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ドラキャンセント
ルンルゥノ・クィンターゴイ
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「だれか、お願い。私の声をきいて……誰でもいい。”ミ・ヴォ―コ・アウスクルト”!」
頭の中に声が響く。気がつくと視界には木々が広がっていた。
ここはどこだ、そもそもどこで何をしていたっけ。
前後の記憶が朧げだ。
「フン、木っ端の雌龍風情が。いくら我に見初められたからといって調子に乗り負ったか。貴様ごときが龍の言葉を発し理に干渉しようなど、笑わせる」
目の前で二匹の龍が言い争っている。
一匹は燃えるような赤い鱗をしていた。赤い龍は見るからに好戦的で、溢れんばかりの自信に満ちており、常に他者を見下し、威圧しているかのような堂々たる雰囲気を身にまとっていた。
一方のもう一匹は雪の様に真っ白な鱗をしていた。白い龍は所作の一つ一つから慈愛の心が感じられ、守られているような、そんな気持ちにさせてくれる、優しい雰囲気が感じられた。事実、何かを守っているのだろう。白い龍はなにかを抱え込むような体勢をとり、周りを常に警戒をしているように見えた。
二匹の龍を見て、まるで吸い込まれてしまいそうなほど純粋で綺麗な色をしている、そう思った。同時に随分現実味のない光景だとも思った。だって龍はもう既に絶滅したはずだから。
それにおかしいことがもう一つある。なんでこの光景を見ても喜びの感情が湧いてこないのだろう。――いや、そもそも私とは誰だ。何も思い出せない。
轟く様な怒号が森中に響きわたった。
「聞け! 龍の言葉とはこう発するのだ!!」
赤い龍は大きく息を吸い、肺に大量の空気を送り込む。胸が膨らみ、赤い龍の口から言葉が発せられた。
「”プロストラード”!」
瞬間、空間に歪みの様なものが生じ、空気が重さを持った。
周りを見渡すと、一帯すべての生物が赤い龍に跪き首を垂れていた。唯一白い龍だけが腰を浮かして少しばかりの抵抗を見せているが、先ほどよりも少し頭の位置が下がっているように見えた。
「フン、十大龍たる、このアログレンティコ=ヴェーラ=フラモドラコ直々の言葉を聞いてもなお、抵抗して見せるか。相変わらず見た目に反し尊大極まりない奴め。まぁいい、その美しさに免じて我の言うことに従うのであれば特別に許してやろう。さぁ、貴様が後生大事そうに抱えている、その腹の中の物を我に寄こすのだ」
白い龍は非常にぎこちなくゆっくりとした動きで、先ほどよりも一層腹を抱え体を丸め込んだ。
赤い龍は白い龍の返答を待っているようだが、白い龍から返事をする素振りは見られない。
「あくまでも抵抗を続ける気か。気丈な雌めが、ならば仕方あるまい」
赤い龍が、徐々に白い龍との距離を詰めてきた。
「我のこの手で貴様の、その腹を掻っ捌き中を確認するとしよう」
二匹の龍の距離は、たやすく互いに触れてしまうほど近くなっている。
赤い龍が再び言葉を発した。
「”アブドゥメロ・モントゥル”」
言葉に従うかのように、周辺の生物全てが赤い龍に腹を見せ仰向けになった。
唯一白い龍だけは、赤い龍の 言葉に従わず必至の抵抗を続けている。
「流石に煩わしくなってきたな。”ヴォネミ・アブドゥメロ・モントゥル・ブランカネーゴ=ドラコ”」
白い龍周辺の空間が歪み、薄い膜のようなものが張られた。最初こそ、お腹を抱え込む様な格好を続けていた白い龍だったが、抵抗し続けることが難しくなったのか徐々に頭が上がり始め、ついには仰向けになり手を広げ腹を見せてしまう。白い龍の腹はまん丸くパンパンに膨んでいた。
赤い龍は白い龍の腹に爪を立て鱗と鱗の間の筋をなぞっていく。
「やはりな。いつからだ?」
赤い龍の問いかけに対して、白い龍の返事はない。
「我の言葉に抵抗していないのだから、もう喋れるはずだがな……」
赤い龍はわざとらしい間を作り返事を待っているようだったが、白い龍は依然として沈黙を続けたままだ。
「まだ抵抗を続けるか。――カハッ、カハハハハッ!」
突如、赤い龍は大声で笑い始めた。
「ああ。愛い、愛いぞ、ブランカネーゴ。貴様ぐらいだろうよ、十大龍でもなんでもない、ただの雌龍の分際で我に抵抗し続けるのは――」
赤い龍は右手の爪を立て、白い龍の鱗を突き刺さした。傷口から一雫の血が滲んだ。やがて、雫は重力に従い鱗の筋を伝いながら地面へと垂れ落ちていった。
「”…ャ…ィ”」
「ん? この期に及んで龍の言葉を発したのか? 小さすぎてなにも聞こえんなぁ。それじゃあ理を書き換えられないのではないかぁ? 愛い、愛いなぁ貴様は、カハハッ! 特別だ、もう一度発してみてもよいのだぞ。カハハハ!」
白い龍は何も言わず、ただ赤い龍をまっすぐ見据えている。
「ん? せっかくなのだ、もう一度発してみろ。何、邪魔などせぬわ、だから、ほれ……」
この状況を楽しんでいるのか、赤い龍は見る見る饒舌になっていく。
「そうだよなぁ! 発するわけがないよなぁ! だって無駄だものなぁ! 十大龍でもなんでもない、木っ端の雌龍風情が龍の言葉を発せられるわけがないものなぁ!! カハッ、カハハ、カハハハハハ――!!」
何がそんなにおかしいのだろうか、赤い龍は世界を揺らす程の大声を上げ、笑い続けていた。
「――ハハッ! ……特別だ。ここまで我を楽しませた貴様に、褒美として今回ばかりは本心で話してやろうではないか」
赤い龍は初めて自ら、白い龍と目線を合わせにいった。
「貴様と、その腹の中のものを殺すことを惜しいと思わんわけではない。貴様ほど気高く美しい龍はそうそう現れんだろうからな。なんせ自身と子を殺されそうになってもなお、我に媚びぬ龍なのだから。そして今、その腹の中にあるのはそんな貴様と我の血を引いた龍だ、我とて惜しいと思わんわけではない。だが、我の血を引く龍などいてはならぬ。世界に我以外の真炎龍は要らぬのだ」
赤い龍は左手で白い龍の頬を掴み、自身の方へと無理矢理引き寄せた。
「愛い、本当に愛い奴よ。そんな目を我に向けるのは十大龍以外では貴様だけだろうよ。――ああ、もう貴様を犯せなくなるのか。惜しい、実に惜しいな」
白い龍の鱗を貫く、赤い龍の指先がより深く、深く突き刺さる。腹から流れる血がより一層勢いを増した。鱗の筋を沿っていた血は段々と量を増していき、やがて筋から溢れてしまった。
「なに、特別に他の雌龍が孕んだ子のように苦しませてから食うような真似はせん。だから安心して腹の中の物を我に寄越せ」
赤い龍は軽く爪を下に引いた。それでもなお、白い龍は口を閉じたままだ。
「今度こそ最後だ。我の言葉が冥途の土産にならぬよう、よく考えて発言しろ」
白い龍は首を振り頬にかけられた手を解き、自身の膨らんだ腹に目線を合わせ口を開いた。
「エスペラ」
白い龍は顔を上げ赤い龍と目線を合わせた。
「この子の名は、エスペラート=ヴェーラ=フラモドラコ」
白い龍から発せされた声を聞いた、その場にいる者全てが彼女の慈愛に包まれる様な感覚を覚えた。
「フラモドラコ……それにヴェーラだと――!」
一瞬、空気が震えた気がした。
赤い龍がゆっくりと口から息を吐いた。口元がゆらゆらと揺らめいている。
「――……まあいい、どうせすぐに殺される命だ。我の前でヴェーラ=フラモドラコという名を与えた大罪は……、特別にその命を持って償わせてやろう! ブランカネーゴ!!」
言葉と共に赤い龍はスッと爪を引いた。真っ白な鱗が鮮血に染まる。赤に染まった白い龍は掠れた微かな声で言葉を発し始めた。
「”…ィ…ィ”、”ェ…”」
白い龍の口から、小さくか細い言葉が発せられた。最後の力を振り絞って発せられたのか、白い龍は言葉の終わりとともに事切れてしまった。
「フン、最後に発した言葉が龍の言葉とはな。死の直前まで我に歯向かうか」
赤い龍は、白い龍の腹の裂け目に手を突っ込んで中をかき回し何かを探しているようだ。話の流れからして探しているのはおそらく卵だろうか。
赤い龍は泥の中に埋まった何かを探すかの様に、ぐちゃぐちゃと肉や臓物を掻き分け卵を探し続けている。だが一向に見つかる気配がしない。
「クソ!! 自我すら持たぬ卵風情が。煩わしい、煩わしいぞ! ”アスペクト・アクトゥアラ”」
白い龍の死体が歪み、ウネウネと肉と臓物が一人でに蠢きだす。
肉の隙間から淡いピンク色の卵が姿を現した。
赤い龍は卵に向かって手を伸ばす。しかし指先が卵に触れた瞬間、するりと通り抜けてしまった。
「どういうことだ?!!」
赤い龍は卵に手のひらを重ね、握ったり、手を振り回してみたりしているが、その手は空を切るばかりであった。
「なぜだ……」
ギリリ、と歯と歯が擦れ、軋むような音がした。
「――まさか……、成功したと言うのか。いや、しかし、あり得ん、あり得てたまるものか。そこらに溢れるただの木端の雌龍ごときが理を書き換えるなど……。絶対にあってはならぬことだ!」
赤い龍が、驚き狼狽えているうちに卵の実態はどんどん薄なっていく。
焦りでも感じたのだろうか、赤い龍は慌てた様子で言葉を発し始めた。
「”オヴ・ロコ・レスティ・アスペクト・アクトゥアラ”!」
言葉の力によってこの場に存在する全ての卵が、赤い龍の前に引き寄せられる。しかし肝心の白い龍の卵はもうすでに実態を失ってしまっており、この場から完全に消え去ってしまっているようだった。
「クソオオオォオオ!! 許さん、許さんぞ! 許してたまるものか!!」
周辺の空気が熱を帯び始め、パチパチと何かが弾ける音がした。赤い龍が息を吐く度空気が揺らぐ。
「ならば、この森ごと燃やし尽くしてくれるわ!」
赤い龍の口から真紅の炎が噴き出された。辺一帯が炎に包まれる。
周辺に潜んでいたであろう生物全てがこの場から離れていく。
瞬間、赤い龍が大声で叫んだ。
「“フロスティ!!!!”」
赤い龍の言葉の後、一帯全ての生物が動きを止めた。
無抵抗のまま炎に焼かれ、様々な種類の悲鳴が重なり合い森中に響き渡る。
「良い、良いぞ。だがまだ足りぬ、もっとだ。さぁ、皆よ、さらに悲鳴を上げ、音を奏でろ――。」
赤い龍は一本の指を立て両手を広げた。
「“ シゥイ・アブドゥメロ・フンド・キリェギ・プリーガス”!!」
悲鳴の量が増し、より一層音の圧力が増した。中には口から血を吹き出しながらも、悲鳴を上げ続ける生物もいた。吐き出された血が炎に焼かれ一瞬で蒸発していく。悲鳴に混ざり様々なものが焼かれる音がした。
赤い龍は所々で言葉を発しながら指示を出す。体はまるで酩酊しているかの如く上下左右に大きく揺れている。
その姿はまるで指揮者の様だった。
「あぁ、悲鳴が我を突き刺す。そこまでして我を殺したいか、だが無駄だ無駄。ああ、良い、心地酔いぞ」
徐々に、焼ける音と共に悲鳴が小さくなっていく。気がつく頃には木々や生物は消え失せ、辺りには焼け野原のみが広がっていた。
「ついつい興が乗ってしまったわ。カハハ! 皆よ、素晴らしい演奏であったぞ。カハハハハ!」
誰に向けてのものなのか、死体すら残らぬ焼け野原に向かって赤い龍は賛辞を送る。
「見事に何も無い。塵すら残っておらぬわ、カハハハハハ――! っんむ!?」
赤い龍の永遠に続くかと思われた笑い声が急に止んだ。
「気配が消えておらぬ。まだ潜んでいるのか? 名はなんと言ったか、エス…………クソ、思い出せん!」
赤い龍は地面を蹴った。塵が中を舞い、土が大きく抉り取られる。
「仕方あるまい。”アスペクト・アクトゥアラ”!」
言葉に従い姿を表す者はいない。
「やはり、名を呼ばねばならぬか」
突如として地に足が付くような感覚がした。足元に目をやるともやもやした影が足にまとわりついているように見えた。
じゃまだ。取り払うことはできるだろうか。
影に向かって手を伸ばそうとするが、自分の体であるにもかかわらず思うように動かせない。どうすればいいのだろう。
横着していると龍の首が、こちらを向いた。
「ん? なんだ! 卵ではない、か……。何者だ貴様!!」
赤い龍と目が合った。もしかしなくても、見えているのか。さっきまで気づかれてすらいなかったのに……。まずい、これは殺されてしまうのではないだろうか……――。
「ブランカネーゴなのか、死んだはずでは……。まさか、龍の言葉の影響か!?」
ちがう。私は白い龍ではない。私は――。
自分が誰かはわからなかったが、とにかく、必死に首を横に振り否定する。
「卵はどこにある? ”レスポンド・ブランカネーゴ=ドラコ”!」
身振りが通じていないのだろうか。
赤い龍は私の必死の否定を無視して言葉をつづけた。
「喋れないのか? カハ! なんと発したか知らぬが、龍の言葉を発し、言葉そのものを失うとはな! カハハ!!」
今度は首を縦に振る。正しく通じているかは定かではないが。
「我を笑っているのか? 喋ることすら出来ぬ、今の貴様が?」
――!? まずい。今度こそ殺される――。
赤い龍に今の私がどう映っているかはわからないが、考えうる限りの中の最悪の伝わり方をしてしまったようだ。
「舐めるのも大概にしろ……――。我こそが、ヴェーラ・ドラコ、アログレンティコ=ヴェーラ=フラモドラコなるぞ!」
あまりの恐怖に、見えてはいないが体が小刻みどころではないほど震えているのがありありと感じられた。
「存在すら危うい今の貴様が、我を笑うか。調子に乗るなよ!!」
怒りを抑え切れないのか、意味は違えど赤い龍も私と同じように小刻みに震えている。
赤い龍は翼を拡げ、空に浮び上がり大きく息を吸い込んだ。
「”マラぺリディ”!!!!」
大陸全体に声が響く。
雲が割れ、空間に亀裂が入る。
この日、その場ありとあらゆるものが言葉の力により消え去った。
頭の中に声が響く。気がつくと視界には木々が広がっていた。
ここはどこだ、そもそもどこで何をしていたっけ。
前後の記憶が朧げだ。
「フン、木っ端の雌龍風情が。いくら我に見初められたからといって調子に乗り負ったか。貴様ごときが龍の言葉を発し理に干渉しようなど、笑わせる」
目の前で二匹の龍が言い争っている。
一匹は燃えるような赤い鱗をしていた。赤い龍は見るからに好戦的で、溢れんばかりの自信に満ちており、常に他者を見下し、威圧しているかのような堂々たる雰囲気を身にまとっていた。
一方のもう一匹は雪の様に真っ白な鱗をしていた。白い龍は所作の一つ一つから慈愛の心が感じられ、守られているような、そんな気持ちにさせてくれる、優しい雰囲気が感じられた。事実、何かを守っているのだろう。白い龍はなにかを抱え込むような体勢をとり、周りを常に警戒をしているように見えた。
二匹の龍を見て、まるで吸い込まれてしまいそうなほど純粋で綺麗な色をしている、そう思った。同時に随分現実味のない光景だとも思った。だって龍はもう既に絶滅したはずだから。
それにおかしいことがもう一つある。なんでこの光景を見ても喜びの感情が湧いてこないのだろう。――いや、そもそも私とは誰だ。何も思い出せない。
轟く様な怒号が森中に響きわたった。
「聞け! 龍の言葉とはこう発するのだ!!」
赤い龍は大きく息を吸い、肺に大量の空気を送り込む。胸が膨らみ、赤い龍の口から言葉が発せられた。
「”プロストラード”!」
瞬間、空間に歪みの様なものが生じ、空気が重さを持った。
周りを見渡すと、一帯すべての生物が赤い龍に跪き首を垂れていた。唯一白い龍だけが腰を浮かして少しばかりの抵抗を見せているが、先ほどよりも少し頭の位置が下がっているように見えた。
「フン、十大龍たる、このアログレンティコ=ヴェーラ=フラモドラコ直々の言葉を聞いてもなお、抵抗して見せるか。相変わらず見た目に反し尊大極まりない奴め。まぁいい、その美しさに免じて我の言うことに従うのであれば特別に許してやろう。さぁ、貴様が後生大事そうに抱えている、その腹の中の物を我に寄こすのだ」
白い龍は非常にぎこちなくゆっくりとした動きで、先ほどよりも一層腹を抱え体を丸め込んだ。
赤い龍は白い龍の返答を待っているようだが、白い龍から返事をする素振りは見られない。
「あくまでも抵抗を続ける気か。気丈な雌めが、ならば仕方あるまい」
赤い龍が、徐々に白い龍との距離を詰めてきた。
「我のこの手で貴様の、その腹を掻っ捌き中を確認するとしよう」
二匹の龍の距離は、たやすく互いに触れてしまうほど近くなっている。
赤い龍が再び言葉を発した。
「”アブドゥメロ・モントゥル”」
言葉に従うかのように、周辺の生物全てが赤い龍に腹を見せ仰向けになった。
唯一白い龍だけは、赤い龍の 言葉に従わず必至の抵抗を続けている。
「流石に煩わしくなってきたな。”ヴォネミ・アブドゥメロ・モントゥル・ブランカネーゴ=ドラコ”」
白い龍周辺の空間が歪み、薄い膜のようなものが張られた。最初こそ、お腹を抱え込む様な格好を続けていた白い龍だったが、抵抗し続けることが難しくなったのか徐々に頭が上がり始め、ついには仰向けになり手を広げ腹を見せてしまう。白い龍の腹はまん丸くパンパンに膨んでいた。
赤い龍は白い龍の腹に爪を立て鱗と鱗の間の筋をなぞっていく。
「やはりな。いつからだ?」
赤い龍の問いかけに対して、白い龍の返事はない。
「我の言葉に抵抗していないのだから、もう喋れるはずだがな……」
赤い龍はわざとらしい間を作り返事を待っているようだったが、白い龍は依然として沈黙を続けたままだ。
「まだ抵抗を続けるか。――カハッ、カハハハハッ!」
突如、赤い龍は大声で笑い始めた。
「ああ。愛い、愛いぞ、ブランカネーゴ。貴様ぐらいだろうよ、十大龍でもなんでもない、ただの雌龍の分際で我に抵抗し続けるのは――」
赤い龍は右手の爪を立て、白い龍の鱗を突き刺さした。傷口から一雫の血が滲んだ。やがて、雫は重力に従い鱗の筋を伝いながら地面へと垂れ落ちていった。
「”…ャ…ィ”」
「ん? この期に及んで龍の言葉を発したのか? 小さすぎてなにも聞こえんなぁ。それじゃあ理を書き換えられないのではないかぁ? 愛い、愛いなぁ貴様は、カハハッ! 特別だ、もう一度発してみてもよいのだぞ。カハハハ!」
白い龍は何も言わず、ただ赤い龍をまっすぐ見据えている。
「ん? せっかくなのだ、もう一度発してみろ。何、邪魔などせぬわ、だから、ほれ……」
この状況を楽しんでいるのか、赤い龍は見る見る饒舌になっていく。
「そうだよなぁ! 発するわけがないよなぁ! だって無駄だものなぁ! 十大龍でもなんでもない、木っ端の雌龍風情が龍の言葉を発せられるわけがないものなぁ!! カハッ、カハハ、カハハハハハ――!!」
何がそんなにおかしいのだろうか、赤い龍は世界を揺らす程の大声を上げ、笑い続けていた。
「――ハハッ! ……特別だ。ここまで我を楽しませた貴様に、褒美として今回ばかりは本心で話してやろうではないか」
赤い龍は初めて自ら、白い龍と目線を合わせにいった。
「貴様と、その腹の中のものを殺すことを惜しいと思わんわけではない。貴様ほど気高く美しい龍はそうそう現れんだろうからな。なんせ自身と子を殺されそうになってもなお、我に媚びぬ龍なのだから。そして今、その腹の中にあるのはそんな貴様と我の血を引いた龍だ、我とて惜しいと思わんわけではない。だが、我の血を引く龍などいてはならぬ。世界に我以外の真炎龍は要らぬのだ」
赤い龍は左手で白い龍の頬を掴み、自身の方へと無理矢理引き寄せた。
「愛い、本当に愛い奴よ。そんな目を我に向けるのは十大龍以外では貴様だけだろうよ。――ああ、もう貴様を犯せなくなるのか。惜しい、実に惜しいな」
白い龍の鱗を貫く、赤い龍の指先がより深く、深く突き刺さる。腹から流れる血がより一層勢いを増した。鱗の筋を沿っていた血は段々と量を増していき、やがて筋から溢れてしまった。
「なに、特別に他の雌龍が孕んだ子のように苦しませてから食うような真似はせん。だから安心して腹の中の物を我に寄越せ」
赤い龍は軽く爪を下に引いた。それでもなお、白い龍は口を閉じたままだ。
「今度こそ最後だ。我の言葉が冥途の土産にならぬよう、よく考えて発言しろ」
白い龍は首を振り頬にかけられた手を解き、自身の膨らんだ腹に目線を合わせ口を開いた。
「エスペラ」
白い龍は顔を上げ赤い龍と目線を合わせた。
「この子の名は、エスペラート=ヴェーラ=フラモドラコ」
白い龍から発せされた声を聞いた、その場にいる者全てが彼女の慈愛に包まれる様な感覚を覚えた。
「フラモドラコ……それにヴェーラだと――!」
一瞬、空気が震えた気がした。
赤い龍がゆっくりと口から息を吐いた。口元がゆらゆらと揺らめいている。
「――……まあいい、どうせすぐに殺される命だ。我の前でヴェーラ=フラモドラコという名を与えた大罪は……、特別にその命を持って償わせてやろう! ブランカネーゴ!!」
言葉と共に赤い龍はスッと爪を引いた。真っ白な鱗が鮮血に染まる。赤に染まった白い龍は掠れた微かな声で言葉を発し始めた。
「”…ィ…ィ”、”ェ…”」
白い龍の口から、小さくか細い言葉が発せられた。最後の力を振り絞って発せられたのか、白い龍は言葉の終わりとともに事切れてしまった。
「フン、最後に発した言葉が龍の言葉とはな。死の直前まで我に歯向かうか」
赤い龍は、白い龍の腹の裂け目に手を突っ込んで中をかき回し何かを探しているようだ。話の流れからして探しているのはおそらく卵だろうか。
赤い龍は泥の中に埋まった何かを探すかの様に、ぐちゃぐちゃと肉や臓物を掻き分け卵を探し続けている。だが一向に見つかる気配がしない。
「クソ!! 自我すら持たぬ卵風情が。煩わしい、煩わしいぞ! ”アスペクト・アクトゥアラ”」
白い龍の死体が歪み、ウネウネと肉と臓物が一人でに蠢きだす。
肉の隙間から淡いピンク色の卵が姿を現した。
赤い龍は卵に向かって手を伸ばす。しかし指先が卵に触れた瞬間、するりと通り抜けてしまった。
「どういうことだ?!!」
赤い龍は卵に手のひらを重ね、握ったり、手を振り回してみたりしているが、その手は空を切るばかりであった。
「なぜだ……」
ギリリ、と歯と歯が擦れ、軋むような音がした。
「――まさか……、成功したと言うのか。いや、しかし、あり得ん、あり得てたまるものか。そこらに溢れるただの木端の雌龍ごときが理を書き換えるなど……。絶対にあってはならぬことだ!」
赤い龍が、驚き狼狽えているうちに卵の実態はどんどん薄なっていく。
焦りでも感じたのだろうか、赤い龍は慌てた様子で言葉を発し始めた。
「”オヴ・ロコ・レスティ・アスペクト・アクトゥアラ”!」
言葉の力によってこの場に存在する全ての卵が、赤い龍の前に引き寄せられる。しかし肝心の白い龍の卵はもうすでに実態を失ってしまっており、この場から完全に消え去ってしまっているようだった。
「クソオオオォオオ!! 許さん、許さんぞ! 許してたまるものか!!」
周辺の空気が熱を帯び始め、パチパチと何かが弾ける音がした。赤い龍が息を吐く度空気が揺らぐ。
「ならば、この森ごと燃やし尽くしてくれるわ!」
赤い龍の口から真紅の炎が噴き出された。辺一帯が炎に包まれる。
周辺に潜んでいたであろう生物全てがこの場から離れていく。
瞬間、赤い龍が大声で叫んだ。
「“フロスティ!!!!”」
赤い龍の言葉の後、一帯全ての生物が動きを止めた。
無抵抗のまま炎に焼かれ、様々な種類の悲鳴が重なり合い森中に響き渡る。
「良い、良いぞ。だがまだ足りぬ、もっとだ。さぁ、皆よ、さらに悲鳴を上げ、音を奏でろ――。」
赤い龍は一本の指を立て両手を広げた。
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悲鳴の量が増し、より一層音の圧力が増した。中には口から血を吹き出しながらも、悲鳴を上げ続ける生物もいた。吐き出された血が炎に焼かれ一瞬で蒸発していく。悲鳴に混ざり様々なものが焼かれる音がした。
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「あぁ、悲鳴が我を突き刺す。そこまでして我を殺したいか、だが無駄だ無駄。ああ、良い、心地酔いぞ」
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じゃまだ。取り払うことはできるだろうか。
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「ブランカネーゴなのか、死んだはずでは……。まさか、龍の言葉の影響か!?」
ちがう。私は白い龍ではない。私は――。
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身振りが通じていないのだろうか。
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「喋れないのか? カハ! なんと発したか知らぬが、龍の言葉を発し、言葉そのものを失うとはな! カハハ!!」
今度は首を縦に振る。正しく通じているかは定かではないが。
「我を笑っているのか? 喋ることすら出来ぬ、今の貴様が?」
――!? まずい。今度こそ殺される――。
赤い龍に今の私がどう映っているかはわからないが、考えうる限りの中の最悪の伝わり方をしてしまったようだ。
「舐めるのも大概にしろ……――。我こそが、ヴェーラ・ドラコ、アログレンティコ=ヴェーラ=フラモドラコなるぞ!」
あまりの恐怖に、見えてはいないが体が小刻みどころではないほど震えているのがありありと感じられた。
「存在すら危うい今の貴様が、我を笑うか。調子に乗るなよ!!」
怒りを抑え切れないのか、意味は違えど赤い龍も私と同じように小刻みに震えている。
赤い龍は翼を拡げ、空に浮び上がり大きく息を吸い込んだ。
「”マラぺリディ”!!!!」
大陸全体に声が響く。
雲が割れ、空間に亀裂が入る。
この日、その場ありとあらゆるものが言葉の力により消え去った。
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