アルビノ少女と白き真炎龍《ヴェーラフラモドラコ》〜家の近くの森で絶滅したはずの龍を見つけたので、私このまま旅にでます〜

辺寝栄無

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‐1336年 日ノ炎月 6日《5月6日》‐

恐怖

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 私の目の前にはルイスが立っていた。右手でヴォルフの胸を貫き、立ち尽くすルイスがいた。

「ゴふァアッ……――」

 ヴォルフの口から大量の血が吐き出された。

「な、にが……、――」

 ヴォルフの首がゆっくりと下を向く。カッ、とヴォルフの目が大きく見開いた。

 震える両手をゆっくりと持ち上げヴォルフは、ルイスの腕を掴んだ。ヴォルフの唇がゆっくりと開かれ隙間から歯がのぞく。鈍い歯と歯のこすれる音がした。

 ヴォルフの爪がルイスの腕に食い込んだ。ルイスの腕から一雫の血が落ちた。

「ぐ、が……、ぁ――」

 振り絞るような、か細い声とともにヴォルフの目から光が消えた。ルイスの腕を掴むヴォルフの手が力なくだらんと垂れ下がる。その姿はまるで、壁に架けられた糸つり人形のようだった。

 ルイスは地面に片膝をつき、左手でヴォルフの胸を押さえ、勢いよく自身の右腕を引き抜いた。傷、というにはあまりにも大きい、ぽっかりと胸に空いた穴から大量の血が一気に溢れ出て土が赤黒く染まっていく。ルイスの腕には大量の血がべったりと絡みつき、毛先にはいくつもの血の滴ができている。

 ルイスは、私がいる方向とは逆の方に向かって、一度、払い抜けるようにして腕を振った。飛び散った血が草木に掛かりわずかに揺れた。

「――お嬢様。ご無事…、でしょうか。」

 言葉が耳から入り、頭の中を通過し、再び耳から通り抜けていく。

 お、じょう、さま……おじょう、さ――。

 言葉が頭の中で反芻する。何度かしてやっと、自分が呼ばれていることに気がついた。

「え、あ、う、うん……。だい、じょう、ぶ――――」

 上の空になりながらもなんとか返事をする。

「――ご無事で何よりです」

 ルイスから言葉が返ってきた。途端、現状に対する疑問が次々と浮かび上がってくる。

 ルイス? 生きてる? だって、死んだって……。なんで、ここに? それにヴォルフは? 死んだ? ルイスが殺した? けどさっきまで喋って……。いや、その前に急に燃えて、だからその時にはもう死ん……、いやその時は動いていたから、けどいまはもう動かないし……、胸にも穴が空いてるし……、血だっていっぱい出てる……。だからもう、しんで、る?

 ただただ疑問だけがひたすらに浮かび続ける。頭の中で何度も何度も、同じ質問が繰り返されているかのような感覚に陥った。

「し、ん……で、る……、の、よね……?」

 自然と口が開き、そのまま疑問が声となり、言葉となって漏れた。

「ええ。安心してください」

 ルイスは頷いた。

「あ、あの……ルイス……が……、こ、ろ……――、」

「――はい、私がこの手で殺しました。間違いございません。」

 それだけ言い、ルイスは顔を伏せてしまった。

「な……なん――」

 思わず、声に出ていた。なんで、と声に出しそうになった。だが途中、ルイスを見て、幸いにもと言うべきなのだろう、続く言葉が出ることはなかった。

 直後、血に濡れたルイスの右手が動いた。

 ルイスの動きに反応して、思わず体がピクリと動いてしまう。

 ルイスは右手で自身の胸を押さえた。ルイスの頭の位置が下がっていく。

 ルイスが動いたからか、それとも声をかけられたからか。咄嗟に、私はルイスが頭を下げたことによって近づいた分と同じだけ距離を取るかのように、一歩、後ろへと下がってしまった。

「お嬢様……申し訳、ございません――」

「あ……、あの、だ、大丈夫、……。」

 ルイスが何について謝っているのか理解できず、なんと返せばいいのかも分からなかったため、とりあえずの生返事で済ましてしまう。

「――お嬢様、とりあえずはこの場から離れましょう」

 そう言ってルイスは顔を上げ、膝に手をつき立ち上がった。

 またもや体がピクリと跳ねた。

 ルイスの手が膝から離れた。膝には手のひらの形をしたべったりと血がついていた。

 思わず体が後ずさってしまう。

「――……立てますか?」

 意識の外から、突如、不意をつかれるかのようにしてルイスの声が聞こえてきた。 

「え?」

 一瞬、何を言われているのか理解ができず、目がキョロキョロと泳いでしまうが、直後、理解が追いつきすぐさま返事をする。

「え、ええ。だいじょう――」

 そう言って膝に力を込めるが、なぜだか力が入らない。

「お嬢様、大丈夫ですか――?」

「あ、だ……――」

 大丈夫、と声に出そうとしたが、うまく声が出せなかった。

 体が強張っている。心臓の鼓動も激しい気がする。呼吸だって少し荒れ気味だ。それに体がいうことをきいてくれない。

 身体が細かく震えていることに気がついた。

 なんで、なんで震えているんだ――。

 意識が、だんだんと内側へ、内側へ、と向いていく。

 だって、こんな……こんなこと、本でいくらでも読んできたじゃないか。それに、夢で見たあの景色なんてもっと酷かった。なのになんで、なんでこの程度の、たった一人、しん――――。

 ふと、視線がルイスの血塗れの右手へと移った。急に頭がクラッとして、全身の力が抜けていく。景色がぐにゃりと歪んだ。同時に、理解した。

 そっか、今私は、怖がっているんだ。今のこの現状を、そして何よりも、ルイスを――。

 地面に手をつき、倒れてしまいそうになる体を支えた。頭の中を思考が廻る。

 なんで、私はルイスのことを怖がっているんだろう、だってルイスはいつだって私のことを考えてくれて、私の味方で、ひどいことだって、しな……、嘘は、つかれたけど、けどそれだって私のためを考えてで。ルイスは、ルイスの中で勝手に、何もかも自分で、勝手に考えちゃって、勝手に決めちゃうところはあったけれど、でもやっぱりそれだって、私のことを考えてで、だから、これだって、きっと、私のことを守ろうしてのことで、だから仕方のないことで……、だから、だからルイスのことを怖がるなんて、そんなこと、そんなこと絶対しちゃいけなくて、だから、だから今すぐ私は、今すぐにでも立ち上がって、そして、大丈夫って言ってあげなくちゃだめで、ありがとうって言わなくちゃだめで――――。

 自分で自分を納得さようと、感情を説き伏せ、心を説得し、身体にいうことをきかせようとするが、一向に立ち上がることはできず、相変わらず身体の震えが止まることはなかった。

 怖かった、とにかく怖かったのだ。血が、死というものが、そして何より、それらをもたらしたルイスが――。

 これらの事実が、今の私にはあまりに重く、受け止めきれなかったのだ。

 けど、今私が感じているこの恐怖と同じくらい、わかっていることがある。そう、わかっているんだ。なんでルイスがこんなことをしたのかを。ルイスは、私を守るためにやった。そう、全て私のためにやったことだ。だから今、この恐怖を、感情を、ルイスに気づかれるわけにはいかない。感づかれてはいけないんだ。

 私はルイスに近づこうとして再び立ち上がろうと、身体に力を込めた。しかし、何度力を込めようと身体は言うことをきかず、手を伸ばすことすら出来はしなかった。

「お嬢様……、申し訳ございません」

 ふと、ルイスの謝る声がした。

 感づかれてしまっている、心の内を。私が今感じているこの恐怖に、ルイスは気が付いている。

「あ、ぃや……、ま……。い、い……ま――」

 すぐさま取り繕って、誤魔化そうとしたが、もはやまともに声すら出せなかった。

 それほどに恐怖を感じていたことに今更ながら気がついた。

 もう何もできないと思ってしまった。

 私にはただじっと、漠然とした恐怖に震えることしかできないんだ、と、そう思った。

 ふと、視界の端にエスペラが見えた。

 おそらくまだ、体力が戻りきっていないのだろう。よろよろと力無く、だけど必死に、着実に前に向かって歩くエスペラの姿が見えた。

 エスペラの進む先にはルイスの姿があった。

 なんで、そこまでしてエスペラはルイスに近づこうとしているのだろう。

 なにも、浮かばなかった。だって理由がないように思えたから。それにだ、エスペラは一度ルイスに殺されかけている。相当恐怖を感じているはずだ。それこそ、今の私にだって負けないくらいには。なのに、なんで、そこまで必死なって、ルイスに近づこうとしているのか。分からなかった。

 やがてルイスの下まで無事に辿り着いたエスペラは、ルイスの足に向かって首を伸ばし始めた。

 よく見るとエスペラの首、いや、体全体が震えていることに気がついた。

 あと少しで、エスペラの鼻の先がルイスの体毛に触れそうになったところで一度、エスペラの動きが止まった。

 エスペラの目がギュッと閉じられた。相当力強く閉じているのか、鱗の筋がやけにハッキリと見える。

 少しして、エスペラの瞼が開き、同時に口の隙間から舌先が顔を覗かせる。

 そのままエスペラは、お辞儀をするかのようにして首を曲げ、ルイスの足の甲に向かって舌を伸ばし始めた。

 舌先がルイスに触れそうになり、一瞬、エスペラの動きがまた止まったように見えたが、次の瞬間にはもうルイスを舐めていた。

 怖くないはずがないのに、それに、体を動かすことだって簡単ではないはずなのに、それなのに、なんで……――。

 はっきりとした答えは出なかった。けど、けれども、エスペラのその姿を見て、私の中で何かが壊れるような感覚がした。

 心が、ルイスに向かって手を伸ばすような、そんな感覚がした。気がつくと、自然と手がルイスに向かって伸びていた。
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