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‐1336年 日ノ炎月 5日《5月5日》‐
洞にて、 2
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ドッ、ドッ、ドッ、ドッ――。
心臓の音がうるさい。
鼓動の音に紛れて、微かにハッ、ハッと、細かく息を吐く音がする。
恐る恐る、目を開けてみる。
目の前にはルイスがいた。
呼吸の音の出どころはルイスだった。ルイスは、落ち着きのない子供のようにとても短い呼吸を何度も繰り返している。目はとても大きく開かれており、視線は、ただただ一点を呆然と見ていた。
視線の先を確認するとルイスの爪の先が私の肩に触れていた。
爪の触れている場所からは血が流れていた。中指の爪の先が、ほんの少しだけ肩に刺さっていたからだった。
なぜルイスは傷口から爪を離そうとしないんだろう?
いつものルイスならすぐにでも手を離して、しつこいくらい大丈夫かと聞いてきそうなものだけど……。いや、ルイスが原因で私が怪我をしてしまったことなんて今まで……ない、な。なら実際にどうなるかなんて分からないか。
とはいえ、やっぱりルイスに限って、私が怪我をしてしまっているにも関わらず傷口から爪を離さずにそのままでいる、なんてことがあり得るとは到底思えない。
じゃあ、なんで離さないんだ? いや、離さないんじゃなくて、離せない……でいる?
表情から何か分からないかと、ルイスの顔を覗く。
ルイスは相変わらず一点を見つめたまま、ただただ短い呼吸を続けているだけだった。だけど不思議と、私に触れている指先だけは微動だにしていなかった。
時間が経つにつれてルイスの呼吸は、より早く、浅くなっていき、やがてまともに息ができているとは思えないほどの速さにまでなっていく。
どうかしたのだろう。何かあった、とか……?
「ルイス?」
ルイスからの返事はない。
「ルイス!!」
声を張り上げた途端、体に力が入って少しだけ肩が上下してしまった。止まったままのルイスの爪が肌に引っかかり、ほんの少しだけ傷が広がってしまう。
突如、なぜか今になって初めてルイスは傷口から自身の手を離した。
ルイスはしばらく私の肩についた傷を呆然と眺めた後、視線を自身の爪へゆっくりと移した。
ルイスの呼吸がどんどん荒くなっていく。
「ルイスってば!!」
大声を出し、乱暴に呼んでみても、相変わらずルイスからの反応はない。
あまりにも反応がないため、私は両手でルイスの腕を掴んだ。
ビクリとルイスの体が跳ねる。
ルイスの視線が、ルイスの腕を掴む私の手に移った。
ルイスが自身の爪を隠すようにして拳を握った。ルイスの腕が細かく小刻みに震えだす。
ルイスの腕を伝って垂れてきた何かが指先に触れた。
見てみるとルイスの拳からは血が流れていた。それが腕を伝い私の指まで垂れていたのだった。
「ルイス! 手から血が……! 怪我してるじゃない!」
掴んでいるルイスの腕の筋肉が動いたのがわかった。力を入れたんだと思った。でもなぜ、止血をしようとしているのか、そこまでひどい怪我なんだろうか――。
しかし、予想に反して流れる血の勢いが増した。血の量に加え、腕の震えもだんだん増していく。
「どうしたのよ! それに血もさっきよりいっぱい流れてる!」
相変わらずルイスからの返事はない。ルイスの顔が左右に細かく揺れだした。
「血が出てるのよ! そんな首ばっかり振ってないで! まずは手を開いて!!」
ただ単純に震えているのか、それとも私の言葉を否定しているのか、どっちなのかはわからないが、ルイスは一向に返事をするそぶりはなく、手だって一切開こうとはしなかった。
私は、無理やりにでも手を開かせようとしてルイスの拳に掴みかかり、精一杯力を込め指を引っ張って開こうとした。
「ぉ、ぉお、じょっぉ、さ、ま……。て、手をはな、して、放して、ください……」
「な! んで! よッ!!」
「ぁ、あぶ、ない、です、から、ですから、もう、やめ、やめて、くだ、さぃ……」
「あぶっ、なく、なんっっか、ないっ!」
私は、指先に全神経を注ぎ込んで全力でルイスの指を引っ張った。
「――ッッ、ッくぅッ! ひらき、なさい、よッ!!」
「……だめ、なん、です!」
「――ッ、なんでよッ!!」
私は、ルイスの拳から勢いよく手を放し、怒鳴りつけながらルイスをニラんだ。
「なんで……――? なんでかなんて……、そんなの、そんなの決まっているじゃないですか!」
ルイスの語気が強くなった。
「さ、さっきわたっ、わ、たし、わたし、は……。お、おお、じょぉっ、おじょう、さっ、おじょう、さまを……――」
ルイスが、あのルイスが、何千、何万回と言ってきたであろう言葉ですらまともに声に出せないでいる。これまで見たことないくらい、異常なまでに取り乱しているのが嫌でも伝わってくる。
「ぉ、こ、ろ、ころ、……こ、っ、ころっ……」
ゴクっとルイスの喉が鳴る。
「ころして……、殺してしまうところだったんですよ!」
ルイスは、吐き捨てるように言葉を発した。
ギリリ、と歯の軋むような音がした。
「――ッ! もう、そばにいるわけにはいきません――。……こんなッ! お嬢さまを……、こ、っッ……。わたしなんかが! ……守るなんて、こんな危険にさらして怖がらせた……、わたしがッ! そばにッ! いる、なんてッ!!」
こんなにも取り乱して、声を荒らげながら話すルイスは見たことがない。
勢いに押され、思わず体が後ろへと引いてしまう。
ルイスが、一度大きく深呼吸をした。
ルイスの変な呼吸が、いつの間にか治まっていることに今さらながら気がついた。
「お嬢様。本日限りでお嬢様と私はお別れとなってしまうでしょう」
「な、なんでよ……」
ルイスは顔を上げ、私の目を見た。
「屋敷に戻り次第、私は本日起こったことを旦那様方に話さなければなりません。そうすれば間違いなく私は解雇となるでしょう」
「なんでよ!」
「約束を、守れなかったからです」
「約束ってなによ!」
「お嬢様をお守りできなかったということです」
「なんでそうなるのよ!」
「お嬢様に怪我を負わせてしまったからです」
「けがってどれよ!」
「先ほど、わた……。私のせいで負ってしまった怪我、です……――」
ルイスの視線が、私の肩にある傷口に向いた。
「これが何! これぐらいどうってことないわ! これがなんだって言うの!!」
私は腕を前に出し、ルイスに傷口を見せつけながら答えた。
「怪我の大小では、ないのです……。私自身の、手で、お嬢様に怪我を、負わせてしまった、のですよ……――」
ルイスの顔がだんだんと下を向く。
「なんでルイスのせいになるの! あんなの事故でしょ! それにルイスもルイスよ! このぐらいの傷でウジウジしすぎなのよ!!」
「お嬢様、事故かどうかという問題では、ないのです……」
「なんでよ!!」
「なんで……――。そんなの決まってます……」
「決まってるって、何が! 言ってみなさいよ!」
「私は、この手で、お嬢様を……、自らの手でお嬢さまを――」
ウッ、クッ、と、無理矢理にでも唾を飲み込むような嘔吐きにも近い、そんな音がした。直後、ルイスの喉仏が上下に大きく動いた。
「――殺してしまうところだったんですよ!!」
またもやルイスの語気が一段と強まった。
そのまま、捲し立てるようにルイスはしゃべり続ける。
「事故で済まされていいわけがありません! どんな理由があろうと!! 私の不手際でお嬢さまに被害が及ぶなど! ましてや私の手でお嬢さまを殺すなど!! 絶対にあってはならないのです!! どんな理由があろうとも!! 絶対に!!!!」
ルイスの聞いたこともないような声色に思わず体がびくりと跳ねる。
ルイスは数度、肩を上下させながらも息を整え、再び話しを続ける。
「だから、もう一緒にいるわけにはいかないのです……。お嬢様、屋敷に戻りましょう。そして、そのあとは……」
大きく息を吸う音がする。自然とルイスの顔が前を向く。
一拍ほど間を置き、息を吐く音がした。ルイスと目が合った。
「お世話になりました……――。おじょ」
「なんで!!……なんでそんなこと言うの!!」
思わず声が出てしまっていた。
言葉の途中でさえぎってしまったにもかかわらず、ルイスからの返事はない。
「なんでか言ってみなさいよッ!!!!」
一瞬、歯と歯が擦れ、軋むような音がした。
「エレノアお嬢様。大変、長い間……お世話に、なりました。」
言い終わるとともにルイスは顔を伏せてしまった。
目の前がじわりと滲む。
「わたしは! そんなこと聞いてるんじゃない――!」
ルイスからの返事はない。
「なんで! なんでルイスが辞めなきゃいけないの! なんでッ!! ――だってっ、だってっ……」
喉がしゃっくりをしている時みたいにヒッ、ヒッ、と跳ねだした。
まぶたに溜まった涙が溢れ、頬をつたう。
「わっ、わっるいのっ、わたしっじゃない――!」
涙とともに喉の奥、そのまた奥の方から言葉があふれだす。
「わるっいのっ、わたしっだもんっ。へやっぉっでったぁっのもっ、わたしぃっだもんっ。るっいすっからっはなっれたのもぉっ、わたしっだもんっ。こぉこっまでぇっきぃったっのもっ、わたしっだもんっ。えっすぺらぁっにぃっ、ちかぁっづっいたっのもぉっ、わたしぃっだもんっ。ぜぇっんぶっぜんぶっわたしっだもん。やっッたのっぜぇんっぶっわぁたしぃっだもんっ。るいっすっわっるくっないっもんっッ! わたしっだもんッ!!」
「お、じょ、うさま……」
私は、しゃっくりにつまずきながらも、無理やりにでも言葉を形作っていく。
「なぁっんでっ、なんでっ るいすっがっやめるのっ。ぜぇっんぶっわたしっなのにっ、なんっで!」
ルイスは首を左右にふった後、顔を上げ口を開いた。
「いいえ、全部私がいけないのです。お嬢さまは悪くありません」
「なんでっ、るいすがっわるくなるのっ。るいすはっわるいことっ、なにもっしてっないのにっ、なんでっ。わたしのことったすけよぉっとっしたっだけっなのにっ、なんでっ」
「お嬢さまを……、殺してしまうところだったからです。それに、本来すべての危険から守らなくてはならないはずの私が怪我まで負わせてしまった――。……今度こそ、何があろうとも守り抜くと誓ったはずなのに……」
ルイスは言い終わると同時に下を向き、俯いてしまった。
「るいすはっわるくっないっのにっ。わたしがっ、ぜんぶわたしがっ! わるいっのにっ」
少しづつではあるがしゃっくりが治まってきた。
次からはもう少しちゃんと話せる気がする。
今度こそちゃんと言おう、私が悪いのだと。
私が口を開こうとしたその時、ルイスの声が聞こえた。
「お嬢様、私が悪いのです」
言葉が、出なかった。
ちゃんと伝えなきゃ、そう思ったはずなのに。
今ならちゃんと、いくらでも言えるのに。
「私が悪い」と。
けれども。どれだけ言おうとも、変わらない。
そう思うと途端に言葉が出なくなってしまった。
「全て……、私の責任です」
目の前には何もないのに、なのにもかかわらず壁が、見えた気がした。目には見えない大きくて分厚い一枚の壁が張られたような気がした。
何を言おうと意味がないのだと気がついた。
大人のルイスに、まだ子供の私の言葉は決して届かないのだと。
悔しい。
何も言えなくなった自分が、悔しくてしょうがなかった。
喉から出せない分の感情が、涙となってボロボロと目からこぼれる。
いつものルイスなら、目元にそっと親指あてて涙を拭ってくれるはずなのに、抱きしめてくれるはずなのに。なのに、いつまでたってもルイスが私に触れることはなかった。
「お嬢さま、帰りましょう、屋敷に……」
「……いやだ。」
それしか言えなかった。
「ルイス、いなくなっちゃうもん。帰りたくない」
少しでもいいから時間を稼げればそれでいい、と思った。
「もどったらルイス、出ていっちゃうもん。だから帰らない……」
ほんの少しでもいいからルイスと一緒にいたかった。
「ぜったいにいやだ。ぜったいに家には帰らない」
だから声を出した。ルイスを引き止める術はないと分かっていながらも。
「お嬢さま……」
ルイスが顔を上げる。
「そういうわけにはいきません」
「いやだ、ここにいる。ルイスと私とエスペラの三人でここでくらすんだから!!」
私は、エスペラに触れようと手を下に落とす。
しかし、なぜか手はそのまま空を切り地面にまでついてしまった。
「何を、言ってるんですかお嬢さま。そういうわけ――」
「いない!!」
いくら手を振り回しても、手には何も触れず空振るばかりだった。
忙しなくあたりをキョロキョロと見回してみても、どこにもエスペラは見当たらない。
「いない! エスペラが! どこにもいない!!」
心臓の音がうるさい。
鼓動の音に紛れて、微かにハッ、ハッと、細かく息を吐く音がする。
恐る恐る、目を開けてみる。
目の前にはルイスがいた。
呼吸の音の出どころはルイスだった。ルイスは、落ち着きのない子供のようにとても短い呼吸を何度も繰り返している。目はとても大きく開かれており、視線は、ただただ一点を呆然と見ていた。
視線の先を確認するとルイスの爪の先が私の肩に触れていた。
爪の触れている場所からは血が流れていた。中指の爪の先が、ほんの少しだけ肩に刺さっていたからだった。
なぜルイスは傷口から爪を離そうとしないんだろう?
いつものルイスならすぐにでも手を離して、しつこいくらい大丈夫かと聞いてきそうなものだけど……。いや、ルイスが原因で私が怪我をしてしまったことなんて今まで……ない、な。なら実際にどうなるかなんて分からないか。
とはいえ、やっぱりルイスに限って、私が怪我をしてしまっているにも関わらず傷口から爪を離さずにそのままでいる、なんてことがあり得るとは到底思えない。
じゃあ、なんで離さないんだ? いや、離さないんじゃなくて、離せない……でいる?
表情から何か分からないかと、ルイスの顔を覗く。
ルイスは相変わらず一点を見つめたまま、ただただ短い呼吸を続けているだけだった。だけど不思議と、私に触れている指先だけは微動だにしていなかった。
時間が経つにつれてルイスの呼吸は、より早く、浅くなっていき、やがてまともに息ができているとは思えないほどの速さにまでなっていく。
どうかしたのだろう。何かあった、とか……?
「ルイス?」
ルイスからの返事はない。
「ルイス!!」
声を張り上げた途端、体に力が入って少しだけ肩が上下してしまった。止まったままのルイスの爪が肌に引っかかり、ほんの少しだけ傷が広がってしまう。
突如、なぜか今になって初めてルイスは傷口から自身の手を離した。
ルイスはしばらく私の肩についた傷を呆然と眺めた後、視線を自身の爪へゆっくりと移した。
ルイスの呼吸がどんどん荒くなっていく。
「ルイスってば!!」
大声を出し、乱暴に呼んでみても、相変わらずルイスからの反応はない。
あまりにも反応がないため、私は両手でルイスの腕を掴んだ。
ビクリとルイスの体が跳ねる。
ルイスの視線が、ルイスの腕を掴む私の手に移った。
ルイスが自身の爪を隠すようにして拳を握った。ルイスの腕が細かく小刻みに震えだす。
ルイスの腕を伝って垂れてきた何かが指先に触れた。
見てみるとルイスの拳からは血が流れていた。それが腕を伝い私の指まで垂れていたのだった。
「ルイス! 手から血が……! 怪我してるじゃない!」
掴んでいるルイスの腕の筋肉が動いたのがわかった。力を入れたんだと思った。でもなぜ、止血をしようとしているのか、そこまでひどい怪我なんだろうか――。
しかし、予想に反して流れる血の勢いが増した。血の量に加え、腕の震えもだんだん増していく。
「どうしたのよ! それに血もさっきよりいっぱい流れてる!」
相変わらずルイスからの返事はない。ルイスの顔が左右に細かく揺れだした。
「血が出てるのよ! そんな首ばっかり振ってないで! まずは手を開いて!!」
ただ単純に震えているのか、それとも私の言葉を否定しているのか、どっちなのかはわからないが、ルイスは一向に返事をするそぶりはなく、手だって一切開こうとはしなかった。
私は、無理やりにでも手を開かせようとしてルイスの拳に掴みかかり、精一杯力を込め指を引っ張って開こうとした。
「ぉ、ぉお、じょっぉ、さ、ま……。て、手をはな、して、放して、ください……」
「な! んで! よッ!!」
「ぁ、あぶ、ない、です、から、ですから、もう、やめ、やめて、くだ、さぃ……」
「あぶっ、なく、なんっっか、ないっ!」
私は、指先に全神経を注ぎ込んで全力でルイスの指を引っ張った。
「――ッッ、ッくぅッ! ひらき、なさい、よッ!!」
「……だめ、なん、です!」
「――ッ、なんでよッ!!」
私は、ルイスの拳から勢いよく手を放し、怒鳴りつけながらルイスをニラんだ。
「なんで……――? なんでかなんて……、そんなの、そんなの決まっているじゃないですか!」
ルイスの語気が強くなった。
「さ、さっきわたっ、わ、たし、わたし、は……。お、おお、じょぉっ、おじょう、さっ、おじょう、さまを……――」
ルイスが、あのルイスが、何千、何万回と言ってきたであろう言葉ですらまともに声に出せないでいる。これまで見たことないくらい、異常なまでに取り乱しているのが嫌でも伝わってくる。
「ぉ、こ、ろ、ころ、……こ、っ、ころっ……」
ゴクっとルイスの喉が鳴る。
「ころして……、殺してしまうところだったんですよ!」
ルイスは、吐き捨てるように言葉を発した。
ギリリ、と歯の軋むような音がした。
「――ッ! もう、そばにいるわけにはいきません――。……こんなッ! お嬢さまを……、こ、っッ……。わたしなんかが! ……守るなんて、こんな危険にさらして怖がらせた……、わたしがッ! そばにッ! いる、なんてッ!!」
こんなにも取り乱して、声を荒らげながら話すルイスは見たことがない。
勢いに押され、思わず体が後ろへと引いてしまう。
ルイスが、一度大きく深呼吸をした。
ルイスの変な呼吸が、いつの間にか治まっていることに今さらながら気がついた。
「お嬢様。本日限りでお嬢様と私はお別れとなってしまうでしょう」
「な、なんでよ……」
ルイスは顔を上げ、私の目を見た。
「屋敷に戻り次第、私は本日起こったことを旦那様方に話さなければなりません。そうすれば間違いなく私は解雇となるでしょう」
「なんでよ!」
「約束を、守れなかったからです」
「約束ってなによ!」
「お嬢様をお守りできなかったということです」
「なんでそうなるのよ!」
「お嬢様に怪我を負わせてしまったからです」
「けがってどれよ!」
「先ほど、わた……。私のせいで負ってしまった怪我、です……――」
ルイスの視線が、私の肩にある傷口に向いた。
「これが何! これぐらいどうってことないわ! これがなんだって言うの!!」
私は腕を前に出し、ルイスに傷口を見せつけながら答えた。
「怪我の大小では、ないのです……。私自身の、手で、お嬢様に怪我を、負わせてしまった、のですよ……――」
ルイスの顔がだんだんと下を向く。
「なんでルイスのせいになるの! あんなの事故でしょ! それにルイスもルイスよ! このぐらいの傷でウジウジしすぎなのよ!!」
「お嬢様、事故かどうかという問題では、ないのです……」
「なんでよ!!」
「なんで……――。そんなの決まってます……」
「決まってるって、何が! 言ってみなさいよ!」
「私は、この手で、お嬢様を……、自らの手でお嬢さまを――」
ウッ、クッ、と、無理矢理にでも唾を飲み込むような嘔吐きにも近い、そんな音がした。直後、ルイスの喉仏が上下に大きく動いた。
「――殺してしまうところだったんですよ!!」
またもやルイスの語気が一段と強まった。
そのまま、捲し立てるようにルイスはしゃべり続ける。
「事故で済まされていいわけがありません! どんな理由があろうと!! 私の不手際でお嬢さまに被害が及ぶなど! ましてや私の手でお嬢さまを殺すなど!! 絶対にあってはならないのです!! どんな理由があろうとも!! 絶対に!!!!」
ルイスの聞いたこともないような声色に思わず体がびくりと跳ねる。
ルイスは数度、肩を上下させながらも息を整え、再び話しを続ける。
「だから、もう一緒にいるわけにはいかないのです……。お嬢様、屋敷に戻りましょう。そして、そのあとは……」
大きく息を吸う音がする。自然とルイスの顔が前を向く。
一拍ほど間を置き、息を吐く音がした。ルイスと目が合った。
「お世話になりました……――。おじょ」
「なんで!!……なんでそんなこと言うの!!」
思わず声が出てしまっていた。
言葉の途中でさえぎってしまったにもかかわらず、ルイスからの返事はない。
「なんでか言ってみなさいよッ!!!!」
一瞬、歯と歯が擦れ、軋むような音がした。
「エレノアお嬢様。大変、長い間……お世話に、なりました。」
言い終わるとともにルイスは顔を伏せてしまった。
目の前がじわりと滲む。
「わたしは! そんなこと聞いてるんじゃない――!」
ルイスからの返事はない。
「なんで! なんでルイスが辞めなきゃいけないの! なんでッ!! ――だってっ、だってっ……」
喉がしゃっくりをしている時みたいにヒッ、ヒッ、と跳ねだした。
まぶたに溜まった涙が溢れ、頬をつたう。
「わっ、わっるいのっ、わたしっじゃない――!」
涙とともに喉の奥、そのまた奥の方から言葉があふれだす。
「わるっいのっ、わたしっだもんっ。へやっぉっでったぁっのもっ、わたしぃっだもんっ。るっいすっからっはなっれたのもぉっ、わたしっだもんっ。こぉこっまでぇっきぃったっのもっ、わたしっだもんっ。えっすぺらぁっにぃっ、ちかぁっづっいたっのもぉっ、わたしぃっだもんっ。ぜぇっんぶっぜんぶっわたしっだもん。やっッたのっぜぇんっぶっわぁたしぃっだもんっ。るいっすっわっるくっないっもんっッ! わたしっだもんッ!!」
「お、じょ、うさま……」
私は、しゃっくりにつまずきながらも、無理やりにでも言葉を形作っていく。
「なぁっんでっ、なんでっ るいすっがっやめるのっ。ぜぇっんぶっわたしっなのにっ、なんっで!」
ルイスは首を左右にふった後、顔を上げ口を開いた。
「いいえ、全部私がいけないのです。お嬢さまは悪くありません」
「なんでっ、るいすがっわるくなるのっ。るいすはっわるいことっ、なにもっしてっないのにっ、なんでっ。わたしのことったすけよぉっとっしたっだけっなのにっ、なんでっ」
「お嬢さまを……、殺してしまうところだったからです。それに、本来すべての危険から守らなくてはならないはずの私が怪我まで負わせてしまった――。……今度こそ、何があろうとも守り抜くと誓ったはずなのに……」
ルイスは言い終わると同時に下を向き、俯いてしまった。
「るいすはっわるくっないっのにっ。わたしがっ、ぜんぶわたしがっ! わるいっのにっ」
少しづつではあるがしゃっくりが治まってきた。
次からはもう少しちゃんと話せる気がする。
今度こそちゃんと言おう、私が悪いのだと。
私が口を開こうとしたその時、ルイスの声が聞こえた。
「お嬢様、私が悪いのです」
言葉が、出なかった。
ちゃんと伝えなきゃ、そう思ったはずなのに。
今ならちゃんと、いくらでも言えるのに。
「私が悪い」と。
けれども。どれだけ言おうとも、変わらない。
そう思うと途端に言葉が出なくなってしまった。
「全て……、私の責任です」
目の前には何もないのに、なのにもかかわらず壁が、見えた気がした。目には見えない大きくて分厚い一枚の壁が張られたような気がした。
何を言おうと意味がないのだと気がついた。
大人のルイスに、まだ子供の私の言葉は決して届かないのだと。
悔しい。
何も言えなくなった自分が、悔しくてしょうがなかった。
喉から出せない分の感情が、涙となってボロボロと目からこぼれる。
いつものルイスなら、目元にそっと親指あてて涙を拭ってくれるはずなのに、抱きしめてくれるはずなのに。なのに、いつまでたってもルイスが私に触れることはなかった。
「お嬢さま、帰りましょう、屋敷に……」
「……いやだ。」
それしか言えなかった。
「ルイス、いなくなっちゃうもん。帰りたくない」
少しでもいいから時間を稼げればそれでいい、と思った。
「もどったらルイス、出ていっちゃうもん。だから帰らない……」
ほんの少しでもいいからルイスと一緒にいたかった。
「ぜったいにいやだ。ぜったいに家には帰らない」
だから声を出した。ルイスを引き止める術はないと分かっていながらも。
「お嬢さま……」
ルイスが顔を上げる。
「そういうわけにはいきません」
「いやだ、ここにいる。ルイスと私とエスペラの三人でここでくらすんだから!!」
私は、エスペラに触れようと手を下に落とす。
しかし、なぜか手はそのまま空を切り地面にまでついてしまった。
「何を、言ってるんですかお嬢さま。そういうわけ――」
「いない!!」
いくら手を振り回しても、手には何も触れず空振るばかりだった。
忙しなくあたりをキョロキョロと見回してみても、どこにもエスペラは見当たらない。
「いない! エスペラが! どこにもいない!!」
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