50 / 83
漆 明治十一年
六、
しおりを挟む
翌日。
重右衛門は源一郎夫婦に呼ばれ、泰四郎の家にいた。
「叔父さん。いらっしゃらないのですか、泰四郎叔父さん」
家の中、そして周辺を探すが、姿は見当たらない。
「確かにいない、な」
「すまない、重右衛門。昨日、もっと俺がしっかり引きとめるべきだったんだ」
「うちの人は悪くありません。わたしが泰四郎さんの好きにさせてあげようと言ったのがいけなかったんです。悪いのはわたしなんです」
「ふたりとも、落ち着いて」
重右衛門は困惑気味に二人をなだめた。夫婦は揃って狼狽している様子で、呵責故か非常に衰弱して見えた。
「まだ叔父が黄泉径に入ったと決まったわけではないんだ。滅多な事を言っておきつねさまを怒らせない方が良い」
「しかし重右衛門」
何か言いたげな源一郎を、重右衛門は出来るだけ静かな仕草で制止した。そして、ゆっくりと落ち着いた口調で夫婦に語る。
「もし、本当に叔父が黄泉径に迷い込んだとしたならば、それこそ軽々しく叔父の事を口にしてはいけない。下手をするとお前たちにも災いが降りかかるからだ。分かるな」
「ですけど重右衛門さん。あの時わたしがちゃんと泰四郎さんを思いとどまらせる事が出来たなら、こんな事にはならなかったはずなんです」
「よしさん、それは違う。叔父が黄泉径に入ったとするならば、それは自らの意思でそうしたんだ。よしさんは叔父を信じてくれた。向こうがそれを裏切ったのだから、悪いのは向こうだ。あんたたちが頭を下げるいわれはない。分かるね」
「重右衛門、そう言ってくれるのは有り難いが」
「さあ。この話をこれ以上してしまうと、本当におきつねさまに睨まれてしまう。この事はつとめて他言無用。万が一叔父がひょっこり帰ってくるようなことがあれば、俺の方からきつく言っておくから、おふたりはもう帰りなさい」
重右衛門は、後ろ髪をひかれて仕方がない様子のふたりをどうにか説得して、家に帰らせた。
重右衛門が自分の家に戻ると、妻のみつが赤子を抱いて出迎えた。
「いかがでしたか」
憂い顔でみつは聞いた。重右衛門は目を瞑り、ゆっくりと首を横に振った。
「そうですか。本当に続きますね。お葬式も、神隠しも」
みつはため息をつき、赤子の顔を覗き込む。母に抱かれた赤子は穏やかな表情をして、汚れのない瞳で母を見つめ返していた。
重右衛門は妻に寄り添い、彼女に倣って息子の顔を見た。その頬にふれると、彼はこそばゆそうに目を細める。
かすかに顔が緩んだ重右衛門だったが、それは一瞬のことだった。
「叔父もそうだが、源一郎のところも心配だ。あいつら、相当自分たちを責めている」
「まあ」
「気にすることなど何もないと一応言ってはおいたが、ちゃんと分かってくれたかどうか」
みつは、夫をじっと見ている。重右衛門はその視線を感じながらも、赤子の方を見たまま言った。
「叔父は、人身御供になったのだ。我々一家にかけられた呪いを解くためにな」
「おゆいさんの事ですか」
「そうだ。叔父は俺たちのために、身を呈してゆいを説き伏せに行ったのだ。それしか考えられん」
重右衛門は息子の顔を眺めながら、泰四郎の事を思い起こしていた。自分の父とは対照的な温かい人柄は、重右衛門も慕っていたものである。
泰四郎、みつ、息子の草太郎、そして源一郎に、よし。それらの顔をかわるがわる思い描いていると、重右衛門に一つの案が浮かんだ。
「みつ。すまんが、俺のわがままをひとつ許してはくれぬか」
夫の不意を突く申し出に、妻はかすかに首を傾げた。
*
村はずれの山奥の茂みに泰四郎の墓が出来たのは、それから一か月後の事であった。
重右衛門とみつ、それに源一郎とよしの四人は、墓前で線香を上げ、黙祷をささげた。
「大っぴらにすると村から何を言われるか分からないのでこんな場所になりましたが、ご勘弁ください」
重右衛門は、墓に向かって語りかけた。
「源一郎とよしさんも、たまには来ると言ってくれてます。迷惑だなんていうのは無しですよ。もとはと言えば、あなたがいけないんですから」
源一郎夫婦は非常に念入りに長い間合掌していたが、やがてそれを解くと重右衛門に頭を下げた。
「重右衛門、かたじけない。墓のことを俺たちに教えてくれて」
「ありがとうございます」
「あまり頻繁に通うのだけは勘弁してくださいよ。他の村人にばれたら何を言われるか」
自分たちだけではなく、源一郎たちにとっても慰めになれば良い。重右衛門はそんな思いもこめてこの墓を建てたのだった。
「さ、戻りましょう。あまり天気がよろしくありません。一雨来るかもしれませんよ」
みつが促すと、四人は改めて墓に頭を下げ、背を向けた。
そして一同がその場を後にしようと足を進める中、重右衛門は一度だけ立ち止まって墓の方を見る。
どうか。
これからも、一族をお守りください。
墓前で願ったその一事を重ねて思うと、彼はまた歩き出した。
沢沼重右衛門がその墓を訪れたのは、この一度きりであったという。
重右衛門は源一郎夫婦に呼ばれ、泰四郎の家にいた。
「叔父さん。いらっしゃらないのですか、泰四郎叔父さん」
家の中、そして周辺を探すが、姿は見当たらない。
「確かにいない、な」
「すまない、重右衛門。昨日、もっと俺がしっかり引きとめるべきだったんだ」
「うちの人は悪くありません。わたしが泰四郎さんの好きにさせてあげようと言ったのがいけなかったんです。悪いのはわたしなんです」
「ふたりとも、落ち着いて」
重右衛門は困惑気味に二人をなだめた。夫婦は揃って狼狽している様子で、呵責故か非常に衰弱して見えた。
「まだ叔父が黄泉径に入ったと決まったわけではないんだ。滅多な事を言っておきつねさまを怒らせない方が良い」
「しかし重右衛門」
何か言いたげな源一郎を、重右衛門は出来るだけ静かな仕草で制止した。そして、ゆっくりと落ち着いた口調で夫婦に語る。
「もし、本当に叔父が黄泉径に迷い込んだとしたならば、それこそ軽々しく叔父の事を口にしてはいけない。下手をするとお前たちにも災いが降りかかるからだ。分かるな」
「ですけど重右衛門さん。あの時わたしがちゃんと泰四郎さんを思いとどまらせる事が出来たなら、こんな事にはならなかったはずなんです」
「よしさん、それは違う。叔父が黄泉径に入ったとするならば、それは自らの意思でそうしたんだ。よしさんは叔父を信じてくれた。向こうがそれを裏切ったのだから、悪いのは向こうだ。あんたたちが頭を下げるいわれはない。分かるね」
「重右衛門、そう言ってくれるのは有り難いが」
「さあ。この話をこれ以上してしまうと、本当におきつねさまに睨まれてしまう。この事はつとめて他言無用。万が一叔父がひょっこり帰ってくるようなことがあれば、俺の方からきつく言っておくから、おふたりはもう帰りなさい」
重右衛門は、後ろ髪をひかれて仕方がない様子のふたりをどうにか説得して、家に帰らせた。
重右衛門が自分の家に戻ると、妻のみつが赤子を抱いて出迎えた。
「いかがでしたか」
憂い顔でみつは聞いた。重右衛門は目を瞑り、ゆっくりと首を横に振った。
「そうですか。本当に続きますね。お葬式も、神隠しも」
みつはため息をつき、赤子の顔を覗き込む。母に抱かれた赤子は穏やかな表情をして、汚れのない瞳で母を見つめ返していた。
重右衛門は妻に寄り添い、彼女に倣って息子の顔を見た。その頬にふれると、彼はこそばゆそうに目を細める。
かすかに顔が緩んだ重右衛門だったが、それは一瞬のことだった。
「叔父もそうだが、源一郎のところも心配だ。あいつら、相当自分たちを責めている」
「まあ」
「気にすることなど何もないと一応言ってはおいたが、ちゃんと分かってくれたかどうか」
みつは、夫をじっと見ている。重右衛門はその視線を感じながらも、赤子の方を見たまま言った。
「叔父は、人身御供になったのだ。我々一家にかけられた呪いを解くためにな」
「おゆいさんの事ですか」
「そうだ。叔父は俺たちのために、身を呈してゆいを説き伏せに行ったのだ。それしか考えられん」
重右衛門は息子の顔を眺めながら、泰四郎の事を思い起こしていた。自分の父とは対照的な温かい人柄は、重右衛門も慕っていたものである。
泰四郎、みつ、息子の草太郎、そして源一郎に、よし。それらの顔をかわるがわる思い描いていると、重右衛門に一つの案が浮かんだ。
「みつ。すまんが、俺のわがままをひとつ許してはくれぬか」
夫の不意を突く申し出に、妻はかすかに首を傾げた。
*
村はずれの山奥の茂みに泰四郎の墓が出来たのは、それから一か月後の事であった。
重右衛門とみつ、それに源一郎とよしの四人は、墓前で線香を上げ、黙祷をささげた。
「大っぴらにすると村から何を言われるか分からないのでこんな場所になりましたが、ご勘弁ください」
重右衛門は、墓に向かって語りかけた。
「源一郎とよしさんも、たまには来ると言ってくれてます。迷惑だなんていうのは無しですよ。もとはと言えば、あなたがいけないんですから」
源一郎夫婦は非常に念入りに長い間合掌していたが、やがてそれを解くと重右衛門に頭を下げた。
「重右衛門、かたじけない。墓のことを俺たちに教えてくれて」
「ありがとうございます」
「あまり頻繁に通うのだけは勘弁してくださいよ。他の村人にばれたら何を言われるか」
自分たちだけではなく、源一郎たちにとっても慰めになれば良い。重右衛門はそんな思いもこめてこの墓を建てたのだった。
「さ、戻りましょう。あまり天気がよろしくありません。一雨来るかもしれませんよ」
みつが促すと、四人は改めて墓に頭を下げ、背を向けた。
そして一同がその場を後にしようと足を進める中、重右衛門は一度だけ立ち止まって墓の方を見る。
どうか。
これからも、一族をお守りください。
墓前で願ったその一事を重ねて思うと、彼はまた歩き出した。
沢沼重右衛門がその墓を訪れたのは、この一度きりであったという。
0
お気に入りに追加
0
あなたにおすすめの小説
校長室のソファの染みを知っていますか?
フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。
しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。
座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る
禁踏区
nami
ホラー
月隠村を取り囲む山には絶対に足を踏み入れてはいけない場所があるらしい。
そこには巨大な屋敷があり、そこに入ると決して生きて帰ることはできないという……
隠された道の先に聳える巨大な廃屋。
そこで様々な怪異に遭遇する凛達。
しかし、本当の恐怖は廃屋から脱出した後に待ち受けていた──
都市伝説と呪いの田舎ホラー
【連作ホラー】幻影回忌 ーTrilogy of GHOSTー
至堂文斗
ホラー
――其れは、人類の進化のため。
歴史の裏で暗躍する組織が、再び降霊術の物語を呼び覚ます。
魂魄の操作。悍ましき禁忌の実験は、崇高な目的の下に数多の犠牲を生み出し。
決して止まることなく、次なる生贄を求め続ける。
さあ、再び【魂魄】の物語を始めましょう。
たった一つの、望まれた終焉に向けて。
来場者の皆様、長らくお待たせいたしました。
これより幻影三部作、開幕いたします――。
【幻影綺館】
「ねえ、”まぼろしさん”って知ってる?」
鈴音町の外れに佇む、黒影館。そこに幽霊が出るという噂を聞きつけた鈴音学園ミステリ研究部の部長、安藤蘭は、メンバーを募り探検に向かおうと企画する。
その企画に巻き込まれる形で、彼女を含め七人が館に集まった。
疑いつつも、心のどこかで”まぼろしさん”の存在を願うメンバーに、悲劇は降りかからんとしていた――。
【幻影鏡界】
「――一角荘へ行ってみますか?」
黒影館で起きた凄惨な事件は、桜井令士や生き残った者たちに、大きな傷を残した。そしてレイジには、大切な目的も生まれた。
そんな事件より数週間後、束の間の平穏が終わりを告げる。鈴音学園の廊下にある掲示板に貼り出されていたポスター。
それは、かつてGHOSTによって悲劇がもたらされた因縁の地、鏡ヶ原への招待状だった。
【幻影回忌】
「私は、今度こそ創造主になってみせよう」
黒影館と鏡ヶ原、二つの場所で繰り広げられた凄惨な事件。
その黒幕である****は、恐ろしい計画を実行に移そうとしていた。
ゴーレム計画と名付けられたそれは、世界のルールをも蹂躙するものに相違なかった。
事件の生き残りである桜井令士と蒼木時雨は、***の父親に連れられ、***の過去を知らされる。
そして、悲劇の連鎖を断つために、最後の戦いに挑む決意を固めるのだった。
【連作ホラー】伍横町幻想 —Until the day we meet again—
至堂文斗
ホラー
――その幻想から、逃れられるか。
降霊術。それは死者を呼び出す禁忌の術式。
歴史を遡れば幾つも逸話はあれど、現実に死者を呼ぶことが出来たかは定かでない。
だがあるとき、長い実験の果てに、一人の男がその術式を生み出した。
降霊術は決して公に出ることはなかったものの、書物として世に残り続けた。
伍横町。そこは古くから気の流れが集まる場所と言われている小さな町。
そして、全ての始まりの町。
男が生み出した術式は、この町で幾つもの悲劇をもたらしていく。
運命を狂わされた者たちは、生と死の狭間で幾つもの涙を零す。
これは、四つの悲劇。
【魂】を巡る物語の始まりを飾る、四つの幻想曲――。
【霧夏邸幻想 ―Primal prayer-】
「――霧夏邸って知ってる?」
事故により最愛の娘を喪い、 降霊術に狂った男が住んでいた邸宅。
霊に会ってみたいと、邸内に忍び込んだ少年少女たちを待ち受けるものとは。
【三神院幻想 ―Dawn comes to the girl―】
「どうか、目を覚ましてはくれないだろうか」
眠りについたままの少女のために、 少年はただ祈り続ける。
その呼び声に呼応するかのように、 少女は記憶の世界に覚醒する。
【流刻園幻想 ―Omnia fert aetas―】
「……だから、違っていたんだ。沢山のことが」
七不思議の噂で有名な流刻園。夕暮れ時、教室には二人の少年少女がいた。
少年は、一通の便箋で呼び出され、少女と別れて屋上へと向かう。それが、悲劇の始まりであるとも知らずに。
【伍横町幻想 ―Until the day we meet again―】
「……ようやく、時が来た」
伍横町で降霊術の実験を繰り返してきた仮面の男。 最愛の女性のため、彼は最後の計画を始動する。
その計画を食い止めるべく、悲劇に巻き込まれた少年少女たちは苛酷な戦いに挑む。
伍横町の命運は、子どもたちの手に委ねられた。
――賽櫻神社へようこそ――
霜條
ホラー
賽櫻神社≪サイオウジンジャ≫へようこそ――。
参道へ入る前の場所に蝋燭があるので、そちらをどうかご持参下さい。
火はご用意がありますので、どうかご心配なく。
足元が悪いので、くれぐれも転ばぬようお気をつけて。
参拝するのは夜、暗い時間であればあるほどご利益があります。
あなた様が望む方はどのような人でしょうか。
どうか良縁に巡り合いますように。
『夜の神社に参拝すると運命の人と出会える』
そんな噂がネットのあちこちで広がった。
駆け出し配信者のタモツの提案で、イツキとケイジはその賽櫻神社へと車を出して行ってみる。
暗いだけでボロボロの神社にご利益なんてあるのだろうか。
半信半疑でいたが、その神社を後にすればケイジはある女性が何度も夢に現れることになる。
あの人は一体誰なのだろうか――。
冥恋アプリ
真霜ナオ
ホラー
大学一年生の樹(いつき)は、親友の幸司(こうじ)に誘われて「May恋(めいこい)」というマッチングアプリに登録させられた。
どうしても恋人を作りたい幸司の頼みで、友人紹介のポイントをゲットするためだった。
しかし、世間ではアプリ利用者の不審死が相次いでいる、というニュースが報道されている。
そんな中で、幸司と連絡が取れなくなってしまった樹は、彼の安否を確かめに自宅を訪れた。
そこで目にしたのは、明らかに異常な姿で亡くなっている幸司の姿だった。
アプリが関係していると踏んだ樹は、親友の死の真相を突き止めるために、事件についてを探り始める。
そんな中で、幼馴染みで想い人の柚梨(ゆずり)までもを、恐怖の渦中へと巻き込んでしまうこととなるのだった。
「第5回ホラー・ミステリー小説大賞」特別賞を受賞しました!
他サイト様にも投稿しています。
嘘つきミーナ
髙 文緒
ホラー
いつメン五人、いつもの夏休みのはずだった。
ミナの14才の夏休みはいつもの通り何もなく過ぎていくはずだった。
いつメンで涼しい場所を探して、猫のように街をぶらつき、公園でとりとめなく話す。今年もそうなるとミナは思っていた。しかしメンバーのうち二人は付き合いそうな雰囲気があり、一人は高校生の彼氏が出来そうだし、親友のあやのは家庭の事情がありそうで、少し距離を感じている。
ある日ミナがついた「見える」という嘘を契機に、ミナには見えていない霊を見たという生徒が増えて、五人は怪異に巻き込まれていく。
実話怪談集『境界』
烏目浩輔
ホラー
ショートショートor短編の実話怪談集です。アルファポリスとエブリスタで公開しています。
基本的に一話完結で、各話に繋がりもありません。一話目から順番に読んでもらっても構いませんし、気になった話だけ読んでもらっても構いません。
お好きな読み方でご自由にお読みくださいませ。
遅筆なので毎日の更新は無理だと思います。二、三日に一話を目指してがんばります。
というか、最近は一週間〜十日ほどあいたりすることもあります。すみません……。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる