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第五章 過去との再会

第49話 聞くに堪えない残酷な真実

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 結局、美優は直哉に話しかけることも、春陽の顔をちゃんと見ることもなく、病院を出て一人で家へと帰った。
 その後、直哉が帰宅し、静香が帰宅した。
 直哉から連絡があったらしく、静香は直哉に謝っていた。
「気づかなくてごめんなさい、直哉さん。今日は病院に行ってくれてありがとう。後は私の方でやるからね」
「ああ」
 そして、お風呂に入り、夕食を済ませた後、直哉が美優に部屋に行ってなさい、と言って美優をリビングから遠ざけようとした。
 美優は素直に自分の部屋に行く、と見せかけて、階段に座り込んだ。
 ここからならリビングでの会話も聞こえる。
 これから直哉と静香が話すことを絶対に聞かなければならない、そう強く思ったからだ。

 するとすぐに、直哉が切り出した。
「今日医者に春陽が栄養失調だと言われた。毎日の食事はどうなってたんだ?」
「っ、……そ、そうなの?普通に食べてたと思うけど」
「思う?一緒に食べていたんじゃないのか?」
 静香の言葉の些細な違和感を直哉は追及した。静香の表情が強張る。だが、春陽か美優に尋ねられればすぐにバレると思い至ったのだろう。
「……あの子が外で食べたいって言うからお金を渡していたの…」
 美優にしたのと同じ説明をした。
「いくらだ?」
 が、直哉はそれだけでは納得しなかった。静香はこの質問に答えない。
 だが、もう一度直哉が訊くと静香は言い難そうにぼそりと答えた。
「……千円」
「毎日か?」
「…………一週間で」
 長い沈黙の後、バツが悪そうに答える静香。
(っ!?)
 美優は両手で口を塞ぎ、目を大きくした。
 一週間で千円。
 平日だけで考えても一日二百円の計算だ。
 そんなの、好きなものはおろか、菓子パンやカップ麺くらいしか買えない。春陽はそんな生活をしていたのか?自ら望んで?そんな馬鹿な。じゃあ、どうして?
「本当に自分からそうしたいと言ったのか?」
 静香は答えない。
 そんな静香の様子に、直哉は一度ため息を吐くと、まあ、それはいいと言ってその話を終わらせてしまった。
 そのことにも美優は驚きを隠せない。
 何もいいことなんてない。
 簡単に終わらせていい話じゃないはずだ。いったいどうなっているのか。何を考えているのか。美優は意味がわからなかった。
「本題はこっちだ。…これはどういうことだ?」
 そう言って、直哉はテーブルに春陽の血液検査の結果用紙を置く。
「え?」
 用紙を見た静香は、最初直哉の言葉の意味がわからず間の抜けた声を上げたが、ある部分を目にして、見る見るうちに顔色を悪くしていった。

 そこからの二人の会話は聞くに堪えないものばかりだった。
 静香は取り乱し、喚き、話す内容も支離滅裂だった。
 そんな静香に直哉は何度も怒声を上げていた。

 長い長い両親のやり取り。感情的になっていた二人のそれを美優は階段に座ったまますべて聞いた。途中、何度も耳を塞ぎたくなったし、部屋に逃げ出したくなったが、そんな気持ちをぐっと堪えてすべてを。

 結果、多くのことがわかった。
 春陽が自分の異父弟だということも確定した。


 静香は美優を生んだ後、直哉が仕事で忙しく帰りが遅いことに寂しさを感じていたらしい。
 その寂しさを紛らわすため、復職したが、そこで魔が差した。
 同僚の男性と不倫したのだ。
 当時、静香が楽しそうにしていると感じたのは、仕事が楽しいからではなかった。
 直哉のことを愛していると言いながら、その男性との関係を続けていた静香だったが、ある時妊娠が発覚した。
 悩みに悩んだが、直哉との子供かその男性との子供かわからなかった静香には産む選択しかできなかったそうだ。
 そうして生まれたのが春陽だった。

 静香には、すぐに直哉との子供でないことがわかったらしい。

 そこから静香は美優に執着するようになった。
 美優は間違いなく直哉との子供だ。
 だからこそ、美優を直哉に似せようと静香は必死になった。
 あれこれ美優に指図した理由はそれだった。
 静香の考える直哉の子供像、それを美優で完璧に実現させようとしたのだ。それが直哉への贖罪になると本気で思っていたらしい。

 美優は初めて知ったその事実に驚愕するとともに怒りが湧いた。
 躾でも教育方針でも何でもない。
 そんな下らない、静香の自己満足のためだけに、自分の人生は弄ばれてきたのか、と。
 同時に理解する。
 だから静香の理想通りに美優が行動しているときは機嫌がよく褒めることも多かったが、そうでないときは――――、
『あなたは私と直哉さんの子供なんだから!私の言う通りにしていればいいの!そうすれば何も問題はないんだから!』
 あんなに取り乱していたのか。

 それで問題がないのは静香の頭の中でだけだ。
 どこまでも自分勝手な静香の姿が明らかになっていった。

 逆に、静香は春陽のことを徹底的に嫌った。
 春陽を見ると自分の罪を突き付けられているようで、耐えきれず、その気持ちを春陽にぶつけていたのだ。
 暴力を振るえば気づかれてしまうため、春陽には言葉をぶつけていたらしい。そうすることで悪いのはすべて春陽で、自分は悪くないと思い込もうとした。いや、静香は本当に思い込んでいた。

「あんな子生むんじゃなかった」
「あなたとの子じゃないってわかっていれば生まなかった」
「あんな子いなければよかったのに」
「そうすればあなたとだってこんなことには」
「私は直哉さんを愛してるの」
「あの子の存在が私を苦しめるの」
「あんな子どうなったっていい。私はあなたと一緒にいたいの」

 話しながら脈絡なく繰り返すように並べられる静香の言葉に、直哉が何を今更、どの口が言うんだと怒鳴りつける。

 ただ、直哉が怒っているのも美優や春陽の扱いについてではなかった。そこには全く言及しない。
 自分という夫がいるのに、不倫したということをずっと責めていた。

 二人とも勝手に生んでおいて、子供のことなんて考えてはいない。
 全部自分のことばかりだ。

 聞けば聞く程美優は吐き気がした。
 気持ち悪過ぎてどうにかなってしまいそうだ。身体の震えが止まらない。
 口は手で押さえているから声は漏れていないはずだが、目からは涙がとめどなく流れていた。

 まさか、静香は、今言っているようなことを春陽に直接言っていたのだろうか。
 話の流れから美優にはそう受け取れた。
『あんたなんてどっか消えてよ!いなくなってよ!』
『あんたなんて生まれてこなきゃよかったのよ!』
 先日、自分が春陽にぶつけた言葉が脳裏に蘇る。
 あの時の春陽の酷く傷ついた表情も一緒に思い出される。
(違う!そんなつもりじゃなかった。違う!私は知らなくて。違う!そんな。これじゃあ―――)
 美優の顔が青ざめる。
 春陽が自分に懐いていたのは、誇張でも何でもなく自分しか頼れる相手がいなかったから?
 その考えに至り、美優は胸が締め付けられ、苦しくなった。

 身勝手な両親の被害者は完全に美優と春陽なのに、その二人を心配する言葉は、静香からも直哉からも一言も出てこない。

 両親の話はまだ続く。

 自分の心の安定が保てなかった静香は、その後もずっと不倫を続けていた。
 実は、今日も仕事ではなく、休みを取って昼間からホテルに行っていたらしい。
 一体何年そんな関係を続けているというのか。こんな人が自分の母親だなんて、と嫌悪感でいっぱいになる。
 まるで懺悔するかのように泣きながらすべてを話す静香。
 現在進行形で不貞行為をしているなど、そんなことまで言えば、直哉がどう思うか考えなくてもわかるはずなのに。
 今の静香にはそんな思考力もないようだ。
 だが、最後まで不倫相手の名前など個人を特定できる情報は一切言わなかった。

 泣き叫び、なりふり構わず直哉に許しを請う静香とそんな静香に激しい怒りをぶつける直哉の言い合いが続いた。

 どれほどの時間が経っただろう。互いに言いたいことをすべて言い終えたのか。リビングを、いや、この家全体を沈黙が支配した。美優にとってはとても長く辛い時間だった。

 美優は、気づかれないように、そっと自分の部屋へと急ぎ、美優の後をついてきたダイフクを抱き締めながら、一人静かに泣き続けた。

 この夜すべてが明るみになり、その後の直哉の行動は早かった。
 今日が金曜日で、土日を使えたのも大きかったのだろう。
 週末、春陽が退院するのも待たず、直哉はすぐに新しく住む家を見つけ、美優を連れて出て行ったのだ。
 美優はなんとかダイフクを一緒に連れていくことしかできなかった。
 だから美優にとっては、チラッと見えた病院のベッドで眠る春陽が最後に見た春陽の姿となった。
 住んでいた家は直哉の手ですぐに売りに出され、静香と春陽もそこに住むことはできなくなった。

 妻の不貞だ。
 離婚はすぐに成立するかと思われたが、静香が中々首を縦に振らず、直哉が弁護士を雇い、別居から約一年後、美優が中二の夏休みに入った直後にようやく離婚が成立した。
 直哉は、離婚理由が妻の不貞で自分の子供でもない春陽をずっと育てていたなどと、世間体を考えれば絶対に言えないと戸籍上春陽を自分と静香の子供のままにした。

 離婚協議中の約一年で付き合い始めたのか、その前からの付き合い、つまりは直哉も不倫していたのか、それはわからないが、静香との離婚成立後、間もなくして直哉は再婚した。
 そして、美優が中三の時、直哉と再婚相手との間に子供ができた。
 直哉と再婚相手の関係が始まったのは、おそらく後者なのだろうと美優は思っている。
 直哉の態度が再婚後は明らかに違うからだ。
 仕事は変わっていないのに、家にも早く帰って来て、異母弟にも関心を示し、可愛がる姿は、以前には見なかったものだ。

 そうして、美優の思春期は、ストレスフルな環境で過ぎていき、異母弟が生まれてからさらにストレスが強くなった。
 だからだろう、当時仲の良かった友人に、思わず愚痴をこぼしてしまった。
 彼女はすごく聞き上手で、美優の話を優しく聞いてくれた。
 ある時、その友人が会わせたい人がいると美優に言ってきた。
 すごい偶然だけど、自分の知り合いが、もしかしたら美優の弟のことを知ってるかもしれない、と。
 彼女の交友関係が広いことは美優も知っていた。
 春陽があれからどうなったか、それも気になっていた美優は、彼女の話に乗り、その人物に会うことにした。
 その人は男子で、違う中学だったが、美優の同学年で、工藤と名乗った。
 バスケ部に所属しているそうで、同じバスケ部に所属する下級生にバスケが上手い、風見春陽という人物がいて、と色々と話をされ、美優は弟のことだと確信した。
 それを聞いて、バスケを続けていたんだと美優の胸が温かくなった。
 けれど、その工藤という人間は、ニヤニヤとした笑みをずっと浮かべており、どうにも嫌な感じがして、美優は自分から春陽のことを詳しく聞いたりはしなかった。
 バスケを続けていると知れただけでも十分だった。

 その後、高校に進学した美優は、家の中ではダイフクを支えになんとか生活していた。
 話を聞いてくれた中学の友人は高校が違ったため、すぐに疎遠になってしまった。
 高校生になり、どんどん綺麗になっていった美優は、男子にモテた。
 自分から好きになることはなかったが、告白されて、何人かと付き合いもしたが、誰とも長続きはしなかった。
 彼氏という立場になると、皆優しさが徐々に薄れ、迫られることが増えるため、体目当てのように感じて仕方なかった。
 美優自身、相手の事が好きなのか自信が持てなかったのも大きいだろう。

 そして、大学受験を終え、今に至る。
 女子だけのインカレサークルに入ったのはその方が美優にとっては楽だったからだ。
 まさかそこで春陽と再会することになるとは夢にも思っていなかったが。


 ベッドで膝を抱えた姿勢のまま、美優は徐にスマホを見る。
 そこには春陽の連絡先が表示されていた。

 もう一度会って、今度こそ春陽に謝りたい。
 今更、もう遅いかもしれないけど……、それでも。

 けど、その前に、春陽の話の中でどうしても気になる存在が美優にはいた。
 その人とも話をしてみたい。

 美優は、スマホを操作し、春陽から聞いたフェリーチェという店を検索するのだった。
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