上 下
11 / 37

図書室より5

しおりを挟む
 ――期末テストが近づいていた。それも二週間後。僕は卒業のために、それを必ず受けるよう担任に口酸っぱく言われている。学のない僕には悩みの種だった。付け焼き刃欲しさに、僕は日中ずっと教室の右端で机にかじりつき、授業を受けていた。
 変態は国語が無いと、いや、半中がいないと、道ばたに落ちたバナナの皮みたくもぬけの殻になってしまう。心ここにあらず。彼が劣等生だというのを僕は微塵も疑わない。
 バナナの皮を見ていても学力は上がらないからと、しばらく動かしていなかった頭をこねくり回した。しかし未知数が常に立式の数を超え、思考は空転し続けた。つまりは、分からないことが多すぎて、授業について行けなかったのだ。
 水曜の放課後、僕は借りた本を返しに図書室を訪れた。戸を開けると、彼女は健気に清掃活動していた。
「わ、霞ちゃんだ」
 僕が鞄から本を取り出して見せると、彼女はそそくさと箒を書架にかけて僕に歩み寄った。餌に寄りつく犬っころのようだ。
「今日は一冊だけ?」
 僕がうなずくと、彼女は本を持ってカウンターの中へと入り、図書委員長らしく用紙にチェックを入れ、迷いなく一番奥の書架まで行って、本を戻した。
「美丘かぁ、うん、いい趣味してる」
 カウンターにもたれている僕の方へ振り返った彼女はにんまりとした笑顔を作った。
「私は傷をなぞるシーンが素敵やと思うねんけど、霞ちゃんはどのシーンが好きやった?」
 僕は一度宙を見上げて、
「ラストかな、ずいぶん前に読んだ本だけど、いまだに覚えてる」
「ああ~、そこかあ、確かに。でもちょっと可哀想やったかなぁ……」
 僕と彼女はこの日の、この会話の流れを卒業まで忘れることがなかった。一種の扱いやすい会話定型として、小説の話を好んでするようになった。僕たちは小説を一冊挟むだけで、不満なく話し合えた。
 幸いなことに、彼女はこの小さな図書室にある小説を全て読了していた。僕が何の本を返そうと、彼女とは話が通じたし、そういうときの彼女はとても誇らしそうに話した。どんな些細なことでも覚えていて、いつでも感想を述べられることが彼女のアイデンティティを満たし、言葉尻に躍動感を与えていた。
 互いに本を褒め合い、結論として美丘は幸せだったとし、長々続いた書評にピリオドを打った。途切れた会話を繋いだのは僕からだった。会話の最中に思いついた駄々をこねてみたのだ。
「あのさ」
「ん?」
「麻衣って勉強得意だよね。よく授業で正解を発表しているし、きっと成績も良い。そうでしょ、違う?」
 彼女は半透明の赤い縁をした眼鏡のブリッジをあけすけに指で押し上げた。
「ま、そこそこね」
 平静を装う彼女の、茶褐色の瞳が眼鏡の奥からこちらをうかがっている。端的な言葉で返して、居直り、あえて間を取る彼女は、いたってシンプルだった。
 こういう奴はプライドをくすぐられると、たちまちいい気になって、サービス精神旺盛になるのがお決まりだ。僕はすかさずそこにつけ入った。
「もしよかったら、僕に勉強を教えてくれないかな。授業がさっぱり分かんなくて困ってるんだ」
 彼女は抑制された笑みを浮かべた。
「うん、ええよ、私に出来ることなら、何でも教えてあげる」
 僕が部活に入るなんてことはついぞ無かった。帰宅部のエースは下校が早く、夏の下校路に日暮れなど見ない。だけど今日の僕は、運動部でもないのに部活動の規定時刻まで勉強を教わり、そして初めて膝小僧を土で汚した者達の帰宅ラッシュに巻き込まれた。
 周囲を汗臭い男で占められはしたが、肩身が狭くなることはなかった。隣には麻衣がいて、彼女は周りなど気にせず言いたいことを話し、僕は話について行くだけで良かった。
 彼女とは校門の前で別れた。彼女とは帰り道が一八〇度違っていた。
「また明日ね」
 彼女は小さく手を振って、夕闇に葉を垂らす紅葉の並木道を歩いて行った。彼女の後ろ姿は知らないうちに小さくなって消えた。
 うるさかった運動部の群れもちりぢりになって、周囲は黄昏の沈黙に覆われた。
 部活帰りって、こういうものなのかな、と漠然な感想を持った。校門の前で立ち尽くし、五感を澄ませてみる。
 どこからか烏の鳴き声がして、色調の暗い赤が空を支配し、まるで世界から人がいなくなったように時折、人気が途絶える。夕暮れは別れを濃厚にし、景色は徐々に闇に飲まれ、全てが孤独になり、それでも他者の残像が意識の端にまとわりつく、この感覚。
 僕はこれを味わった経験に乏しく、とても新鮮に思った。
 空気は生々しく重たいが、不快ではなかった。だが、不意に流れる臆病風が気になった。僕はもしかすると、早く家に帰りたかった。けれど、帰るに値しない家を思うと、やはり帰りたくはなくて、どうすれば良いか分からなくなっていた。僕は変わらず立ち尽くした。
 辺りが急に暗くなり、校舎から出てくる職員の車のヘッドライトにせっつかれて、僕は気持ちを整理出来ないまま帰路についた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

イケメン社長と私が結婚!?初めての『気持ちイイ』を体に教え込まれる!?

すずなり。
恋愛
ある日、彼氏が自分の住んでるアパートを引き払い、勝手に『同棲』を求めてきた。 「お前が働いてるんだから俺は家にいる。」 家事をするわけでもなく、食費をくれるわけでもなく・・・デートもしない。 「私は母親じゃない・・・!」 そう言って家を飛び出した。 夜遅く、何も持たず、靴も履かず・・・一人で泣きながら歩いてるとこを保護してくれた一人の人。 「何があった?送ってく。」 それはいつも仕事場のカフェに来てくれる常連さんだった。 「俺と・・・結婚してほしい。」 「!?」 突然の結婚の申し込み。彼のことは何も知らなかったけど・・・惹かれるのに時間はかからない。 かっこよくて・・優しくて・・・紳士な彼は私を心から愛してくれる。 そんな彼に、私は想いを返したい。 「俺に・・・全てを見せて。」 苦手意識の強かった『営み』。 彼の手によって私の感じ方が変わっていく・・・。 「いあぁぁぁっ・・!!」 「感じやすいんだな・・・。」 ※お話は全て想像の世界のものです。現実世界とはなんら関係ありません。 ※お話の中に出てくる病気、治療法などは想像のものとしてご覧ください。 ※誤字脱字、表現不足は重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけると嬉しいです。 ※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。 それではお楽しみください。すずなり。

イケメン彼氏は年上消防士!鍛え上げられた体は、夜の体力まで別物!?

すずなり。
恋愛
私が働く食堂にやってくる消防士さんたち。 翔馬「俺、チャーハン。」 宏斗「俺もー。」 航平「俺、から揚げつけてー。」 優弥「俺はスープ付き。」 みんなガタイがよく、男前。 ひなた「はーいっ。ちょっと待ってくださいねーっ。」 慌ただしい昼時を過ぎると、私の仕事は終わる。 終わった後、私は行かなきゃいけないところがある。 ひなた「すみませーん、子供のお迎えにきましたー。」 保育園に迎えに行かなきゃいけない子、『太陽』。 私は子供と一緒に・・・暮らしてる。 ーーーーーーーーーーーーーーーー 翔馬「おいおい嘘だろ?」 宏斗「子供・・・いたんだ・・。」 航平「いくつん時の子だよ・・・・。」 優弥「マジか・・・。」 消防署で開かれたお祭りに連れて行った太陽。 太陽の存在を知った一人の消防士さんが・・・私に言った。 「俺は太陽がいてもいい。・・・太陽の『パパ』になる。」 「俺はひなたが好きだ。・・・絶対振り向かせるから覚悟しとけよ?」 ※お話に出てくる内容は、全て想像の世界です。現実世界とは何ら関係ありません。 ※感想やコメントは受け付けることができません。 メンタルが薄氷なもので・・・すみません。 言葉も足りませんが読んでいただけたら幸いです。 楽しんでいただけたら嬉しく思います。

お知らせ有り※※束縛上司!~溺愛体質の上司の深すぎる愛情~

ひなの琴莉
恋愛
イケメンで完璧な上司は自分にだけなぜかとても過保護でしつこい。そんな店長に秘密を握られた。秘密をすることに交換条件として色々求められてしまう。 溺愛体質のヒーロー☓地味子。ドタバタラブコメディ。 2021/3/10 しおりを挟んでくださっている皆様へ。 こちらの作品はすごく昔に書いたのをリメイクして連載していたものです。 しかし、古い作品なので……時代背景と言うか……いろいろ突っ込みどころ満載で、修正しながら書いていたのですが、やはり難しかったです(汗) 楽しい作品に仕上げるのが厳しいと判断し、連載を中止させていただくことにしました。 申しわけありません。 新作を書いて更新していきたいと思っていますので、よろしくお願いします。 お詫びに過去に書いた原文のママ載せておきます。 修正していないのと、若かりし頃の作品のため、 甘めに見てくださいm(__)m

落ち込んでいたら綺麗なお姉さんにナンパされてお持ち帰りされた話

水無瀬雨音
恋愛
実家の花屋で働く璃子。落ち込んでいたら綺麗なお姉さんに花束をプレゼントされ……? 恋の始まりの話。

管理人さんといっしょ。

桜庭かなめ
恋愛
 桐生由弦は高校進学のために、学校近くのアパート「あけぼの荘」に引っ越すことに。  しかし、あけぼの荘に向かう途中、由弦と同じく進学のために引っ越す姫宮風花と二重契約になっており、既に引っ越しの作業が始まっているという連絡が来る。  風花に部屋を譲ったが、あけぼの荘に空き部屋はなく、由弦の希望する物件が近くには一切ないので、新しい住まいがなかなか見つからない。そんなとき、 「責任を取らせてください! 私と一緒に暮らしましょう」  高校2年生の管理人・白鳥美優からのそんな提案を受け、由弦と彼女と一緒に同居すると決める。こうして由弦は1学年上の女子高生との共同生活が始まった。  ご飯を食べるときも、寝るときも、家では美少女な管理人さんといつもいっしょ。優しくて温かい同居&学園ラブコメディ!  ※特別編10が完結しました!(2024.6.21)  ※お気に入り登録や感想をお待ちしております。

もつれた心、ほどいてあげる~カリスマ美容師御曹司の甘美な溺愛レッスン~

泉南佳那
恋愛
 イケメンカリスマ美容師と内気で地味な書店員との、甘々溺愛ストーリーです!  どうぞお楽しみいただけますように。 〈あらすじ〉  加藤優紀は、現在、25歳の書店員。  東京の中心部ながら、昭和味たっぷりの裏町に位置する「高木書店」という名の本屋を、祖母とふたりで切り盛りしている。  彼女が高木書店で働きはじめたのは、3年ほど前から。  短大卒業後、不動産会社で営業事務をしていたが、同期の、親会社の重役令嬢からいじめに近い嫌がらせを受け、逃げるように会社を辞めた過去があった。  そのことは優紀の心に小さいながらも深い傷をつけた。  人付き合いを恐れるようになった優紀は、それ以来、つぶれかけの本屋で人の目につかない質素な生活に安んじていた。  一方、高木書店の目と鼻の先に、優紀の兄の幼なじみで、大企業の社長令息にしてカリスマ美容師の香坂玲伊が〈リインカネーション〉という総合ビューティーサロンを経営していた。  玲伊は優紀より4歳年上の29歳。  優紀も、兄とともに玲伊と一緒に遊んだ幼なじみであった。  店が近いこともあり、玲伊はしょっちゅう、優紀の本屋に顔を出していた。    子供のころから、かっこよくて優しかった玲伊は、優紀の初恋の人。  その気持ちは今もまったく変わっていなかったが、しがない書店員の自分が、カリスマ美容師にして御曹司の彼に釣り合うはずがないと、その恋心に蓋をしていた。  そんなある日、優紀は玲伊に「自分の店に来て」言われる。  優紀が〈リインカネーション〉を訪れると、人気のファッション誌『KALEN』の編集者が待っていた。  そして「シンデレラ・プロジェクト」のモデルをしてほしいと依頼される。 「シンデレラ・プロジェクト」とは、玲伊の店の1周年記念の企画で、〈リインカネーション〉のすべての施設を使い、2~3カ月でモデルの女性を美しく変身させ、それを雑誌の連載記事として掲載するというもの。  優紀は固辞したが、玲伊の熱心な誘いに負け、最終的に引き受けることとなる。  はじめての経験に戸惑いながらも、超一流の施術に心が満たされていく優紀。  そして、玲伊への恋心はいっそう募ってゆく。  玲伊はとても優しいが、それは親友の妹だから。  そんな切ない気持ちを抱えていた。  プロジェクトがはじまり、ひと月が過ぎた。  書店の仕事と〈リインカネーション〉の施術という二重生活に慣れてきた矢先、大問題が発生する。  突然、編集部に上層部から横やりが入り、優紀は「シンデレラ・プロジェクト」のモデルを下ろされることになった。  残念に思いながらも、やはり夢でしかなかったのだとあきらめる優紀だったが、そんなとき、玲伊から呼び出しを受けて……

【R18】純粋無垢なプリンセスは、婚礼した冷徹と噂される美麗国王に三日三晩の初夜で蕩かされるほど溺愛される

奏音 美都
恋愛
数々の困難を乗り越えて、ようやく誓約の儀を交わしたグレートブルタン国のプリンセスであるルチアとシュタート王国、国王のクロード。 けれど、それぞれの執務に追われ、誓約の儀から二ヶ月経っても夫婦の時間を過ごせずにいた。 そんなある日、ルチアの元にクロードから別邸への招待状が届けられる。そこで三日三晩の甘い蕩かされるような初夜を過ごしながら、クロードの過去を知ることになる。 2人の出会いを描いた作品はこちら 「純粋無垢なプリンセスを野盗から助け出したのは、冷徹と噂される美麗国王でした」https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/443443630 2人の誓約の儀を描いた作品はこちら 「純粋無垢なプリンセスは、冷徹と噂される美麗国王と誓約の儀を結ぶ」 https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/183445041

処理中です...