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終 平成二十六年
我が家の秘密
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俺の辞表を課長はしばらく黙って眺めていた。
言うべき内容はすべて語ったので、こちらから加える言葉は何もなかった。辞表の中にも一応それらは書かれているが、今俺の目の前でそれを改めようとする気配は見られない。彼はただひたすらに、辞表の二文字ばかりをぼんやり見ている。
「今君にいなくなられるのは正直辛いが……家庭の事情じゃ仕方がないな」
父が脳梗塞で倒れたのは先週だった。幸い一命はとりとめたが、後遺症で左足に麻痺が残ってしまった。
実家には母と弟がいる。だから厳密に言うと俺までがそこへ帰る必要性はあまりない。が、それでも俺は長男だし、最終的に家を継がなければならない身分なのを考えると、言い方は悪いが今回の件は良いきっかけだったのだ。
「まあ君もまだ若いから、ここを辞めても次は見つかるだろう。また一からの積み重ねになるだろうから大変だが、頑張れよ」
課長はあくまでも俺の仕事の心配をする。家庭の事情に口を挟むのを無粋と思っているのかもしれない。ちなみに課長は若いと言ってくれたが、俺ももう今年で三十になる。転職市場の年齢の相場を考えると、決して彼の言葉を鵜呑みには出来なかった。
「君の事だから大丈夫だろうが、達者でやれよ高橋君」
最後に課長と握手を交わして、この話は終わりになった。もっとも、来月いっぱいまでは普通に業務をこなさなければならないので、返事をする時には少しばかり苦笑気味になってしまったが。
*
そろそろ雪がその姿を現し始める晩秋の吉日、俺はレンタカーで実家に戻った。
当日は降雪や積雪に見舞われること無く、快適なドライブだった。家に帰ると、家族は皆あたたかく迎えてくれた。その様子はほとんど変わりなく、父が杖をついて歩いている以外は七年前最後に会った時の姿そのままだった。
家族四人、水入らずで久しぶりに食卓を囲む。テーブルの上には、料理の他にビール瓶が何本か立っていた。
「仕事はどうだ、順調か?」
「大変だよ、雑用ばっかりで」
高校生だった弟も、今やいっぱしの社会人だ。だが、彼以降新人の入社が無いらしく、いまだに使いっ走りみたいな事をやらされているらしい。彼はそれを快く思っていないらしく、くどくどとその辺りのエピソードを繰り返す。
「お料理、足りなくなったら言ってね。まだあるから」
母は上機嫌で言うが、食べ盛り当時ならいざ知らず、今の俺たちにこのボリュームの食い物を平らげておかわりする食欲はもはや無い。
「いいよ。多分余るから、明日の朝食にとっといて」
「お前、朝からから揚げとか食うのか?」
「兄貴ダメなの、そういうの?」
「普通そうだろ」
「俺は平気だぜ。兄貴歳くったんじゃないの?」
「うるせーよ、バカ」
父は俺たち兄弟のやり取りを満足げに目を細めながら聞いていた。が、不意に片膝をつくと、杖にすがりながらその場に立ち上がった。
「お。親父、トイレか?」
俺はその様子に一瞬ドキリとしたが、母と弟の顔色には特に変化が無かった。これが今の高橋家の日常風景なのだろう。
「和成」
弟の声掛けには応じず、彼は俺の名を呼んだ。
「すまんが、少し奥の部屋で話をせんか?」
父は何故か、四人しかいない家族のうちの二人を嫌って、俺を和室に連れ出した。
「どうしたんだよ、わざわざ」
父の具合はもとより、ここでは畳の具合が気になる。いくら父が今使っている杖が屋内用だとはいえ、当たり方次第では普通に畳を痛めそうな気がしたのだ。
が、父はそれへ配慮する感じをまったく見せず、杖にすがって腰を下ろすと俺の目を睨みつけてきた。
「……何だよ。俺、何か悪い事言ったか?」
たじろぐ俺を尻目に、彼は言う。
「……和成。父さんが次男坊だっていうのは知ってるな?」
「え?いやまあ、それは……伯父さんって確か、俺が産まれる前に独身のまま死んじゃったんでしょ?」
「そうだ。もっと言うと、父さんの父さんも長男ではなかった」
「じいちゃんも?」
祖父のくだりは初めて聞く。俺は思わず聞き返した。
「そうさ。じいちゃんの時はもっとひどかったぞ。あの人は末っ子で、兄が何人もいたはずなのに、結婚して子を成したのはあの人だけだったんだからな」
「……」
「我が家は、そういう家系なのだ。兄弟が何人いても、子孫を残せるのはたった一人だ。昔、先祖がやらかしたらしくてな……我が家は代々、呪われる運命にあるんだ」
「呪われ……? 待った。なんで今その話を?」
父は俺の質問にはすぐに答えず、一族が呪われるはめになったきっかけを語りだした。
言うべき内容はすべて語ったので、こちらから加える言葉は何もなかった。辞表の中にも一応それらは書かれているが、今俺の目の前でそれを改めようとする気配は見られない。彼はただひたすらに、辞表の二文字ばかりをぼんやり見ている。
「今君にいなくなられるのは正直辛いが……家庭の事情じゃ仕方がないな」
父が脳梗塞で倒れたのは先週だった。幸い一命はとりとめたが、後遺症で左足に麻痺が残ってしまった。
実家には母と弟がいる。だから厳密に言うと俺までがそこへ帰る必要性はあまりない。が、それでも俺は長男だし、最終的に家を継がなければならない身分なのを考えると、言い方は悪いが今回の件は良いきっかけだったのだ。
「まあ君もまだ若いから、ここを辞めても次は見つかるだろう。また一からの積み重ねになるだろうから大変だが、頑張れよ」
課長はあくまでも俺の仕事の心配をする。家庭の事情に口を挟むのを無粋と思っているのかもしれない。ちなみに課長は若いと言ってくれたが、俺ももう今年で三十になる。転職市場の年齢の相場を考えると、決して彼の言葉を鵜呑みには出来なかった。
「君の事だから大丈夫だろうが、達者でやれよ高橋君」
最後に課長と握手を交わして、この話は終わりになった。もっとも、来月いっぱいまでは普通に業務をこなさなければならないので、返事をする時には少しばかり苦笑気味になってしまったが。
*
そろそろ雪がその姿を現し始める晩秋の吉日、俺はレンタカーで実家に戻った。
当日は降雪や積雪に見舞われること無く、快適なドライブだった。家に帰ると、家族は皆あたたかく迎えてくれた。その様子はほとんど変わりなく、父が杖をついて歩いている以外は七年前最後に会った時の姿そのままだった。
家族四人、水入らずで久しぶりに食卓を囲む。テーブルの上には、料理の他にビール瓶が何本か立っていた。
「仕事はどうだ、順調か?」
「大変だよ、雑用ばっかりで」
高校生だった弟も、今やいっぱしの社会人だ。だが、彼以降新人の入社が無いらしく、いまだに使いっ走りみたいな事をやらされているらしい。彼はそれを快く思っていないらしく、くどくどとその辺りのエピソードを繰り返す。
「お料理、足りなくなったら言ってね。まだあるから」
母は上機嫌で言うが、食べ盛り当時ならいざ知らず、今の俺たちにこのボリュームの食い物を平らげておかわりする食欲はもはや無い。
「いいよ。多分余るから、明日の朝食にとっといて」
「お前、朝からから揚げとか食うのか?」
「兄貴ダメなの、そういうの?」
「普通そうだろ」
「俺は平気だぜ。兄貴歳くったんじゃないの?」
「うるせーよ、バカ」
父は俺たち兄弟のやり取りを満足げに目を細めながら聞いていた。が、不意に片膝をつくと、杖にすがりながらその場に立ち上がった。
「お。親父、トイレか?」
俺はその様子に一瞬ドキリとしたが、母と弟の顔色には特に変化が無かった。これが今の高橋家の日常風景なのだろう。
「和成」
弟の声掛けには応じず、彼は俺の名を呼んだ。
「すまんが、少し奥の部屋で話をせんか?」
父は何故か、四人しかいない家族のうちの二人を嫌って、俺を和室に連れ出した。
「どうしたんだよ、わざわざ」
父の具合はもとより、ここでは畳の具合が気になる。いくら父が今使っている杖が屋内用だとはいえ、当たり方次第では普通に畳を痛めそうな気がしたのだ。
が、父はそれへ配慮する感じをまったく見せず、杖にすがって腰を下ろすと俺の目を睨みつけてきた。
「……何だよ。俺、何か悪い事言ったか?」
たじろぐ俺を尻目に、彼は言う。
「……和成。父さんが次男坊だっていうのは知ってるな?」
「え?いやまあ、それは……伯父さんって確か、俺が産まれる前に独身のまま死んじゃったんでしょ?」
「そうだ。もっと言うと、父さんの父さんも長男ではなかった」
「じいちゃんも?」
祖父のくだりは初めて聞く。俺は思わず聞き返した。
「そうさ。じいちゃんの時はもっとひどかったぞ。あの人は末っ子で、兄が何人もいたはずなのに、結婚して子を成したのはあの人だけだったんだからな」
「……」
「我が家は、そういう家系なのだ。兄弟が何人いても、子孫を残せるのはたった一人だ。昔、先祖がやらかしたらしくてな……我が家は代々、呪われる運命にあるんだ」
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