ハンジョウくんと僕の恋愛冒険譚

めるポックル

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ハグ+たい焼きで好き好き講座

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 あの後僕たちは流れで一緒に帰ることになったんだけど……。

 コツカツコツ、カツコツカツカツ。どんより空模様とは反対に軽快な調子で響くは、二つの傘の音。不規則に地面を突く音を、これほどまでにじっくり聞いたことはなかった。
 と言うのも、二人揃って無言だったからだ。他に耳に届く音がないんだもん。ハンジョウくんはずっと何か言いたげな困った顔だったけど、僕は引き出そうとはしなかった。僕も聞きたいこと話したいことだらけだけど、言葉が重なるのを恐れていた。初々しいがすぎる僕たちです。
 しばらく気まずい雰囲気に耐えて、僕たちはなだらかな坂道を下っていく。道路を流れていく雨水が、さっきまでの豪雨ぶりをつぶさに物語る。
 清桜ヶ丘高校は丘のやや上方、住宅街の中に位置する。桜の樹々に富んだ山を切り開いてこの地を開発をしたらしく、街路樹や、もうすぐ着く清桜ヶ丘記念公園なんかが今でも面影を残している。言うまでもなく今は七月だから咲いてないんだけどね。今年も綺麗だったなと、時折満開のシーズンを思い出して耽ったりする。
 噂の真相、ハンジョウくんのこと、そして僕の恋のこと。聞かなければならないことが山ほどあるのに、うまく切り出せないまま傘の音だけが鳴り続ける。口を開かない時間に比例して話しにくくなる。ちょうど口が言葉の出し方を忘れてしまったみたいに。
 ……率直に言う。距離感が掴めない。友達として接したいのに、間柄はコイビト。いきなりそこから始まった僕たちの関係は異端だ。
 学校から十分ほど歩くと、緩やかな坂が平坦になる。そして踏切を渡ると公園の北西入り口に差し掛かる。そうそう、公園の最北端には清桜ヶ丘駅があって、通学で電車を利用する生徒はここから坂を登って登校するんだ。
 記念公園には大小さまざまな遊歩道が整備されている。木造の駅舎からまっすぐ南の花見の丘まで伸びる道が一応のメインストリート。桜のアーチ路とか桜トンネルって呼ばれる道だね。春になると、この道がメインストリートたる理由がわかる。春先は人でごった返すけど、それは美しい通りであることの裏返し。そこを下ると、立派な噴水のある広場に着く。
 他にも、住宅街や西商店街の方に出られる遊歩道があったり、敢えて舗装せずにウッドチップを敷き詰めてハイキング気分を味わえるトレイルコースなんかもある。
 さて、僕たちが今歩いているのは、北西入り口から大通りに通じるツツジと紫陽花の丘道。ハンジョウくん、僕と同じ方向で大丈夫なのかな。無理して遠回りしてくれていないかちょっと心配。なーんて、慮っていた時のこと。長らえた沈黙はとうとう破られる。
「こっコイビトってンならよ、えと、その……は、ハグっ……! おお前とハグしたいかもなーなんて!」
 ハンジョウくんがだしぬけに発した要望。それが「ハグしたい」だった。ずっと言いたそうにしていたのはこれか。まったく、不器用なくせに気だけは早いなぁと僕は苦笑した。そしてまだら模様の尻尾を大袈裟に振りながらこう答えた。
「ヤだよ」
「なッ……だ、だめぇ……なの……?」
 ガッビーン。ゲームやアニメでありがちな効果音が幻聴として聞こえそうな、本当に分かりやすい反応を示してくれる。縋るような目つきで口調まで変わっているし!
 ハンジョウくんには申し訳ないけど、僕は無意識のうちに彼の過剰反応を楽しんでいるかも知れないな……。
「名前も知らない僕のことハグするつもり?」
 そうだ。物事には順序がある。ハンジョウくんにはその概念がないのかも知れないけど、世間一般の常識からすれば名前を知らない人に普通は告白はしない。「オナニーをした!」なーんて伝えるのはもってのほか! ハグより前に手を繋ぐ! 僕がズレてる人で良かったね……。
 ハンジョウくんは間の抜けた表情で僕を見つめ、
「ゴメン……すっかり聞きそびれてた……。教えてくれっお前の名前!」
 大きな両手をバシンと合わせて、頼み込んでくる。
「いいよ。その代わりと言っちゃなんだけど、後で僕もハンジョウくんのこと色々聞くから」
「どーんと来いだ!」
 僕も君のこと、多分なんにも知らないからお互い一歩ずつだ。
 その一歩目が名乗ること。コイビトになった人に、だよ? 本当に僕たちってば順序がめちゃくちゃ。なんて考えながら自己紹介をする。
「僕は峰野雪丸。好きに呼んでくれていいよ」
「ミネノ……ユキマル……」
「漢字はそのままスノーの『雪』に円の『丸』」分かりやすいように空中に丸を書くジェスチャー付きで丁寧に教えてあげる。
「……ユキマルっ! ナハハっ、しっくりくる可愛い名前じゃねーかっ!」
「そうかな? ユヅキくんの方が可愛いと思うけど。しっくりは……こないね」
「お、俺のことはそンまま苗字で呼んでほしいンだぜ……」
「ふふ、そうする」ひょっとしてコンプレックス? 僕は思ったことを胸に納めて小さく笑った。
「じゃあユキマル! は、ハグしていいかッ!?」
 フンスっ、鼻息を荒くしたハンジョウくんがハグを求めて迫ってくる。だけど、僕はさっきと同じように、
「ヤだよ」
 即刻断った。
「ンななッなんでだ!?」
「ハンジョウくん汗臭いから」
「ああ汗臭いィ!?」
 胸元をパタパタさせたり、右脇の匂いをフガフガ嗅いでる巨漢熊。「今朝風呂入ったってンのに……」自分でもその臭いがわかったのか、ハンジョウくんは耳をへにょりと倒した。
 告白するってエネルギー消費激しいんだね、きっと。それはもう、餃子のタレみたいな匂いを薄っすら漂わせるほどに。
「ぷっ、あはは! 冗談だよ冗談。確かに臭うのは臭うけど……だめって言った本当のワケは他にあるから」
「そ、そーなのカ……? てっきり俺嫌われちまったのかと……」
「大丈夫だって」
 Boop――!
 背伸びした僕は親指でハンジョウくんの鼻をぎゅむっと押してから理由を告げる。
「人通りのある場所でハグなんかして、もし見られたらまずいでしょ? ただでさえ目立って噂の絶えない君のことだから、ことさら慎重にならないとね。僕までホモになっちゃう」
 危惧していたことを軽い調子で説明すると、「それもそうだな……ゴメン。配慮が足りなかった」ハンジョウくんは縮こまって謝ってくれた。なんだか謝らせたみたいで罪悪感が湧いてきた……。
「ううん、気にしないで」
「人の来ねぇ場所は……あっちとかどうだ?」
 指を差す方向を見やる。脇道だ。そっちは確か奥に行くとトレイルコースになっているはず。うん、そこなら大丈夫そう。
 今から人に見られちゃまずいことをするのだと思うと、漠然とした不安が芽を出す。自覚がないだけで、僕は緊張しているんだろうか。
 ハンジョウくんは樹々に囲まれた公衆トイレの裏まで僕の手を引いてエスコートしてくれた。ちょっと早足だけど、ちゃんと順序通りコイビトっぽいこともできるじゃないか。
 握ったくれた大きな手に吸い取られていくように、不安が薄れていった。
「よっし……!」
 しきりに周囲を見渡し、誰も来ないことを確認したハンジョウくんは三度目のおねだりをする。
「今度こそしていいよなッ?」
「いいよ」
 僕は荷物を下ろして両腕を広げ、大きな熊さんを受け入れる合図をした。
 ハグされるってどんな感じなんだろう。やっぱり胸がキュンってなるものなの? 人生で一度も経験がないというのもあって、実は少しだけ楽しみな気持ちもある。
「いくぞユキマルっ!」
 デレデレの笑みを浮かべて間合いを詰めて来る。そして「好きだ!」と叫ぶや否や、飛びつく勢いでガバッと抱きついて僕の視界を奪った。
 触れてみると意外にふわっとした手触り。そんな被毛に覆われた、逞しい両腕を僕の背に回して力任せのギュッ! 僕の顔はたわわな胸の間、ちょうど鳩尾のあたりに埋められる形になり呼吸がし難い。しかも胸元で吸える空気は強烈に汗臭……酸っぱい! もしかして僕このまま体臭に包まれながら圧死させられ……?
 と、一瞬命の危機を悟ったけど、ハンジョウくんはすぐに腕の力を緩めてくれた。力の加減を探っているみたい。
「……っと、苦しくねえか?」
「うん。大丈夫」
 同じように腕を精一杯ハンジョウくんの胴に回して(体がデカすぎるから回り切らないんだけど……)無事をアピールする。蒸れた臭いが鼻腔を突いてくる問題はあるけど……なんとか順応してきた。適応力の高い鼻で事なきを得たみたい。
「……小せえなぁユキマル……小さくて可愛い……」
「ハンジョウくんがデカすぎるんだよ」
 至極真っ当なことを言い返すと、「でへへッ!」また照れている声で笑って腕の力を強めた。
 ぼふっ――! ボリュームたっぷりの腕とお腹と胸で、僕の全身は再度押さえつけられる。筋肉を覆う脂肪部分はムッチリ、プニっと柔らかい。それでいて奥で支えている筋肉は男らしい弾力を持っている。ふわふわ、ムッチリ、ガッシリの三層構造……! 守られている感が尋常じゃない。
(暑いのは暑いけど、程よい圧迫感でコレ結構気持ちいいかも)
 脂肪と筋肉に再び包み込まれた僕は安堵感と共にそんな感想を抱き、ハンジョウくんに身をゆだねていた。
 しかし期待していたような感覚はいつまで経っても湧いてこなかった……。
(ん?)
 些か落胆しつつも、そう急ぐことでもないかと自分を納得させていた僕はハンジョウくんの体に起こっている、ある二つの異変に気がついた。
「すごい……ドクドク言ってる」
 一つ目がこれ。時間と共に鼓動を高めていくハンジョウくんの心臓だ。音だけじゃない。僕の顔とハンジョウくんの胸はほぼゼロ距離だから、振動すらも伝わってくる。
 二つ目は…………ハンジョウくん気づいてないのかな? それともわざと!?
「だははは! 俺本気でお前のこと好きなンだなぁ……!」
 ハンジョウくんは照れ笑って、また僕のことをギュッと抱擁する。胸から伝わりくる音が、振動が、ものすごい勢いで増していく。
(昂っているんだ。僕をハグして、ハンジョウくんはこんなにも……)
 言葉と体が好意に正直で、ストレートで、とてもまっすぐに好意を証明してくれる。
 それが僕にはとても羨ましく素敵に思えた。僕のなかなか揺れ動いてくれないハートと比べると、なおさらそう感じられるというもの。この隔たりがすこしでも早く埋まればいいなって思った。だって、ハンジョウくんは僕のことを嘘偽りなく愛してくれているんだよ。ほとんど何も知らないはずの僕を全身で好いてくれて……。でも僕は違う。好きになってくれてありがとう、嬉しいって素直に思いたいのに、心からそう思えない。焦らなくてもいいはずだと自分に言ったばかりなのに、感情の受容体が欠如しているみたいで嫌な気持ちになった。僕はハンジョウくんにハグされながらそっと唇を噛んだ……。
「ありがとなっユキマル! 俺ぁ今すンごく幸せだ……!」
「それはよかった」
 一度たがが外れると、とことん積極的になるタイプなんだろう。告白する前はあんなにオドオドしていたハンジョウくんだけど、今は見違えるほどに懐っこくなって、マズルを僕の頭に擦り付けたりしている。こそばゆいって!
「いい匂いだなぁ! 毛並みも柔らけぇし、お前ってほんっと可愛い!」
 耳元でフガフガしないで! 別の苦情を口にしそうになった僕は、もう一つの異変について黙っておくべきか迷ったけど、意を決して触れてみることにした。あまりにもグリグリと突いてくるから……。
「ハンジョウくん……あの、当たってる……」
「ン? 何がだ?」
 ……あー、気づいてなかったっぽいね……。
「僕のお腹に、ほら、なんていうか……硬くなったアレが……」
 二つ目の異変というのは他でもない。男子特有の生理現象だ。鈍感なのか気がとられていたのか定かではないけど、さっきから僕のお腹あたりで絶えずヒクンヒクンと動いていたのはハンジョウくんの硬くなったアソコ。
「んが!? こここここっこれはだな、そのっ……」
 頓狂な声を上げてハンジョウくんは僕を解放し、すぐさまその場に蹲ってしまった。
 僕にはイマイチわからないけど、意中の相手とハグすると反応を起こすのは男として自然なんだろうか。いつの日か僕のチンチンも同じように……なって欲しいような、恥ずかしいから遠慮したいような。何とも妙なジレンマに囚われる。
「んぅううう~っすまん……! 知らねぇ間に勃っちまってたみてぇだ……」
 ハンジョウくんは短くて丸い尻尾をぷりぷりと高速で振りながら詫びる。まるで尻尾が失態を掻き消そうとしているようで可愛らしい。
「ううん、大丈夫。気にしてないから」
 嘘ではなく、本当に何とも思っていないのが自分でも不思議。最初にあんなことを言われたせいだろうか、耐性ができている。この慣れってどうなんだろう……?
「ねぇハンジョウくん。ちょっと聞きたいんだけど」
 僕はこの際だから訊ねてみることにした。
「ンなっ何……?」
「告白する時、どうしてあんなこと言ったの?」
「……俺恥ずかしいぞソレ言うの……」
 上目遣いで僕を見上げていたハンジョウくんは、耳をぺたり寝かせ、ぷいっと目を背けてしまった。またまた君はそうやって僕に罪悪感を……! 自分で言ったことだからね!?
「まぁまぁ、クールダウンのために答えると思って」テキトウな理由をつけて回答を促す。
 するとハンジョウくんは恥ずかしそうに口を開く。
「本……本に書いてあったンだよ……それと占いも」
「ええ? 本? 占い?」
 聞き返した僕の目は丸くなっていたと思う。
「告白用の……本……。っとな、『本気でその人のことが好きだと伝わるように』って書いてたンだ」
 想像してしまった……! 屈強で強面のデカ熊が、律儀にも恋の指南書なんかを読んで懸命に勉強している姿を……!
「それで、僕でオナニーしたって?」
「ン。でも伝わったろ? お前のこと本気で好きって」
 絶対120%他の言い方があったろうになぜ君はその言葉を告白台詞に選んでしまったんだ……? 確かに、好意の裏付けとして今勃起しちゃってるんだし、本気なのは分かるよ……。けどっ、曲解して受け取られた挙句、真価を発揮できなかった不憫な告白本のことを思えば僕もうダメかも! 腹筋がふるふると震え始める。
 込み上げてくる笑いをなんとか押し殺して、占いについても聞いてみた。
「俺朝の占い四位でさ、その……勇気出して話せば何でも受け入れてもらえる日って……そンで俺、今日に決めた……」
「ぷくっ、ふっ! な、なるほどっ。四位……一位じゃないん……くっくくく……! いひっ、ひいいいぃぃぃっ! だ、だめっ……! ハンジョウくん、キミ最高……あっははは!!」
 とうとう僕は失笑してしまった。
 ひたむきに恋愛のハウツー本を読んでは独自の解釈を加えちゃって、それから四位の朝占いに後押しされてあんな告白。そんなのずるいって! 大きな熊番長さんが朝占いを信じているのもおかしいし、その通りに実行して一応ちゃんと結果を出しているのも笑いのツボを刺激するポイントだったりする。
 ぽかーん。口を開けて呆然としているハンジョウくん。なぜ僕が目に涙を浮かべるほど大笑いしたのか腑に落ちていない様子。
「ゆ、ユキマル……? 俺なんかヘンなこと言ったか……?」
「変も何もハンジョウくん! 僕、君のことが気に入った!」
 これは真面目な本音。見た目や噂とのギャップ差も手伝って、僕はハンジョウくんの見かけからは到底想像のできないピュアな部分にかなりの好感を抱いている。
 そして、そんな彼のことをより深く知りたいと思った。
「へ……?」
「君のこと、もっと教えて! 知れば好きになれるかも」
「ユキマル……」
「一緒に帰ろ。歩きながら話そうよ」
 何か言いたげなハンジョウくんは僕の伸ばした右手をポカンと見つめている。
「もうおさまったでしょ?」
「お、オウ……!」
「さ、立った立った! 今度は僕から手繋いであげる」
 手を取ると、ビクッと跳ねる熊の手。その手は大きくてゴツいくせにビクビクと、肉球は汗ばんでもいて、実に持ち主らしいと僕は小さく笑う。
「ああっ汗かいちまってて……!」
「いいよ、全然気にしない。ハグもそうだけど、悪い気はしなかった」
 そう言うと、少し決まり悪そうにモジモジと、でもとびっきり嬉しそうな顔をするハンジョウくん。
「ハンジョウくんってば積極的なくせに、可愛いとこあるよね?」
「ンあ? 可愛い? この俺がか?」
「ふふっ、今の顔とかね!」
「……俺どんな顔してンだ?」
「ヒミツ!」
 彼と手を繋いで饒舌になってる僕ってば、何だかんだ言って未知の関係を楽しんじゃっているなぁ……。


 とか何とかやっていたら、手を繋いでいるとこをうちの生徒に見られそうになったり、ハンジョウくんのご子息さんが再び元気になって歩きにくそうにしてた……。
 前屈みになってアウアウ唸ってるハンジョウくんをこのまま連れて歩くのも面白いけど、さすがにそれは気の毒だ。
 ということで下校は一時中断。
「ちょっと濡れてるけど、ここで座って待ってて」
 遊歩道脇に備え付けられたベンチにハンジョウくんを一人残して、場を離れようとすると背中に声がかかる。
「ど、どこ行くんだよユキマル?」
 振り向きざまに「お薬とってきてあげる」とだけ告げ、僕は先にある噴水広場へと向かった。僕の記憶違いでなければ、今日の曜日だと確か売りにきてくれる。
 もちろん「お薬」というのは単なる言葉遊びで、広場に薬局が出張販売に来てくれるわけでもない。
 清桜ヶ丘の生徒の半数以上が下校路として利用するだだっ広い公園だけど、さすがに薬局はね……。仮にあったとしても生理現象を鎮めるお薬は取り扱いがないはず。
 さっきまで土砂降りだったけどまだやってるかな?
 円形の憩いの場に辿り着いた僕はぐるりと見渡す。
 あった、赤色の車! 旗も出てるしやってるっぽい。女の子が好みそうなジューススタンドもすぐ隣に来ているけど、そっちは眩しいから僕たち向けじゃないからスルー。
 ついつい小走りで駆け寄って、僕はカスタード味とあんこ味のお薬……って、もう分かるよね。二種類のたい焼きをそれぞれ一つずつ頼んだ。
 ハンジョウくんはどっちの味を選ぶんだろう? やっぱり硬派なあんこ? 熊らしく頭から豪快にいくのかな? なーんて、ヒグマのシャケ狩り姿と大きなツキノワグマを重ね合わせながら焼き上がりを待つ。
「友達の分だね?」
 器用な手捌きで金型に生地を流し込み、具を入れ終えたキジトラ猫のおじさんが訊ねてくる。
 絶対そんなことないのに、おじさんにはなんだか僕たちの関係性まで見透かされている気がして僕は一瞬ドキッとした。どこを見てそう思ったのか引っかかったけど、聞かずに「はい」と答える。出来立てのお薬を受け取った僕は小走りで戻る。
「お待たせ」
 股間にグーの手を置いて、どこか上の空なハンジョウくん。僕の方を見るのと鼻がヒクヒク動くのが同時でちょっとおかしかった。
「はいどうぞ、お薬」
「お薬ってコレ……ホントにいいのか?」
「うん、たい焼き。それとも流石にもう治った?」軽い調子で訊ねて、僕はハンジョウくんの横に腰掛ける。
「ま、まだだっ。ハグのこと思い出してたら治んねぇ……!」
「ふふふ、じゃあ食べて治そう。どっちの味がいい?」
 ハンジョウくんはカスタード派らしく、そっちの味を選んだ。
 お金を渡そうとしてきたけど、今度何か奢ってもらうことにして、僕はまだ熱を持った鯛に齧り付く。
 ん~っ美味しい! 尻尾の部分はこんがりカリッと香ばしく、少し食べ進めると表面はサクサクしながらも中はもっちりの生地。そしてその中から溢れ出る塩気の効いたあんことやや強めのメープル生地が組み合わさって良い塩梅。このクオリティが百円でいいんだろうか!
 食べるのは今日で二回目。部活の先輩に奢ってもらった時以来だけど、僕はすっかりこのたい焼きの虜です。
 さてハンジョウくんは気に入ってくれているかな。横目で見ると、大きな口で頭から一気に頬張るでもなく、意外にも僕と同じ尻尾から、それもおちょぼ口でちびちび舐めるように食べている。半分まで食べ進んだ僕と、まだ尻尾のハンジョウくん。
 あれれ……? そんなに美味しくない? もしや甘いものが苦手とか!?
 そんな不安は膨れ上がり、口から言葉となって出てくる。
「苦手なんかじゃねぇよ。ただ、もったいねぇなって……」ハンジョウくんはたい焼きに視線を落として零す。
「なぁんだ! 美味しいから逆に味わって食べてるんだね」
「そ、それもそうなンだが、時間が……」
「時間?」
 時間がもったいないからたい焼きをゆっくり食べる? なんだか矛盾しているんだけど……。
「おっ俺、今の時間、すンごく幸せ……。だ、大好きなお前とうめぇモン食えて、幸せだ……! 早く食っちまうと時間もったいねぇだろ?」
 ハンジョウくんが「でへへっ」と分かりやすく頭を掻きながら照れ笑いをして僕の目を見ると――また来たぁああ! 心臓が一瞬ビョウキになってしまったみたいな、あのヘンになる感覚っ! これが「キュン」なのか!?
「ハンジョウくんハンジョウくん!! 僕分かりかけてきたかも!」
 僕が急に大きな声をあげるものだから、ハンジョウくんの白黒とした目が「何が?」と問うている。
 興奮のあまり思考がまとまらないまま、とりあえず言語化してみる。
「上手く言うのは難しいんだけど、今、胸の辺りがキュンってなったかも! なんて言うのかな、心臓が揺れて体温がちょっと上がった? 気がしたんだよ! それで、君のこと可愛いとも思ったかも」
 どの段階から「好き」の感情を抱いたと断定してよいか僕にはわからない。しかし、さっきのは好きになる兆し、つまり恋愛感情が宿った瞬間。そうだと信じたい。
 名前のない感情のピークは過ぎ去り、薄れゆくのがわかる。灯りたての火を消さないでほしい。どうか風化せず、時に抗い続けて。消却されてしまうのが惜しく、まだまだ浸っていたい。確かめたい。さっきよりも明確に、この感じを大切にしたいと思った。
「これってさ、ハンジョウくんとおんなじ? 僕のこと好きって思ってる時どんな感じ?」
 そう……。問題なのは、僕の抱いた感情が世間一般で言うところの「好き」なのか否かだ。定義するには認識を一致させておく必要がある。
「難しいな……」顔を顰めつつも、ハンジョウくんは教えてくれた。
 辿々しい説明だったけど、言葉を一つ一つ選んでくれているのが伝わってきた。要約すると、僕のことを考えてるときは「ソワソワして落ち着かない」のだそう。僕の近くにいる時は顕著に心臓がドキドキ高鳴って、息苦しいけど胸の奥があたたかいから嫌ではないらしい。
「好きだって思ってるとな、そいつンこと手に入れて近くに居てぇって思うモンだ。あ、あとな……ち、チンコ……勃っちまう」ガリガリと頭を掻いて付け加えてくれる。
 ……最後のはさておき、理解できるような、なんか違うような……? 確かに、僅かだけど心拍は上がったし、胸の辺りであたたかいものが湧きあがった。ハンジョウくんの側にもっと居たいとも思う。けれど、それは「好き」故の感情ではない気がする……。何か他のものが混じっていて、純度100%の「好き」と言い切るのは合点がゆかない。
 えーと、あれだ。ライクかラブかで言うと……ってやつ。二択を迫られるとライクって答えちゃうな。
「ラブ」って何……? ライクがラブに進化するのか、だとしたらいつどの段階でどんな条件を踏むと……って、考え出すと頭がこんがらがってきそう。
 たい焼きで糖分を補給しながら、ハンジョウくんに恋愛のあれこれを教授してもらう。僕が一方的に質問するばかりの歪な好き好き講座がここに開講した。
「どうして僕のこと好きになったの?」
「俺にビビらず話しかけてくれてよ、体でかいって褒めてくれたからか? ンっとな、初めてだった。怖がられずに近寄られたのも、褒められたのも……そーいうンもあって、ひ……一目惚れ、だ……」
 ふむふむ。ハンジョウくんの場合、恋のきっかけは他からじゃ見えにくい、個人的な要因によるものが大きいと……。
「僕のどんなとこが好き?」
「ずばり聞くなぁユキマル……。その手の質問照れンだって……お互いによ」
「恥ずかしがらずに答える!」
「……毛並みが白くてよ、体も小さくて、その模様とか、なんつーか……全部、可愛い……とこ……。声とか、話し方とか、ンと、仕草も、……好きだ」
 掠れるような小声で言い終えた時には、ハンジョウくん先生はすっかり茹でダコ(グマ?)になっていた。それがこっちにも伝染するのだからたまったもんじゃない。顔が暑くてしょうがない……。うん。仰るとおりお互いに照れるね、この質問は……。


 分厚い雨雲の隙間から今ごろになって顔を出した西日は、雨上がりの雲をさまざまな色に染めていた。沈みゆく日に照らされた雲は橙色に、覗く空は藍色。遠くの雲はグレイッシュブルーで水彩画のアートを連想させる。そんな夕空の下、ベンチに座ったまま恋のお勉強は続いた。
 そしてたい焼きのラスト、口の部分を食べ終えたので恋のお勉強はここまで。話題チェンジ。次はハンジョウくんのことが知りたいと、僕の好奇心はなかなか疼きを止めなかった。

「エッチしたことはあるの?」
「ブハッ!! げほっ!! な、なンつーことっ、ウぇヘっ! 聞くンだ……!」

 こうして僕はハンジョウくんの等身大を知ることになる。
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