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第5話:知性ある魔物たち
しおりを挟む深淵の森の中心で、アーサーとヴォルグの戦いは壮絶を極めた。
「はあああっ!」
アーサーはモンスターイーターを振るい、黒狼の放つ爪撃を受け止める。剣と爪がぶつかり合う度に、紫と黒の火花が散った。
「なかなか...やるな...人間の子よ...」
ヴォルグの姿は完全に変貌していた。今や彼は直立して歩く人型の狼戦士で、その体からは常に黒い霧が立ち上っている。鋭い爪は剣のように輝き、六つの赤い目は獲物を逃さない鋭さで光っていた。
「まだまだ...!」
アーサーは獲得したスキルを駆使して戦った。「敏捷強化」で相手の速度に対抗し、「甲殻防御」で急所を守り、「棘装甲」で反撃の機会を作る。彼の戦術は、魔境での経験を通じて磨き上げられていた。
しかし、ヴォルグはそれ以上に強大だった。彼の動きは流れるように滑らかで、アーサーの攻撃の多くは黒い霧に阻まれ、実体に届かない。
「そろそろ...本気で...いくぞ...」
ヴォルグの体から黒い霧が爆発的に広がり、森全体が暗闇に包まれた。アーサーは「暗視」と「夜行視覚」を最大限に発動させたが、この暗闇は通常の闇ではなかった。
「くっ...見えない...!」
突然、背後から鋭い痛みが走った。ヴォルグの爪がアーサーの背中を掠め、血が流れる。彼は反射的に剣を振るうが、空を切るだけだった。
「見えぬものは...感じろ...」ヴォルグの声が四方八方から聞こえてくる。「魔力の流れを...感じ取れ...」
アーサーは深く息を吸い、冷静さを取り戻した。目を閉じ、周囲の魔力の流れに意識を向ける。すると、黒い霧の中に揺らめく赤い炎のような存在が感じられた—ヴォルグの魔力だ。
「そこだ!」
アーサーは感覚だけを頼りに剣を振るった。手応えがあり、ヴォルグの唸り声が聞こえた。命中だ。
「見事...だ...」黒い霧が薄れ、ヴォルグの姿が再び見えるようになった。彼の腕には浅い傷がついていた。「感覚が...研ぎ澄まされている...」
アーサーは再び剣を構え、集中した。感覚が変わり始めていた。剣と自分の体が一体化し、魔力の流れがより鮮明に感じられるようになる。
「もう一度!」
今度は彼から攻め込んだ。モンスターイーターが紫の光を強く放ち、アーサーの動きが更に加速する。彼は跳躍し、上空からヴォルグに襲いかかった。
しかし、黒狼は微笑んだように見えた。
「まだ...甘い...!」
ヴォルグが両手を前に突き出すと、黒い霧が竜巻のようにアーサーを包み込んだ。激しい風圧と共に、彼の体が宙に舞い上げられる。
「ぐあっ!」
アーサーは空中でバランスを崩し、地面に叩きつけられた。全身に激痛が走り、一瞬、意識が遠のく。
「まだ...力が足りぬ...」ヴォルグが彼に近づいてくる。「だが...可能性は...感じる...」
アーサーは必死に立ち上がろうとした。しかし体が思うように動かない。これほどの強敵は初めてだった。モンスターイーターの力を得て以来、彼は順調に強さを増してきたが、ヴォルグは別格の存在だった。
「まだ...終わらない...!」
彼は渾身の力を振り絞り、剣に意識を集中させた。モンスターイーターが共鳴するように紫の光を放ち、アーサーの中に眠る力が目覚め始める。
「はあああああっ!」
彼の背中から黒い翼が展開し、全身が紫の光に包まれた。獲得したすべてのスキルが一度に発動し、彼の体は一時的に魔物のような姿へと変貌する。皮膚は甲殻に覆われ、腕からは鋭いトゲが生え、指先からは蜘蛛の糸のような糸が伸びている。
ヴォルグは驚いたように足を止めた。
「これは...」
アーサーは新たな力に満ちた姿で、黒狼に襲いかかった。彼の速度と力は先ほどとは比較にならないほど高まっていた。
剣と爪がぶつかり合う度に、森全体が振動する。二つの力がせめぎ合い、周囲の木々が倒れ、地面が割れていく。
「もっと...もっと力を...!」
アーサーの瞳が完全に紫色に変わり、彼の中の人間らしさが一時的に後退していく。彼は純粋な戦闘本能だけで動くようになった。
「力に...飲まれるな...!」
ヴォルグの警告の声が聞こえたが、彼にはもう意味が理解できなかった。あるのは勝利への渇望だけ。
剣を振るう度に、紫の閃光が走る。ヴォルグは防戦一方になり、黒い霧を使って距離を取ろうとする。
「おおおおっ!」
アーサーの一撃が黒狼の胸を捉え、赤黒い血が飛び散った。ヴォルグは後退し、膝をついた。
「はっ...はっ...はっ...」アーサーは荒い息を吐きながら、トドメを刺そうと剣を構えた。
しかし、その時だった。
『主よ、我に帰れ!これは試練だ!』
モンスターイーターの声が彼の意識の奥底に響いた。アーサーは一瞬ひるみ、力の暴走に歯止めをかけた。
「私は...何を...?」
アーサーは自分の姿を見て愕然とした。彼は完全に魔物のような形相になっていた。これが力に溺れることの意味なのか。
「理解...したか...?」ヴォルグは傷を負いながらも立ち上がった。「力は...諸刃の剣...飲み込まれれば...自らも...魔に堕ちる...」
アーサーは剣を下げ、深く息を吐いた。彼は意識的に魔物の特性を抑え込み、人間の姿に戻っていく。
「力に溺れるな...ということか」
「そうだ...」ヴォルグは頷いた。「お前は...試練を...半分だけ...乗り越えた...力を...制御できた...だが...まだ...真の理解には...至らぬ...」
アーサーは膝をつき、疲労感に襲われた。力の暴走は彼の体力を極限まで消耗させていた。
「では...どうすれば...?」
ヴォルグは彼に近づくと、片手を彼の肩に置いた。
「我が領地を...超えた先に..."魔知の谷"がある...そこに...答えがある...」
そう言うと、黒狼は再び黒い霧に包まれ、元の四足歩行の狼の姿に戻った。
「行け...人間の子よ...お前の...旅は...まだ始まったばかりだ...」
ヴォルグは森の奥へと歩き去っていった。アーサーは立ち上がり、彼を追いかけようとしたが、黒狼の姿はすでに霧の中に消えていた。
---
アーサーはヴォルグとの戦いから学んだことを胸に、魔境の旅を続けた。
「魔知の谷」—その名は彼に深い興味を抱かせた。そこには更なる知恵が眠っているのだろうか。
彼は深淵の森を抜け、新たな地域へと足を踏み入れた。風景が一変する。森の暗さとは対照的に、谷は開けた場所で、紫がかった草原が広がっていた。そして遠くには、平らな岩山が連なり、その中腹には洞窟の入り口らしきものが見える。
アーサーは翼を広げ、谷の上空を飛行した。地上からは見えなかったものが見えてくる。谷の奥には建物らしきものが点在し、道のようなものも伸びていた。これは明らかに文明の痕跡だ。
「まさか...魔物の集落...?」
彼は慎重に高度を下げ、谷の入り口に着地した。翼を消し、徒歩で進む方が無難だろう。
谷に入ると、周囲の空気が変わった。魔境の他の場所にあるような不気味さや危険な気配は薄い。代わりに、どこか懐かしさを感じさせる穏やかな雰囲気が漂っていた。
「ここは...」
アーサーが歩を進めると、突然、彼の前に姿を現した者たちがいた。魔物—しかし、これまで見てきた野生の魔獣たちとは明らかに異なる。
三体の魔物が彼を取り囲んだ。一体はオーガで、青灰色の肌に一つ目を持ち、首から様々な装飾品を下げている。もう一体は半人半蛇のような姿をしており、上半身は人間の女性に似ているが、下半身は蛇の胴体だ。三体目は全身が赤い鱗に覆われた竜人のような姿をしていた。
彼らは警戒心を露わにしながらも、アーサーに剣を向けることはなかった。
「人間が...なぜここに?」オーガが低い声で尋ねた。
アーサーは緊張しながらも、剣に手をかけず、礼儀正しく答えた。
「私はアーサー。ヴォルグに導かれ、"魔知の谷"を訪れた」
三体の魔物は互いに視線を交わし、何か意思の疎通をしているようだった。
「ヴォルグが...?」蛇の女性が不思議そうに首を傾げた。「彼は千年も沈黙を守ってきたというのに...」
「連れていくしかないな」竜人が決断したように言った。「族長が判断するだろう」
オーガが頷き、アーサーに向き直った。
「我らについてこい、人間よ。ガルザス族長が会いたがるだろう」
アーサーは心の中で名前を反芻した。ガルザス—前回オーガの洞窟で会った魔物の名と同じだ。それとも同名の別の存在なのか?
彼は魔物たちに導かれ、谷の奥へと進んだ。道中、様々な種類の魔物たちが彼を好奇心に満ちた目で見つめていた。小型の羽のある魔物から、巨大な岩のような姿をした魔物まで、多様な形態を持つ存在たちが、ここで共存しているようだった。
やがて彼らは谷の中心部に到達した。そこには、岩を彫り上げたような巨大な建造物があった。その建物は魔力で強化されたのか、内部から青い光が漏れている。
「ここが我らの集会所」オーガが説明した。「全ての魔知種の代表が集う場所だ」
アーサーは建物の壮大さに感嘆した。これほどの建築技術を持つ魔物たちがいるとは。人間の世界では、魔物は単なる獣か、せいぜい人語を話す程度の知能を持つ存在としか教えられていなかった。
建物の内部は更に驚くべきものだった。天井は高く、壁には精巧な彫刻が施され、床には複雑な文様が刻まれている。中央には大きな円卓があり、その周りには様々な魔物たちが座っていた。
「来たか、人間よ」
声の主は、円卓の最も奥に座るオーガだった。青灰色の肌、一つ目、そして金の杖—前に会ったガルザスだ。彼はアーサーを認識し、微かに微笑んだ。
「お前が再び我らの前に現れることを予感していた」
アーサーは一歩前に出た。
「ガルザス、私は深淵の森でヴォルグと会い、ここへ導かれた」
ガルザスは杖を床に突き、立ち上がった。彼の背丈は部屋の高さの半分ほどもあり、圧倒的な存在感を放っている。
「ヴォルグが人間を認めたか...これは千年来の出来事だ」
円卓に座る魔物たちの間に、ざわめきが広がった。様々な言語が飛び交い、アーサーには理解できないものも多かったが、彼が異例の存在だということは伝わってきた。
「しかし」竜人のような魔物が声を上げた。「人間は信用できぬ。過去、彼らは何度我らを裏切ったか」
「そうだ」蜘蛛のような形状の魔物が同意した。「彼もモンスターイーターを持つ。我らの敵ではないか」
アーサーは剣に手をやりながら、反論した。
「確かに私はモンスターイーターの使い手だ。しかし、私は王国の裏切りにより追放された身。今は魔境と共に生きることを選んだ」
ガルザスは円卓を一周し、アーサーの前に立った。
「お前の言葉に嘘はないようだ」彼は深く、アーサーの目を見つめた。「だが、言葉だけでは魔知種を納得させることはできぬ。証明が必要だ」
「何をすればいい?」アーサーは真剣に尋ねた。
ガルザスは円卓に戻り、他の魔物たちと視線を交わした。やがて、全員の合意を得たように頷き、アーサーに向き直った。
「人間よ、お前に試練を与えよう」彼は厳かに宣言した。「この谷の奥にある"霊峰"に登り、そこに眠る"魔知の石"を手に入れよ」
アーサーは谷の奥に聳える険しい山を思い浮かべた。それほど高い山ではなかったが、魔力で覆われているのか、頂上付近は常に紫の霧に包まれていた。
「魔知の石?」
「然り」ガルザスは頷いた。「それは我ら魔知種の祖先が残した宝。人間に触れられれば砕け散るが、魔境と調和した者なら持ち帰ることができる」
つまり、これは魔境への適応度を試す試練だった。アーサーは覚悟を決め、頷いた。
「承知した。試練を受ける」
「良かろう」ガルザスは満足げに言った。「だが警告しておく。霊峰には我らでさえ容易に踏み入れぬ危険がある。そして、お前一人で行かねばならぬ」
アーサーは深く息を吸った。今回の試練は、単なる力比べではない。魔境との調和、そして自分自身の本質が問われるようだ。
「準備はいいか?」ガルザスが問うた。
「ああ」アーサーは頷いた。「だが、一つ尋ねたい。なぜ私のような人間を試す価値があると思う?」
ガルザスは深く沈黙した後、ゆっくりと答えた。
「古の予言がある。"魔を喰らう者が、魔の道を歩み、二つの世界の架け橋となる"...お前がその存在かどうか、それを見極めたいのだ」
アーサーは再びヴォルグの言葉を思い出した。彼もまた予言について触れていた。この魔境には、彼の知らない歴史と秘密が眠っているようだ。
「分かった」彼は決意を固めた。「行こう」
ガルザスは手を挙げ、青い光を放った。すると、建物の壁が開き、霊峰への道が現れた。
「この試練を乗り越えられたなら、お前を我らの同胞と認めよう」ガルザスは厳かに宣言した。「魔境の力を真に理解し、操るための道が開かれるだろう」
アーサーは深く頭を下げ、開いた道へと足を踏み入れた。
魔知種たちの目が、彼を見送っている。彼らの表情からは、期待と不安、そして何か深い感情が読み取れた。アーサーは振り返らず、前だけを見つめ、魔境の新たな謎へと歩を進めた。
彼の旅は、新たな段階に入った。追放された王子から魔剣の使い手へ、そして今—魔物と人間の架け橋となる可能性を秘めた存在へと。
霊峰の姿が、彼の前に迫りつつあった。
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