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拾 天保七年
喧嘩
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思えば上の兄たちも、彼の半分ほどに気持ちを込めて説得してくれれば、私も納得できたのかもしれません。
ですがこの時の私は、母を心無く棄てた上の兄たちに対する怒りの方が勝ってしまったのです。
「四郎兄さん。例えあなたが止めても私は行きます」
「馬鹿な真似はよせ。お前は、おきつねさまの祟りを甘く見ている」
黄泉径に迷い込んだ者が現世に戻ってこれなくなるのは、おきつねさまの仕業だという言い伝えもあり、それは私も知っていました。
「迷信じゃない、そんなの」
「泰四郎、ゆい。おきつねさまの話はするな」
「すまねえ、太郎兄貴。でも、こいつが強情だから」
「泰四郎。口で言っても分からねえんだ。二、三発ぶん殴って黙らせろ」
「子三郎、泰四郎はお前とは違う」
「どういう意味だよ、太郎兄貴」
兄たちが私を置いて言い合いになろうとしていた、その時。
「なあ」
それまで黙っていた二番目の兄が、けだるげに口を開きました。
「別にこいつはおっ母のところに行きたいんだろう。行かせてやりゃいいじゃねえか」
他の三人の兄が、一斉に彼を見ます。
「馬鹿な。次郎兄貴、ゆいがどうなっても良いのか」
「おきつねさまの事も知ってて行きたいって言ってるんだ。好きにすりゃ良い。それに、口がもうひとつ減ってくれるなら、こっちとしても願ったり叶ったりだろう」
「彦次郎、言い過ぎだ」
一番上の兄が無感情に彼を諌めます。が、彼の言葉に、私の腹も決まりました。
「それでは、私は向こうで母と暮らします。あなた方は、どうかこちらで末永くお過ごしください」
言うや否や、私は駆け足で家を出ました。下の兄だけが私を呼び止めましたが、もはや私に聞く耳はありませんでした。
時々歩きながらも足は休めず、早々に黄泉径へ着きました。
竹をかじったと思しき人の骸が多数転がっています。昔より、ここから生える筍には毒があると言われていたのですが、どうやら成長した竹にもそれは当てはまっていたようです。
「おっ母」
藪の中を覗き込みながら、私は母を呼んでみました。
「おっ母、帰ろう。兄さんたちは私が説得するから。ねえ」
言いくるめられる自信はまるでありませんでしたが、私は敢えてそう言い切りました。
返事は、ありません。
竹藪には細い道が一本だけありました。そこからなら難なく中に入れそうでしたが、幼い頃から聞かされてきた言い伝えがそれを躊躇させました。
怖いと言ったら嘘になります。けれども、母は間違いなくこの中にいるのです。
助けないといけない。私は意を決して黄泉径に足を踏み入れました。
ものの十歩ほどで、辺りは不気味なほど暗くなりました。ここはそれほど竹が密生していたのです。
まだ昼前だというのに。私は感心するような呆れるような、不思議な気持ちで辺りを見回しました。
「え」
その時私を驚かせた異変は、背後にありました。まだいくらも進んでいないはずなのに、私はもう竹藪のど真ん中にいたのです。
「え」
「え」
「え」
完全に言葉を失い、馬鹿のようにきょろきょろするばかりです。目の前の光景が信じられずに、私は途方にくれました。
どうしよう。
これでは、例え母に会えたとしても、連れて帰れない。
「お前は、おきつねさまの祟りを甘く見ている」
兄の言葉が脳裏に浮かんだところで後の祭りです。
私は足を動かすのも忘れ、その場に立ち尽くしてしまいました。
ですがこの時の私は、母を心無く棄てた上の兄たちに対する怒りの方が勝ってしまったのです。
「四郎兄さん。例えあなたが止めても私は行きます」
「馬鹿な真似はよせ。お前は、おきつねさまの祟りを甘く見ている」
黄泉径に迷い込んだ者が現世に戻ってこれなくなるのは、おきつねさまの仕業だという言い伝えもあり、それは私も知っていました。
「迷信じゃない、そんなの」
「泰四郎、ゆい。おきつねさまの話はするな」
「すまねえ、太郎兄貴。でも、こいつが強情だから」
「泰四郎。口で言っても分からねえんだ。二、三発ぶん殴って黙らせろ」
「子三郎、泰四郎はお前とは違う」
「どういう意味だよ、太郎兄貴」
兄たちが私を置いて言い合いになろうとしていた、その時。
「なあ」
それまで黙っていた二番目の兄が、けだるげに口を開きました。
「別にこいつはおっ母のところに行きたいんだろう。行かせてやりゃいいじゃねえか」
他の三人の兄が、一斉に彼を見ます。
「馬鹿な。次郎兄貴、ゆいがどうなっても良いのか」
「おきつねさまの事も知ってて行きたいって言ってるんだ。好きにすりゃ良い。それに、口がもうひとつ減ってくれるなら、こっちとしても願ったり叶ったりだろう」
「彦次郎、言い過ぎだ」
一番上の兄が無感情に彼を諌めます。が、彼の言葉に、私の腹も決まりました。
「それでは、私は向こうで母と暮らします。あなた方は、どうかこちらで末永くお過ごしください」
言うや否や、私は駆け足で家を出ました。下の兄だけが私を呼び止めましたが、もはや私に聞く耳はありませんでした。
時々歩きながらも足は休めず、早々に黄泉径へ着きました。
竹をかじったと思しき人の骸が多数転がっています。昔より、ここから生える筍には毒があると言われていたのですが、どうやら成長した竹にもそれは当てはまっていたようです。
「おっ母」
藪の中を覗き込みながら、私は母を呼んでみました。
「おっ母、帰ろう。兄さんたちは私が説得するから。ねえ」
言いくるめられる自信はまるでありませんでしたが、私は敢えてそう言い切りました。
返事は、ありません。
竹藪には細い道が一本だけありました。そこからなら難なく中に入れそうでしたが、幼い頃から聞かされてきた言い伝えがそれを躊躇させました。
怖いと言ったら嘘になります。けれども、母は間違いなくこの中にいるのです。
助けないといけない。私は意を決して黄泉径に足を踏み入れました。
ものの十歩ほどで、辺りは不気味なほど暗くなりました。ここはそれほど竹が密生していたのです。
まだ昼前だというのに。私は感心するような呆れるような、不思議な気持ちで辺りを見回しました。
「え」
その時私を驚かせた異変は、背後にありました。まだいくらも進んでいないはずなのに、私はもう竹藪のど真ん中にいたのです。
「え」
「え」
「え」
完全に言葉を失い、馬鹿のようにきょろきょろするばかりです。目の前の光景が信じられずに、私は途方にくれました。
どうしよう。
これでは、例え母に会えたとしても、連れて帰れない。
「お前は、おきつねさまの祟りを甘く見ている」
兄の言葉が脳裏に浮かんだところで後の祭りです。
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