79 / 105
第八章 文化祭
第75話 姉の想い、姉にできること
しおりを挟む
「ち、ちょっと待って。な、何?いきなり。どうして私のことなんて……」
春陽の真剣な言葉と眼差しに、美優は明らかに動揺していた。
自分は春陽と仲直りがしたくて、春陽ともう一度話す決意をした。
それなのに、春陽は自分のことを聞きたいと言う。
春陽から連絡があったのだから春陽にも話したいことがあることはわかっていたが、まさかそれが自分のことだったなんて。てっきり、自分に言いたいことがあって、怒りなど負の感情をぶつけられるのだと思っていた。
嫌いな相手のことを知ろうとする人間がいるなんて思わなかったのだ。
それに、美優は麻理に言ったばかりだ。
自分のことを春陽に話すつもりはない、と。
思わずチラリとカウンターの中でコーヒーを淹れている麻理の方に視線を向けてしまう。
交換条件という言葉まで使って、春陽と同じように自分のことを聞いてきた麻理。
麻理だって春陽から色々聞いて、自分にいい感情を抱いていなかっただろうに知ろうとしてきた。
自分に同じことを聞いてきた二人が重なり、まるで本当の親子や姉弟のように思えて、お門違いだと思いながらも美優の胸がズキリと痛んだ。
「六年も離れていたんです。会わなければ気にしても仕方なかった。けど、俺たちは偶然にも再会した。そうしたら、これまでどうしてきたのか気になるものでしょう?あなたも、同じだったんじゃないですか?」
だからこの間は自分に色々と聞いてきたのでしょうと春陽は問う。
「それはっ、…確かにそうだけど……私なんて普通よ、普通。話すようなことは特に何もないって」
前回もそうだが、今回は目的が目的のため、丁寧語、美優さん、あなた、と春陽の口にする言葉に美優の心はズキズキと痛む。
美優は春陽を見ようとはしなかった。というか目を合わせることができない。
伏し目がちで、口元には笑みを浮かべているが、それもなんだかぎこちない。
動揺が美優の心を乱し、上手く取り繕うことができなかったのだ。
それは、何かある、春陽がそう感じるのに十分な美優の反応だった。
だが、美優は話そうとしない。
どうしたものかと考えていたとき、春陽は美優にいくつか確認したいことがあったことを思い出した。
「その普通を聞きたいんですが……、なら、こちらから色々聞いてもいいですか?」
「……何?」
美優はいったい何を聞かれるのかと身構える。
「ダイフクは元気にしていますか?もう結構いい年だと思うんですけど」
それは美優にとって意表を突く内容で、かつ答えにくいものだった。
「……ダイフクは……少し前に亡くなってしまったの。ごめんなさい……」
美優の答えに春陽は寂しげな笑みを浮かべる。春陽の記憶にあるのは白くてまん丸で元気なダイフクだけ。そのダイフクが死んだ。自然とアズキがいるところに目が向いた。膝の上で寛いでいる姿がここからでも見える。生きていたとしても無理だということはわかっているが、もう一度会いたかったなとつい思ってしまった。
「そうですか……いえ、美優さんが謝ることでは」
「病気とかはなかったんだけどね。私の大学受験が全部終わった翌日に……。それまで私はいつもダイフクに支えられてた」
「そうだったんですね」
今度は柔らかい表情で優しい笑みを浮かべる。
美優は申し訳なさでいっぱいになった。
可能ならもう一度春陽にダイフクを会わせてあげたかった。
ダイフクは春陽が拾ってきた猫なのだから。
美優がそんなことを思っていると、春陽が次に全く異なる方向の問いをする。
ダイフクについては残念だが、寿命であれば仕方がないことだ。
それでも最初に聞いたのはそれだけ春陽にとっても大切な存在だったからだろう。
それに、今の美優の言い方からダイフクが大切にされていたのだろうということは感じることができたから。
「美優さんは、どうして離婚になったのか、あの女、……母親のしたことを知ってますか?」
ダイフクの話からの振れ幅に美優の気持ちが追いつかない。
春陽は脈絡もなく本当に聞きたいことを聞いている、という感じだ。
「っ!?……ええ、全部知ってる。……春陽が入院した日の夜、あの二人がずっと言い争いしてたのを隠れて聞いてたから」
「そうですか。それじゃあ俺の生まれのことも?」
「っ……」
春陽の生まれ。
それは父親が違うということ。
美優は黙ってこくりと頷いた。
(やっぱりそうだったか……)
変な言い方だが、なんだかすっきりした。
予想通り美優がすべてを知っていたとわかり、春陽は、先日の美優の言い方が腑に落ちたのだ。だから実の母親のことを春陽と同じように母とは言わず、あの人と呼んでいたのだろう。
「なるほど。すべてを知っているならちょうどよかったかもしれません。俺はあなたに謝らなければいけません。今は自分自身ここまで生きてこられて、色々な人に出会えてよかったと思っていますけど……昔、あなたが言ったことはすべて正しかった。元凶はあの女ですけど、俺はあの家に生まれてくるべきではなかった。俺のせいであなたの家族を壊してしまってすみませんでした」
春陽は自分の存在が橘家を壊してしまったと美優に謝罪し頭を下げた。
美優には春陽がいつのことを言っているのかはすぐにわかった。春陽が自分のことをお姉ちゃんと呼ばなくなった原因なのだから。
だが、そんな謝罪を受け取る訳にはいかない。それに彼らは自分にとっても家族なんて呼ぶ相手ではない。
「待って!ちょっと待ってよ。なんでそんな言い方するの?謝る必要なんてない。春陽は何も悪くない。あのとき私が言ったことは全部私が悪いの。春陽がどんな生活をしていたかも知らずに勝手なことばかり言った私が悪いの」
美優は焦りとともに、必死に訴える。
「知らなくてもあなたが言ったことは事実でしたよ?俺がいなければ、俺という異物さえいなければ、あなたたちは今も家族三人でいられたでしょう?」
「そうじゃない、そうじゃないの。あの家は最初から壊れてたんだよ。それを春陽のせいにするなんてありえない。責任があるとすれば、あの夫婦二人の責任だけ。そして春陽にあんな言葉をぶつけてしまったのは私の責任。春陽に悪いところなんて何もない」
駄目だ。
このままじゃ駄目だ。
こんな話がしたい訳じゃないのに話がどんどん変な方向にいってる。
美優の中で焦りばかりが募る。
もっと早く気づくべきだった。
春陽は自分のことを大切に想っていない。
自分のことを認めていない。
前に会ったときも、春陽は自分自身が何を言われても怒っていなかった。
言い返してきたのは雪愛という恋人を悪く言ってしまったときだけだ。
春陽の自己肯定感の低さは感じていたが、春陽の傷の深さは美優の想像以上だったようだ。
麻理は一緒に暮らし始めたとき、春陽が人を信じられなくなっていたと言っていた。
自分のことをどうでもいいと思っていたようだとも。
それなのに、春陽は優しく育ってくれた、と。
それは静香を筆頭に自分達が春陽に植え付けてしまった価値観。
なんとか春陽にその価値観を改めてほしい。
けど、何をどう言えば伝わる?
そんな風に考えを巡らせる美優に対して、春陽は美優の言葉のある部分に引っかかった。
「あの女はわかりきってますけど、父親の方もですか?……やっぱりあの人もあの女と似た人間でしたか?」
「やっぱり、ってあんた……」
美優は春陽の言い様に思わず目を大きくする。
そんな美優に春陽は苦笑を浮かべた。
「昔はわかりませんでしたよ。けど成長して冷静に考えればそうなのかなって。あの人の態度がある意味公平に見えていたのは単に興味がなかっただけじゃないかって。それが俺に対してだけならいいんですけど。もしそうではないのだとしたら……だから気になるんですよ。あなたは今もあの人と一緒に暮らしてるんですか?」
『そう……。いいね、あんたは楽しそうで。羨ましいくらいだわ』
春陽がバイトをしながら一人暮らしをしていると話したときの美優の言葉だ。
それを羨ましいと感じる美優はいったいどんな生活を送っているというのか。
「……ええ。……一緒に、暮らしてる……」
美優の顔が僅かに歪む。
それは一緒に暮らしてるなんて言いたくもない自分の状況と春陽が、あなたは悪くないという自分の言葉を受け取らず、わざと論点をずらしたように感じたことその両方からくる表情だった。
「大丈夫、なんですか?」
美優の表情の変化に春陽が心配そうに窺うようにして言葉をかける。
美優は涙が出そうになった。
こんな自分のことを心配してくれる。
それは本当に嬉しいけれど……。
どこまでも人に優しい春陽。小さい頃からそうだった。静香からの扱いを知ってそれがどれほどすごいことかわかる。今も失われていないことは胸が締め付けられるほど嬉しいが、その優しさをどうか自分にも向けてほしい。
そのためにはどうしたらいい?
自分に何ができる?
どうしたら春陽はもっと自分を愛することができる?
そして……自分はどうしたらまた春陽と姉弟としてやり直せる?自分勝手な想いだということは重々承知している。
一度は自分の過ちで関係が壊れてしまったけれど、それでも自分にとって家族と呼べる相手は春陽しかいないのだ。
春陽にとっては違うかもしれないけれど……。
そこで先ほど春陽が言った言葉がふと思い出された。
『今は自分自身ここまで生きてこられて、色々な人に出会えてよかったと思っていますけど……』
確かに春陽はそう言った。
それは自分を肯定する言葉ではないだろうか。
芋づる式に麻理の言葉も思い出された。
春陽の心を癒したという雪愛、春陽を支えたという悠介のこと。
そして誰よりも春陽に心を配っている麻理。
出会えた人というのは彼女達のことだろう。
彼女達はきっと示し続けたのだ。
春陽へ愛情や友情を。
そしてそれが春陽に伝わった。
人を信じられず、自分のことをどうでもいいと思っている春陽にそれが伝わるまでいったいどれほど大変だったか。
けど、だからこそ今の春陽がある。
それなら自分にできることは――――?
麻理は言っていた。
春陽は家族というものに絶望している、と。ならば――――。
美優は熱のこもった強い瞳で春陽をまっすぐ見た。
「大丈夫。あのね、私はもう春陽が昔何をされてきたかを知ってる。でも春陽は私のこと知らないよね?聞いてくれる?私のこと」
「え?」
先ほどまで話そうとしなかったのにいったいどういう心境の変化なのか。
美優は覚悟を決めたように澄み切った笑みを浮かべた。
そこから美優が話し始めたのは春陽と暮らしていた頃の自分のこと。
静香が自分に何を言って、何をしてきたか、そのすべて。
そのせいで、春陽への気持ちがどうなっていってしまったかということ。
春陽は突然話し始めた美優に驚いたが、黙って聴き続けた。
美優が別れる前のこととはいえ、自分のことを話してくれるのは雪愛との約束もあり春陽も望むところだ。
それに、春陽にとっては初めて聴く内容のため興味もある。
聴いているうちに静香のやり口の陰湿さが浮き彫りになり、春陽が目を大きくする。
確かに幼少期からずっとそんな情報操作をされ続ければ、自分に悪感情を抱くのも無理はない、春陽はそう思った。
春陽の真剣な言葉と眼差しに、美優は明らかに動揺していた。
自分は春陽と仲直りがしたくて、春陽ともう一度話す決意をした。
それなのに、春陽は自分のことを聞きたいと言う。
春陽から連絡があったのだから春陽にも話したいことがあることはわかっていたが、まさかそれが自分のことだったなんて。てっきり、自分に言いたいことがあって、怒りなど負の感情をぶつけられるのだと思っていた。
嫌いな相手のことを知ろうとする人間がいるなんて思わなかったのだ。
それに、美優は麻理に言ったばかりだ。
自分のことを春陽に話すつもりはない、と。
思わずチラリとカウンターの中でコーヒーを淹れている麻理の方に視線を向けてしまう。
交換条件という言葉まで使って、春陽と同じように自分のことを聞いてきた麻理。
麻理だって春陽から色々聞いて、自分にいい感情を抱いていなかっただろうに知ろうとしてきた。
自分に同じことを聞いてきた二人が重なり、まるで本当の親子や姉弟のように思えて、お門違いだと思いながらも美優の胸がズキリと痛んだ。
「六年も離れていたんです。会わなければ気にしても仕方なかった。けど、俺たちは偶然にも再会した。そうしたら、これまでどうしてきたのか気になるものでしょう?あなたも、同じだったんじゃないですか?」
だからこの間は自分に色々と聞いてきたのでしょうと春陽は問う。
「それはっ、…確かにそうだけど……私なんて普通よ、普通。話すようなことは特に何もないって」
前回もそうだが、今回は目的が目的のため、丁寧語、美優さん、あなた、と春陽の口にする言葉に美優の心はズキズキと痛む。
美優は春陽を見ようとはしなかった。というか目を合わせることができない。
伏し目がちで、口元には笑みを浮かべているが、それもなんだかぎこちない。
動揺が美優の心を乱し、上手く取り繕うことができなかったのだ。
それは、何かある、春陽がそう感じるのに十分な美優の反応だった。
だが、美優は話そうとしない。
どうしたものかと考えていたとき、春陽は美優にいくつか確認したいことがあったことを思い出した。
「その普通を聞きたいんですが……、なら、こちらから色々聞いてもいいですか?」
「……何?」
美優はいったい何を聞かれるのかと身構える。
「ダイフクは元気にしていますか?もう結構いい年だと思うんですけど」
それは美優にとって意表を突く内容で、かつ答えにくいものだった。
「……ダイフクは……少し前に亡くなってしまったの。ごめんなさい……」
美優の答えに春陽は寂しげな笑みを浮かべる。春陽の記憶にあるのは白くてまん丸で元気なダイフクだけ。そのダイフクが死んだ。自然とアズキがいるところに目が向いた。膝の上で寛いでいる姿がここからでも見える。生きていたとしても無理だということはわかっているが、もう一度会いたかったなとつい思ってしまった。
「そうですか……いえ、美優さんが謝ることでは」
「病気とかはなかったんだけどね。私の大学受験が全部終わった翌日に……。それまで私はいつもダイフクに支えられてた」
「そうだったんですね」
今度は柔らかい表情で優しい笑みを浮かべる。
美優は申し訳なさでいっぱいになった。
可能ならもう一度春陽にダイフクを会わせてあげたかった。
ダイフクは春陽が拾ってきた猫なのだから。
美優がそんなことを思っていると、春陽が次に全く異なる方向の問いをする。
ダイフクについては残念だが、寿命であれば仕方がないことだ。
それでも最初に聞いたのはそれだけ春陽にとっても大切な存在だったからだろう。
それに、今の美優の言い方からダイフクが大切にされていたのだろうということは感じることができたから。
「美優さんは、どうして離婚になったのか、あの女、……母親のしたことを知ってますか?」
ダイフクの話からの振れ幅に美優の気持ちが追いつかない。
春陽は脈絡もなく本当に聞きたいことを聞いている、という感じだ。
「っ!?……ええ、全部知ってる。……春陽が入院した日の夜、あの二人がずっと言い争いしてたのを隠れて聞いてたから」
「そうですか。それじゃあ俺の生まれのことも?」
「っ……」
春陽の生まれ。
それは父親が違うということ。
美優は黙ってこくりと頷いた。
(やっぱりそうだったか……)
変な言い方だが、なんだかすっきりした。
予想通り美優がすべてを知っていたとわかり、春陽は、先日の美優の言い方が腑に落ちたのだ。だから実の母親のことを春陽と同じように母とは言わず、あの人と呼んでいたのだろう。
「なるほど。すべてを知っているならちょうどよかったかもしれません。俺はあなたに謝らなければいけません。今は自分自身ここまで生きてこられて、色々な人に出会えてよかったと思っていますけど……昔、あなたが言ったことはすべて正しかった。元凶はあの女ですけど、俺はあの家に生まれてくるべきではなかった。俺のせいであなたの家族を壊してしまってすみませんでした」
春陽は自分の存在が橘家を壊してしまったと美優に謝罪し頭を下げた。
美優には春陽がいつのことを言っているのかはすぐにわかった。春陽が自分のことをお姉ちゃんと呼ばなくなった原因なのだから。
だが、そんな謝罪を受け取る訳にはいかない。それに彼らは自分にとっても家族なんて呼ぶ相手ではない。
「待って!ちょっと待ってよ。なんでそんな言い方するの?謝る必要なんてない。春陽は何も悪くない。あのとき私が言ったことは全部私が悪いの。春陽がどんな生活をしていたかも知らずに勝手なことばかり言った私が悪いの」
美優は焦りとともに、必死に訴える。
「知らなくてもあなたが言ったことは事実でしたよ?俺がいなければ、俺という異物さえいなければ、あなたたちは今も家族三人でいられたでしょう?」
「そうじゃない、そうじゃないの。あの家は最初から壊れてたんだよ。それを春陽のせいにするなんてありえない。責任があるとすれば、あの夫婦二人の責任だけ。そして春陽にあんな言葉をぶつけてしまったのは私の責任。春陽に悪いところなんて何もない」
駄目だ。
このままじゃ駄目だ。
こんな話がしたい訳じゃないのに話がどんどん変な方向にいってる。
美優の中で焦りばかりが募る。
もっと早く気づくべきだった。
春陽は自分のことを大切に想っていない。
自分のことを認めていない。
前に会ったときも、春陽は自分自身が何を言われても怒っていなかった。
言い返してきたのは雪愛という恋人を悪く言ってしまったときだけだ。
春陽の自己肯定感の低さは感じていたが、春陽の傷の深さは美優の想像以上だったようだ。
麻理は一緒に暮らし始めたとき、春陽が人を信じられなくなっていたと言っていた。
自分のことをどうでもいいと思っていたようだとも。
それなのに、春陽は優しく育ってくれた、と。
それは静香を筆頭に自分達が春陽に植え付けてしまった価値観。
なんとか春陽にその価値観を改めてほしい。
けど、何をどう言えば伝わる?
そんな風に考えを巡らせる美優に対して、春陽は美優の言葉のある部分に引っかかった。
「あの女はわかりきってますけど、父親の方もですか?……やっぱりあの人もあの女と似た人間でしたか?」
「やっぱり、ってあんた……」
美優は春陽の言い様に思わず目を大きくする。
そんな美優に春陽は苦笑を浮かべた。
「昔はわかりませんでしたよ。けど成長して冷静に考えればそうなのかなって。あの人の態度がある意味公平に見えていたのは単に興味がなかっただけじゃないかって。それが俺に対してだけならいいんですけど。もしそうではないのだとしたら……だから気になるんですよ。あなたは今もあの人と一緒に暮らしてるんですか?」
『そう……。いいね、あんたは楽しそうで。羨ましいくらいだわ』
春陽がバイトをしながら一人暮らしをしていると話したときの美優の言葉だ。
それを羨ましいと感じる美優はいったいどんな生活を送っているというのか。
「……ええ。……一緒に、暮らしてる……」
美優の顔が僅かに歪む。
それは一緒に暮らしてるなんて言いたくもない自分の状況と春陽が、あなたは悪くないという自分の言葉を受け取らず、わざと論点をずらしたように感じたことその両方からくる表情だった。
「大丈夫、なんですか?」
美優の表情の変化に春陽が心配そうに窺うようにして言葉をかける。
美優は涙が出そうになった。
こんな自分のことを心配してくれる。
それは本当に嬉しいけれど……。
どこまでも人に優しい春陽。小さい頃からそうだった。静香からの扱いを知ってそれがどれほどすごいことかわかる。今も失われていないことは胸が締め付けられるほど嬉しいが、その優しさをどうか自分にも向けてほしい。
そのためにはどうしたらいい?
自分に何ができる?
どうしたら春陽はもっと自分を愛することができる?
そして……自分はどうしたらまた春陽と姉弟としてやり直せる?自分勝手な想いだということは重々承知している。
一度は自分の過ちで関係が壊れてしまったけれど、それでも自分にとって家族と呼べる相手は春陽しかいないのだ。
春陽にとっては違うかもしれないけれど……。
そこで先ほど春陽が言った言葉がふと思い出された。
『今は自分自身ここまで生きてこられて、色々な人に出会えてよかったと思っていますけど……』
確かに春陽はそう言った。
それは自分を肯定する言葉ではないだろうか。
芋づる式に麻理の言葉も思い出された。
春陽の心を癒したという雪愛、春陽を支えたという悠介のこと。
そして誰よりも春陽に心を配っている麻理。
出会えた人というのは彼女達のことだろう。
彼女達はきっと示し続けたのだ。
春陽へ愛情や友情を。
そしてそれが春陽に伝わった。
人を信じられず、自分のことをどうでもいいと思っている春陽にそれが伝わるまでいったいどれほど大変だったか。
けど、だからこそ今の春陽がある。
それなら自分にできることは――――?
麻理は言っていた。
春陽は家族というものに絶望している、と。ならば――――。
美優は熱のこもった強い瞳で春陽をまっすぐ見た。
「大丈夫。あのね、私はもう春陽が昔何をされてきたかを知ってる。でも春陽は私のこと知らないよね?聞いてくれる?私のこと」
「え?」
先ほどまで話そうとしなかったのにいったいどういう心境の変化なのか。
美優は覚悟を決めたように澄み切った笑みを浮かべた。
そこから美優が話し始めたのは春陽と暮らしていた頃の自分のこと。
静香が自分に何を言って、何をしてきたか、そのすべて。
そのせいで、春陽への気持ちがどうなっていってしまったかということ。
春陽は突然話し始めた美優に驚いたが、黙って聴き続けた。
美優が別れる前のこととはいえ、自分のことを話してくれるのは雪愛との約束もあり春陽も望むところだ。
それに、春陽にとっては初めて聴く内容のため興味もある。
聴いているうちに静香のやり口の陰湿さが浮き彫りになり、春陽が目を大きくする。
確かに幼少期からずっとそんな情報操作をされ続ければ、自分に悪感情を抱くのも無理はない、春陽はそう思った。
32
お気に入りに追加
46
あなたにおすすめの小説
婚約者に消えろと言われたので湖に飛び込んだら、気づけば三年が経っていました。
束原ミヤコ
恋愛
公爵令嬢シャロンは、王太子オリバーの婚約者に選ばれてから、厳しい王妃教育に耐えていた。
だが、十六歳になり貴族学園に入学すると、オリバーはすでに子爵令嬢エミリアと浮気をしていた。
そしてある冬のこと。オリバーに「私の為に消えろ」というような意味のことを告げられる。
全てを諦めたシャロンは、精霊の湖と呼ばれている学園の裏庭にある湖に飛び込んだ。
気づくと、見知らぬ場所に寝かされていた。
そこにはかつて、病弱で体の小さかった辺境伯家の息子アダムがいた。
すっかり立派になったアダムは「あれから三年、君は目覚めなかった」と言った――。
公爵様、契約通り、跡継ぎを身籠りました!-もう契約は満了ですわよ・・・ね?ちょっと待って、どうして契約が終わらないんでしょうかぁぁ?!-
猫まんじゅう
恋愛
そう、没落寸前の実家を助けて頂く代わりに、跡継ぎを産む事を条件にした契約結婚だったのです。
無事跡継ぎを妊娠したフィリス。夫であるバルモント公爵との契約達成は出産までの約9か月となった。
筈だったのです······が?
◆◇◆
「この結婚は契約結婚だ。貴女の実家の財の工面はする。代わりに、貴女には私の跡継ぎを産んでもらおう」
拝啓、公爵様。財政に悩んでいた私の家を助ける代わりに、跡継ぎを産むという一時的な契約結婚でございましたよね・・・?ええ、跡継ぎは産みました。なぜ、まだ契約が完了しないんでしょうか?
「ちょ、ちょ、ちょっと待ってくださいませええ!この契約!あと・・・、一体あと、何人子供を産めば契約が満了になるのですッ!!?」
溺愛と、悪阻(ツワリ)ルートは二人がお互いに想いを通じ合わせても終わらない?
◆◇◆
安心保障のR15設定。
描写の直接的な表現はありませんが、”匂わせ”も気になる吐き悪阻体質の方はご注意ください。
ゆるゆる設定のコメディ要素あり。
つわりに付随する嘔吐表現などが多く含まれます。
※妊娠に関する内容を含みます。
【2023/07/15/9:00〜07/17/15:00, HOTランキング1位ありがとうございます!】
こちらは小説家になろうでも完結掲載しております(詳細はあとがきにて、)
魔界最強に転生した社畜は、イケメン王子に奪い合われることになりました
タタミ
BL
ブラック企業に務める社畜・佐藤流嘉。
クリスマスも残業確定の非リア人生は、トラックの激突により突然終了する。
死後目覚めると、目の前で見目麗しい天使が微笑んでいた。
「ここは天国ではなく魔界です」
天使に会えたと喜んだのもつかの間、そこは天国などではなく魔法が当たり前にある世界・魔界だと知らされる。そして流嘉は、魔界に君臨する最強の支配者『至上様』に転生していたのだった。
「至上様、私に接吻を」
「あっ。ああ、接吻か……って、接吻!?なんだそれ、まさかキスですか!?」
何が起こっているのかわからないうちに、流嘉の前に現れたのは美しい4人の王子。この4王子にキスをして、結婚相手を選ばなければならないと言われて──!?
番を辞めますさようなら
京佳
恋愛
番である婚約者に冷遇され続けた私は彼の裏切りを目撃した。心が壊れた私は彼の番で居続ける事を放棄した。私ではなく別の人と幸せになって下さい。さようなら…
愛されなかった番
すれ違いエンド
ざまぁ
ゆるゆる設定
あなたの子ですが、内緒で育てます
椿蛍
恋愛
「本当にあなたの子ですか?」
突然現れた浮気相手、私の夫である国王陛下の子を身籠っているという。
夫、王妃の座、全て奪われ冷遇される日々――王宮から、追われた私のお腹には陛下の子が宿っていた。
私は強くなることを決意する。
「この子は私が育てます!」
お腹にいる子供は王の子。
王の子だけが不思議な力を持つ。
私は育った子供を連れて王宮へ戻る。
――そして、私を追い出したことを後悔してください。
※夫の後悔、浮気相手と虐げられからのざまあ
※他サイト様でも掲載しております。
※hotランキング1位&エールありがとうございます!
初夜に「俺がお前を抱く事は無い!」と叫んだら長年の婚約者だった新妻に「気持ち悪い」と言われた上に父にも予想外の事を言われた男とその浮気女の話
ラララキヲ
恋愛
長年の婚約者を欺いて平民女と浮気していた侯爵家長男。3年後の白い結婚での離婚を浮気女に約束して、新妻の寝室へと向かう。
初夜に「俺がお前を抱く事は無い!」と愛する夫から宣言された無様な女を嘲笑う為だけに。
しかし寝室に居た妻は……
希望通りの白い結婚と愛人との未来輝く生活の筈が……全てを周りに知られていた上に自分の父親である侯爵家当主から言われた言葉は──
一人の女性を蹴落として掴んだ彼らの未来は……──
<【ざまぁ編】【イリーナ編】【コザック第二の人生編(ザマァ有)】となりました>
◇テンプレ浮気クソ男女。
◇軽い触れ合い表現があるのでR15に
◇ふんわり世界観。ゆるふわ設定。
◇ご都合展開。矛盾は察して下さい…
◇なろうにも上げてます。
※HOTランキング入り(1位)!?[恋愛::3位]ありがとうございます!恐縮です!期待に添えればよいのですがッ!!(;><)
小学生最後の夏休みに近所に住む2つ上のお姉さんとお風呂に入った話
矢木羽研
青春
「……もしよかったら先輩もご一緒に、どうですか?」
「あら、いいのかしら」
夕食を作りに来てくれた近所のお姉さんを冗談のつもりでお風呂に誘ったら……?
微笑ましくも甘酸っぱい、ひと夏の思い出。
※性的なシーンはありませんが裸体描写があるのでR15にしています。
※小説家になろうでも同内容で投稿しています。
※2022年8月の「第5回ほっこり・じんわり大賞」にエントリーしていました。
【完結】碧よりも蒼く
多田莉都
青春
中学二年のときに、陸上競技の男子100m走で全国制覇を成し遂げたことのある深田碧斗は、高校になってからは何の実績もなかった。実績どころか、陸上部にすら所属していなかった。碧斗が走ることを辞めてしまったのにはある理由があった。
それは中学三年の大会で出会ったある才能の前に、碧斗は走ることを諦めてしまったからだった。中学を卒業し、祖父母の住む他県の高校を受験し、故郷の富山を離れた碧斗は無気力な日々を過ごす。
ある日、地元で深田碧斗が陸上の大会に出ていたということを知り、「何のことだ」と陸上雑誌を調べたところ、ある高校の深田碧斗が富山の大会に出場していた記録をみつけだした。
これは一体、どういうことなんだ? 碧斗は一路、富山へと帰り、事実を確かめることにした。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる