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漆 明治十一年
六、
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翌日。
重右衛門は源一郎夫婦に呼ばれ、泰四郎の家にいた。
「叔父さん。いらっしゃらないのですか、泰四郎叔父さん」
家の中、そして周辺を探すが、姿は見当たらない。
「確かにいない、な」
「すまない、重右衛門。昨日、もっと俺がしっかり引きとめるべきだったんだ」
「うちの人は悪くありません。わたしが泰四郎さんの好きにさせてあげようと言ったのがいけなかったんです。悪いのはわたしなんです」
「ふたりとも、落ち着いて」
重右衛門は困惑気味に二人をなだめた。夫婦は揃って狼狽している様子で、呵責故か非常に衰弱して見えた。
「まだ叔父が黄泉径に入ったと決まったわけではないんだ。滅多な事を言っておきつねさまを怒らせない方が良い」
「しかし重右衛門」
何か言いたげな源一郎を、重右衛門は出来るだけ静かな仕草で制止した。そして、ゆっくりと落ち着いた口調で夫婦に語る。
「もし、本当に叔父が黄泉径に迷い込んだとしたならば、それこそ軽々しく叔父の事を口にしてはいけない。下手をするとお前たちにも災いが降りかかるからだ。分かるな」
「ですけど重右衛門さん。あの時わたしがちゃんと泰四郎さんを思いとどまらせる事が出来たなら、こんな事にはならなかったはずなんです」
「よしさん、それは違う。叔父が黄泉径に入ったとするならば、それは自らの意思でそうしたんだ。よしさんは叔父を信じてくれた。向こうがそれを裏切ったのだから、悪いのは向こうだ。あんたたちが頭を下げるいわれはない。分かるね」
「重右衛門、そう言ってくれるのは有り難いが」
「さあ。この話をこれ以上してしまうと、本当におきつねさまに睨まれてしまう。この事はつとめて他言無用。万が一叔父がひょっこり帰ってくるようなことがあれば、俺の方からきつく言っておくから、おふたりはもう帰りなさい」
重右衛門は、後ろ髪をひかれて仕方がない様子のふたりをどうにか説得して、家に帰らせた。
重右衛門が自分の家に戻ると、妻のみつが赤子を抱いて出迎えた。
「いかがでしたか」
憂い顔でみつは聞いた。重右衛門は目を瞑り、ゆっくりと首を横に振った。
「そうですか。本当に続きますね。お葬式も、神隠しも」
みつはため息をつき、赤子の顔を覗き込む。母に抱かれた赤子は穏やかな表情をして、汚れのない瞳で母を見つめ返していた。
重右衛門は妻に寄り添い、彼女に倣って息子の顔を見た。その頬にふれると、彼はこそばゆそうに目を細める。
かすかに顔が緩んだ重右衛門だったが、それは一瞬のことだった。
「叔父もそうだが、源一郎のところも心配だ。あいつら、相当自分たちを責めている」
「まあ」
「気にすることなど何もないと一応言ってはおいたが、ちゃんと分かってくれたかどうか」
みつは、夫をじっと見ている。重右衛門はその視線を感じながらも、赤子の方を見たまま言った。
「叔父は、人身御供になったのだ。我々一家にかけられた呪いを解くためにな」
「おゆいさんの事ですか」
「そうだ。叔父は俺たちのために、身を呈してゆいを説き伏せに行ったのだ。それしか考えられん」
重右衛門は息子の顔を眺めながら、泰四郎の事を思い起こしていた。自分の父とは対照的な温かい人柄は、重右衛門も慕っていたものである。
泰四郎、みつ、息子の草太郎、そして源一郎に、よし。それらの顔をかわるがわる思い描いていると、重右衛門に一つの案が浮かんだ。
「みつ。すまんが、俺のわがままをひとつ許してはくれぬか」
夫の不意を突く申し出に、妻はかすかに首を傾げた。
*
村はずれの山奥の茂みに泰四郎の墓が出来たのは、それから一か月後の事であった。
重右衛門とみつ、それに源一郎とよしの四人は、墓前で線香を上げ、黙祷をささげた。
「大っぴらにすると村から何を言われるか分からないのでこんな場所になりましたが、ご勘弁ください」
重右衛門は、墓に向かって語りかけた。
「源一郎とよしさんも、たまには来ると言ってくれてます。迷惑だなんていうのは無しですよ。もとはと言えば、あなたがいけないんですから」
源一郎夫婦は非常に念入りに長い間合掌していたが、やがてそれを解くと重右衛門に頭を下げた。
「重右衛門、かたじけない。墓のことを俺たちに教えてくれて」
「ありがとうございます」
「あまり頻繁に通うのだけは勘弁してくださいよ。他の村人にばれたら何を言われるか」
自分たちだけではなく、源一郎たちにとっても慰めになれば良い。重右衛門はそんな思いもこめてこの墓を建てたのだった。
「さ、戻りましょう。あまり天気がよろしくありません。一雨来るかもしれませんよ」
みつが促すと、四人は改めて墓に頭を下げ、背を向けた。
そして一同がその場を後にしようと足を進める中、重右衛門は一度だけ立ち止まって墓の方を見る。
どうか。
これからも、一族をお守りください。
墓前で願ったその一事を重ねて思うと、彼はまた歩き出した。
沢沼重右衛門がその墓を訪れたのは、この一度きりであったという。
重右衛門は源一郎夫婦に呼ばれ、泰四郎の家にいた。
「叔父さん。いらっしゃらないのですか、泰四郎叔父さん」
家の中、そして周辺を探すが、姿は見当たらない。
「確かにいない、な」
「すまない、重右衛門。昨日、もっと俺がしっかり引きとめるべきだったんだ」
「うちの人は悪くありません。わたしが泰四郎さんの好きにさせてあげようと言ったのがいけなかったんです。悪いのはわたしなんです」
「ふたりとも、落ち着いて」
重右衛門は困惑気味に二人をなだめた。夫婦は揃って狼狽している様子で、呵責故か非常に衰弱して見えた。
「まだ叔父が黄泉径に入ったと決まったわけではないんだ。滅多な事を言っておきつねさまを怒らせない方が良い」
「しかし重右衛門」
何か言いたげな源一郎を、重右衛門は出来るだけ静かな仕草で制止した。そして、ゆっくりと落ち着いた口調で夫婦に語る。
「もし、本当に叔父が黄泉径に迷い込んだとしたならば、それこそ軽々しく叔父の事を口にしてはいけない。下手をするとお前たちにも災いが降りかかるからだ。分かるな」
「ですけど重右衛門さん。あの時わたしがちゃんと泰四郎さんを思いとどまらせる事が出来たなら、こんな事にはならなかったはずなんです」
「よしさん、それは違う。叔父が黄泉径に入ったとするならば、それは自らの意思でそうしたんだ。よしさんは叔父を信じてくれた。向こうがそれを裏切ったのだから、悪いのは向こうだ。あんたたちが頭を下げるいわれはない。分かるね」
「重右衛門、そう言ってくれるのは有り難いが」
「さあ。この話をこれ以上してしまうと、本当におきつねさまに睨まれてしまう。この事はつとめて他言無用。万が一叔父がひょっこり帰ってくるようなことがあれば、俺の方からきつく言っておくから、おふたりはもう帰りなさい」
重右衛門は、後ろ髪をひかれて仕方がない様子のふたりをどうにか説得して、家に帰らせた。
重右衛門が自分の家に戻ると、妻のみつが赤子を抱いて出迎えた。
「いかがでしたか」
憂い顔でみつは聞いた。重右衛門は目を瞑り、ゆっくりと首を横に振った。
「そうですか。本当に続きますね。お葬式も、神隠しも」
みつはため息をつき、赤子の顔を覗き込む。母に抱かれた赤子は穏やかな表情をして、汚れのない瞳で母を見つめ返していた。
重右衛門は妻に寄り添い、彼女に倣って息子の顔を見た。その頬にふれると、彼はこそばゆそうに目を細める。
かすかに顔が緩んだ重右衛門だったが、それは一瞬のことだった。
「叔父もそうだが、源一郎のところも心配だ。あいつら、相当自分たちを責めている」
「まあ」
「気にすることなど何もないと一応言ってはおいたが、ちゃんと分かってくれたかどうか」
みつは、夫をじっと見ている。重右衛門はその視線を感じながらも、赤子の方を見たまま言った。
「叔父は、人身御供になったのだ。我々一家にかけられた呪いを解くためにな」
「おゆいさんの事ですか」
「そうだ。叔父は俺たちのために、身を呈してゆいを説き伏せに行ったのだ。それしか考えられん」
重右衛門は息子の顔を眺めながら、泰四郎の事を思い起こしていた。自分の父とは対照的な温かい人柄は、重右衛門も慕っていたものである。
泰四郎、みつ、息子の草太郎、そして源一郎に、よし。それらの顔をかわるがわる思い描いていると、重右衛門に一つの案が浮かんだ。
「みつ。すまんが、俺のわがままをひとつ許してはくれぬか」
夫の不意を突く申し出に、妻はかすかに首を傾げた。
*
村はずれの山奥の茂みに泰四郎の墓が出来たのは、それから一か月後の事であった。
重右衛門とみつ、それに源一郎とよしの四人は、墓前で線香を上げ、黙祷をささげた。
「大っぴらにすると村から何を言われるか分からないのでこんな場所になりましたが、ご勘弁ください」
重右衛門は、墓に向かって語りかけた。
「源一郎とよしさんも、たまには来ると言ってくれてます。迷惑だなんていうのは無しですよ。もとはと言えば、あなたがいけないんですから」
源一郎夫婦は非常に念入りに長い間合掌していたが、やがてそれを解くと重右衛門に頭を下げた。
「重右衛門、かたじけない。墓のことを俺たちに教えてくれて」
「ありがとうございます」
「あまり頻繁に通うのだけは勘弁してくださいよ。他の村人にばれたら何を言われるか」
自分たちだけではなく、源一郎たちにとっても慰めになれば良い。重右衛門はそんな思いもこめてこの墓を建てたのだった。
「さ、戻りましょう。あまり天気がよろしくありません。一雨来るかもしれませんよ」
みつが促すと、四人は改めて墓に頭を下げ、背を向けた。
そして一同がその場を後にしようと足を進める中、重右衛門は一度だけ立ち止まって墓の方を見る。
どうか。
これからも、一族をお守りください。
墓前で願ったその一事を重ねて思うと、彼はまた歩き出した。
沢沼重右衛門がその墓を訪れたのは、この一度きりであったという。
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