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第一章 二人の出会い
第1話 自分のことは自分が一番わかっていない
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四月下旬の月曜日。
スマホの目覚ましが鳴っている。
それをゆっくりした動きで止めて、
「だりー」
そんな言葉をこぼしながら気怠い身体をベッドから起こした風見春陽は、学校へ行くための準備を始めた。
洗面所で顔を洗い前髪を掻き上げたところで鏡に目をやる。いや、目をやってしまった。
そこには当然春陽が映っている。
「…ちっ」
いつもは気をつけているのに、久しぶりに心構えなしで大嫌いな自分の顔を見てしまい、思わず舌打ちが出た。春陽はさっさと目元まで隠れる前髪を戻し洗面所を出る。
水を一杯飲み、ブレザーの制服に着替え、最後に黒縁の眼鏡をかければ準備は終了だ。
こうして春陽はワンルームのアパートを出て学校へと向かった。
春陽の通う光ヶ峰高校へは最寄り駅から電車で二駅と近いところにある。
いつも通りに家を出て、始業十分前に自分のクラスである二年B組の教室に着いた春陽は、窓際一番後ろの自席に座ってすぐ、腕を枕代わりにして机に突っ伏した。
黒髪で目元まで隠れた長い前髪に、黒縁眼鏡、基本的に自分から話しにいくこともない態度から、春陽は二年に上がって二週間足らずで、すでにクラスでは根暗な陰キャと認識されていた。一年の時もだいたい同じ頃には同様に認識され、特に関わってこようとするクラスメイトもいなかったため、そこから一年間平穏に学校生活を送れた春陽は、二年でも同じように過ごそうと決めていた。
平穏な学校生活を送るためには必要なことがあると春陽は考えている。
それは、良くも悪くも目立つ生徒とは決して関わらないことだ。
そしてこのクラスには少なくとも三人、絶対に関わってはいけない人間がいる。
一人目は、白月雪愛。
彼女は学年一……学校一だったか?春陽は興味が無いので詳細は不明だが、の美人で一年の頃から有名だった。そして、誰に告白されても断っているらしい。そのことから、男性が苦手だとか好きな人がいるだとか様々な噂が飛び交っているようだ。
彼女と万が一にも話しているところを他の男子に見られれば敵意を向けられ、女子からは彼女を狙っているという警戒の目で見られること必至である。
二人目は、新条和樹。
彼は言ってみれば雪愛の逆だ。サッカー部に所属する爽やかイケメン。
そのサッカー部でもレギュラーで活躍している、らしい。
女子の中心が雪愛だとすれば、男子の中心は間違いなく和樹だろう。
他の生徒達も一年のときのクラスメイトだったり、部活仲間だったりと二年にもなれば何だかんだでグループはすでにできている。
つまりは目立つような人物に関わらなければ、わざわざ自分などには見向きもしないだろうと春陽は考えている。
一人の男子生徒が教室に入ってきたのは春陽が席について数分後だった。
彼は、多くのクラスメイト達と名前を呼んで挨拶を交わし、自席に鞄を置いた。二年になって一か月に満たないというのにすでに多くのクラスメイト達と親しくなったようだ。そんな彼は隣の席で腕を枕にしている春陽に話しかけた。
「よう!春陽。今日も眠そうだなぁ」
「あ?……悠介か。何か用か?」
声をかけられた春陽は渋々腕から顔を上げ、彼、佐伯悠介に言葉を返した。
三人目がこの佐伯悠介だ。
明るい茶髪のイケメンで、ちょっとチャラそうに見えなくもないが、悠介は凄まじいコミュ力を持っていて、男女関係なく仲の良いやつが多い。
悠介とは同じ中学出身で、バスケ部でも一緒だった。と言っても、春陽は一年の終わりに退部したし、悠介も二年の初め頃に退部した。だが、そこから時々話すようになった。
中学の知り合いなら話しかけられるくらいは普通かもしれないが、悠介はイケメンだ。注目を集める可能性を考えると春陽としてはあまり関わってほしくない相手である。
「用ってほどじゃねえよ―――」
「なら話しかけるな。イケメンとの関わりは俺の平穏を揺るがしかねない」
悠介が何か言い終わる前に春陽はぶった切った。
「なんだそれ。イケメンとかお前に言われたくねえんだけど?」
悠介は苦笑いを浮かべて春陽の言い分を受け流した。
「それに、ダチが同じクラスになったと思ったら、いつも休み時間は机に突っ伏して、昼休みもすぐ教室から出て行っちまうから気になってんだよ」
確かに中学時代から含めても春陽と悠介が同じクラスになったのは今が初めてだった。
だが春陽からすればそんなことはいつものことで、今更気になるも何もない。というか悠介のある言葉に衝撃を受けそれどころではなかった。
「!?……ダチ?友達のことか?誰が誰の?」
「なんでそこに疑問を持つんだよ!俺ら中学からの付き合いだろうが!」
「友達っていうのは気心知れた仲だろう?俺はお前の気持ちなんて察することはできないぞ?」
「なんでそんなに友達のハードルが高いんだよ!それに気心知れたってそういう意味じゃねえよ……お前わかってて言ってんだろ」
悠介は疲れたようなため息を吐いた。確かに『ダチ』なんて今までわざわざ言ったことは無いかもしれない。だが、まさかその認識が無かったなんてと一気に疲れた気分だった。
「なん、だと……!?………てっきり知り合いだとばかり……」
そう。春陽にとって悠介は知り合いだと思っていた。悠介は春陽がバスケ部を辞める時、すごい剣幕で怒っていた。つまりは嫌われているのだと春陽は思っている。そんな相手にも関わろうとするなんてさすがコミュ力激高だとずっと思っていたのだ。
「そうかよ……。まあ名称なんて何でも言いわ。これまで通りの付き合いができればそれでいいよ」
すると、ちょうどそこでチャイムが鳴り、担任の東城咲が教室に入ってきたため二人とも正面に座りなおした。東城はまだ三年目の英語教師でこのクラスが初めての担任だ。
結局悠介との話は全く無意味に終わった。いや、春陽にとっては悠介が知り合いではなく友人だとわかったのだから意味はあったのか……。
それからはいつもと何ら変わらない。午前の授業を受けて、この時期はまだ暑くないため昼休みには屋上に行き一人菓子パンの昼食を取り、午後の授業を受けて、帰りのホームルームの時間になった。
ちなみに、春陽は家で勉強をしたくないという理由で授業は真面目に受けている。
「それじゃあ最後に、今週のロングホームルームで球技大会の種目決めをしてもらうから皆何に出たいか考えておいてね。球技大会の前に中間テストもあるから五月は連休があるけど勉強も疎かにしないように」
担任がそう言うと若干クラスがザワザワし出した。
光ヶ峰高校はそれなりの進学校だが、文武両道を謳っており、部活動も盛んだ。そしてイベント事にも力を入れている。生徒側もイベント事は盛り上がっており、一年の最初のイベントが球技大会だ。また、中間テストのすぐ後に実施されるため、テストの打ち上げ的なイベントでもある。
そのまま、帰りのホームルームが終わり、帰り支度をする者、今言われた球技大会の種目について話す者、部活に行く者など様々の中、春陽はさっさと帰り支度をし、教室を出ていった。
春陽が放課後向かっている先は自分の住んでいるアパートではない。
自宅の最寄り駅からアパートとは反対方向に少し歩いた先に目的地はあった。
『felice』
壁がこげ茶色の板張りになっており、大きくはないが、重厚感と温かみを感じるカフェ&ダイニングだ。ちなみに店内も窓以外は床や天井も木の質感を存分に感じられる造りになっている。また、二階はオーナーの自宅だ。
春陽はここに遊びに来たのではない。ずっと前からここでバイトをしているのだ。
裏手の扉から入り、更衣室で白シャツと黒ズボンに着替えを済ませた春陽は、髪を整え、眼鏡を外し店内へと進んでいった。
そこには、学校での春陽とは全く違う、誰が見ても一目で振り返ってしまうほどの男性的で整った顔立ちの青年がいた。
店内に入ると、一人の女性が切り盛りしていた。
「麻理さん、お疲れ様です」
赤みかかった茶髪のショートヘア、キリッとした目元に整った顔立ちのスレンダーな女性、早川麻理に春陽は挨拶をした。彼女がこの店のオーナーだ。
「ハル来たわね。今日もイケメン全開ね。目の保養になっていい感じよ」
麻理は春陽を揶揄うように言った。
「何回言ってんすかそれ。お世辞も言いすぎると嫌味ですよ……」
「何度でも言うの。本当のことだもの。ハルは見た目も中身もいい男よ。ハル自身も認めてくれると嬉しいんだけどね。じゃあ今日もよろしく頼むわね」
春陽は麻理が優しいことを知っている。本当は嫌で仕方ないはずなのに、大切なこの店に中学の三年間異物でしかない自分のような存在を住まわせてくれたのだから。
そんな麻理だから、信用しているし、親切で自分に気を遣ってくれているのはわかるが、度が過ぎれば嫌味である。春陽自身が一番自分の顔を嫌っているということは麻理も知っているため、呆れたように麻理に言い返すが、麻理は春陽の言い分など知ったことじゃないと言わんばかりに、切り返してきた。
こうして、春陽のバイトが始まった。
フェリーチェは、麻理が数年前に建てた店で、基本的に一人でやっている。春陽が正式にバイトを始めたのは高一からだが、週の大半はここでバイトをしている。春陽の仕事は調理全般と接客だ。
麻理は春陽がいる間はコーヒーを淹れるのがメインとなっている。後は春陽のサポートという感じだ。コーヒーを淹れることだけは春陽に任せない。
一人でも回せる規模の店だが、春陽がいると色々と余裕ができるため、麻理にとっても春陽の存在は助かっている。
バイト中の春陽は学校とは全く違う。
キビキビと動き、オーダーが入れば、料理を作り客のもとに持っていく。
愛想がいいとは言えないが、丁寧に接客はしているため、クールな印象を相手には与えているようだ。
この店はこじんまりとしたおしゃれなカフェでコーヒーの味も抜群とあって女性客が多い。
また、春陽の通う学校から近いこともあり、穴場的なカフェとして生徒の中にもこの店へ来る者もいる。中には春陽と同じクラスの生徒も来るがハルが春陽とは全く気づかれていない。
そして、女性客の多くが、春陽をチラチラ見ては、ほぅっと満足したような息を吐いている。
女性客にとっても麻理の言う『目の保養』というやつのようだ。
だが、当の春陽自身はその視線に、
(みんなして接客が下手だからってそんなチラチラ見てため息まで吐かなくても……)
と居心地の悪さをいつも感じていた……。
しばらくそうして働いていたが、特にオーダーもなくちょうど二人して手隙になった。
「そういえばハル。新しいクラスはどう?」
「どうって。特に何もないですよ」
「友達はできた?」
その問いに、小学生に対する質問かよ!という返しをぐっと飲みこんだ春陽は、今日の朝のことを思い出した。
「……悠介は俺の友達だったみたいです…」
「え!?今まで何だと思ってたの!?」
驚きのあまり若干声がひっくり返ってしまった。悠介はこの店にも何度も来ている。春陽も変に気を遣う様子も無く、仲良くしていると麻理は思っていた。
「……ただの知り合いだとばかり……」
春陽の返答に麻理は困ったような笑みを浮かべ、そっか、と呟いた。
「あのね、ハル―――」
まだ何か言おうとしていた麻理だったが、そこでドアが開き新しい客が入ってきたため、春陽はその対応に行ってしまった。
そんな春陽を麻理は複雑な表情で見つめていたが自身もすぐに仕事へと戻った。
その後も働き続け、もうすぐ夜七時という頃。
これから夜の忙しい時間帯というところだ。
「ハル!ごめん、ちょっと駅前で牛乳買ってきてくれる?足りなくなりそうなの」
どうやら今日は牛乳の消費が予定よりも多かったらしい。麻理は申し訳なさそうに言っているが、個人経営の店だしその日によって予定よりも消費が多くなってしまうなんてことはこれまでにも何度かあったため春陽は全く気にしていない。
「わかりました。すぐ買ってきます」
「夜はまだ冷えるから上着着て行ってね」
はい、と返事をしてバックヤードに置きっぱなしにしている黒のジャンパーコートを取りに行き、春陽は駅前に一っ走りするのだった。
駅前のスーパーで牛乳を買い、スーパーを出てきた春陽はフェリーチェに急ぎ戻ろうとしていた。
横断歩道で信号待ちをしていると、周囲の声が聞こえてきた。
「ねえ、あの子ちょっとヤバいんじゃない?」
「ん?ああ本当だ。ナンパかな?」
その声に釣られるように視線を上げると、横断歩道の向こう側で男三人に囲まれている女性が目に入った。
いや、正確には同じ学校の制服を着た女子生徒が目に入った。
そして、しばらく男達がその女子生徒に話しかけている様子が窺えたが、次の瞬間、
「っ!?離してください!」「きゃっ!?」
離してという大きな声に続き短い悲鳴が上がった。
男の手を振り払おうとした女子生徒の動きで、男が手に持っていたペットボトルの中身が女子生徒に思いっきりかかってしまったようだ。
その直後、信号が青へと変わった。
春陽は信号が変わった瞬間に横断歩道を駆け出した。
(あの野郎わざと手に持ってたのをぶっかけやがった!)
春陽の位置からはばっちり見えていた。男が女子生徒の動きに合わせて、ニヤニヤ笑いながら手に持っていたペットボトルの水を彼女の上半身目掛けて思いっきり自分からかけたのが。
いつもの自分なら同じ学校の生徒だろうと自分から助けにいくことなんてないだろう。
面倒なことには極力関わりたくないし、今は早く店に戻らなきゃいけないのもある。
なのに……。
男の目に余る所業に腹が立ったのか、それとも水をかけられた女子生徒の背中に何かを感じたのか、春陽は自分でもなぜかわからないまま、その現場に急ぎ向かい声を発した。
「すみません」
この後すぐに後悔することになるとは思いもせずに。
スマホの目覚ましが鳴っている。
それをゆっくりした動きで止めて、
「だりー」
そんな言葉をこぼしながら気怠い身体をベッドから起こした風見春陽は、学校へ行くための準備を始めた。
洗面所で顔を洗い前髪を掻き上げたところで鏡に目をやる。いや、目をやってしまった。
そこには当然春陽が映っている。
「…ちっ」
いつもは気をつけているのに、久しぶりに心構えなしで大嫌いな自分の顔を見てしまい、思わず舌打ちが出た。春陽はさっさと目元まで隠れる前髪を戻し洗面所を出る。
水を一杯飲み、ブレザーの制服に着替え、最後に黒縁の眼鏡をかければ準備は終了だ。
こうして春陽はワンルームのアパートを出て学校へと向かった。
春陽の通う光ヶ峰高校へは最寄り駅から電車で二駅と近いところにある。
いつも通りに家を出て、始業十分前に自分のクラスである二年B組の教室に着いた春陽は、窓際一番後ろの自席に座ってすぐ、腕を枕代わりにして机に突っ伏した。
黒髪で目元まで隠れた長い前髪に、黒縁眼鏡、基本的に自分から話しにいくこともない態度から、春陽は二年に上がって二週間足らずで、すでにクラスでは根暗な陰キャと認識されていた。一年の時もだいたい同じ頃には同様に認識され、特に関わってこようとするクラスメイトもいなかったため、そこから一年間平穏に学校生活を送れた春陽は、二年でも同じように過ごそうと決めていた。
平穏な学校生活を送るためには必要なことがあると春陽は考えている。
それは、良くも悪くも目立つ生徒とは決して関わらないことだ。
そしてこのクラスには少なくとも三人、絶対に関わってはいけない人間がいる。
一人目は、白月雪愛。
彼女は学年一……学校一だったか?春陽は興味が無いので詳細は不明だが、の美人で一年の頃から有名だった。そして、誰に告白されても断っているらしい。そのことから、男性が苦手だとか好きな人がいるだとか様々な噂が飛び交っているようだ。
彼女と万が一にも話しているところを他の男子に見られれば敵意を向けられ、女子からは彼女を狙っているという警戒の目で見られること必至である。
二人目は、新条和樹。
彼は言ってみれば雪愛の逆だ。サッカー部に所属する爽やかイケメン。
そのサッカー部でもレギュラーで活躍している、らしい。
女子の中心が雪愛だとすれば、男子の中心は間違いなく和樹だろう。
他の生徒達も一年のときのクラスメイトだったり、部活仲間だったりと二年にもなれば何だかんだでグループはすでにできている。
つまりは目立つような人物に関わらなければ、わざわざ自分などには見向きもしないだろうと春陽は考えている。
一人の男子生徒が教室に入ってきたのは春陽が席について数分後だった。
彼は、多くのクラスメイト達と名前を呼んで挨拶を交わし、自席に鞄を置いた。二年になって一か月に満たないというのにすでに多くのクラスメイト達と親しくなったようだ。そんな彼は隣の席で腕を枕にしている春陽に話しかけた。
「よう!春陽。今日も眠そうだなぁ」
「あ?……悠介か。何か用か?」
声をかけられた春陽は渋々腕から顔を上げ、彼、佐伯悠介に言葉を返した。
三人目がこの佐伯悠介だ。
明るい茶髪のイケメンで、ちょっとチャラそうに見えなくもないが、悠介は凄まじいコミュ力を持っていて、男女関係なく仲の良いやつが多い。
悠介とは同じ中学出身で、バスケ部でも一緒だった。と言っても、春陽は一年の終わりに退部したし、悠介も二年の初め頃に退部した。だが、そこから時々話すようになった。
中学の知り合いなら話しかけられるくらいは普通かもしれないが、悠介はイケメンだ。注目を集める可能性を考えると春陽としてはあまり関わってほしくない相手である。
「用ってほどじゃねえよ―――」
「なら話しかけるな。イケメンとの関わりは俺の平穏を揺るがしかねない」
悠介が何か言い終わる前に春陽はぶった切った。
「なんだそれ。イケメンとかお前に言われたくねえんだけど?」
悠介は苦笑いを浮かべて春陽の言い分を受け流した。
「それに、ダチが同じクラスになったと思ったら、いつも休み時間は机に突っ伏して、昼休みもすぐ教室から出て行っちまうから気になってんだよ」
確かに中学時代から含めても春陽と悠介が同じクラスになったのは今が初めてだった。
だが春陽からすればそんなことはいつものことで、今更気になるも何もない。というか悠介のある言葉に衝撃を受けそれどころではなかった。
「!?……ダチ?友達のことか?誰が誰の?」
「なんでそこに疑問を持つんだよ!俺ら中学からの付き合いだろうが!」
「友達っていうのは気心知れた仲だろう?俺はお前の気持ちなんて察することはできないぞ?」
「なんでそんなに友達のハードルが高いんだよ!それに気心知れたってそういう意味じゃねえよ……お前わかってて言ってんだろ」
悠介は疲れたようなため息を吐いた。確かに『ダチ』なんて今までわざわざ言ったことは無いかもしれない。だが、まさかその認識が無かったなんてと一気に疲れた気分だった。
「なん、だと……!?………てっきり知り合いだとばかり……」
そう。春陽にとって悠介は知り合いだと思っていた。悠介は春陽がバスケ部を辞める時、すごい剣幕で怒っていた。つまりは嫌われているのだと春陽は思っている。そんな相手にも関わろうとするなんてさすがコミュ力激高だとずっと思っていたのだ。
「そうかよ……。まあ名称なんて何でも言いわ。これまで通りの付き合いができればそれでいいよ」
すると、ちょうどそこでチャイムが鳴り、担任の東城咲が教室に入ってきたため二人とも正面に座りなおした。東城はまだ三年目の英語教師でこのクラスが初めての担任だ。
結局悠介との話は全く無意味に終わった。いや、春陽にとっては悠介が知り合いではなく友人だとわかったのだから意味はあったのか……。
それからはいつもと何ら変わらない。午前の授業を受けて、この時期はまだ暑くないため昼休みには屋上に行き一人菓子パンの昼食を取り、午後の授業を受けて、帰りのホームルームの時間になった。
ちなみに、春陽は家で勉強をしたくないという理由で授業は真面目に受けている。
「それじゃあ最後に、今週のロングホームルームで球技大会の種目決めをしてもらうから皆何に出たいか考えておいてね。球技大会の前に中間テストもあるから五月は連休があるけど勉強も疎かにしないように」
担任がそう言うと若干クラスがザワザワし出した。
光ヶ峰高校はそれなりの進学校だが、文武両道を謳っており、部活動も盛んだ。そしてイベント事にも力を入れている。生徒側もイベント事は盛り上がっており、一年の最初のイベントが球技大会だ。また、中間テストのすぐ後に実施されるため、テストの打ち上げ的なイベントでもある。
そのまま、帰りのホームルームが終わり、帰り支度をする者、今言われた球技大会の種目について話す者、部活に行く者など様々の中、春陽はさっさと帰り支度をし、教室を出ていった。
春陽が放課後向かっている先は自分の住んでいるアパートではない。
自宅の最寄り駅からアパートとは反対方向に少し歩いた先に目的地はあった。
『felice』
壁がこげ茶色の板張りになっており、大きくはないが、重厚感と温かみを感じるカフェ&ダイニングだ。ちなみに店内も窓以外は床や天井も木の質感を存分に感じられる造りになっている。また、二階はオーナーの自宅だ。
春陽はここに遊びに来たのではない。ずっと前からここでバイトをしているのだ。
裏手の扉から入り、更衣室で白シャツと黒ズボンに着替えを済ませた春陽は、髪を整え、眼鏡を外し店内へと進んでいった。
そこには、学校での春陽とは全く違う、誰が見ても一目で振り返ってしまうほどの男性的で整った顔立ちの青年がいた。
店内に入ると、一人の女性が切り盛りしていた。
「麻理さん、お疲れ様です」
赤みかかった茶髪のショートヘア、キリッとした目元に整った顔立ちのスレンダーな女性、早川麻理に春陽は挨拶をした。彼女がこの店のオーナーだ。
「ハル来たわね。今日もイケメン全開ね。目の保養になっていい感じよ」
麻理は春陽を揶揄うように言った。
「何回言ってんすかそれ。お世辞も言いすぎると嫌味ですよ……」
「何度でも言うの。本当のことだもの。ハルは見た目も中身もいい男よ。ハル自身も認めてくれると嬉しいんだけどね。じゃあ今日もよろしく頼むわね」
春陽は麻理が優しいことを知っている。本当は嫌で仕方ないはずなのに、大切なこの店に中学の三年間異物でしかない自分のような存在を住まわせてくれたのだから。
そんな麻理だから、信用しているし、親切で自分に気を遣ってくれているのはわかるが、度が過ぎれば嫌味である。春陽自身が一番自分の顔を嫌っているということは麻理も知っているため、呆れたように麻理に言い返すが、麻理は春陽の言い分など知ったことじゃないと言わんばかりに、切り返してきた。
こうして、春陽のバイトが始まった。
フェリーチェは、麻理が数年前に建てた店で、基本的に一人でやっている。春陽が正式にバイトを始めたのは高一からだが、週の大半はここでバイトをしている。春陽の仕事は調理全般と接客だ。
麻理は春陽がいる間はコーヒーを淹れるのがメインとなっている。後は春陽のサポートという感じだ。コーヒーを淹れることだけは春陽に任せない。
一人でも回せる規模の店だが、春陽がいると色々と余裕ができるため、麻理にとっても春陽の存在は助かっている。
バイト中の春陽は学校とは全く違う。
キビキビと動き、オーダーが入れば、料理を作り客のもとに持っていく。
愛想がいいとは言えないが、丁寧に接客はしているため、クールな印象を相手には与えているようだ。
この店はこじんまりとしたおしゃれなカフェでコーヒーの味も抜群とあって女性客が多い。
また、春陽の通う学校から近いこともあり、穴場的なカフェとして生徒の中にもこの店へ来る者もいる。中には春陽と同じクラスの生徒も来るがハルが春陽とは全く気づかれていない。
そして、女性客の多くが、春陽をチラチラ見ては、ほぅっと満足したような息を吐いている。
女性客にとっても麻理の言う『目の保養』というやつのようだ。
だが、当の春陽自身はその視線に、
(みんなして接客が下手だからってそんなチラチラ見てため息まで吐かなくても……)
と居心地の悪さをいつも感じていた……。
しばらくそうして働いていたが、特にオーダーもなくちょうど二人して手隙になった。
「そういえばハル。新しいクラスはどう?」
「どうって。特に何もないですよ」
「友達はできた?」
その問いに、小学生に対する質問かよ!という返しをぐっと飲みこんだ春陽は、今日の朝のことを思い出した。
「……悠介は俺の友達だったみたいです…」
「え!?今まで何だと思ってたの!?」
驚きのあまり若干声がひっくり返ってしまった。悠介はこの店にも何度も来ている。春陽も変に気を遣う様子も無く、仲良くしていると麻理は思っていた。
「……ただの知り合いだとばかり……」
春陽の返答に麻理は困ったような笑みを浮かべ、そっか、と呟いた。
「あのね、ハル―――」
まだ何か言おうとしていた麻理だったが、そこでドアが開き新しい客が入ってきたため、春陽はその対応に行ってしまった。
そんな春陽を麻理は複雑な表情で見つめていたが自身もすぐに仕事へと戻った。
その後も働き続け、もうすぐ夜七時という頃。
これから夜の忙しい時間帯というところだ。
「ハル!ごめん、ちょっと駅前で牛乳買ってきてくれる?足りなくなりそうなの」
どうやら今日は牛乳の消費が予定よりも多かったらしい。麻理は申し訳なさそうに言っているが、個人経営の店だしその日によって予定よりも消費が多くなってしまうなんてことはこれまでにも何度かあったため春陽は全く気にしていない。
「わかりました。すぐ買ってきます」
「夜はまだ冷えるから上着着て行ってね」
はい、と返事をしてバックヤードに置きっぱなしにしている黒のジャンパーコートを取りに行き、春陽は駅前に一っ走りするのだった。
駅前のスーパーで牛乳を買い、スーパーを出てきた春陽はフェリーチェに急ぎ戻ろうとしていた。
横断歩道で信号待ちをしていると、周囲の声が聞こえてきた。
「ねえ、あの子ちょっとヤバいんじゃない?」
「ん?ああ本当だ。ナンパかな?」
その声に釣られるように視線を上げると、横断歩道の向こう側で男三人に囲まれている女性が目に入った。
いや、正確には同じ学校の制服を着た女子生徒が目に入った。
そして、しばらく男達がその女子生徒に話しかけている様子が窺えたが、次の瞬間、
「っ!?離してください!」「きゃっ!?」
離してという大きな声に続き短い悲鳴が上がった。
男の手を振り払おうとした女子生徒の動きで、男が手に持っていたペットボトルの中身が女子生徒に思いっきりかかってしまったようだ。
その直後、信号が青へと変わった。
春陽は信号が変わった瞬間に横断歩道を駆け出した。
(あの野郎わざと手に持ってたのをぶっかけやがった!)
春陽の位置からはばっちり見えていた。男が女子生徒の動きに合わせて、ニヤニヤ笑いながら手に持っていたペットボトルの水を彼女の上半身目掛けて思いっきり自分からかけたのが。
いつもの自分なら同じ学校の生徒だろうと自分から助けにいくことなんてないだろう。
面倒なことには極力関わりたくないし、今は早く店に戻らなきゃいけないのもある。
なのに……。
男の目に余る所業に腹が立ったのか、それとも水をかけられた女子生徒の背中に何かを感じたのか、春陽は自分でもなぜかわからないまま、その現場に急ぎ向かい声を発した。
「すみません」
この後すぐに後悔することになるとは思いもせずに。
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