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蝉のリフレイン7

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 教室の前に椅子が二つ置かれている。昼の一時過ぎ、教室の戸を二回ノックする。中から溌剌とした返事が聞こえる。
「失礼します……」
 挨拶をして戸を開けると、教壇の前に机が四つ固めて並べられてあり、担任の半中が向こう側の椅子にしとやかに座っていた。彼女は一度腰を浮かせて、手前の席をきっちり指を揃えて差し示した。
「はい、白鳥さん、こんにちは。こちらにかけて下さい」
 スーツ姿に沿うようにして言い慣れない敬語を話す半中に、僕はむずがゆい顔を向けた。僕が座ると、彼女は大きく息を吐いて堅苦しい態度を解いた。
「はぁ、やはり駄目だな、こう肩肘張ってばかりだと息が詰まる」
 彼女はそう言ってわざとらしく肩を回した。舐められていると直感した。朝からお疲れ様ですとでも言えば良いんだろうが、言わないぞ、僕は。
 彼女と僕の人としての相性は最悪と言ってもよかった。特に彼女のコミュニケーションの取り方は、いつも僕の神経を逆なでし、そこに悪気がないのが最悪だった。
 彼女が問題児と会話する際のスタンスはこうだ。
『私は特定の生徒を特別扱いしない。生徒は皆平等であり、君はその中の一人だ、他の子となんら変わらない対応を約束しよう。だが、それだけではままならない、少々複雑な事情を持った生徒がいることも私は知っている、それは君だ。私には君の抱えるデリケートな問題に真剣に向き合う義務がある。一人で抱え込むことはない、一緒に考え、行動し、乗り越えよう、私は君の味方だ――』
 あくまで生徒と教師の線引きを忘れず、しかし静かに情熱を燃やし、生徒の背負った問題を解決へ導くために尽力すること。これが彼女の教師としての理念であり、理想だ。
 気にくわないことがたくさんある。それは、クールなふりして情熱的なところが生理的に無理であるとか、相手に心を開かせようとするときの演技が臭すぎるとか、細かいことを言い出したらきりがないのだが、その中でも一際かんに障るのが、そのすり寄るような卑しい親切心だ。
 そもそも、僕は彼女が僕のプライベートな部分に干渉することを許可していない。にも関わらず、強引にシェアしようとしてくる、これが絶対に許せない。なにが一緒に乗り越えようだ、ふざけるな。僕はお前の心中で鋭意制作中のドキュメンタリー番組に出演する気は毛頭無いし、その演出に必要であろう僕の抱えるシリアスのひとかけらもやらない。いくら両手を器にして健気に待っていたって、何も与えやしない……
 僕が黙っていると、彼女は首を一周ぐるりと回してから前を向き、よしっと言っておもむろに二者面談を始めた。
 連絡事項を記載した配布済みのプリント、ボラティアのお知らせ、成績表のコピー、進路に関する参考書類を説明とともに手渡される。僕はほとんどはいといいえで受け答えをした。同じトーンで復唱し続けると、会話が途絶えた。僕は半中を透かして、奥で口を開けている窓枠を見て、手元にあるプリント類を全て紙飛行機にして窓から投げる妄想をしていた。今し方貰ったばかりのプリントを、渡した者の前で臆面も無く自由の形に折りたたみ、窓から投げ出すこの爽快さは万国共通ではないだろうか、と思った。
「最近調子はどうだ、白鳥」
 形式上伝えなければいけないことを全て言い終えた半中は、業務を終えた活きのいい男っぽい口調でそう言った。目の焦点が半中に合う。僕は自分の頬をさすりながら答える。
「まあまあです」
「そうか、それは何よりだ」
 相変わらず、澄んだ力強い声だと思った。至近距離で聞くとなおさらそう感じられた。宝塚の歌劇団にありそうな、男性的な清々しさが発声の度に付随していた。
 だが、鎖骨から胸元にかけ、白いシャツは女性固有の歪曲を示している。凜々しい顔とのギャップで、いかにも男受けが良さそうだ。
「お母様は、今どうされている?」
 あまり家で見かけないから分からないと言うと、そうか、やはりお忙しい方なのだな、と言われた。食事はちゃんと取っているのかと聞かれて大丈夫と言った。学校は楽しいかと聞かれ、まあまあですと言った。常に顔色をうかがう目線と様子見の会話は、口を割らない容疑者への老獪な質疑、その前哨戦にも思えた。プレッシャーを感じていた。
「家では普段、何をして過ごしているんだ」
 喉の奥がつっかえて、一瞬、返事をためらった。長い間眠っていたり、まどろんだ頭でとりとめもない思考を重ねることの多い日々からは、具体的な行動があまり思い出せなかった。
「本を、本を読んでます」
「へぇ、何の本だ? 漫画?」
「小説です」
「お、小説か、よし、じゃあ今から先生が白鳥の好きな作家を当ててやろう」 
 ついこの間、これに似た会話があったことが思い出される。
 一分の隙も無い壁面の前に佇むクライマーが、突如現れた小さな突起を見つけて飛びつき、テクニックではなく腕力でぐいっと体をたぐり寄せるイメージが浮かぶ。この場合、絶壁から出た小さな突起とは小説であり、そこにクライマーの手がかかる感覚は二度目だった。図書室の彼女がちらついたのだ。
 クライマーは調子づき、様々な作家の名を言い連ねた。その連名は流行作家を追うように思えて、その実、半中の趣味を露わにしていった。女流作家の名が先行し過ぎると、後からフォローするようにして、誰でも知っている著名な男性作家の名を挟み、カモフラージュのために海外作家のことさえ話題に持ち込んだ。そのようにして彼女は、結果的に自らの読書量の多さと幅の広さをひけらかしていった。極めて遅い読書ペースをした、まだそう多くの本と出会っていない若者にとっては、その手の話は鼻持ちならなかった。彼女の持つ同性作家への傾倒も、語り口から伝わる熱も、僕には理解しがたい。その点図書室の彼女は優秀だった。彼女はこんな余計なことは言わないし、意識的に避けていた。分をわきまえているのだろう。読書家として言えば、彼女は目の前の国語科教師より遙かに上等だった。
 見た目だけは一流の女教師を見ていると、腹の中の虫がにわかに騒ぎ出す。栄二はどうしてこんな張りぼてに騙されているのだろう、君はどこか間違えている。
 批判的な気持ちがつのる中、気のない返事を長々と続けていると、彼女が口からこぼしたある作家の名が弾丸の如く僕の心臓を打ち抜いた。ミシマユキオ――
 がたっと膝が机の裏を跳ね上げ、ミシマ、と声が漏れた。
「なんだ、白鳥は三島を読むのか」
 彼女は薄笑いして、桃色のリップを塗った唇を横にヌルリと引き伸ばした。
 三島が好きとは、なかなか分かっているじゃないか、感心した、そう言ってクライマーは次々と突起を見つけ、飽きることなく喉元めがけて登ってくる。不愉快は加速する。
「何を読んだ、仮面か、潮騒か?」
 僕が口を開こうとすると、割り込むようにして、
「あぁ、分かった、愛の乾きだ!」
 大声で叫びそうになるのをすんでの所で抑え、息を止めた。それから口をそっと開き、ひかえめに言った。
「いや、金閣を……」
「――金閣?」
 タイトルを言い直した半中は何度かまつげをしばたかせ、腕を深々と組み、そうか、そっちか、と小言をぶつぶつ言った。先程までの勢いは途絶え、クライマーの落下を確かめた。意気消沈する彼女をよそに振り返ると、磨りガラスの向こう側に二人の影を認めた。僕は親指で後ろを指し、担任に伝えた。
「あんまり待たせると悪いと思います」
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