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第四章 花火大会と海の家
第33話 彼女の気持ち、彼の気持ち
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雪愛は春陽の背におぶわれている間、今日春陽との間にあったあれやこれやを思い出しては悶えそうになるのを必死に堪えていた。
この鼓動や熱が背中から春陽に伝わりませんようにと祈りながらも足の痛みも薄れ、二人きりになった今、思い出すのを止められなかった。
そんなところに先ほどの春陽の言葉だ。
雪愛が必死に堪えていた感情が溢れ、気持ちのままに春陽に何かを伝えようとしていた。
「あのね……、私……、私は―――――」
「雪愛?」
雪愛が意を決して何かを言おうとしたとろこで、後ろから雪愛の名が呼ばれた。
突然、名を呼ばれたことに身体をビクッとさせた雪愛は、その声の方へ目を向けた。
「っ、母さん!?」
そこにいたのは、母の沙織だった。
どうやら仕事帰りのようだ。
「何やってるの?家の前で。それにあなたは―――?」
そう言って、沙織は雪愛の隣にいる春陽に目をやる。
「はじめまして。風見春陽と言います。雪愛さんの同級生です」
春陽も雪愛に母さんと呼ばれた女性を目にし、驚いていた。とても高校生の子供がいるようには見えない女性だったからだ。だが、並ばれるとよく似ているため、何も知らなければ姉妹だと思ったかもしれない。
何はともあれ、雪愛の母親に失礼はできない。春陽は沙織に丁寧に挨拶した。
「そう。ご丁寧にありがとう。はじめまして。雪愛の母の沙織です。それであなたたち家の前でどうかしたの?」
沙織は不思議そうに首を傾げる。そんな姿も雪愛と似ていた。
一方、沙織の登場に雪愛の気持ちが急速に萎んでいく。
(今、私何言おうとしてたの!?)
落ち着けば、勢いのままに自分が春陽に何を言おうとしていたか気づいてしまい、顔が熱くなる。
「見てわかるでしょ!花火大会の帰りに春陽くんが私をここまで送ってくれたの!母さんは先に家に入ってて!」
それを誤魔化すように雪愛の言葉が強めになった。
「はいはい、わかったわよ。それじゃあ風見君またね。雪愛を送ってくれてありがとう」
春陽に優しい笑みを向けて、沙織は家へと入っていった。
沙織の乱入に何とも言えない雰囲気となってしまった。
「ごめんね、春陽くん……」
偶然の結果ではあるのだが、突然沙織が現れ、挨拶することになってしまった春陽に申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
「いや、謝ることじゃない。それよりさっき雪愛が言いかけてたのは――――?」
春陽は驚きこそあったが、雪愛の母親だ。変な挨拶になっていなかったかの方が気になる。
そしてそれよりも、自分を引き留めてまで雪愛が言いかけたことが何かを聞こうと思った。
「それはもういいの!本当、全然大したことじゃないから」
だが、雪愛はもう言うつもりはないらしい。両手を振って何でもないということをアピールする。
「そうか?……それじゃあ俺はそろそろ失礼するよ。足、早く治るといいな」
「うん、ありがとう。本当にありがとうね春陽くん」
「ああ、それじゃあお休み、雪愛」
「お休みなさい、春陽くん」
春陽を見送った雪愛が家に入ると、沙織がリビングにいた。
「もしかして私お邪魔しちゃったかしら?」
雪愛がリビングに入ってきて開口一番がそれだった。沙織はにんまりとしている。
「そういうのじゃないから!変な風に考えるのはやめて」
「そうなの?でも、雪愛が男の子に送ってもらうなんて珍しいんじゃない?」
と言うか、沙織の知る限りだが、初めてではないだろうか。
中学生の頃に雪愛から相談されて、男性を良く思っていないことは沙織も知っている。そしてそれは仕方がないことだとも思っていた。雪愛は大切な大切な娘だ。雪愛の気持ちが大事に決まっている。それに、そんな男性ばかりじゃない、というのは頭でわかっても自分で経験していかなければ納得できないことだろうし、恋愛はしなければならないものではないと思うから。
けど、そんな雪愛だからこそ気になるというものだ。
「春陽くんはすっごく優しいの。帰りはいつも送ってくれるんだから」
「ふふっ、そう。花火大会は楽しかった?」
それに、それ以降、雪愛の口から男子の名前が出てくるのも初めてだ。
雪愛の返答は答えになっていないような気もするが。
「…うん」
「よかったわね。浴衣姿、春陽君に褒めてもらえた?」
揶揄うような笑みを浮かべる沙織。
「っ、もうこの話はお終い!私先にお風呂入ってくるから」
実際、揶揄われたと感じた雪愛は話を切り上げた。
「あらら。ごゆっくりー」
雪愛がリビングから出て行くのを沙織は困ったような笑みで見送った。そんな態度では丸わかりだ。沙織は雪愛がいなくなると表情をあらため、真剣な顔つきで何かを考えているようだった。
雪愛はお風呂から上がった後、足の手当をし、自分の部屋のベッドで一人、今日一日を思い返しては、ゴロゴロと転がっていた。
あそこで沙織が乱入したことは結果的にはよかったかもしれない。
自分はあの時、間違いなく春陽に告白しようとしていた。
少し前に瑞穂達にこのままでいたいと言ったばかりで、その思いに変わりはないはずなのに。
本当にあの時の自分はどうかしていたと思う。
そうなってしまうくらい、今日の春陽は雪愛の琴線に触れることばかりしてきたのだ。春陽が悪いという訳ではないが、春陽のせいであることは間違いなかった。
春陽にもらった二つのぬいぐるみを胸に抱き、机の上の小さなジュエリーボックスをチラリと見る。
「~~~~~~っ」
色々思い出し、赤くなってしまった顔をぬいぐるみに埋める雪愛。
告白しようとしたのも勢いではあったが紛れもない雪愛の本心なのだ。今日春陽とたくさん触れ合ってしまったことで、春陽への想いが瞬間的に溢れてしまっただけで、その大きさはこうして落ち着いても変わらない。
一度春陽の温もりを、そして、その時の幸福感を知ってしまったため、もっと、と考えてしまう。自分の気持ちばかり大きく育ってしまっているが、春陽はどう思っているのだろうか。春陽の気持ちがわからない。自分と同じであってほしい、とは思うが、そんな自信はない。考えると怖くて、同時にもどかしい。知りたいような知りたくないような。恋をしている人は皆、こんな甘くて切なくて、ちょっぴり苦しい気持ちを味わっているのだろうか。
「はぁ……」
無意識に雪愛の口からため息が漏れる。それはとても艶のあるものだった。
一つだけ確かなことがある。雪愛はもう春陽との関係が今のままでいいとは思えなくなっていた。
この後、悶々と春陽のことを考えていた雪愛はいつの間にか眠りに落ちていた。ただこの日は疲れもあってぐっすり眠ったため、連続で春陽の夢を見るということはなかった。
一方、雪愛を送り、アパートに戻ってきた春陽は、シャワーを浴びて、ベッドの上で仰向けになっていた。
右腕を目元にのせて、ふーっと深い息を吐く。
雪愛は春陽が自分のことを全然意識していないと思っていたようだが、実際は違う。
今も春陽は雪愛のことを考えてしまっている。
駅での待ち合わせ。
世間では浴衣姿の女性は可愛さが何割増しなどと言われたりもするが、春陽が感じたものはまさにそれがぴったりだった。
駅で初めて雪愛の浴衣姿を見たときの衝撃は今も忘れられない。一瞬雪愛以外のすべてが目に入らなかった。こんなに綺麗な女性だったのだとあらためて思い知った。
皆で屋台を回っているときはよかった。
自分自身屋台を楽しむことができたし、皆で和気藹藹と過ごすのも新鮮で嫌ではなかった。まさか自分が人の輪に、しかも休みの日にいるなんて少し前までなら想像すらしていなかったけれど。
だが、それからが問題だ。
雪愛が逸れたとわかったときの不安、倒れそうになる雪愛を見つけたときの焦燥、間に合ったときの安堵と感情が大きく揺さぶられた。
肩を抱き留めたときの、男の自分とは全く違う華奢で小さな体。
手を繋いだときの小さく柔らかい手の平。
今でもその時の感触を覚えている。
その時抱いた自分の感情も。
それらを思い出してしまった春陽は、腕の下にある顔が熱くなるのを感じた。
花火を見ている間は、隣に雪愛がいても普通でいられた、と思う。
過去に打ち上げ花火を見た記憶はほとんどないが、次々と上がっては消える花火が本当に儚く、綺麗で、見入っていたから。
隣に雪愛がいる。そのことに胸の辺りが温かくなっていることには気づいていたが。
だからだろうか。
花火が終わった後の雪愛との会話。
春陽は、雪愛と一緒に、また花火を見たいと心から思った。
最寄り駅に着いて悠介と別れた後。
雪愛が靴擦れしていたとわかった。
痛みを堪えて無理して歩く雪愛を春陽は見ていられなかった。
おんぶは、何が雪愛にとって一番いいかを自分なりに考えた上で提案したことだった。
しかし、その体勢を考えれば当然のことなのに、春陽は雪愛の体が自分に密着するということを失念していた。
おぶったときの背中に感じた柔らかさ。
雪愛が腕に力を込める度に、密着度合いが増し、身体がビクッとならないようにと必死だった。
雪愛の家までの距離がいつも以上に長く感じた。
今日の雪愛は色々と春陽の心臓に悪すぎた。
ただでさえ春陽の中で雪愛の存在は大きくなってきているのに。
そんなところで、雪愛とたくさん触れ合ってしまったために、春陽の中で雪愛の存在がどんどん大きくなっていった。
一度知ってしまった雪愛の温もりはとても心地よくて、もっと触れたいなんて思ってしまう。
そう考えれば、沙織の乱入はちょうどよかったかもしれない。
その直前の雪愛は、なんだか見ているだけでこちらの鼓動が早くなり、顔が熱くなるほどの魅力的な雰囲気があったからだ。
正直、堪えられたかわからない。もしそんなことになっていたら雪愛を傷つけていたかもしれない。それだけは絶対に嫌だった。そんな自分を春陽は絶対に許せない。
そこまで考え、責任転嫁だとわかっていながらも、雪愛は自分に対して無防備過ぎだろうと春陽は思う。
雪愛は自分で男性が苦手だという噂を肯定していた。
けれど、どう考えても、少なくとも春陽に対しては苦手意識のようなものは無いとしか思えない。春陽自身、雪愛のそういった部分を感じたことがないからだ。
むしろ雪愛の方が男である春陽に最初から積極的に関わろうとしてきていた、ように感じる。
だが、そんな雪愛だからこそ、かもしれない。言葉や態度で真正面からぶつかってきてくれた。雪愛と知り合ってから、自分は一体どれほど初めての経験をし、初めての感情を知っただろうか。
そのどれもが雪愛のおかげと言っていい。春陽はそれらを大切に思っている。
そこで、春陽はベッドの上で再び深い息を吐く。
顔の熱は上がっているように感じる。
自分が女性に―――雪愛にこんな感情を抱くなんて、という思いはある。
人との関係をより深めようとすることに恐怖もある。
そもそも雪愛も望んでくれるのか、それが一番の問題だ。
さらには、自分なんかにそんな資格があるのかとも思う。
あの人たちが聞けばふざけるなと怒るかもしれない。
けれど今あの人たちはいない。
いい加減、気にする必要はないのではないか。
それにもう自分の気持ちを否定することだけはできそうにない。
(俺は、雪愛のことが――――好きだ)
春陽は、雪愛のことが好きだと確かに自覚した。
それは春陽にとって初めての恋だった。
恐怖はある。
けれどもし雪愛との関係をもっと深めようと思えば――――。
雪愛に自分の想いを伝えたいと春陽は強く思った。
二人の距離は今日の花火大会で確実に近づき、それぞれの想いも大きく変化していた。
その変化は二人にとって大幅な前進と言えるだろう。
お互いがお互いのことを好きだと思っている。
後はどちらかが想いを伝えることさえできれば、春陽と雪愛はさらに先へと進むことができる。
だが、今日の雪愛のように、それは簡単なことではない。
お互い初恋だというのだから尚更だ。
それでも先へと進むことを望むのならば―――――。
相手に自身の想いを伝える日が近づいていた。
この鼓動や熱が背中から春陽に伝わりませんようにと祈りながらも足の痛みも薄れ、二人きりになった今、思い出すのを止められなかった。
そんなところに先ほどの春陽の言葉だ。
雪愛が必死に堪えていた感情が溢れ、気持ちのままに春陽に何かを伝えようとしていた。
「あのね……、私……、私は―――――」
「雪愛?」
雪愛が意を決して何かを言おうとしたとろこで、後ろから雪愛の名が呼ばれた。
突然、名を呼ばれたことに身体をビクッとさせた雪愛は、その声の方へ目を向けた。
「っ、母さん!?」
そこにいたのは、母の沙織だった。
どうやら仕事帰りのようだ。
「何やってるの?家の前で。それにあなたは―――?」
そう言って、沙織は雪愛の隣にいる春陽に目をやる。
「はじめまして。風見春陽と言います。雪愛さんの同級生です」
春陽も雪愛に母さんと呼ばれた女性を目にし、驚いていた。とても高校生の子供がいるようには見えない女性だったからだ。だが、並ばれるとよく似ているため、何も知らなければ姉妹だと思ったかもしれない。
何はともあれ、雪愛の母親に失礼はできない。春陽は沙織に丁寧に挨拶した。
「そう。ご丁寧にありがとう。はじめまして。雪愛の母の沙織です。それであなたたち家の前でどうかしたの?」
沙織は不思議そうに首を傾げる。そんな姿も雪愛と似ていた。
一方、沙織の登場に雪愛の気持ちが急速に萎んでいく。
(今、私何言おうとしてたの!?)
落ち着けば、勢いのままに自分が春陽に何を言おうとしていたか気づいてしまい、顔が熱くなる。
「見てわかるでしょ!花火大会の帰りに春陽くんが私をここまで送ってくれたの!母さんは先に家に入ってて!」
それを誤魔化すように雪愛の言葉が強めになった。
「はいはい、わかったわよ。それじゃあ風見君またね。雪愛を送ってくれてありがとう」
春陽に優しい笑みを向けて、沙織は家へと入っていった。
沙織の乱入に何とも言えない雰囲気となってしまった。
「ごめんね、春陽くん……」
偶然の結果ではあるのだが、突然沙織が現れ、挨拶することになってしまった春陽に申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
「いや、謝ることじゃない。それよりさっき雪愛が言いかけてたのは――――?」
春陽は驚きこそあったが、雪愛の母親だ。変な挨拶になっていなかったかの方が気になる。
そしてそれよりも、自分を引き留めてまで雪愛が言いかけたことが何かを聞こうと思った。
「それはもういいの!本当、全然大したことじゃないから」
だが、雪愛はもう言うつもりはないらしい。両手を振って何でもないということをアピールする。
「そうか?……それじゃあ俺はそろそろ失礼するよ。足、早く治るといいな」
「うん、ありがとう。本当にありがとうね春陽くん」
「ああ、それじゃあお休み、雪愛」
「お休みなさい、春陽くん」
春陽を見送った雪愛が家に入ると、沙織がリビングにいた。
「もしかして私お邪魔しちゃったかしら?」
雪愛がリビングに入ってきて開口一番がそれだった。沙織はにんまりとしている。
「そういうのじゃないから!変な風に考えるのはやめて」
「そうなの?でも、雪愛が男の子に送ってもらうなんて珍しいんじゃない?」
と言うか、沙織の知る限りだが、初めてではないだろうか。
中学生の頃に雪愛から相談されて、男性を良く思っていないことは沙織も知っている。そしてそれは仕方がないことだとも思っていた。雪愛は大切な大切な娘だ。雪愛の気持ちが大事に決まっている。それに、そんな男性ばかりじゃない、というのは頭でわかっても自分で経験していかなければ納得できないことだろうし、恋愛はしなければならないものではないと思うから。
けど、そんな雪愛だからこそ気になるというものだ。
「春陽くんはすっごく優しいの。帰りはいつも送ってくれるんだから」
「ふふっ、そう。花火大会は楽しかった?」
それに、それ以降、雪愛の口から男子の名前が出てくるのも初めてだ。
雪愛の返答は答えになっていないような気もするが。
「…うん」
「よかったわね。浴衣姿、春陽君に褒めてもらえた?」
揶揄うような笑みを浮かべる沙織。
「っ、もうこの話はお終い!私先にお風呂入ってくるから」
実際、揶揄われたと感じた雪愛は話を切り上げた。
「あらら。ごゆっくりー」
雪愛がリビングから出て行くのを沙織は困ったような笑みで見送った。そんな態度では丸わかりだ。沙織は雪愛がいなくなると表情をあらため、真剣な顔つきで何かを考えているようだった。
雪愛はお風呂から上がった後、足の手当をし、自分の部屋のベッドで一人、今日一日を思い返しては、ゴロゴロと転がっていた。
あそこで沙織が乱入したことは結果的にはよかったかもしれない。
自分はあの時、間違いなく春陽に告白しようとしていた。
少し前に瑞穂達にこのままでいたいと言ったばかりで、その思いに変わりはないはずなのに。
本当にあの時の自分はどうかしていたと思う。
そうなってしまうくらい、今日の春陽は雪愛の琴線に触れることばかりしてきたのだ。春陽が悪いという訳ではないが、春陽のせいであることは間違いなかった。
春陽にもらった二つのぬいぐるみを胸に抱き、机の上の小さなジュエリーボックスをチラリと見る。
「~~~~~~っ」
色々思い出し、赤くなってしまった顔をぬいぐるみに埋める雪愛。
告白しようとしたのも勢いではあったが紛れもない雪愛の本心なのだ。今日春陽とたくさん触れ合ってしまったことで、春陽への想いが瞬間的に溢れてしまっただけで、その大きさはこうして落ち着いても変わらない。
一度春陽の温もりを、そして、その時の幸福感を知ってしまったため、もっと、と考えてしまう。自分の気持ちばかり大きく育ってしまっているが、春陽はどう思っているのだろうか。春陽の気持ちがわからない。自分と同じであってほしい、とは思うが、そんな自信はない。考えると怖くて、同時にもどかしい。知りたいような知りたくないような。恋をしている人は皆、こんな甘くて切なくて、ちょっぴり苦しい気持ちを味わっているのだろうか。
「はぁ……」
無意識に雪愛の口からため息が漏れる。それはとても艶のあるものだった。
一つだけ確かなことがある。雪愛はもう春陽との関係が今のままでいいとは思えなくなっていた。
この後、悶々と春陽のことを考えていた雪愛はいつの間にか眠りに落ちていた。ただこの日は疲れもあってぐっすり眠ったため、連続で春陽の夢を見るということはなかった。
一方、雪愛を送り、アパートに戻ってきた春陽は、シャワーを浴びて、ベッドの上で仰向けになっていた。
右腕を目元にのせて、ふーっと深い息を吐く。
雪愛は春陽が自分のことを全然意識していないと思っていたようだが、実際は違う。
今も春陽は雪愛のことを考えてしまっている。
駅での待ち合わせ。
世間では浴衣姿の女性は可愛さが何割増しなどと言われたりもするが、春陽が感じたものはまさにそれがぴったりだった。
駅で初めて雪愛の浴衣姿を見たときの衝撃は今も忘れられない。一瞬雪愛以外のすべてが目に入らなかった。こんなに綺麗な女性だったのだとあらためて思い知った。
皆で屋台を回っているときはよかった。
自分自身屋台を楽しむことができたし、皆で和気藹藹と過ごすのも新鮮で嫌ではなかった。まさか自分が人の輪に、しかも休みの日にいるなんて少し前までなら想像すらしていなかったけれど。
だが、それからが問題だ。
雪愛が逸れたとわかったときの不安、倒れそうになる雪愛を見つけたときの焦燥、間に合ったときの安堵と感情が大きく揺さぶられた。
肩を抱き留めたときの、男の自分とは全く違う華奢で小さな体。
手を繋いだときの小さく柔らかい手の平。
今でもその時の感触を覚えている。
その時抱いた自分の感情も。
それらを思い出してしまった春陽は、腕の下にある顔が熱くなるのを感じた。
花火を見ている間は、隣に雪愛がいても普通でいられた、と思う。
過去に打ち上げ花火を見た記憶はほとんどないが、次々と上がっては消える花火が本当に儚く、綺麗で、見入っていたから。
隣に雪愛がいる。そのことに胸の辺りが温かくなっていることには気づいていたが。
だからだろうか。
花火が終わった後の雪愛との会話。
春陽は、雪愛と一緒に、また花火を見たいと心から思った。
最寄り駅に着いて悠介と別れた後。
雪愛が靴擦れしていたとわかった。
痛みを堪えて無理して歩く雪愛を春陽は見ていられなかった。
おんぶは、何が雪愛にとって一番いいかを自分なりに考えた上で提案したことだった。
しかし、その体勢を考えれば当然のことなのに、春陽は雪愛の体が自分に密着するということを失念していた。
おぶったときの背中に感じた柔らかさ。
雪愛が腕に力を込める度に、密着度合いが増し、身体がビクッとならないようにと必死だった。
雪愛の家までの距離がいつも以上に長く感じた。
今日の雪愛は色々と春陽の心臓に悪すぎた。
ただでさえ春陽の中で雪愛の存在は大きくなってきているのに。
そんなところで、雪愛とたくさん触れ合ってしまったために、春陽の中で雪愛の存在がどんどん大きくなっていった。
一度知ってしまった雪愛の温もりはとても心地よくて、もっと触れたいなんて思ってしまう。
そう考えれば、沙織の乱入はちょうどよかったかもしれない。
その直前の雪愛は、なんだか見ているだけでこちらの鼓動が早くなり、顔が熱くなるほどの魅力的な雰囲気があったからだ。
正直、堪えられたかわからない。もしそんなことになっていたら雪愛を傷つけていたかもしれない。それだけは絶対に嫌だった。そんな自分を春陽は絶対に許せない。
そこまで考え、責任転嫁だとわかっていながらも、雪愛は自分に対して無防備過ぎだろうと春陽は思う。
雪愛は自分で男性が苦手だという噂を肯定していた。
けれど、どう考えても、少なくとも春陽に対しては苦手意識のようなものは無いとしか思えない。春陽自身、雪愛のそういった部分を感じたことがないからだ。
むしろ雪愛の方が男である春陽に最初から積極的に関わろうとしてきていた、ように感じる。
だが、そんな雪愛だからこそ、かもしれない。言葉や態度で真正面からぶつかってきてくれた。雪愛と知り合ってから、自分は一体どれほど初めての経験をし、初めての感情を知っただろうか。
そのどれもが雪愛のおかげと言っていい。春陽はそれらを大切に思っている。
そこで、春陽はベッドの上で再び深い息を吐く。
顔の熱は上がっているように感じる。
自分が女性に―――雪愛にこんな感情を抱くなんて、という思いはある。
人との関係をより深めようとすることに恐怖もある。
そもそも雪愛も望んでくれるのか、それが一番の問題だ。
さらには、自分なんかにそんな資格があるのかとも思う。
あの人たちが聞けばふざけるなと怒るかもしれない。
けれど今あの人たちはいない。
いい加減、気にする必要はないのではないか。
それにもう自分の気持ちを否定することだけはできそうにない。
(俺は、雪愛のことが――――好きだ)
春陽は、雪愛のことが好きだと確かに自覚した。
それは春陽にとって初めての恋だった。
恐怖はある。
けれどもし雪愛との関係をもっと深めようと思えば――――。
雪愛に自分の想いを伝えたいと春陽は強く思った。
二人の距離は今日の花火大会で確実に近づき、それぞれの想いも大きく変化していた。
その変化は二人にとって大幅な前進と言えるだろう。
お互いがお互いのことを好きだと思っている。
後はどちらかが想いを伝えることさえできれば、春陽と雪愛はさらに先へと進むことができる。
だが、今日の雪愛のように、それは簡単なことではない。
お互い初恋だというのだから尚更だ。
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