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** エピローグ・娘の章 **
PM5:00
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「もう忘れろなんて言わないけど、今日くらいは素直に喜んだらどうだよ。だって、今日は素晴らしい日じゃないか」
陽太が言ったちょうどその時、父が病室に入ってきた。
「今日だけじゃないぞ、美咲」
「あ、お義父さん!」
「陽太君、立ち会いご苦労だったね。君は勇気があるよ」
「いいえ、とんでもないです!」
夫は、いまだに父を見ると緊張するようだ。かれこれ二年近い付き合いなんだから、もうそろそろ打ち解けても良いはずなんだけど。
「今日からは、お前もお母さんだ。素晴らしいが大変な日々が、これからずっと続くんだ。過去の事を引きずっている暇は無いぞ」
私は、傍らで眠っている小さな我が子を見た。
「自信ないなあ」
「当たり前だろう、人の親になるのは初めてなんだから。自信なんて気にするな。分からない事があれば母さんや……母さんに聞けば良いんだから」
「父さんじゃ駄目なの?」
「うん。考えてみたら、俺あんまり何もしてなかったわ」
父はあっけらかんと笑った。
「まあ、それでも何とかなるものさ。気にし過ぎるのはかえって毒だ。気楽にやろうぜ」
「父さん、何しに来たのよ」
私たちは笑った。
ああ、別にこれで良いんだ。
私は素直に思えた。
「さ、あとは名前だな」
ひとしきり笑った後、父は言った。
「あ。決めてないや、そう言えば」
陽太が気まずそうに私を見る。
「はは。いいさ、まだ時間はある。どうしても決まらないようだったら、お寺に行っていただいて来れば良い」
産後の体調は意外なほど良好だった。彼らは小一時間私と話してから、病室を後にした。
時間は夕飯時だった。他のベッドの人たちは皆食堂へ移動していたため、室内は私と娘ふたりきりだった。
私は寝転がったままぼーっとする。
「名前かあ……」
私は天井をぼんやりと眺めながら、どんな名前が彼女にふさわしいか考えていた。
すると、
「ねえ」
「うわあ!」
急に耳元で声がした。
驚いた私は辺りを見回したが、誰もいない。
「……空耳……?」
あまりにもはっきり聞こえたのでそんな気はしなかったが、私にはそれしか考えつかなかった。
一体なんだったんだろう。
私は娘の顔を何気なく覗き込み、
そして、絶句した。
さっきまで眠っていたはずの彼女は、明らかな意思を持って私を見つめていた。
その口が、動く。
「名前、決まらないの?」
産まれたばかりの新生児が、ニヤニヤしながら私に語りかける。
なにこれ。
混乱しかけた私の頭の中で、ある一本の記憶の糸が手繰られた。
私は、この声を聞いたことがある……。
「いいのがあるよ」
せっかく忘れようとしていた記憶が、無残に掘り起こされていく。
あの不気味な竹林。
新聞紙と毛布にくるまれた、洋子さんの遺体。
それを必死で運ぶ翔太と私の目の前にアラワレタ……
「聞きたい?」
やめて。
やめて。
もう、放っておいて。
お願い、
お願いだから……
言葉にならない懇願は意味を成さず、目で訴えるばかりの私に、
彼女は容赦なく言った。
陽太が言ったちょうどその時、父が病室に入ってきた。
「今日だけじゃないぞ、美咲」
「あ、お義父さん!」
「陽太君、立ち会いご苦労だったね。君は勇気があるよ」
「いいえ、とんでもないです!」
夫は、いまだに父を見ると緊張するようだ。かれこれ二年近い付き合いなんだから、もうそろそろ打ち解けても良いはずなんだけど。
「今日からは、お前もお母さんだ。素晴らしいが大変な日々が、これからずっと続くんだ。過去の事を引きずっている暇は無いぞ」
私は、傍らで眠っている小さな我が子を見た。
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「父さんじゃ駄目なの?」
「うん。考えてみたら、俺あんまり何もしてなかったわ」
父はあっけらかんと笑った。
「まあ、それでも何とかなるものさ。気にし過ぎるのはかえって毒だ。気楽にやろうぜ」
「父さん、何しに来たのよ」
私たちは笑った。
ああ、別にこれで良いんだ。
私は素直に思えた。
「さ、あとは名前だな」
ひとしきり笑った後、父は言った。
「あ。決めてないや、そう言えば」
陽太が気まずそうに私を見る。
「はは。いいさ、まだ時間はある。どうしても決まらないようだったら、お寺に行っていただいて来れば良い」
産後の体調は意外なほど良好だった。彼らは小一時間私と話してから、病室を後にした。
時間は夕飯時だった。他のベッドの人たちは皆食堂へ移動していたため、室内は私と娘ふたりきりだった。
私は寝転がったままぼーっとする。
「名前かあ……」
私は天井をぼんやりと眺めながら、どんな名前が彼女にふさわしいか考えていた。
すると、
「ねえ」
「うわあ!」
急に耳元で声がした。
驚いた私は辺りを見回したが、誰もいない。
「……空耳……?」
あまりにもはっきり聞こえたのでそんな気はしなかったが、私にはそれしか考えつかなかった。
一体なんだったんだろう。
私は娘の顔を何気なく覗き込み、
そして、絶句した。
さっきまで眠っていたはずの彼女は、明らかな意思を持って私を見つめていた。
その口が、動く。
「名前、決まらないの?」
産まれたばかりの新生児が、ニヤニヤしながら私に語りかける。
なにこれ。
混乱しかけた私の頭の中で、ある一本の記憶の糸が手繰られた。
私は、この声を聞いたことがある……。
「いいのがあるよ」
せっかく忘れようとしていた記憶が、無残に掘り起こされていく。
あの不気味な竹林。
新聞紙と毛布にくるまれた、洋子さんの遺体。
それを必死で運ぶ翔太と私の目の前にアラワレタ……
「聞きたい?」
やめて。
やめて。
もう、放っておいて。
お願い、
お願いだから……
言葉にならない懇願は意味を成さず、目で訴えるばかりの私に、
彼女は容赦なく言った。
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