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第八章 文化祭

第73話 友の思いを受け止め、二人は文化祭準備を楽しむ

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「ねえ、風見ちょっといい?」
 放課後、クラスメイトがいよいよ目前に迫った文化祭の準備をしているときのこと。
 瑞穂が春陽に話しかけた。
 ちなみに瑞穂も内装、装飾担当だ。
「ああ、どうした?」
 瑞穂はちょっとこっち来て、と言って春陽と二人、屋上に行った。
 ここなら誰にも邪魔されない。
「ねえ、風見、雪愛とのこと何とかならないかな?私あんな雪愛を見てるの辛いよ」
 瑞穂は本当に心が痛くて、屋上へ移動する途中から目が潤んでいた。

 春陽と雪愛は、それぞれ瑞穂達、悠介達が悪意ある言葉を止めさせようとしてくれたことを互いに話し合って知っている。
 そのとき、二人はそんな皆のことをありがたい、と嬉しくて笑い合った。
 その一人である瑞穂が春陽に対してもう限界だとでも言うように願ってきた。

「……俺も何とかしたいと思ってる、けど……どうしたらいいのかわからないんだ」
 だが、春陽も弱っていた。
 まさか、こんな風になるとは体育祭のときには想像もしていなかった。
 色々言われることはあっても数日で終わると思っていたのだ。
 それがもうすぐ一か月になってしまう。時間が解決してくれると思っていたが、ちょっと長すぎる。
「雪愛が悪く言われるのも、風見が悪く言われるのも、私もう耐えられないよ。雪愛もすごく傷ついていると思う。今日だって―――」
 瑞穂の話す内容に春陽の手が強く握られる。
 何が自分と付き合え、だ。自分のいないところで雪愛に、大切な彼女にそんなことを言った男子生徒が許せない。もしその場にいたらブチキレていた自信がある。
「雪愛と風見、すごくお似合いだって私は、ううん、私たちはみんな思ってる。だから―――っ」
 言いかけて瑞穂は言葉を止めてしまった。
 以前話したときの雪愛の言葉が頭の中で思い出されたのだ。

『春陽くんはね、自分の顔あんまり好きじゃないみたいなの。自分の顔をカッコいいなんて全く思えてないんだよ。見るのも見せるのも本当は嫌なんだ。人と関わらないようにしてるのもね、理由があって。だから春陽くんにそういうことを求めるのは止めてほしいかな』
 それは周囲の声に憤った瑞穂が、花火大会のときや海の家のときのような春陽なら誰も何も言ってこなくなるはずだと、春陽に学校でもそうしてもらったらどうかと雪愛に言ったときのことだ。
 瑞穂も春陽が人と関わりたくないから陰キャでいるのだということはわかっている。
 けれど、春陽が変わることが今の状況を確実に打開できると思ったのだ。
 春陽と雪愛は、本当は美男美女のカップルだ。
 それを目の当たりにすれば、誰も文句のつけようもないだろう、と。
 二人が今、色々言われているのは、一言で言ってしまえば、二人が釣り合っていない、という内容なのだ。
 雪愛は元々多くの人に好かれている。
 雪愛に陰口を言っているのは、一部の雪愛に嫉妬する女子生徒や相手が春陽ということでそれを妬んでいる男子生徒くらいだ。
 他の多くの人は、どうして雪愛が風見春陽と付き合うことにしたのか理解できないという気持ちがあるくらいで。
 だから雪愛に提案したのだが、返ってきた言葉が先のものだった。

 自分の顔が嫌い、それも見るのも見せるのも嫌なほど。
 何があればそこまで嫌いになれるのか、人と関わらないようにする理由というのも瑞穂にはわからなかったが、雪愛の悲しげな顔に何も言えなくなった。

 雪愛は春陽から過去を聴いたときに知った。
 春陽が自分の顔を嫌いな理由。
 春陽の顔が静香とも、当然だが父だと思っていた直哉とも似ていないからだと。
 必然、本当の父親に似ている、ということになるのだが、それは自分の罪深さを思い知らされるようで、心の底から自分の顔を嫌いにさせている。
 今でも鏡を見ると嫌になる、と苦い顔で言った春陽が雪愛の目に焼き付いている。
 このとき、麻理がいつも春陽に会う度に、イケメンだと、いい男だと言っている理由を雪愛は理解できた気がしたのだ。
 麻理は春陽に、自分のことをそんなに嫌わないでとずっと言っていたのだと。

 そして人と関わらない理由。
 中学のときのこともそうだが、主には幼少期の両親、姉との関係だ。
 人を信じられなくなるようなことばかりが春陽を襲い、春陽の心が傷だらけになってしまったからだと。

 それなのに春陽は、仕事だからと割り切っているバイト中以外で、自分と会うときだけは、身だしなみを整えてくれる。
 また、和樹達に関しては悠介の影響も大きいと思うが、それだけでなく、雪愛のことを考えて瑞穂達とも仲良くしてくれている。
 これがどれほどすごいことなのか今の雪愛はわかっているつもりだ。どれほど春陽が心を配ってくれているか。
 雪愛としては、これ以上春陽に負担をかけるのは避けたかった。

「どうした?」
 突然言葉を止めた瑞穂に春陽は首を傾げる。
「っ、あ、……ううん、何でもないの。ごめん」
 瑞穂は雪愛に言ったことと同じことを言おうとしてしまったが、直前で止めた。
 雪愛に言わないでと言われたのに、ここで自分が春陽に言うのは駄目だと思ったから。
「……そうか。芝田達の気持ちはすごく嬉しいよ。ありがとう。俺も雪愛が傷つくのは耐えられない。いい方法がないかもっと考えてみるから」
「……うん、お願い」
 こうして春陽と瑞穂の話は終わった。
 もしもここで瑞穂が言葉を止めずに言っていれば、春陽はそんなことでどうにかなるとは信じられなくても、雪愛のために試したかもしれない。
 けれどこの場でその未来はやって来なかった。そして春陽が自力でその考えにたどり着くことは決してない。

 春陽と瑞穂は教室に戻り、作業をしていた。
 文化祭まで一週間を切った今、教室には多くのクラスメイトが残っている。

 これまで教室で作業しているのはいつもだいたいクラス全体の半分といったところだった。
 文化祭の準備と言ってもクラスメイト全員が毎日最終下校時間まで残って作業している訳ではないのだ。
 部活や塾、バイトなど予定がある者はできるだけ作業するが、時間が来れば教室を後にする。
 春陽も生活のためにバイトをしているため、途中で下校している。
 そういった予定は各担当のリーダーが把握しており、作業の割り当てを決めていた。
 一番人数の多い内装、装飾担当のリーダーは大変だが、そこはクラス委員の葵がよくまとめていた。というか、そのための人選だ。
 そして最低でも週に一度は各リーダーが集まり、全体の進捗を確認していた。
 こうして、春陽たちのクラスの準備は順調に進んでいた。
 それでも、だいたい文化祭の一週間前からは最後の追い込みだと全員が作業する、というのがどのクラスも共通の流れだ。
 何時までやるかは人それぞれだが。


 そんな中、春陽が割り当てられた作業を終え、そろそろ帰ろうかとしていたところで、雪愛からメッセージが届いた。
 その内容は調理室に来てほしいというもの。
 文化祭準備が始まってからこうして呼び出されるのは何度目だろうか。
 春陽は口元に笑みを浮かべた。
 そしてスマホをポケットにしまい、荷物を持って教室を出る。
 調理室に着き、扉を開ける春陽。
 すぐに雪愛が気づいて近づいてきた。
 春陽からも近づいていく。
「春陽くん、お疲れさま」
「お疲れ、雪愛」
「来てくれてありがとう。今日もね、試食用に作ったの。フィナンシェだよ。食べてみてくれる?」
 雪愛は満面の笑みだ。
 雪愛の手には紙皿があり、その上にはフィナンシェが一つあった。
 雪愛の後方では、椅子に座って、メニュー担当の生徒達が生暖かい目で見ており、揶揄い混じりの笑みを浮かべている。
 中には春陽に向けて小さく手を振っている者もいる。
 最初は驚いた彼女達だが、春陽と雪愛のセットはこの準備期間ですでに見慣れた光景だ。
 メニュー担当の皆も春陽と雪愛が付き合っていることは当然知っているが、正直ここまで甘々な関係だとは思っていなかった。
 特に春陽に対する雪愛の態度には最初本気で驚かされたものだ。春陽を前にしたときだけ、雪愛は蕩けるような表情というか、普段見たことがないような顔をしているのだから。

 文化祭の準備が始まってからメニュー担当は、何をメニューにするか一つずつ作ってみて決めている。
 その流れはこうだ。
 まず、何を作るかを決めて、必要なものを買い出しに行く。
 調理部の冷蔵庫を借りて保管し、翌日それを試作する。
 調理室の一角を借りられるのもリーダーのおかげだ。
 春陽はこの買い出しに荷物持ちとして付き合っていた。
 似た材料でできるものは一度の買い出しですべて材料を揃えて、試作を行うようにしていたため、買い出しに男手が欲しかったリーダーが、面倒を避けたかったのか、気を利かせたのか、最初に春陽へと声をかけたのだ。
 雪愛は申し訳なさそうにしていたが、春陽としては問題なんて何もないため、快く荷物持ちを引き受けた。
 そうすれば、メニュー担当の彼女達は当然荷物を運んでくれる春陽とも言葉を交わす機会がある。
 春陽と一緒にいる雪愛の姿を見る機会も。
 彼女達はこの短い間で春陽の印象が随分と変わった。

 そして、いざ試作品を作ると、雪愛は決まって春陽を呼んで食べてもらって、感想を聞いているのだ。
 メニュー担当達も今では春陽の感想を真剣に聞いている。
 毎回、かなり的を射た感想をくれるからだ。
 中には春陽のおかげで改善し、メニュー入りを決めたものもある。
 彼女達は知らないが、ずっと料理をしてきただけのことはある、といったところだ。

 文化祭の準備期間中、彼女達は、そんな二人の姿を幾度も見てきて、お似合いだなと思ったのだ。
 陰口は彼女達の耳にも入っていたが、そんなのは馬鹿げた言い分だと、そう思った。見た目は地味かもしれないが、柔らかな雰囲気で、自分達にもすごく気遣ってくれる。雪愛と話しているときなんかはそれが顕著だ。そういった内面部分を雪愛は好きになったんだろうなと感じたのだ。

 メニュー担当は、これまで、ホットサンド、サンドイッチ、クレープ、プチケーキ、パンケーキ、ワッフル、クッキーと様々な試作品を作っている。
 ちなみに、ドリンク類はメニュー担当だけで決めている。

 これまでにそうした流れがあっての今日の呼び出しだ。
「ああ、ありがとう」
 お礼を言ってフィナンシェを食べる春陽。
 感想を求められるため、しっかりと味わう。
「どうかな?」
「……うん、バターの香りがしっかりしてるし、しっとりしてて美味いよ。他のみたいに生クリームとかチョコソースとかトッピングしてもいいかもな」
「よかったぁ。それは私たちも考えててね。トッピングは共通させちゃった方が必要なものも少なく済むから。ありがとう、春陽くん」
 春陽が美味しいと言ってくれて、雪愛は、そしてその後ろではメニュー担当達も安堵して口元に笑みが浮かぶ。
「いや、本当大したことしてないから。こっちこそいつも食べさせてもらっちゃって悪いな」
 最後はメニュー担当全体に向けた言葉だ。
 全然、こっちこそ感想助かってるから、と口々に返事がされる。
「もうバイト行かなきゃだから俺はそろそろ帰るよ。雪愛はまだかかりそうか?」
「うん、ごめんね。まだ後片付けとかがあるから……」
「わかった。じゃあ、帰り気をつけてな?」
「うん。春陽くんもバイト頑張ってね!」
「ああ」
 春陽は調理室を後にし、フェリーチェへと向かうのだった。
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