 気持ちよかったか? 落ち着いたか?」
と、気にかけられたりなんかもした。
……全部を出し切ったら、なんだか急激に恥ずかしくなってしまい、しばらく言葉を発せられなかった。イブキの肩でうんうんと首を振るのが精一杯……。だってぼく……同性の友だちに……き、キスを……。
ともかく、今はイブキの顔を見るのも、自分の顔を見せるのも無性に恥ずかしかった。
そして冷静になってからの一声は「ごめん」だった。
強引にやりすぎたって、全て終わってからばかげた反省……。
「ん? なんで謝んのさ」
イブキはぼくを離して、ふしぎそうな目で見つめてきた。
けっこう派手にイっておきながら、イブキは平然としている。ぼくのやってきたことに引いてる様子もない。あんなにかわいかったのも嘘みたいだ。余韻とか、賢者タイムとか、そういう類はあまりないタイプなのかもしれない。
「それよりコレ、見てみろ!」
イブキは床を見て、嬉しそうな声をあげた。
「すっごいなぁ。おれたち二人でこんなに出したんだ。部長が知ったら怒るぞー? 謝らないとな!」
その声でようやく、惨状に目を向けることができた。床だけじゃなくて、お互いが身体に放ち合った、白く濁った痕跡にも……。
「これ、イブキが出した分? 出しすぎだ……」
被毛にべっとりかけられた精液を手にとってみて、その量に驚いた。
チンチンばっかり見ていたけれど、タマはイブキの方が高性能で、サイズも大きそうだった。射精後も、だら~んと弛緩しているイブキのボールが勝ちを誇っているように見えて非常に憎たらしい……。
「たは! 初勝利で勝ち逃げだぜ!」
「……なんでずっと競ってんだよ?」
それはぼくもそうなんだけどさ……。
「それにしても、においキツイな……」
「だなー……後で換気とファブリンやっとこ。はやみんごめんっ、借りるな?」
身体に飛んだ精液を拭いたあと、ぼくたちは、このきれいな部室の主を(罪悪感とともに)頭に思い浮かべて、後始末に励んだ。
ベタついた床を拭いている間、もうちょっとさっきみたいな時間が続けばいいのに、また次があればいいのに。なーんて考えて、ムラっときていた。だから、
「な、なあイブキ」
「うん?」
「悩みはもういいのか?」
わざわざ掘り返して訊いてしまったのかも。
イブキはバツが悪そうに照れ笑った。
「悩んでても大きくなるわけじゃないもんな。気持ちの問題だから、あんまり気にしないようにする。……あんまりベチベチやられるのは傷つくけどなっ!」
「ごめんってば。調子乗りました……」
「まーいいけどっ。そんで、ユーミさ、性格変わるよな。知らない一面を知ったぞ」
「イブキだって。あんなにかわいい声だなんて知らなかったし、いっぱい出すし……けっこうエロいんだなって……」
率直すぎたので、ぼくは(何いってんだ)と発言を後悔して、再び床の掃除を再開した。イブキのおっとりした視線から逃れたいがために……。
「なんでもない……」
イブキがだんまりだったから、たまらなくなって取り消したくなってしまった。
そして何秒か沈黙が続いたあと、
「……ユーミさえよければ、またやろーぜ?」
床と睨めっこしたまま、ぼそっと、確かにそういったのが聞こえたとき、ぼくはバッと顔をあげてイブキの方を見た。イブキはまた、無邪気さをたたえた微苦笑をぼくに向けていた。
かわいくて、愛おしくて、そして気恥ずかしくて――言葉での返事ができなかった。
こんなとき、尻尾って便利だ。時々本当に付いているのか自分でもわからなくなるほどの短いシロクマ尻尾が、ピンと張りあがって、ピコピコ忙しなく揺れた。
イブキはぼくのメッセージに、ちゃんと気づいてくれる。
ぼくの目には、黒くて長いバーニーズの尻尾が元気に振れるさまが写った。
「「へへへ……!」」
******
(あれからもう、半年以上になるんだ)
日数だとだいぶに経っているのに、記憶は今でも鮮明だ。
あの日、陸部の部室でやったことがぼくらの分岐点になった。甘いエッチな思い出も、苦くてつらいことも含めて、ほんとうに――いろんなことがあった。
ゆらゆらと記憶や思考の断片が現れては消えていくなか、目を瞑って、改めて耽ってみた。あまりよくないことだなと、気付きつつ。
どうだろう。キスなんてしなかったら、イブキの気持ちに変化は起こらなかったのかな。軽々しく「かわいい」なんて口にしなかったら……。因果が巡りめぐって、イブキが骨折することも、部活を辞めることもなかっただろうか。しょうもないすれ違いや喧嘩も起こらず、クマキチを泣かせずに済んだかもしれない。
けれど、そんな世界があったとして、現在の想像がつきにくい。うーん、つきにくいといっても、日常が変わり果ててるわけではなさそうだし、そこはやっぱり、今と同じような温度感なんだろうなってのは、なんとなく想像がつくけれど。
もっとも、誰よりも優しく接したいって気持ちを知ることはなかっただろうなーって、これだけは確かに思う。
友だちのままで数々のわだかまりを乗り越えられてきたからこそ、得られたものがある。それがこの優しい気持ち。ことあるごとに灯って、イブキと過ごす時間を経るごとに膨れあがっていく、ぼくだけの、誰にも見せちゃいけない宝もの。
すんなり恋仲になっていたら……って、もしの話はあまり建設的じゃないな。だって、ないんだもん。ないことを想像して、脳みその容量を圧迫するのはもったいない。眠れなくなるだけだ。
わかってる。何もかもわかってる、けど……。
「イブキ……」
朝がくれば、また会える。いつもどおりが心を満たしてくれる。
今日だって会ったばかりなのに、こんなにもひとりぼっちを感じるなんて……。近いはずのイブキが、今は手の届かない遠くに離れていくようで、ぼくはどこかおかしくなっちゃった……。
お月さんのせいだとしたら、大嫌いになってしまいそうだった。
やり場のない孤独が埋め合わせをしようと、思考を傾けていく……。
(やめろ……。もう考えるな……)
考えまいと必死に振り払っても、“もしも世界”への願望は止められなかった。
妄想してしまうのは、ウソをつかなかった未来。イブキのしてくれた告白に「ぼくも好きだよ」って応えることが叶った世界。
イブキと恋仲になれた世界は、今より輝いているのかな?
友だち同士よりもいい顔で笑い合えてるかな?
コイビトとして繋ぐ手は、きっとあったかいんだろうなあ。
…………。
……。
「イブキ……さみしいよ……」
さみしい気持ちは認めてやると涙に変わる。ぼくはすぐに(あのときの続きだ)と、泣きながらほんのり懐かしくなった。
まだ、ぼくの中にいたんだね……。
イブキもこんな気持ちと戦ったのかな。それともまだ戦っていて、和解してる最中なのかな……。
別れはつらいよ……。
こぼれた涙は被毛を流れて、布団に染み込んでく。あっけなく消えていって、長かったぼくの恋はようやく最期を遂げることができている――そんな気がした。
月に願いを託す気持ちで、ぼくはもう一度、窓辺のそばに佇んだ。
もう月光は、カーテン越しに見えなくなっていて、開けても姿はどこにもなかった。だけど存在自体は強く感じる。山とか、家の陰に隠れているんだろう。
お月さんは、残った恋しさを連れていってくれないらしい。
……うん。その方が、それでいいのかもしれない。
そうだ。ぼくには優しくて、頼りがいのある友だちがいる。
イブキと――イブキと一緒に“さよなら”しよう。時間がかかったとしても、ゆっくり。
ベッドに戻ってしまえば、もうさみしくなんてなかった。
そして、見えなくなった月に「ありがとう」って感謝したまま、いつもより遅い眠りについた。
それなりに苦労した夏休みの先生生活がいったん終わると、季節は冬に向かって一直線に進んでいく。
体育祭と文化祭はつつがなく終わり、残っているイベントといえば、来月に控える修学旅行くらいだ。冬の気配と共に、もの淋しさを感じるようになってきた。
しかしなんたって、修学旅行は楽しみだ。今年は念願叶って三人同じクラスになれたから、一緒の班で寝泊まりできるのだし。まあ、それが終わってしまえば、いよいよほんとの受験生になるわけだけど。ならざるを得ない、というべきかも。うーん、なかなかつらいな。
クマキチのやつは今ごろ勉強頑張ってるかな。それとも、後輩の指導で疲れコケてもう寝てるか?
前者だといいけれど、後者が濃厚かなー……。季節柄、体調を崩しやすいから無理しないことが一番だ。健康でさえいれば、勉強の方はぼくがなんとかしてやればいい。
寒くなるにつれ、湯船に浸かる時間も比例して長くなるもので、くらっとのぼせる寸前まで考えごとに耽ったりしていた。
つい長湯してしまったぼくは急いで風呂からあがり、縁側で涼を取ろうと思いたった。
台所へ行き、牛乳をコップいっぱい注いで縁側へ持っていく。窓を開けると、暗がりの中、庭の虫たちはいかにも秋っぽい声で「我らが秋の主役だぞ」と主張する勢いで鳴いていた。
夜の寒さが乾ききっていない被毛を掻き分けて、ほてった体に心地よくしみこむ。
虫の声と、わずかに聞こえるご近所さんの生活音に耳をすませながら、
それにしても、今年の体育祭は色々とアツかったなぁ。
などと、今度は残暑のキツかったひと月まえのころをしみじみと思いだしていた。側から見れば、今のぼくは、秋の夜の優雅さに浸ったのんきなシロクマおやじに映るかもしれない。そう思ったりしながら。
いったい何がそんなにアツかったのかというと、閉会式前に行われた部活対抗リレーだ。あれは本当に、今まで生きてきた中で間違いなく、最も血湧き肉踊る瞬間だった。なにしろ、一度引退した三年生がその日限定で舞い戻って、部の意地をかけて級友たちとガチンコで争うのだから、情熱的になれないわけがない。
誇張抜きに、ぼくは柄にもなく終始、大・大・大興奮していた。元所属の水泳部以外にも、クマキチのアメフト部と、イブキの陸上部のことも大声張り上げて応援をしたし、なんなら最後には情緒がヤラれてボロ泣きしてしまった。それに、二度も……。
ひと月経った今でも、部員たちの想いを背負って懸命に走る姿が、本気の顔が脳裏に去来していく。思い出すだけで泣けてくるもので、興奮冷めやらぬとは、まさにこのことだ。
もちろんぼくも部の代表として全力で走った。あんなに誰かのために走った200メートルは初めてだった。追い抜いてやる、負けるもんかと、全身に力を込めた数秒間は、しっかり「先輩」としての矜持を示せていたと思う。結果は別にして、ぼく自身が、あの時の自分を肯定してやれるだけの勲章を持っていると思えるのだから。
だけれどやっぱり、もっとも泣けたのは、親友の――イブキの“あの言葉”だったなぁ。
陸部は惜しくも二位だった。アンカーのイブキが三位から怒涛の追い抜きを見せつけ、ゴール前あともう一歩前に出られていたら……と、そんな具合のデッドヒートだった。
絶対的な順位は二位だけど、一位よりも圧倒的に輝いていた。少なくとも、ぼくは胸を張ってみんなに宣言できる。それくらい、親友として誇らしい気持ちだった。
ぼくはイブキの走りが大好きだ!
現役選手としてのイブキはまだまだ健在だった!
――その再確認もできて、たまらなく嬉しかった。
勇姿を見届けたその時点で目と鼻の奥がじんじんときていたのだけれど、閉会式の始まる前にイブキの元へ行ったとき、人目も憚らずに感泣してしまった。
悔しがっているだろうイブキを励ますつもりだった。いや、今冷静に振り返ると、そんな高尚な心づもりさえなかったかもしれない。
言葉を用意している時間はなかった。ただ、あの時のぼくは、いち早く、イブキに何かを伝えたかったように思う。それはやっぱり「カッコよかった」とか「一等賞だったよ」とか、他愛ないけども照れくさい、頑張りに寄り添うための言葉〝だった〟に違いない。そう、過去形でいったとおり、それは叶わなかった。伝えるよりも前に、ぼくはだめになってしまったから。
イブキはぼくがいうよりも先に、ぼくに気づいてこういった。
「あー気持ちよかった! 走るのって、やっぱりいいな!」
大柄な体型なのに、耳も垂れていて声も高いから、ひとつ年下のような幼さを感じさせるバーニーズマウンテンドッグはくよくよしていなかった。思っていたよりもずっとたくましく見えた。そのタフさにぼくは圧倒されかかっていた。
「サイコーの走りができて楽しかったぜ!」
イブキはとびっきりの笑顔で、息を弾ませながら「ユーミもそう思うだろ!?」と続けた。悔しさを見せまいと、いつも以上に気丈に振る舞っているわけではなさそうだった。ほんとうに、心からの、陸上選手としての生の声だった。
「……うん」
たった一言しかいえなかったこのとき、既にぼくは言葉を失っていたと思う。いい意味で。
胸の奥深いところで生成されかけていた“伝えたかったこと”は失われ(要するに、ぼくが寄り添う必要はなかったというわけだ)、それと入れ替わるように、
イブキよかったなぁ……!
という気持ちが、ぶわーっと、ものすごい勢いで湧きたった。自分でも驚くほどに、ピュアで優しい気持ちだった。だから、けっこう沁みたのかもしれない。
ぼくは衝動的にイブキに抱きついていた。そうするしか、なかった……。
「お、おぉっ……!? ユーミ……?」
涙の出る仕組みは複雑なようで単純だ。たぶん、このときのは、感情を受け止める器官のキャパオーバーといったところで、生まれた感情がぜんぶ涙になるとか、とにかく脆い状態だった。
いいたいことは他にもいろいろあったはずなのに、想いは「よかったな」という言葉に一律変換された。ぼくはイブキに背中をさすってもらいながら、「よかった」と涙声でこぼし続けた。
「ああ、よかった」
イブキは抱擁を強めて応えてくれた。ぼくはもっと泣いた。
「ユーミは優しいな。さすが、あいつのお兄ちゃんなだけある」
涙の理由は聞かないでいてくれた。口にしなくてもわかってるぞと、そういわれているみたいだった。
ただ、山のように、どっしりと受け止めてくれた。縋られて、受け止めてやるのはぼくの方かもしれなかったのに……。
イブキはこの時、まだ泣かなかった。タフなやつはどこまでもタフなんだと、暑苦しい中、イブキの体に顔を埋めながら思い知らされたものだ。
ぼくはイブキの〝事情〟をぜんぶ知っている。イブキはそのことを知っていて、だからぼくが繰り返しいった「よかった」の中身も、ちゃんと伝わっていたのだ。
(よかったなあ)
気づけば、コップの牛乳はなくなっていた。閉会式前の一幕を思い出してはけっこう長いことしんみりしていたらしい。
こうして夜にひとりで寛いでいるとき、思い浮かべるのがイブキのことだというのは、なかなかによき友に恵まれているな、という気になれる。小学校からの長い付き合いなのもあるけれど、イブキとは本当にいい縁がある。
高校は別になってしまうのがずいぶん惜しいけれど、こればっかりは仕方ない。同じ森河原高校を目指すぼくたちクマ兄弟(命名はイブキ)と違って、イブキは清桜ヶ丘高校の推薦枠を狙う。イブキの実力であれば、一般受験でも十分合格圏内のはずなんだけど、そこはカテイノジジョウというやつだ。
本人曰く、推薦でさっさと合格キメてやることやる、とのこと。理由はだいたい察しがつく。そうだよな、お兄ちゃんに休みはないもんなぁ。と、まあ、ヤマシロ家はいろいろと複雑なのだ……。
それでも、ぼくら三人は高校に進学してもきっとイイ感じにやっていくんだろう。予感めいたそれはぼく個人の密かな願いでもある。
(絶対、そうしよう。ぼくから誘ってでも、イブキたちとは……)
そんなことを考えていると、遠くでイブキたちの声が聞こえてくるような気もする。ユーミ、ユーミ、とぼくの名を呼ぶ声が頭の中に響けば、忙しない日常にゆるやかな幸せがやってきた証だ。
そのとき突然、家電の鳴る音が廊下の方から聞こえてきて、思考は中断された。
なんだ、あいつ、まだ寝てなかったのか。リアルに呼んでたんだな……。
母さんが、
「悠海、電話ー」
と呼ぶ前にささっと腰を上げ、廊下へ急いだ。
いつものことだ。9時半をまわろうとしている時刻に電話をよこしてくるヤツなど、この世で一人しか知らない。
明日のアレでお困りかな。あたりをつけながら電話に出る。
「おお、起きててくれたかユーミぃ!」
わざとらしい一声だった。そのいい方だと、ぼくが先に寝るのが常みたいだけど、まったくそんなことはない。わかった上でふざけているのだ、照れ隠し的なやつで。
「クマキチのために、こんな深夜まで起きて電話番してるんだよ」
皮肉をぶちかましてやると、クマキチは、
「シンヤだぁ? まだ9時半だぞぅ?」
電話の向こうでハテナマークを飛ばしており、予想どおりの反応をしてくれた。
「クマキチにとってはほぼ深夜じゃん。どうせ明日提出のやつで寝れないほど困ってんだろ」
「でへへ」
「でへへじゃないんだよ。なに、どこで詰まってんのさ」
クマキチの先生は文字どおり常勤である……。夏休みが終わっても、実はこうして常勤講師として面倒をみる役割が続いていた。途中でやめるわけにはいかないし、なんなら好きでやってるから別にいいんだけどね。
なんだかんだ雑談もしてしまい、電話が終わった頃には11時が過ぎていた。普段そんなにおしゃべりじゃないのに、どういう訳か電話越しだとケッコウ饒舌になる。面と向かってじゃ絶対口にしない、シモの話をしてきたこともあって、ぼくの方が焦ったっけ。小声でぽしょぽしょと報告してくれるのはちょっとかわいかった。
変なヤツだなって思うけど、向こうにいわせると、用件をお見通しなのは「エスパー通り越してヘンタイ」だそうで。決してぼくがすごいのではない。クマキチが単純なだけだ。意味がわからない。
まあでも、頼られてるうちが華というか、一人で抱え込まれるよりいいかな。もっとも、あいつが一人で悩むなんてことはなさそうだけど……。
良くも悪くも行動が先で、考えることが苦手なのだ。どんな些細なことであれ、共有してくれたり、頼りにしてくれるのは逆に安心できてしまう。かわいがられるタイプって、ああいうやつをいうのだろう。
ぼくはそんなことを考えながら、寝る準備を済ませてベッドに入った。
(ん? 外……なんだろ?)
体を横にしてすぐに違和感があった。カーテンの外がやけに明るいのだ。
新しく街灯が取り付けられたのかもと思い、カーテンを開けると、まん丸で黄色がかっている、立派な満月が見えた。カーテンを突き破って射し込んでくる月明かりなだけあって、今夜の月は力強さに満ちた輝きを放っていた。
縁側だと見えなかったけど、そうか、今日は満月の日だったのか。
(きれいな月……! こんなに立派なのは久しぶりだ)
麗しくも妖しい……ふしぎな月に見惚れていると、眠気をもっていかれるようだった。きれいな満月が放つ月光って、そんな力があるかも。
案の定、目が冴えてしまって、
(クマキチとイブキも気づいていればいいのになぁ)
……とか考えてるんだもん。なんなら、教えてやりたい。教えるだけじゃもったいなくて、許されるなら夜に抜け出して三人集まれたらきっと楽しいだろうと、仰向けになってまた二人に対して思いを募らせていた。
ぼくはもしかしたら、今、さみしかったりするのかもしれない。さんざん話し終わった後だというのに。
真っ暗な時計の文字盤と針がひどく歪んで見える。目を細めて、今日はまだ明日になっていないことが確認できた。なんとなく、今日の夜はいつもより永いぞ、という気がした。
そうして段々と、ぼくの考えることは、さらにしんみりとしたこと――つまり、部活リレーが終わったそのあと、閉会式後のことになっていった。
ぼくら白組は優勝だった。
三人揃って汗と涙と砂埃を身にまとい、今日のハイライトについてあれこれ喋りながら歩いて帰った夕暮れ。消耗して確実にヘトヘトだったはずなのに、テンションだけは嘘みたいに高く、体も負けじとついてきた。
その頃にはもう、イブキに対するあの異様に優しい気持ちはいくらか鎮まっており、普段の調子で、
「イブキはしばらく英雄かー。いいなあ、そういうの」
などと、活躍ぶりを羨ましがったりできていた。
「なぁー。おれなんてバトンミスっちまってよぅ……イノッチに悪いことしたぜ。イブキは最初から最後までカッコよかったよな!」
ぼくとクマキチが誉めたのを、イブキは「よせやい」といって照れた。
「女子たちもカッコいいって、いってたぜぃ」
「うん。キャーキャーしてたね。モテるじゃん」
「えっ、誰誰? 誰がいってた!?」
「どうするよ? 明日とか急にコクられたらさぁ?」
クマキチは誰がいっていたか、には答えず、照れているイブキに追い討ちをかけるように煽る。
「ないないないっ! あるわけない!」
過剰に照れて……というより、もし自分の身に色恋沙汰が降りかかっては困るといいたげな、なんともイブキらしい反応だった。そのくせ、女子の正体も案外気にしたり、挙句ちょっと赤くもなりやがって、どっちなんだよ……。
手振りを大きくしてイブキはいった。
「おれはそういうのとは縁がないんだって。そもそもデカくてモサいのはモテないんだって、なあクマキチ、おまえもよおく知ってるだろ?」
「まあなー。しゃーないってやつだぜ」
道端の小石を軽く蹴飛ばしたクマキチはまったくのノーダメージというふうに、ケロッと事実を受け入れた。
クマキチはともかく……イブキに関してはそうでもないんだけどなー。むしろ女子人気は高い方だと思う。男子の中じゃダントツに甘みのあるフェイスだって噂されてるの聞いたことあるし。女子のいう「カワイイ」の意味は多岐に渡るし要注意ワードだけど、そういわれていたことだってある。そもそも女の子は外見以外のとこもしっかり見てるもんだ。
根拠はそれだけにとどまらない。学校生活を長いこと送っていると、その手のイベントに遭遇することもある。ぼくが経験したのは、いわゆる告白の仲介役ってやつだった。
イブキがゲイだと知っていたので、ぼくは勘弁してくれよという気で、なるべく穏便にことを片付けた……つもりだ。相手には「ヤマシロ家には高校生になるまで恋愛禁止のルールがあって」という、咄嗟に思いついた方便で諦めさせ、一方のイブキには素知らぬ顔で突き通すといった具合に、仲介者としてあるまじき方法で……。
もし役割をまっとうしていたら、イブキは無理をしていたかもしれない。自分に遠慮をしてでも相手のためになろうとする。そういうヤツなのだ、ぼくのよく知るイブキは。
その状況だけは避けたかった。つらい思いはさせたくなかったし、ぼくとしても二人を見るたびにいたたまれない気持ちになっただろうな。
だから、そうした。誤りの最適解を選んで。
卒業してしばらくしたらイブキに謝ろう。
イブキが許すなら、その子にも本当のことを伝えよう。
と、まあ、悪いことをした自覚がありつつ、損な役回りを押し付けたその子にも非はある。ぼくはそう思っている。自分の気持ちくらい、自分で伝えるべきだ。傷つく可能性を回避して、人に気持ちを運んでもらおうとする魂胆は情けない。イブキはその点、オトコマエだったなあ……なんて。
ともかく、片想いされていたことを知らないイブキは非モテラベルを自分に貼っている、というわけだ。
「けど、わかるなぁ。走ってる姿、惚れ惚れするもんな」
「ユーミまで……どうしたんだよ?」
「どうもこうもないよ。ただ、ほんとのこと」
「走るのが早いやつはやっぱりカッケェよなっ!」
「お、おまえら……なんか、ヘン!」
足が速いやつはモテる、という噂があるけど、あれは案外正しい、と思ったりもした。当の本人は客観的に自分の走りを見ないので、そう思ったことはないのかもしれないけれど。根も葉もない法則を妥当だと思わせるくらい、イブキはみんなを虜にする走りを見せつけた。
イブキの走りはとっても魅力的だ。足が速いことに加えて、とにかく姿勢が洗練されている。
巨体で風を切り裂くような力強い走り。それでいて姿勢にブレがなくて美しい。いつもは垂れている耳は風圧で激しく揺れ、黒くて長い尾もスクリューみたいに振れる。尻尾の先は白いから、ちょっとした残像みたいにうつるのがかっこいい。
イブキの好きなところに、走る時の格好が上位で入ってくる。それほどまでに、ぼくは惚れているのだ。小学校のときから変わらずに、ずっと……。
中学最後の体育祭で見届けることができて幸せに思う。そこに順位は関係ない。二位でも一等賞だ。
アンカーをつとめたイブキはキラキラしていた。走り終えた後、あんなに楽しそうにしていたイブキは間違いなく果報者だろう。トラックの戦士として、報われた瞬間だったに違いない。だから「よかった」って、ぼくは……。
ぼくは……?
じゃあ、イブキは……ほんとうは?
…………。
一瞬、自分が二人に分裂したような錯覚を覚えた。“そう”思い込もうとして、二位を美談に仕立て上げようとしている自分がいることに気づいて。
思い出した。イブキのもとへ駆け寄ったとき、悔しそうにしていたら慰めるつもりだったじゃないか。なのに、あんまりにもカラッと、屈託のない顔で喜んでいたものだからぼくは真意を見抜けなかった。その可能性は大いにある……。
幽体離脱のごとく、俯瞰して見つめているもう一人のぼくは、そんなエゴの塊みたいな自分から目を逸らすように(否定したかったのかもしれない)、
「にしても終わっちまったなー体育祭」
クマキチと喋っていたイブキに、あまり訊いちゃいけないことを訊こうとしていた。
「ねえイブキ」
一度芽生えてしまったらもう引き返せない。ぼくは真意を確かめたかった。だけど、ストレートに訊くのはよくないと思ったので、フランクにつとめて、確かこのようなことを訊いたっけ。
――陸上人生、報われた?――
イブキに「うん」って、胸張って堂々といってもらいたかった。だけど、返ってきた答えは「わからない」だった。
「どうかな……。リレー終わって、ユーミが来てくれたときはいい終わり方できたって思ったかも。でも、ユーミごめんな。おれさ、やっぱり一位がよかった」
イブキは立ち止まって、最初、弱く微笑んでいってくれた。まるでぼくの心を読んだみたいに、素直であってくれた。
それでこそイブキのマインドだって、ちょっと安心してしまった。そして例のごとく、イブキの隠し事には、最後まで気づいてやれないのだ。悔しさと安心した気持ちがごちゃごちゃに混ざって、何もいってやれなかった。
「せっかくなら勝たせてやりたかったなー」
頭の後ろで両手を組んでそういったイブキに、
「勝たせたいって、なんかそれ、いいよなぁ」
クマキチもつられたのか同じポーズをとって、ぼくの思ったことを代わりに伝えてくれた。
「おれが取った一位で後輩みんなを立ててやれるの、カッコいいからな」
大人っぽいなあ。カッコいいなあ。今度はそう思って、目の奥がツンときた。
イブキの考えることはいつも大人っぽい。大人の定義はいくらでもあるけど、イブキを見ていて“大人っぽい”とは、自分の中に常に多くの人の存在があることと、あともう一つ、自分より他人を優先してやれる器の大きさのことだと思わされる。
だが、そんなイブキも、いつまでも大人でいられるわけではなさそうだった。ふいに空を仰いだイブキを見た瞬間、ぼくにはいろんなことがわかってしまった。
後輩を想う優しさが時間差で伝わってきたら、急激に目元がジワッと熱くなって、痛んだ。
「おれ、欲張りかな? 久しぶりに気持ちいい走りできて、あんだけみんなに喜んでもらってさ、ユーミにも『よかったな』っていってもらったのに、おれ……やっぱり一位がいいって、あんな辞め方しといて……そんなのっ、思っていいのかなあ」
悔しさに溢れて潤んだ声だった。
「一位で終わりたかったよぉ……! ユーミっ、クマキチっ、おれ……やっぱ悔しい……!」
いつもは山のようにタフで気高いイブキは、とうとう脆く崩れてしまった。堪えていた涙をこぼして泣きじゃくる姿は“らしく”なく、年下の弟みたいだった。不謹慎にもひどく愛おしく思ってしまい、どうにかして慰めてあげたくなった。だけど、終わって結果が出たものはどうしようもない。やるせなく思いながら、モラってしまい、せめてクマキチには見せまいとイブキを抱き寄せた。
ぼくよりも大きくて立派な体躯。柔らかくてすべすべな毛並み。脂肪の上にしっかり筋肉もあってアスリートの体つきだ。なのに、今は嘘みたいに小さく、弱く、空っぽのように感じられてしまった。
(終わってから今までずっと、こんな……こんな……!)
身体を受け止めてようやく伝わってくる、イブキの隠していた気持ち。
悔しくても悔しいって……口が裂けてもいえなかった。ぼくや陸上部みんなの――いや、白組みんなのためだ。今ならわかる……。
とたんに、胸がぎゅっと締め付けられる。痛さをごまかすように腕に力を込めてしまった。そうまでしてやっと、自分の中に押し殺していた、紛れもない本音に気づくことができた。
そうだ。イブキには、イブキこそ一位が似合う。キラキラで唯一無二の一位をとってほしかった。一位で一等賞のキミに「サイコーだった」って胸を張ってほしかった。ぼくはお疲れさまって労って、悔しさの溶けてない涙を流したかった。
「イブキ……!!」
そして確信した。ぼくらは二度目の抱擁にしてようやく、互いのもっともっと近い領域へ踏み込むことができたんだ。
ああ、結局――心のどこかで、こうなることを予想していたかもしれなかった。あるいは最初から望んでいたのかもしれなかった。
どうしてぼくはこんなにも、イブキに何かをしてあげたいんだろう。どうして、ぼくなんかを優しい気持ちにさせてくるんだろう。
「あたりまえ。思っていいよ。ぼくもイブキに一位とってほしかった。惜しかったもん。それでもね、カッコよかった。イブキ、よかったよ」
やっとこさ――言葉になってくれた。
濁りないけれど、形の定まらなかった気持ちは、イブキが確かな本音を見せた今、ようやく対等な形になることを許された。
「おっ、おまえらなぁ、泣くなよっ!! ちっくしょう、あぅ……おれまでっ……! イブキ!ユーミ!泣くなよおおおおおお!!」
クマキチのばかでかい声が妙に心地よかったのを覚えている。それはたぶんだけど、あいつも優しい気持ちを持っていたからだと思う。不器用なりに「前向けよ」って……涙を追っ払おうとしていた。ぼくとイブキをどかっと包み込んだ、力加減なんてあったもんじゃない腕もそんなふうだった。「泣くなよ」って言葉とは裏腹に、ふしぎと涙が生まれて止まらなくなる、大雑把で雑で、優しい腕だった……。ぼくは優しい弟がとても誇らしかった。
ぼくたちはやっぱり、イブキに優しくしたかった。
「おれ、高校で陸上部やるよ!」
涼やかな顔でそう宣言してきたのは体育祭翌日のことだった。当然高校の合格はまだ決まっていないし、まさか登校の道で告げられるとは思っていなかったから「気が早いなぁ!?」と、やや的外れな驚き方をしてしまった。その後すぐに、
「でも、そうやって目標作っとく方がいいよな。勉強にも熱入りそうだし。頑張れよ!」
そう応援したんだっけ。
クマキチもクマキチで、
「よっしゃ! その調子だぜっ」
「うおっ、ひっつくなよ~」
「遠慮すんなよぉ! 昨日はもっとこう、ぎゅー!だったぜ?」
「!」
「高校の体育祭呼べよー? また見せてくれよな~!」
復帰宣言への喜びを全身で表現していた。
さすがにもう、抱きついたりはしなかったけれど、内心すごく嬉しかった。
体育祭は絶対見に行こう。クマキチと行って、応援して、またあのすてきな走りを見よう。そう思って、ちょっとウルっときかけた。
「おまえらありがとな! おれ頑張るよ!」
きっとイブキならなんとかするんだろう。家のことも、自分のやりたいことも……。持ち前の明るさがどこかにいってしまわない限り。
人並みに弱い部分だってそりゃあるけれど、イブキはぼくらが思う以上にしっかりしている。
そういう健気なとこがあるから、支えてやりたいと思うのかもしれない。
「イブキが復帰するなら昨日泣いたのも報われるよ」
ぼくはつい自虐的にいっていた。
「ユーミが泣かせたやつな~」
「違うし。騒音レベル一番高かったくせに」
「なんだと! おれも泣かされた被害者なのに!」
「いやいや、自分の意思で泣いてたよ!?」
「まあまあ。全員同罪ってことで勘弁してあげたらどうだ?」
「おれたち罪なのかよぅ?」
「まあ、あんなとこで三人揃って泣いたらそうかもね……」
「ハハハ! 悪くない悪くない!」
イブキが笑うと、つられてぼくたちも笑った。
その日は朝からずっと心が晴れやかだった。そして、それからもぼくたちは心穏やかに学校生活を過ごしていった。
行事ごとがまた一つと終わり、学年全体が受験の空気に染まっていってもふさぎ込まずにいられたのは、どうやらイブキたちのおかげらしかった。
世界で一番優しくしたい。そんな思いを抱くようになった直接的なきっかけといえば、イブキのとある相談事から始まった一連の出来事に違いない。少なくとも、半年前についたウソがトリガーとなっていることには間違いがないと思う。
本当はこんな表現許されないんだろうけれど――簡単にいうとぼくはイブキのことをフった。自身に向けられた好意を「それは違うよ」って捻じ曲げて、摘んでしまった。
ウソにまみれたその選択は正しかっただろうか。悪いくせだと自覚しているけれど、こうして時々、取り返しのつかないことについて迷ってしまう。迷って、苦しくなって、胸がざわざわする。
「イブキ」
暗闇の天井へ右手を伸ばしたら、ふと口から漏れだした親友の名前。呼ぶと、今さらながらにとてつもなく愛おしくなってしまって、
(大好きなのに、ぼくは……)
心の隅に追いやって目を逸らしていたはずの、本当の感情が突然溢れてきた。それを認めると、後悔にのまれてしまうからひた隠しにしてきたはずなのに……。
イブキにウソをついた後、遅れて自分の気持ちにもウソをついていたことがわかって、つらかった時期のことを思い出した。
ウソをつくことはなんであれ、精神的にくるものがある。
イブキはぼくのことを好いてくれて、ぼくもイブキが好き。ならばもう答えは決まっていると思われるかもしれない。
だけど、好きだと伝えてしまうのは、つまり、告白を受け入れて恋仲になるのは違うという気がした。一度伝えて、関係が変わってしまったらもう二度と友だちとして側にいることはできなくなってしまうからだ。
ぼくがイブキに対してどうありたいか。
答えは、やっぱり「親友でありたい」だった。いくら親しくて好きだったとしても、“恋人”になることは未熟な感じがして怖かった。三年生にあがったばかりのぼくたちが、しかも男同士で恋愛関係になるなんて脆すぎる。簡単に歪みが生まれ、いずれ壊れ、修復できなくなる。そんな不安感が、今を守りたい気持ちが、告白された嬉しさよりも勝ってしまって。
だからぼくはこう思うことにした。ついたウソで、イブキの親友であるポジションを守れたのだと。おかげで幸せな今がある。そのことだけは確かで、訂正しようとは思わないし、そんなことは許されない。
イブキの親友はぼくであってほしい。ぼくじゃなきゃ、いやだ。
コイビトだなんてそんな大そうな、不相応なものはいらない。ただ、いつまでも一番の友だちとして、一番近くにいられたら……。そうして時折、好意に触れあえる瞬間があればそれでいい。そういうのが、いい……。
でも、ぼくは確かにイブキのことが好きなのだ。好きだからこうして今でも悶々と悩むんだ。どうして友だちと恋人って両立できないんだろう。もう、どうしたらいいのかわからない。その気持ちだけでも伝わればいいのになあって、思ってしまう。
わがままの対価ってのは大きい。ぼくはもう、イブキと相思相愛でも恋仲にはなることはできない。なにか一つを選びとることは、他にあった選択肢を捨ててしまうのと同義だ。だからぼくは選ぶのが苦手なんだ。
……今日はやたらと心が湿っぽく、しんみりしてしまう。恋しく、切なくて、チンチンのあたりがムズムズとうずく。そこと連動するように心臓の動きも勝手に早くなって、身体は意思とは関係なく体温を上げていく。
きれいな満月のせいだろうか。それとも、寒さに抗おうとしているせいなのかな……。
ヒクン、ヒクン、と何度も脈打って、トランクスの中で擦れながら(残念ながら皮を被ったままだけど……)ムクムクと大きくなっていく。快感とむず痒さが欲求をともなって襲ってくる感覚は、もう慣れているとはいえ、どこか新鮮ささえあった。
仰向けのままだとチンチンの逃げ場がなくてキツいので、体を横向きにして背を丸めた。足も曲げ、そこをベッドに押しつけて鎮めようとしたけど、無駄だった。刺激を与えれば与えるほど、おしりのあたりまで疼いてしまって、勃起が止まらなくなった……。
ぼくは布団の中でズボンとパンツを脱いで、熱を持ちはじめたそこを握った。硬くて、そしていつにも増して熱かった。
夜にイブキのことを考えるとこうなることは珍しくないんだけど……。やっぱり今日はなんだかヘンで、いつもより大きく膨らんでいる。
(ほんとはこんなの、よくないのに……)
自慰行為なんかで止まるほど、この切なさは浅くない。かつて止まったことはなく、むしろ逆で、したあとも解消しきれずに虚しさが倍になって襲ってくる。理性では理解できているのに、行き場のない性欲はどうにかして外へ出ようと暴れる。
「んっ……」
そのままぼくは、イブキと触り合いっこに発展したときのことをオカズに、チンチンを擦る手を止められなくなってしまった。
******
「今日の学校終わり、空いてるか?」
朝から妙に尻尾をそわそわさせていると思ったら、どうやら用があるらしかった。さっきまで一緒にだべっていたクマキチがトイレに行くなり、まるでタイミングを見計らったように、しかも落ち着かない様子でそういうのだからそれなりにまじめなことなんだろう。遊びに誘ってくるときなんかとは緊張感が違っていた。
「水曜だしいけるけど。どうしたん?」
水曜日は半数の部活が休みになる曜日で、水泳部と陸上部もちょうど休みが被る。クマキチのアメフト部は代わりに木曜が休みだ。
クマキチに声をかけなかったわけも併せて訊ねると、やや焦った様子で、
「えーとな、色々と難しいんだ。あとで全部話すよ。陸部の部室来てくれな!」
イブキらしくなく曖昧に濁したり、強引に場所まで決めていった。
「わかったよ」
承諾しつつ、ぼくは(なにか隠してるな、相当)という表情をしてしまった。イブキはイブキで怪しまれるのも織り込み済みだったのか、肩を小突いて「そんじゃ、頼んだぜー!」と、やっぱり強引な逃げをかました。同時に昼休み終了のチャイムが鳴り、ぼくはイブキに一発やられたような気持ちで、五時間目の教室移動の準備を始めた。
「今日のイブキ変じゃない? なんか知ってる?」
「?そうかあ? フツーだぞ?」
予鈴が鳴ってものっそりしているクマキチに聞いても無駄だった。まあ、あえて自分だけが指名されたんだし、蚊帳の外のクマキチが何も知らないのは当然といえば当然か。
「じゃあ気のせいかな」
「今日の給食がよっぽどウマかったんだろーよ」
「それ自分のことじゃん」
「だはは。メロンパン最高っ!」
「おかわりのジャンケン勝ててよかったな。ぼくもほしかった」
こういうとき、変に事情を話して巻き込まない方がいい。イブキはぼくに用がある、といったのだ。あえてクマキチが席を外した瞬間に。
クマキチはキャプテンで大変なんだし、部活中に気が散るようなことを伝えるのも憚られる。ぼくにもそんな思考ができるようになったのは、いよいよ三年生になったというか、大人っぽくなったよなぁ。とか、ひっそり成長を感じる瞬間だった。
……こうして、ぼくは五時間目と六時間目を悶々とした気持ちで過ごすハメになり、一方のイブキもそわそわがおさまらずに何度か視線を送ってきた。そのくせ、目が合ったかと思うと、プイっと視線をはずす。めったに見せない、秘密ごとを抱えている顔だった。
もう、いったい何なんだよ! まさか……恋しちゃった、とかいうなよ!?
放課後。
掃除当番をちゃちゃっと済ませ、部活の邪魔にならないように指定場所――運動場の隅にある部室棟に向かった。
部室棟は2階建のプレハブ小屋になっていて、陸部の部屋は1階のちょうど真ん中にある。
(ここだ。イブキはもう中にいるんだよな)
ぼくはちょっとドキドキしながら、部屋の前で立ち止まった。部室は更衣室を兼ねているので、外からじゃ中の様子は窺えない。
ドアには陸上部と書かれた木札が掛けられているほかに、部員の似顔絵マグネット(デフォルメが効いているのにうまい具合に特徴を捉えていてこれがまたかわいい!)が貼ってあったりしてけっこう目立つ。イブキいわく、陸部では入部の際に上級生に描いてもらうのが慣習になっているとのこと。今年はイブキが新入りたちの分を描く担当になっていて、腕が鳴るんだと、これはさっき昼休みに聞いた話。陸部のそんなこんなを見聞きするたびに、ほんと仲良さそうだよなって思う。
「おーい、入るぞー」
いちおう一声かけてから、ノブを捻った。と同時にドアが内に開き、
「おっ、サンキュー! さ、入って入って!」
イブキが出迎えてくれた。尻尾をわさわさ振りながら。
「ここの部室、異常なほどきれいだよね。土足で大丈夫なんだよな?」
「マットのとこまではいいよ」
縦長い部室にあがったぼくは、整理整頓された部屋を見回してすっかり感心していた。陸上部っていうと、砂っぽい部室を想像しがちだけど、ここはまったくそんなことない。
練習に使う用具などは砂を払ってコンテナに収納されており、奥のホワイトボードも、予定や連絡事項のみが丁寧にまとめられている。ロッカーや机類も新しくはないものの、清潔さが保たれていることがわかる。決して派手さとかおしゃれさはないけれど、ミニマリズム的な機能美を感じる。
もはや部室というか、休憩室のような雰囲気だ。いやもう、これほどきれいだとちっちゃい冷蔵庫やレンジの類いなんかも置けちゃうわけだ。
そして気になることがもう一つ。前よりもさらに清潔になっているのはどういうわけなんだろう……。
「はやみんがキャプテンやるようになってからだよ。土曜とかさ、掃除だけで終わる日もあったんだぜ」
ぼくの思っていることを察したのか、イブキは補足した。
「はやみんって、隣のクラスの速水くん?」
「そー。チンチラのなー。あいつ、絵ヘッタクソなのに、片付けと掃除のセンスすごいんだよ」
「潔癖症って噂だしね。ほんと、ウシザキのところとは天と地ほどの差だ……」
「野球部は……うん、地獄だよな。これでも体験入部の前にだいぶ片付けたよ。おかげで今年は部員の集まりがいいんだ」
速水くん、まさかそのことを見越していたのか……?
あまり面識はないけれど、定期テストの成績は上位群らしいし、なかなかデキるやつだとぼくは今この場で確信した。
「この部屋、なんかいい匂いまでする」
「おお? ユーミもいい鼻してんなあ」
そうだ。さっきから部室の場にそぐわない、妙に香ばしい匂いまでするのだ。
「え、なんだこの甘い匂い? まじでパンでも焼いてる?」
「えへへ。まあ席座りなよっ。おもてなしってやつ!」
イブキはそういって、ロッカー前の長テーブルに案内してくれた。机の上には紙パックのコーヒー牛乳と、そして甘い香りの正体が置いてあった。
「メロンパン!?」
「トースターで焼いたんだ。おれ、焼いた方が好き」
「給食で出たやつだよね。食べなかったの?」
「うん」
「おもてなしってこれのこと?」
「そうだよ。あったかいうちにどーぞ!」
頷いてはにかむイブキの表情にも声音にも、なんとなく媚びているような感じが漂っていた。隠そうとして、隠しきれていないものが(だいたいそういうのってわかるものなのだ)チラついていた。
惜しくもじゃん負けで逃したメロンパンに、まさかここで再会を果たせるとはつゆも思わず、
「餌付けされてる?」
素直に喜ぶよりも先に、なにか裏があるんじゃないかと訝ってしまった。よく考えなくてもそりゃそうだ。あの大人気のメロンパンがタダで、それもご丁寧にトーストされた状態でもらえるなんて、そんな甘い話があるわけないしな……。
イブキは一瞬、垂れ耳を跳ねさせるほどにぎくりとした。
「えっ、餌付け? そんなこと、ない、よ?」
「さすがに何かあるでしょ。もともとその気で来たんだし」
……みるみるうちにニコニコ顔が崩れていって、
「おれ、もしかして怪しいヤツか?」
「うん、朝からヘン。何隠してんのさ」
「あー、そうだな……何もない……っていえばウソかも……」
結局、メロンパンと飲み物は「お願いの対価」だったのだと打ち明けた。
「ごちそうさま。美味しかった」
「お粗末さまでした。おれが作ったわけじゃないけど……」
「ううん、いい焼き加減だったよ。焼いた方が美味しいな!」
香ばしくサクサクになったメロンパンと、コーヒー牛乳を平らげたぼくは、イブキに尋問するような気でいた。
「さて。そんじゃ話してもらいますか、イブくん」
「う、うん」
「まあぼくから聞くんだけど。お願いってさ、クマキチじゃダメなやつ?」
「あいつよりもユーミの方がいいかなあ……でへへへ……」
なんだか恥ずかしそうに、若干の嬉しさを含ませて笑うイブキ。頼られてるってわかったぼくも照れくさくなってくる。
「なんだよその笑い。朝からずっとそわそわしてるし」
「お、おれだって、悩んだりすること……あるもん」
「ん、イブキ悩んでんの? そのことでお願いか?」
珍しい。イブキが、というより、友だちが悩んでて、相談を受けるなんて初めてのことじゃないか。気づけば若干、身を乗りだしていた。
「ちょっとなー。カラダのことで……」
目を伏せがちに、ぽつっとつぶやいた瞬間、
(エッチなやつか!?)
14年の勘でいろいろと察してしまい、なるべくセンシティブな空気感に呑まれまいと頑張って耐えた。心を落ち着けて、いうべき言葉を探した。ああでも、多分これ……。どうしよう……?
短時間の間に頭をフルに働かせたあげく、
「どこか調子悪いの? 足痛むのか?」
……やってしまった。とぼけたフリ。
だってさ、しょうがないじゃんか。
ねえどうすんの、こういう時……。わかんないよ!?
「あ、足じゃないよ! ええっとな、調子悪いっていうかだな……でへへ……! んー、良いか悪いかだとやっぱ悪いんかも?」
「ど、どうしたんだよ?」
また出た、その笑い方。イブキはなかなか話したがらずに、曖昧に笑ってごまかしているみたい。
「笑わないって約束な……? あ、あとクマキチとかに喋るのもダメだぞ?」
やっぱりそうだ。目の前でモジモジしているバーニーズはよっぽど人に相談しにくい性のことで頭を悩ませているんだ。きっとそうに違いない。
「そんな、人の悩みを笑ったり、いいふらしたりするやつがあるか」
どちらかというと、さっきまでの尋問する勢いはなくなっていて、寄り添う気持ちで促した。身体のことは悩んでても相談しにくいもん。
「だよな……ユーミのこと信じるぞ」
「大丈夫だよ。いってみ」
「ちん……ちんこの大きさって……ひ、人それぞれじゃん?」
「うん」
ここまで来たらもう驚かない。驚かないし、ああなるほど、と納得した。イブキのあれを思いだしながら。
ここはどしっと大胆に構えて(だけどイブキの口から発せられたそのワードに興奮をおぼえながら……)悩みを解決――
「おれのさ、もしかしたら……小さいかも、なんだけど……っ」
イブキは大きな体をぎゅっと縮め、もともと垂れている耳をさらにぺたっとさせ、目まで瞑って、ぽしょっと小さい声で打ち明けた。そんないたいけたっぷりな様子で言うもんだから、
解決してやる。できたての気概は瞬時に崩れ去って、ぼくは思いもよらぬ感情を抱くはめに――当時はその正体に気を取られている場合でもなかったので、もうすこし後でわかったことなんだけど――つまり、イブキのことを心底からかわいいと思ってしまった。
考えてみれば、同性に対してハッキリと胸をときめかせた初体験だった。無意識的にクマキチへ「守ってあげたい」と思っていたのとは種類の違う、今思えば恋に育つ一歩前の気持ち……。
「ユーミ?」
「ああっ、うん、うん。ちゃんと聞いてるよ。キイテル」
どうやらぼーっとしていたらしい……。
「そっ、そんでだな……頼みがあるんだけど、さ……」
「ん」
「ホントに小さいのかって確認のために、み、見してくれないか? このとーりだっ」
う、いきなりそれかよ。見てくれないか、じゃなくて、見せてくれ……ってのもどうなんだ。しかし交渉下手なやつだな、イブキは。普通に考えてだよ? 「見せて」って頭下げられてすぐに「ほらどうぞ」ってチンチン出すと思うか? しかもこのぼくが、だぞ? まあ、思ってるからいってくるんだろうな。給食のメロンパンまで差し出してさ。
やっぱりそういうところも含めて、実直で真面目なやつなんだよな。
眉間にシワを寄せて(さて、寄ったかな?)、ぼくはいってやった。
「ぼくのは別に変わってないよ? 何回か見てるだろうし、見せるのはいいんだけど」
「けど?」
「一方的に見せるのは嫌だ。フェアじゃない」
付き合いが長いとお互いの裸を見ることだってある。チンチンだって一緒にお風呂に入ったりするときに見ているから、別に今さらイブキのモノを特別見たいわけじゃない。そう思ってたけど、こう、大きさの話をされると話がすこし違ってくるもので……。純粋に性的好奇心を刺激されてしまうというか……。
前に見たのは中二の夏だっけな。確かに、体型の割にはだいぶに小ぶりだった。成長期とはいえど、二年生だしまあこんなものだろうと。それが今、最高学年になってどれだけ大きく育っているか、気になるのはその点だった。
なので、「じゃあ、せーので見せるか?」と持ちかけられて「それならいいよ」と簡単に承諾してしまうぼくなのであった……。
外から部活生たちの元気な声が入ってくる午後4時。対する部室内はひっそり、異様な空気に支配されていた。
いくら部活が休みとはいえ、部室で性器の見せ合いっこをするのは異常なことだ。部屋に閉じ込められた空気も、そんなふうに警告しているみたいに、あるいはこの空間から抜け出そうとざわめきあう。
ふと、イブキと視線があった。気まずさから、へへへとあやふやに笑うほかなかった。
何もいえないもどかしさに耐えられずに、同時に目を逸らした瞬間、
(見たいけど、見せるのは恥ずかしい……)
ぼくたちは今、考えていることがお互いに筒抜けの、非常にモロい心理状態にあることがわかった。
「なあ……」
数秒してからイブキがいった。
「わ、わかってる」
「とりあえずだな……」
「ズボン、脱ごっか……」
そういってベルトを緩めはじめると、突然下半身がブルっときた。胸のドキドキとそわそわが尿意を催させる。混乱しかかった脳が勝手におしっこをしたいと思い込ませているのかもしれない。
そのまま制服のズボンを下ろして、イブキも一歩遅れてパンツ姿になった。鮮やかな青色のボクサーブリーフが目を引く。
「おニューのはいてきた。てへへ」
「張り切ってんなぁ」
ぼくはいいながら、
(計画的なやつめ……見せる気満々じゃないか。ほんとに悩んでるのか? こうなることがわかってたみたいじゃん)
イブキの無邪気な狡猾さに舌を巻いた。
イブキは幼い子どもみたいにもう一回照れ笑ってから「じゃあパンツもいくか」といって、ゴム部分に手をかけた。
「あ! ボッキさせるのなしなっ?」
思いついたように念を押すイブキに「勃たないよ。緊張してんのに」と返した。
「うう~っ……あー! ドキドキするなあ……!」
「誰のせいだよ?」
「へへ! じゃ、せーのーでっ!」
ぼくらは立って向かい合ったまま、目を相手の股間に目を釘付けにして――パンツを脱ぎ下ろした。
その瞬間、ムチッと肉付きのいい股間部で、自分と同じ白色をした性器がぷるっと跳ねてあらわれた。剥けてなどいなくて、ほとんど同じ形の、だけど二回りほど小さいチンチン。視界にそれが入るなり、ぼくは(勝った!)と胸の中でガッツポーズを決めてしまい、誇らしさと嬉しさで心が満ちた。満ちてしまった。
「だ~っ! やっぱおれのってちっちぇのな……。負けたかー」
「勝負じゃないってば」
口では勝ち負けじゃないといいつつ、内心思いっきり勝負あり!としたのはずるい。
だけど本当に、ふしぎなことでもあるけれど、恥ずかしさよりも単純に嬉しさが勝ったのだ。身長だとか、スポーツテストの記録における勝敗とは明らかに何かが違った。むずむずと沸き上がるような誇らしさ……これって、オトコとして至極当然の感情なんだろうか。
ともかく――イブキのチンチンは前に見たときと比べて、これっぽっちも変化がなかったということだ。
「成長期なのにこれだけしかないのっておかしくないか? 背は伸びるのにこいつはずっと子どものままなんだよ。養分とられてんのかなあ……おれ大丈夫かなあ」
一とおりぼくのソレと見比べたあと、急に不安げな表情を浮かべるイブキ。そわそわしたり、張り切ったりで忙しいやつだ。
「慰めになるかわかんないけどさ――」
ぼくはパンツを上げて、頭にあいつのことを思い浮かべながらいった。
「クマキチも相当ちっちゃいよ。たぶん、イブキよりも」
というのも、ついこの前、春休みにうちへ泊まりにきた時にお風呂で見えたからだ。その時は別に見比べてやろうとしていたわけじゃなくて、単に「変わらないやつだなー」と思っただけなんだけど……。
「知ってる。こないだトイレで見ちゃった。おれよりちっこかった……」
「そうさ、下にはちゃんと下がいるんだからあんまり心配すんなよ」
「む……! そのいい方なんか傷つく! どんぐりの背比べじゃん!」
イブキは心外そうに頬を膨らませた。
「ごめん」
確かに今のは慰め方として得策じゃなかったかな。本気で悩んでいる人にそういうことを口にするのはやめておこう。
それにしても、
(どんぐりの背比べか。どんぐり……)
イブキのいった「どんぐり」が、幼い子を連想させたうえに――狙ったのかわからないけど――形状までほんのり似ているものだから、
(なんか、かわいいな)
と、不意にキュンときた。またしも失言するところで、その感想は心にそっとしまっておいた。
「ちなみにちゃんと剥けるの?」
同年代の幼なじみが知らないところで成長(性徴?)しているかはもちろん気になるとして、それとは別に、そう訊くのにもちゃんと理由がある。なんでも、皮が剥けないままだと先っぽが大きく成長しないらしいからだ。
情報源はヤツだ。猛牛・ウシザキ……。だけどウシザキは結構デカいので、信じるには値するのかな。
「む、剥けるよっ」
「ほんと? 見せて」
……だんだん気持ちがエスカレートしていっているのがわかった。相談に乗るという大義名分のもと、好奇心を満たそうとして、心臓はドクドクと音を大きくしていく。
「嘘じゃないぞ。ほら」
イブキは指三本でチンチンを摘み、くに~っと、ゆっくり包皮を剥いてみせた。分厚い皮がめくれて、真っピンクの割れ目が顔をのぞかせはじめる。メリメリっと裂けて音が鳴るんじゃないかとドキドキしながら、ぼくは目を離すことができなかった。
被っていたときは白一色だったそれは見る間にピンク色へ変化していく。まるで親指サイズの桃の実……。イブキは途中で皮が戻ってしまわないように、付け根をずっと指で押さえていた。湿っぽく、濡れた亀頭が全部出てくるまで、世界がスローモーションの映像になったみたいだった……。
――初めて見た人の亀頭はとてもエッチだった。自分のと形も違えば、大きさも色も、皮のたゆみ方だって何もかもが違う。きっと感触も違うんだろう。その至極当たり前のことが、冷静さを欠いた今、とてもエッチなことに思えてならなかった。
興奮は一瞬のうちに極限へ達し、
「すご……。もっとみせてよ」
気づけばそういいながら屈んで、露出した小さな亀頭へ顔を近づけていた……。もうだめだった。友だちに「変態」って罵られてもいいや、仕方ないやって、思った。昂った気持ちは熱く激しく、14歳の理性でどうにかなるものじゃなかった。
「そっ、そんな見るなよぉ……。恥ずかしいだろ……。おいユーミ、おまえ、なんかヘンだぞ……」
目と鼻の先にあるかわいらしいチンチンにくらっときて、目を回しそうになりながら、鼻をスンスンと、二回ほど鳴らしてしまった。
「ふぁ……へんなにおい……」
「コラ匂うなあっ!!」
「イテッ」
これも自分のと似たようでやっぱり違う、独特のしょっぱい刺激を伴うにおい……。
「いっとくけど、ちゃんと毎日洗ってるからな……!」
イブキはぼくを見下ろして、不服そうにいった。頬をりんごみたいに真っ赤にして、すばやく皮を戻してパンツまであげる一連の動作が、ぼくの奇行度合いを物語っているようでもあった。
「だったら心配しなくてもそのうち大きくなるんじゃないかなあ」
なんだかテキトーな返答をしてしまい、あまり頭が回っていない気がした。そんな状況だったけれど、
「ん、あれ? ねえイブキ……もしかして、勃ってる……?」
きちんと異変に気付けるのは、イブキのカラダに興味津々で感覚が敏感になっているからなのか……。
青ブリーフのピコッと膨らんだ一点を捉えて離さないぼくの視線。
「してないっ!」咄嗟に覆い隠すイブキの手はプルプル震えていた。
「してないよ……」
肥えたお尻をこっちに向けて、ボソッと……。尻尾まで芯が通ってピンピン……もう、かわいいやつだなぁ。
「絶対してるじゃん。もう今さらって感じするし。もっかいさ、見せっこしようよ」
どうしてそんなことをいいだすか、もはやわからなかった。というか、さっきからそうだ。体も口も、頭で考えるより先に動いている。イブキはこんなぼくを見て若干引くかもしれない。距離を置かれるのは嫌だな……。
「ぼくも勃ってる。見る?」
不安な気持ちをよそに、それでも見たかったのだ。イブキのかわいいアソコがちょっぴり勇ましくなった姿を、どうしても……。たとえ自分の痴態を晒してしまってでも、変態扱いされようとも……。
振り向いてくれないイブキに、
「見たいんじゃないの、ぼくのチンチン。今日しかないよ?」
悪魔の誘惑を振りかざすと、
「ん……み、見る……」
イブキは案外あっけなく、おずおずとだけど“取引”に応じる。ゆったりとした動きで(尻尾はハタハタさせて)ぼくの方を向いてくれた。
おろしたてのパンツはまだ馴染んでいないのか、ぱりっと窮屈そうなテントを張っていた。パンツの上からでも推測できるおおよそのサイズ感に安心するとともに、むず痒い嬉しさが再燃した。
ぼくらはもう一度立ったまま向き合う形になり、互いの膨らみを熱っぽい目で見下ろす……のはさっきと同じ。
恥じらいを覚える間もなく、同時に下着を脱いで性器を露出させた……。
硬い棒が布地に擦れて、ぶるっと、勢いのよい音を立てる。ビンビンに張って硬くなった二つのチンチンが、まるで今から決戦するかのように向かい合わせになって、
「わ……エッロぉ…………」
「かわい……」
ドックン、ドックン、バクバク。一目見るだけで心臓の音がうるさく邪魔をして、呼吸するのさえ難しく感じられた。実際、息が詰まりそうだった。それほどまでに、親友の大きくなった秘部に興奮を抑えきれず、欲情すらしてしまっていた。
イブキのもぼくのも、完全に勃っても先まで皮が覆っているのは変わらなかった。剥き慣れていないのか、イブキの方がすこしだけ皮が余り気味で未熟な印象だ。長さと太さもこっちに分があったけれど、平常時から想像するよりもけっこう立派に見えた。
「ぴくぴく動いてんね……」
地面と平行に伸びた、短いそれは何かを求めるかのごとく、ひくんとうごめく。
おしりの穴をキュッと閉じ、ぼくも動かしてみせた。
「ちんこ、すげー動く……」
可動域はけっこう大きく、角度がぐっとせりあがってお腹の方へ向く。
もう何も失うことのない状態でフル勃起を大っぴらに見せつけるのは快感だった。サイズ差を誇示するようにチンチンをピクピクさせてやる。何度も何度もやっているうち、先っぽから液が漏れる感覚があった。
「手で握れる?」
我慢できずに、いきり勃って熱っぽい棒に手を当てがい、
「シコシコするとき、手でさ、こう、やってる?」
重ねてぼくは訊いてみた。ピンクの中身が露出しない程度に軽く扱きながら……。
「おれ、指派……。握るほどデカくない……こんな感じ」
イブキも同じく皮がめくれない程度に、指全部を使って前後にくにゅくにゅし始めた。乱れる息づかいを殺しているのがわかって、
「ね、ちょっと剥いてシコシコやってみせてよ」
また調子に乗ったお願いをしてしまう。だって、今日のイブキ、エロくてすっごくかわいいんだもん……。恥ずかしいところ、もう全部、余すことなく見せてほしい……。ぼくの頭は、そんな淫らな欲望一色に支配されていた。
「そういうんならユーミも見せろよな……」
「もちろん」
怒張したチンチンを摘み、根元の方に皮を引っ張るイブキ。さっきよりも包皮がキツそうにめくれていって、充血した亀頭がゆっくりと露出していく。
(なんか、アンバランスだ……)
やがて剥けきって、うっ血気味の皮がマフラーを巻いたみたいにカリのところへ引っかかったチンチンを見て、そう思った。先端の割れ目には露ができて、今にも糸を引いて垂れだしそうだった。まるで子どもを無理やりオトナにしたような……未熟と成熟が無理に入り混じって、痛々しさすら感じる性器に、喉がゴクリと鳴る……。
ふう、はあ、と舌を出して、イブキはいってたとおりに指全部を使って、刺激を再開する。被っていたときよりも激しくイジって、皮を戻したり剥いたり、人差し指の肉球で亀頭を擦ったりなんかもして……。
「はっ……、はあっ……んん……っ」
吐息と、くちゅっと湿っぽく淫靡な音が、狭い部室に広がっていく。
(そんなエロい顔すんだ……)
いつまでもピュアで純情さを纏っていた幼なじみ。どこか甘くて幼い顔つきと声質の割に、五人兄弟の長で頼れるお兄ちゃん。スポーツ万能で、器用で、気のきく優しい親友。そんなイブキが、今、目の前で気持ちよさそうにオナニーに興じている。ぼくの中のイブキ像が、ものすごい早さで崩れていく。
ぼくはイブキのことを知った気でいて、全然知らなかった。イブキはもう、ずっとオトナになっていたのだと気付かされた。自分と同じように、性器をイジくって、オナニーをするんだ……。目を疑うような事実に、頭に血がのぼってぶっ倒れそうになってしまう。
「はふうっ! ユーミもっ……!」
我を忘れて見入っていたぼくだけど、約束はきちんと果たそうと思う。
普段しているようにチンチンを右手で握り、皮をずらす。既に先走りで中がヌルヌルになっていたから、剥けるときの感覚がいつもと違った。パンパンに膨れ上がって、真っ赤な亀頭が空気にさらされ、早くもイってしまいそうだった……。
射精したい欲求をなんとか抑えて、チンチンを扱く。
イブキは息子をイジる手を止めることなく、しきりにぼくのとを見比べ、「交換してくれよ」とつぶやいた。
「あ、あげないよ」
羨望の眼差しを向けられてチンチンも気をよくしたのか、先走りがトプッと溢れて床に垂れた。
「……やらしーちんこだ……」
「イブキこそやらしいよ。なに、触ろうとしてさ……」
「えへへへ……。いい?」
恥ずかしくて「うん」がいえず、小さく頷いて同意を示す……。今まで人に触られたことなんてなかったから、正直なところちょっと怖かった。だけど恐怖以上にぼくだって触りたい……イブキのチンチン……。
「さ、触るぞ……」
ゆっくりと伸びてくるイブキの手に、心臓が激しく縮む。ドキドキが収まらないのに、チンチンは触れてほしそうに勝手にピクンと跳ねる。
「あっ!」
剥けたままの敏感な状態で、下からそっと握られ、情けない声が漏れた。
「すげー……握れる……。握っても余る……おっきい……」
「ん……っ」
意図しない、コントロールもできない刺激は反則級だ。イブキはチンチンの皮を被せようと先端に向かって何度か扱いてきたけど、先走りで刺激された亀頭は大きく膨張していて、うまいこと包皮が被さらなかった。普段は嫌でもすんなり戻るのに、そんなことは初めてだったので、ぼくは変に興奮してしまった。
「うおっ、ユーミがズルムケちんこに……!」
「んわ、ちょっ、イブキ触りすぎ……っ」
自分だけこんな目にあってちゃ不公平なので、なんとかイブキのそれを触りかえす。
「ん……やば……きもちい……」
ヌメヌメでガチガチに固いそれは手で握るには小さかった。ぼくの手が大きいのもあると思う。そっと手で包み込み、指に力を込めてギュウっとやると、
「いっ、ひやあっ、やめ……」
「痛くない? だいじょぶ?」
「いっ、いたく、ない……けど……、んあっふ! おれだめだぁ……!」
イブキは高くかわいい声をあげた。形勢逆転だ。イブキが手を離したのをいいことに、ぼくは腰をぐいっと突き出し、チンチンとチンチンをひっつけた。大量の先走りにまみれた亀頭同士が糸を引き、透明な粘液を互いに受け渡す。
「ユーミなっ、何してん、ふあああああ!?」
逆にイブキは腰がヘコッと逃げて、チンチンも快感を拒むように動いた。でもそれは、本当に嫌がっているわけじゃない。
「何って、キスだよ。ほらほら、逃げないで」
ヌルテカになったイブキのチンチンを掴んで、くちゅくちゅ揉んでやる。揉みこんで、扱く速度をあげて……それだけに飽きたらず、ぼくは自分の根っこを持って、イブキのかわいいサイズのそれにベチベチと叩きつけた。
「ひ……やぁん! だめだめえっ、んふあっ!? 皮……戻っちゃ、からぁ……!」
「あ、被っちゃった。剥くよ?」
すっぽり被って、先っぽのすぼんじゃった子どもチンチン……。指を絡めて、タマの方へ、ぐぐっ、ずりゅっ、と……!
「はふッ! んんんんんっ!!」
再び剥きだしになった先端部をしきりにひっつけ、先走りを塗り込むように、二本を同時に扱きあげる。
荒く乱れた吐息も、ヌトヌトに粘っこい汁も、イジる音すらも……どっちがどっちのものか、判別がつかない状態だった。
ぼくらは次第に身体もひとつにして、のぼりつめていった。
「んくっ! ゆ、ゆ……う、みぃ……!!」
「ど、どうした? もう出る、か……?」
「んっ、あうぅ……おれ、もぉ……イきそ……! ちん、こ……もぉ、いやだぁ……触ん、ない、でぇ……!」
「……なん、だ……弱いな、あ……イブちゃ、ん……っ、かわいいっ、なぁ……!」
「あっあっ、ゆう、みぃ……いっ、一緒に……ふあっ、……ゆ、う……みぃ……!!」
変声期前の甘っぽく、とろけた声で名前を呼んでくる。ほかの言葉を忘れちゃったみたいに、何度も……。ぼくはもう、胸がきゅんきゅんと疼きまくって、いよいよ限界を迎えて破裂する寸前だった。溢れる愛おしさを何かに変換しないとやばい。おかしくなってしまう。そう直感した……。
精を飛ばしてしまいそうになりながらも、辿りついた答えは――
「んあっ、ふんっ……んんんんんーッ!?!?」
口の中に、イブキの喘ぐ声が響いた。
初めてのキスはあまりにも熱く、頭をひどく混乱させる。どうすればいいかわからなかったけれど、本能的に舌を絡ませて、イブキを味わおうと口内をまさぐった。噛まれるかと思ったけど、イブキは噛まなかった。最初ガチガチだった舌も、徐々に柔らかくほぐれていって、ぼくを優しく受け容れてくれた。イブキとひとつになっている間、視界は真っ暗だった。
愛おしい気持ちと快感が重なり合って、もう果てるってとき、イブキの大きな身体がブルブルと震えだした。
(イブキもう限界か……! ぼくも、そろそろ……っ!)
ぼくはイブキを接吻から解放して、
「んっ、はあっ! ゃ、だめだぁ、もおっ……ひぐ、イっちゃうぅ……!!」
そっと抱き寄せ、思う存分イかせてやった。
「んあぁああああっ、ぐ……ッふぅ、ううううううぅぅぅ……!!」
ビュッ、ビュッと、精液が勢いよく、腰回りや太もものあたりに打ちつけられる。
(あっ、イブキ……射精……してる……!)
肩を貸していたので、射出の瞬間は見れなかったけれど、断続的に続いた生温かい感触が親友の絶頂を伝えた。
気持ちよさそうな射精に呼応して、ぼくもすぐにでも果てるってとき、
「はあっ、ふう、はあっ……ゆうみも……、んふーっ! い、いっしょに……いこっ?」
(…………っ!?)
射精を終えてぐったり脱力したイブキが、最後の力を振り絞るようにチンチンをそっと握ってきた……!
「だっ、めええ……っ! にぎっちゃ、いやあっんっ、ん! 出る出るっ、いくぅ……!!」
……ひどく情けない声をあげて、ぼくは果てた。
イブキの手の中で痙攣がおさまらず、何度も精を吐きだして、ついにはボタボタと床に垂らした。感覚的には一分……。本当の時間はわからない。だけど、それくらい長いこと射精が続いて、チンチンから精液が漏れていた……。
いつの間にか、ぼくの方がイブキに縋るような形になっており、
「はあー……気持ちよかったな……。なあユーミ、どおだ? 気持ちよかったか? 落ち着いたか?」
と、気にかけられたりなんかもした。
……全部を出し切ったら、なんだか急激に恥ずかしくなってしまい、しばらく言葉を発せられなかった。イブキの肩でうんうんと首を振るのが精一杯……。だってぼく……同性の友だちに……き、キスを……。
ともかく、今はイブキの顔を見るのも、自分の顔を見せるのも無性に恥ずかしかった。
そして冷静になってからの一声は「ごめん」だった。
強引にやりすぎたって、全て終わってからばかげた反省……。
「ん? なんで謝んのさ」
イブキはぼくを離して、ふしぎそうな目で見つめてきた。
けっこう派手にイっておきながら、イブキは平然としている。ぼくのやってきたことに引いてる様子もない。あんなにかわいかったのも嘘みたいだ。余韻とか、賢者タイムとか、そういう類はあまりないタイプなのかもしれない。
「それよりコレ、見てみろ!」
イブキは床を見て、嬉しそうな声をあげた。
「すっごいなぁ。おれたち二人でこんなに出したんだ。部長が知ったら怒るぞー? 謝らないとな!」
その声でようやく、惨状に目を向けることができた。床だけじゃなくて、お互いが身体に放ち合った、白く濁った痕跡にも……。
「これ、イブキが出した分? 出しすぎだ……」
被毛にべっとりかけられた精液を手にとってみて、その量に驚いた。
チンチンばっかり見ていたけれど、タマはイブキの方が高性能で、サイズも大きそうだった。射精後も、だら~んと弛緩しているイブキのボールが勝ちを誇っているように見えて非常に憎たらしい……。
「たは! 初勝利で勝ち逃げだぜ!」
「……なんでずっと競ってんだよ?」
それはぼくもそうなんだけどさ……。
「それにしても、においキツイな……」
「だなー……後で換気とファブリンやっとこ。はやみんごめんっ、借りるな?」
身体に飛んだ精液を拭いたあと、ぼくたちは、このきれいな部室の主を(罪悪感とともに)頭に思い浮かべて、後始末に励んだ。
ベタついた床を拭いている間、もうちょっとさっきみたいな時間が続けばいいのに、また次があればいいのに。なーんて考えて、ムラっときていた。だから、
「な、なあイブキ」
「うん?」
「悩みはもういいのか?」
わざわざ掘り返して訊いてしまったのかも。
イブキはバツが悪そうに照れ笑った。
「悩んでても大きくなるわけじゃないもんな。気持ちの問題だから、あんまり気にしないようにする。……あんまりベチベチやられるのは傷つくけどなっ!」
「ごめんってば。調子乗りました……」
「まーいいけどっ。そんで、ユーミさ、性格変わるよな。知らない一面を知ったぞ」
「イブキだって。あんなにかわいい声だなんて知らなかったし、いっぱい出すし……けっこうエロいんだなって……」
率直すぎたので、ぼくは(何いってんだ)と発言を後悔して、再び床の掃除を再開した。イブキのおっとりした視線から逃れたいがために……。
「なんでもない……」
イブキがだんまりだったから、たまらなくなって取り消したくなってしまった。
そして何秒か沈黙が続いたあと、
「……ユーミさえよければ、またやろーぜ?」
床と睨めっこしたまま、ぼそっと、確かにそういったのが聞こえたとき、ぼくはバッと顔をあげてイブキの方を見た。イブキはまた、無邪気さをたたえた微苦笑をぼくに向けていた。
かわいくて、愛おしくて、そして気恥ずかしくて――言葉での返事ができなかった。
こんなとき、尻尾って便利だ。時々本当に付いているのか自分でもわからなくなるほどの短いシロクマ尻尾が、ピンと張りあがって、ピコピコ忙しなく揺れた。
イブキはぼくのメッセージに、ちゃんと気づいてくれる。
ぼくの目には、黒くて長いバーニーズの尻尾が元気に振れるさまが写った。
「「へへへ……!」」
******
(あれからもう、半年以上になるんだ)
日数だとだいぶに経っているのに、記憶は今でも鮮明だ。
あの日、陸部の部室でやったことがぼくらの分岐点になった。甘いエッチな思い出も、苦くてつらいことも含めて、ほんとうに――いろんなことがあった。
ゆらゆらと記憶や思考の断片が現れては消えていくなか、目を瞑って、改めて耽ってみた。あまりよくないことだなと、気付きつつ。
どうだろう。キスなんてしなかったら、イブキの気持ちに変化は起こらなかったのかな。軽々しく「かわいい」なんて口にしなかったら……。因果が巡りめぐって、イブキが骨折することも、部活を辞めることもなかっただろうか。しょうもないすれ違いや喧嘩も起こらず、クマキチを泣かせずに済んだかもしれない。
けれど、そんな世界があったとして、現在の想像がつきにくい。うーん、つきにくいといっても、日常が変わり果ててるわけではなさそうだし、そこはやっぱり、今と同じような温度感なんだろうなってのは、なんとなく想像がつくけれど。
もっとも、誰よりも優しく接したいって気持ちを知ることはなかっただろうなーって、これだけは確かに思う。
友だちのままで数々のわだかまりを乗り越えられてきたからこそ、得られたものがある。それがこの優しい気持ち。ことあるごとに灯って、イブキと過ごす時間を経るごとに膨れあがっていく、ぼくだけの、誰にも見せちゃいけない宝もの。
すんなり恋仲になっていたら……って、もしの話はあまり建設的じゃないな。だって、ないんだもん。ないことを想像して、脳みその容量を圧迫するのはもったいない。眠れなくなるだけだ。
わかってる。何もかもわかってる、けど……。
「イブキ……」
朝がくれば、また会える。いつもどおりが心を満たしてくれる。
今日だって会ったばかりなのに、こんなにもひとりぼっちを感じるなんて……。近いはずのイブキが、今は手の届かない遠くに離れていくようで、ぼくはどこかおかしくなっちゃった……。
お月さんのせいだとしたら、大嫌いになってしまいそうだった。
やり場のない孤独が埋め合わせをしようと、思考を傾けていく……。
(やめろ……。もう考えるな……)
考えまいと必死に振り払っても、“もしも世界”への願望は止められなかった。
妄想してしまうのは、ウソをつかなかった未来。イブキのしてくれた告白に「ぼくも好きだよ」って応えることが叶った世界。
イブキと恋仲になれた世界は、今より輝いているのかな?
友だち同士よりもいい顔で笑い合えてるかな?
コイビトとして繋ぐ手は、きっとあったかいんだろうなあ。
…………。
……。
「イブキ……さみしいよ……」
さみしい気持ちは認めてやると涙に変わる。ぼくはすぐに(あのときの続きだ)と、泣きながらほんのり懐かしくなった。
まだ、ぼくの中にいたんだね……。
イブキもこんな気持ちと戦ったのかな。それともまだ戦っていて、和解してる最中なのかな……。
別れはつらいよ……。
こぼれた涙は被毛を流れて、布団に染み込んでく。あっけなく消えていって、長かったぼくの恋はようやく最期を遂げることができている――そんな気がした。
月に願いを託す気持ちで、ぼくはもう一度、窓辺のそばに佇んだ。
もう月光は、カーテン越しに見えなくなっていて、開けても姿はどこにもなかった。だけど存在自体は強く感じる。山とか、家の陰に隠れているんだろう。
お月さんは、残った恋しさを連れていってくれないらしい。
……うん。その方が、それでいいのかもしれない。
そうだ。ぼくには優しくて、頼りがいのある友だちがいる。
イブキと――イブキと一緒に“さよなら”しよう。時間がかかったとしても、ゆっくり。
ベッドに戻ってしまえば、もうさみしくなんてなかった。
そして、見えなくなった月に「ありがとう」って感謝したまま、いつもより遅い眠りについた。
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