アルビノ少女と白き真炎龍《ヴェーラフラモドラコ》〜家の近くの森で絶滅したはずの龍を見つけたので、私このまま旅にでます〜

辺寝栄無

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‐1336年 日ノ炎月 4日《5月4日》‐

いつもとかわらない日常

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 全身こわばってほんのちょっとですら動かせそうにない――。

 苦しい……息が、でき――。

「ッッ……、ッハァハァ――――」

 息苦しさのあまり、なかば強制的に目が覚める。

 視界の先にはいつもと同じ寝室の天井。

 呼吸が荒い。鼓動の音が体中に響いている。

 一度、深く、息を吸い、吐いた。

 だが、相変わらず心臓が激しく胸を叩いている。

 もっと深く吸い、もっと深く吐いた――。

 三度続ける頃には呼吸は大分落ち着いてきていた。

 いつものように朝の支度に取り掛かるため、ベッドから体を持ち上げ、立ち上がろうとした。自分でもびっくりするくらいの量の汗をかいている事に気がついた。

 汗まみれになった服は体のラインがくっきりと出るぐらいびちょびちょに濡れていた。脱いで絞れば雑巾みたいに染み込んだ汗を吐き出しそうだと思った。

 さらにシーツが手をついている部分までじっとりと濡れている事に気がついた。視線を落とすと、そこには人型の影のような跡ができていていた。一瞬おねしょかと思い、恐る恐る鼻を近づけて臭いを嗅いでみたが、服だけでは吸収しきれなかった汗がシーツまで浸透してしまっただけかと思われた。それはそれで汚いことには変わりはないけど……。

 ベッドがこんな大惨事になるなんて、いったいなにが……。怖い夢でも見ていたのだろうか。だけどどんな夢を見たらこんなことに……。こんなの生まれて初めてだ。

 しかし、初めてのことにしては夢の内容について覚えていることは少なく、息苦しかったことが関係しているのだろうか、必至でなにかから逃げていたような、そんな感覚だけが妙に残っていた。

 おぼろげな夢のことについていくら考えても仕方がない。覚えていない夢よりもまずはびちょびちょの服だ、このままでは風邪をひきかねない。それにこれだけ汗をかいたのだ、いっそのこと汗を水で流したほうがいいかもしれない。そのあとはシーツのことについても考えなければ、時間はまだあるかな……。

 壁にかけてある、古い年代物の時計を見る。

 年代物なだけあって、年数の経過で文字盤の数字が擦れてしまっているのか、それとも、そもそもそういうものなのか、理由は定かではないが、とにかくこの時計は時計であるにもかかわらず時間が非常に分かりづらい。こういったアンティーク系の家具は大体がお父様の趣味による物だが、いくら気に入ったからといって私の部屋にまでこんな不便な時計を置くのは勘弁していただきたいものだ。
 
 頭の中にもう一つの時計を思い浮かべ、部屋の時計と照らし合わせる。

 針は七の近くと八を指していた。 
 
 六時四十分……、もう!? まずい、すぐ朝食の時間になってしまう! のんびり汗を流し、身だしなみを整えている暇なんかない。むしろ一刻も早く着替えて朝食に向かわないと、だけどこんな状態で朝食に向かうわけにもいかない。やっぱりまずは身だしなみを……――。

 先ほどまでののんびりとした思考とは打って変わって高速で頭を働かせる。しかし思考は一向に前には進まずグルグルと堂々巡りを繰り返すばかりだ。
 
 コンコン。

 不意に聞こえたノックの音に驚き、思わず肩が跳ねてしまう。

 まずい……たぶん執事のルイスがもうすぐ朝食の時間だと伝えに来たんだ。本当にもう時間がない。

 取り急ぎ出来ることだけやって大急ぎで朝食に向かうべきか。それとも正直に言って準備を整えてから向かうべきか。いやどっちにしたってこれじゃあ、お母様のお叱りからは逃げられない。お母様のお小言はものすごくねちっこくて尋常じゃなく長い。この前なんて廊下をちょっと早足で歩いただけで、はしたないだの貴族の娘としての心構えがなってないだの服装が乱れるだのと小一時間飽きもせず、ずっとしゃべり続けていた。今回のは下手をすれば一日中続くかもしれない。考えただけでもう気が滅入ってしょうがない。何とか回避する方法はないだろうか……――。

「お嬢様、ルイスでございます。朝食の準備が整いましたのでご報告に参りました」

 ドア越しに執事のルイスの声がした。思考に耽っていたせいか思った以上に間が空いてしまっていたようだ。

 なにか返事をしなければ、だけど咄嗟に良い言い訳など思い浮かぶわけもない。けれどもうすでにどうこう出来るほどの時間も残されてない。起こってしまったことはもうどうしようもない。覚悟を決めて正直に言うしかないか……。

「も、もうそんな時間だったの、気がつかなかったわ。でもごめんなさい、実は今ちょっと困ったことになってて、とりあえず入ってもらっ……」

 ベッドから立ち上がろうとしてシーツの上に手を置くと、しっとりと濡れた感触がした。

 いや、この惨状を見られてしまうとそれはそれでまずいかも……。もしかしたらあらぬ誤解をされる可能性だって……。いやルイスは狼犬人リカイナントだ。人間とは違い非常に鼻が利くし、そう言った変な誤解はされないか。だけどこれだけの汗の量だ。それに服だって大変なことになってしまっている。病気と勘違いされるかも。先生に診てもらってからはだいぶ安定してきたとは言え、そもそも身体は丈夫な方じゃないし。むしろ今でも病弱の方に含まれる、と思う。大事に捉えられる可能性だってあるかもしれない。それはそれで面倒なことに……。いや、もしかしたら本当に何かの病気の可能性も確かにないわけではない……? けど疲れ以外には違和感とかは特にないし、大丈夫なはず……きっと。いやそんなことよりもまずこの状況をどう説明するべきか、身支度だってどれほどかかるかも分からないし――――。

 並列思考は苦手なくせに、脳が勝手に今は必要ない情報まで掘り起こしてくるせいで、頭を回せば回すほど、考えなければならないことが無数に増えていく。しかも今日に限って無駄に良く回るときた。

 とっ散らかった思考が短時間で纏まるわけもなく、言葉が途中で止まったまま不自然な間が空いてしまっていた。

「お嬢様、いかがなさいましたか、なにか問題でもございましたか?」

 不審に思ったのだろうか。いくら言葉に詰まっているとはいえ、ルイスであれば普段はやらないであろう、私の言葉をさえぎってまで返事をしてきた。

「だ、大丈夫なんでもないわ」

 思考に集中しすぎてしまっていたせいか、どもってしまう。

 なにか答えなければ――。

 さっきまで考えていたこと全てを無理やり頭の隅に追いやる。  

 ――……うん、とりあえずは、ルイスには朝食に遅れるとお父様達に伝えてもらうことにしよう。

「そうね、やっぱり入らなくても大丈夫。そのかわり、お父様達に私は朝食に遅れると伝えてもらってもいいかしら」

「かしこまりました、ただ――。よろしければ理由をお聞きしてもよろしいでしょうか、お嬢様」

「り、理由!?そ、そうね……」

 予想外の返答に思わず声が上ずってしまう。

 まさか引き下がらないとは……、いや、たぶん不審に思われているんだ、なら聞き返されるのもしょうがない気がする。でも理由なんて聞かれてもどこから話せばいいか。そもそも自分の中ですら整理しきれてないことを他人にわかるように話せるわけがない。そ、そうだここはもういっその事――――。 

「いや、やっぱり朝食はいらないわ。あまり食欲が湧かないの、だからお父様達には私抜きで初めて頂いて構わないと伝えて頂戴」

「お嬢様、何度も申し訳ありません。ひとつだけお聞きしてもよろしいでしょうか?」

「え、ええ、大丈夫よ。何かしらルイス」

「体調が悪いということではないのですね? もし、少しでも体調がすぐれないようでしたら旦那様方には私からそのようにお伝えし、本日は一日安静にすごすというのも――」

「だ、大丈夫! 体調は……、全然大丈夫! ただ今日は朝はいいかなって、ただ単純にそんな気分で、だから今日はいいかな――」

 ――……思いついたことをそのままを言ってみたがこれは、なんというかその……だめかもしれない。よりにもよって気分とは、中身がなく随分とふわふわしていることこの上ない。これが理由として機能しているかは疑問だ。

「気分でございますか――。しかしお嬢様、朝食は一日の活力とも言います。ですから、何度も同じこと言うようで申し訳ございませんが体調が悪いということでないのであれば、しっかり召し上がって頂く方がよろしいかと……」
 
 だめか……。いいや、この作戦はむしろここからが本番だ。このまま無理やりにでも押し切る! 
 
「もう! あんまり深く聞かないでちょうだい、女の子にはいろいろあるのよ! ルイスおわかり?」  

 自分で考えたセリフとはいえ、女の子にはいろいろあるとはなんだろう。物語の中で似たようなセリフを度々見かけるとはいえ、こんなことを言ったのは生まれて初めてだ。しかも最後のおわかりとはなんなのだろう、わかるわけがない。だって、私だってわかってないんだから。

 あまりの恥ずかしさに自分で発した言葉なのにも関わらず、顔全体が熱を持ち、耳の先まで真っ赤に染まっていくのがありありと感じられた。

「いろいろですか……。かしこまりました」

 コツ。

 靴のかかとが床に当たる音がした。

 ふぅ……、何とかなった――。か、な?

「お嬢様、本当によろしいのですね」

 不意に聞こえたルイスの声に肩が跳ね上がった。

 ま、まだ居たのね……。
 
 思わず顔がドアの方を向いてしまう。

「だ、大丈夫よ! もういいから早く行ってったら!!」

 今度こそは不意を突かれぬように、考え事はいったんやめて、音が鳴らぬようドアまで近づき耳を当て、注意深く聞き耳を立てる。

「……――、かしこまりました。では失礼いたします」

 コツコツコツコツ――。

 音は消えた……。今度こそ大丈夫……たぶん。途中溜息のような、大きく息を吐く音が聞こえた気がしたけどたぶん気のせいだろう。

 今回はなんとかうまくいったが、こんなごり押し、もう今後一切、使うことがないよう気を付けていこう。あんなセリフをまた言わなければならないことが今後もしあったとしたら私、もう恥ずかしさのあまり死んでしまう気がする。

 熱を持った顔を手で仰ぎつつ、空の水差しを手に取りに魔力を流し込む。少しの疲労感とともに、徐々に水差しの中が飲み水で満たされていった。しかし込めた魔力が少し足りていなかったのか、思っていたよりも水は溜まっておらず、少し不思議に思いながらも私は、再びもう少しだけ水差しに魔力を送り、ちょうど良い量の水が溜まったのを確認して、溜まった水全てをコップに注ぎ込み、それを一気に飲み干した。

 冷たい水で頭も冷え、一息つきながら私は、今後一切もう二度とあんな恥ずかしいセリフは使ってたまるものかと心に決めた。
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