上 下
68 / 83
拾 天保七年

喧嘩

しおりを挟む
 思えば上の兄たちも、彼の半分ほどに気持ちを込めて説得してくれれば、私も納得できたのかもしれません。

 ですがこの時の私は、母を心無く棄てた上の兄たちに対する怒りの方が勝ってしまったのです。

「四郎兄さん。例えあなたが止めても私は行きます」

「馬鹿な真似はよせ。お前は、おきつねさまの祟りを甘く見ている」

 黄泉径に迷い込んだ者が現世に戻ってこれなくなるのは、おきつねさまの仕業だという言い伝えもあり、それは私も知っていました。

「迷信じゃない、そんなの」

「泰四郎、ゆい。おきつねさまの話はするな」

「すまねえ、太郎兄貴。でも、こいつが強情だから」

「泰四郎。口で言っても分からねえんだ。二、三発ぶん殴って黙らせろ」

「子三郎、泰四郎はお前とは違う」

「どういう意味だよ、太郎兄貴」

 兄たちが私を置いて言い合いになろうとしていた、その時。

「なあ」

 それまで黙っていた二番目の兄が、けだるげに口を開きました。

「別にこいつはおっ母のところに行きたいんだろう。行かせてやりゃいいじゃねえか」

 他の三人の兄が、一斉に彼を見ます。

「馬鹿な。次郎兄貴、ゆいがどうなっても良いのか」

「おきつねさまの事も知ってて行きたいって言ってるんだ。好きにすりゃ良い。それに、口がもうひとつ減ってくれるなら、こっちとしても願ったり叶ったりだろう」

「彦次郎、言い過ぎだ」

 一番上の兄が無感情に彼を諌めます。が、彼の言葉に、私の腹も決まりました。

「それでは、私は向こうで母と暮らします。あなた方は、どうかこちらで末永くお過ごしください」

 言うや否や、私は駆け足で家を出ました。下の兄だけが私を呼び止めましたが、もはや私に聞く耳はありませんでした。

 時々歩きながらも足は休めず、早々に黄泉径へ着きました。

 竹をかじったと思しき人の骸が多数転がっています。昔より、ここから生える筍には毒があると言われていたのですが、どうやら成長した竹にもそれは当てはまっていたようです。

「おっ母」

 藪の中を覗き込みながら、私は母を呼んでみました。

「おっ母、帰ろう。兄さんたちは私が説得するから。ねえ」

 言いくるめられる自信はまるでありませんでしたが、私は敢えてそう言い切りました。

 返事は、ありません。

 竹藪には細い道が一本だけありました。そこからなら難なく中に入れそうでしたが、幼い頃から聞かされてきた言い伝えがそれを躊躇させました。

 怖いと言ったら嘘になります。けれども、母は間違いなくこの中にいるのです。

 助けないといけない。私は意を決して黄泉径に足を踏み入れました。

 ものの十歩ほどで、辺りは不気味なほど暗くなりました。ここはそれほど竹が密生していたのです。

 まだ昼前だというのに。私は感心するような呆れるような、不思議な気持ちで辺りを見回しました。

「え」

 その時私を驚かせた異変は、背後にありました。まだいくらも進んでいないはずなのに、私はもう竹藪のど真ん中にいたのです。

「え」
「え」
「え」

 完全に言葉を失い、馬鹿のようにきょろきょろするばかりです。目の前の光景が信じられずに、私は途方にくれました。

 どうしよう。

 これでは、例え母に会えたとしても、連れて帰れない。

「お前は、おきつねさまの祟りを甘く見ている」

 兄の言葉が脳裏に浮かんだところで後の祭りです。

 私は足を動かすのも忘れ、その場に立ち尽くしてしまいました。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

小さなことから〜露出〜えみ〜

サイコロ
恋愛
私の露出… 毎日更新していこうと思います よろしくおねがいします 感想等お待ちしております 取り入れて欲しい内容なども 書いてくださいね よりみなさんにお近く 考えやすく

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

クラスメイトの美少女と無人島に流された件

桜井正宗
青春
 修学旅行で離島へ向かう最中――悪天候に見舞われ、台風が直撃。船が沈没した。  高校二年の早坂 啓(はやさか てつ)は、気づくと砂浜で寝ていた。周囲を見渡すとクラスメイトで美少女の天音 愛(あまね まな)が隣に倒れていた。  どうやら、漂流して流されていたようだった。  帰ろうにも島は『無人島』。  しばらくは島で生きていくしかなくなった。天音と共に無人島サバイバルをしていくのだが……クラスの女子が次々に見つかり、やがてハーレムに。  男一人と女子十五人で……取り合いに発展!?

ARIA(アリア)

残念パパいのっち
ミステリー
山内亮(やまうちとおる)は内見に出かけたアパートでAR越しに不思議な少女、西園寺雫(さいおんじしずく)と出会う。彼女は自分がAIでこのアパートに閉じ込められていると言うが……

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

朱糸

黒幕横丁
ミステリー
それは、幸福を騙った呪い(のろい)、そして、真を隠した呪い(まじない)。 Worstの探偵、弐沙(つぐさ)は依頼人から朱絆(しゅばん)神社で授与している朱糸守(しゅしまもり)についての調査を依頼される。 そのお守りは縁結びのお守りとして有名だが、お守りの中身を見たが最後呪い殺されるという噂があった。依頼人も不注意によりお守りの中身を覗いたことにより、依頼してから数日後、変死体となって発見される。 そんな変死体事件が複数発生していることを知った弐沙と弐沙に瓜二つに変装している怜(れい)は、そのお守りについて調査することになった。 これは、呪い(のろい)と呪い(まじない)の話

最終死発電車

真霜ナオ
ホラー
バイト帰りの大学生・清瀬蒼真は、いつものように終電へと乗り込む。 直後、車体に大きな衝撃が走り、車内の様子は一変していた。 外に出ようとした乗客の一人は身体が溶け出し、おぞましい化け物まで現れる。 生き残るためには、先頭車両を目指すしかないと知る。 「第6回ホラー・ミステリー小説大賞」奨励賞をいただきました!

断末魔の残り香

焼魚圭
ホラー
 ある私立大学生の鳴見春斗(なるみはると)。  一回生も終わろうとしていたその冬に友だちの小浜秋男(おばまあきお)に連れられて秋男の友だちであり車の運転が出来る同い歳の女性、波佐見冬子(はさみとうこ)と三人で心霊スポットを巡る話である。 ※本作品は「アルファポリス」、「カクヨム」、「ノベルアップ+」「pixiv」にも掲載しています。

処理中です...