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漆 明治十一年
四、
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泰四郎は、少女の反応をつとめて気にしないようにして笑顔を作った。
「まあ、そう言うな。饅頭ひとつやるから、これで機嫌直せ」
「いりません」
「遠慮はいらんぞ、ゆい」
「お構い無く」
ゆいと呼ばれた少女は無感情に言い放つ。
泰四郎はため息をつき、その場に腰を掛けた。
「そうかい。勿体ないなあ、こんな良い物を」
言いながら提灯と饅頭を傍らに置いた。そして瓢箪の紐を腰からほどくと、ふたを開けて口をつけだした。
「何やってるのよ、本当に。邪魔だから帰って」
苦言を呈するゆいを尻目に、泰四郎は酒を呷る。
「いいじゃねえか。ほら、お前も座れ。お互い積もる話もあるだろうに」
「ありません。帰りなさい」
ゆいの言葉に呼応するかのように、竹藪が揺れた。夜風のない藪のざわめきは、泰四郎に不気味さを感じさせるに充分な効果があった。
「悪かったよ」
泰四郎は一言詫び、瓢箪に再びふたをした。
「せんは、元気でやっているか」
「知りません」
「それくらいは教えてくれてもよかろう」
「ここはあくまで現世と黄泉の通り道です。道の向こうで誰が何をしているというのは、私は知りません」
「はは、そういうもんなのか」
笑うような声を出したが、泰四郎は真顔だった。そして今度は瓢箪を置き、饅頭を手に取った。
「ゆいよ」
しばらく饅頭を包む笹の葉を見つめながら黙っていたが、やがて泰四郎は少女の名を呼んだ。彼女はそれへまっとうな反応を示さずに、顔を背ける。
構わずに、彼は聞いた。
「やはりお前は、今でもわしたちを恨んでおるのか」
ゆいは泰四郎の問いに答える気が全くないらしく、そっぽを向いたまま何も語らない。
「だんまりか。まあ良い。それが答えみたいなものだからな」
彼女の表情は、泰四郎の位置からは見えない。
「今さらお前を説得する気もない。すでに手遅れなのは、今のお前の姿を見れば分かる」
少女は、尚もだんまりを決め込む。
「だがゆいよ。もうそろそろ、この辺で終わりにしないか。兄貴たちも、兄貴の子供たちも、ほとんど死んだ。残ったのは重右衛門だけだ」
ゆいは、ここでようやく泰四郎の方を向いた。感情は、やはりその顔に宿っていない。
「どうした。お前がさらったんだから、行先はあの世だ。つまり、あいつらは皆死んだという事だろう。何か間違っているか」
「とらえ方は、どうとでも」
「お返事痛み入るね、冥府の番人殿」
皮肉を込めて言うと、泰四郎は持っていた饅頭を提灯の隣に置き、改まった表情でゆいに正対した。
怪訝そうに泰四郎を見つめるゆいの目を真正面から見つめ返しながら、泰四郎は言った。
「ゆいよ、頼む。重右衛門だけは、どうかそのままにしてやってはくれんか」
「何ですか、改まって」
少女の顔にかすかながら驚きの色がにじんだ。
「兄たちを恨むなら好きにすれば良い。わしの事も憎いなら好きなだけ憎め。だが重右衛門は、あいつは何も関係ない。このままわしらの血筋を途絶えさせるのだけは、どうか勘弁してくれ」
泰四郎は静かながらに力を込めて言うと、深々と頭を下げた。
泰四郎はしばらく低頭していたが、あまりにも何も聞こえてこなかったので、そっと窺うようにしてゆいを見上げた。
彼女は眉間に皺を寄せてそっぽを向いていたが、泰四郎がそちらを見ている事に気づいたのか、表情も顔の向きも一切変えないまま口を開いた。
「説得する気はないと前置きしておきながら、よくも色々言いますね」
それを受けて、泰四郎は苦笑いをしながら自分の頭を手のひらで二度三度叩いた。
「すまんすまん、そうだったな。じゃあ、説得しないというのは、撤回じゃ」
「そちらをですか」
ゆいの愁眉が深くなる。
「まあ言わせろ。わしからすれば、無茶をしているのはお前なんだからな」
少女の顔が、さらにあさっての方へ向いた。
「どうだ、ゆい。もう気も晴れたであろう。改めて請わせてくれ。重右衛門や、その子らには一切手を出さないと約束してもらえんか。代わりにと言っちゃなんだが、わしの事は好きにしても良いぞ」
「放っていても死ぬだけのような人を、いまさらこの奥に連れ込む道理はありません。私の仕事が増えるだけです」
「つれないのう」
「私はおきつねさまの従者になる際に、一族を滅ぼすという約束を交わしました。今さらそれを覆すことは出来ませんし、しようとも思いません」
一族を滅ぼす。
それは泰四郎にとって、分かっていながらも聞きたくない言葉であった。
「滅ぼす、か」
老人は、力なくその言葉を繰り返した。
「それが理解出来ん。お前は、誰よりもおっ母を好きだったんじゃないのか。何故そのお前が、おっ母の何よりも恐れた事を成そうとするのだ。教えてくれ、ゆい」
「まあ、そう言うな。饅頭ひとつやるから、これで機嫌直せ」
「いりません」
「遠慮はいらんぞ、ゆい」
「お構い無く」
ゆいと呼ばれた少女は無感情に言い放つ。
泰四郎はため息をつき、その場に腰を掛けた。
「そうかい。勿体ないなあ、こんな良い物を」
言いながら提灯と饅頭を傍らに置いた。そして瓢箪の紐を腰からほどくと、ふたを開けて口をつけだした。
「何やってるのよ、本当に。邪魔だから帰って」
苦言を呈するゆいを尻目に、泰四郎は酒を呷る。
「いいじゃねえか。ほら、お前も座れ。お互い積もる話もあるだろうに」
「ありません。帰りなさい」
ゆいの言葉に呼応するかのように、竹藪が揺れた。夜風のない藪のざわめきは、泰四郎に不気味さを感じさせるに充分な効果があった。
「悪かったよ」
泰四郎は一言詫び、瓢箪に再びふたをした。
「せんは、元気でやっているか」
「知りません」
「それくらいは教えてくれてもよかろう」
「ここはあくまで現世と黄泉の通り道です。道の向こうで誰が何をしているというのは、私は知りません」
「はは、そういうもんなのか」
笑うような声を出したが、泰四郎は真顔だった。そして今度は瓢箪を置き、饅頭を手に取った。
「ゆいよ」
しばらく饅頭を包む笹の葉を見つめながら黙っていたが、やがて泰四郎は少女の名を呼んだ。彼女はそれへまっとうな反応を示さずに、顔を背ける。
構わずに、彼は聞いた。
「やはりお前は、今でもわしたちを恨んでおるのか」
ゆいは泰四郎の問いに答える気が全くないらしく、そっぽを向いたまま何も語らない。
「だんまりか。まあ良い。それが答えみたいなものだからな」
彼女の表情は、泰四郎の位置からは見えない。
「今さらお前を説得する気もない。すでに手遅れなのは、今のお前の姿を見れば分かる」
少女は、尚もだんまりを決め込む。
「だがゆいよ。もうそろそろ、この辺で終わりにしないか。兄貴たちも、兄貴の子供たちも、ほとんど死んだ。残ったのは重右衛門だけだ」
ゆいは、ここでようやく泰四郎の方を向いた。感情は、やはりその顔に宿っていない。
「どうした。お前がさらったんだから、行先はあの世だ。つまり、あいつらは皆死んだという事だろう。何か間違っているか」
「とらえ方は、どうとでも」
「お返事痛み入るね、冥府の番人殿」
皮肉を込めて言うと、泰四郎は持っていた饅頭を提灯の隣に置き、改まった表情でゆいに正対した。
怪訝そうに泰四郎を見つめるゆいの目を真正面から見つめ返しながら、泰四郎は言った。
「ゆいよ、頼む。重右衛門だけは、どうかそのままにしてやってはくれんか」
「何ですか、改まって」
少女の顔にかすかながら驚きの色がにじんだ。
「兄たちを恨むなら好きにすれば良い。わしの事も憎いなら好きなだけ憎め。だが重右衛門は、あいつは何も関係ない。このままわしらの血筋を途絶えさせるのだけは、どうか勘弁してくれ」
泰四郎は静かながらに力を込めて言うと、深々と頭を下げた。
泰四郎はしばらく低頭していたが、あまりにも何も聞こえてこなかったので、そっと窺うようにしてゆいを見上げた。
彼女は眉間に皺を寄せてそっぽを向いていたが、泰四郎がそちらを見ている事に気づいたのか、表情も顔の向きも一切変えないまま口を開いた。
「説得する気はないと前置きしておきながら、よくも色々言いますね」
それを受けて、泰四郎は苦笑いをしながら自分の頭を手のひらで二度三度叩いた。
「すまんすまん、そうだったな。じゃあ、説得しないというのは、撤回じゃ」
「そちらをですか」
ゆいの愁眉が深くなる。
「まあ言わせろ。わしからすれば、無茶をしているのはお前なんだからな」
少女の顔が、さらにあさっての方へ向いた。
「どうだ、ゆい。もう気も晴れたであろう。改めて請わせてくれ。重右衛門や、その子らには一切手を出さないと約束してもらえんか。代わりにと言っちゃなんだが、わしの事は好きにしても良いぞ」
「放っていても死ぬだけのような人を、いまさらこの奥に連れ込む道理はありません。私の仕事が増えるだけです」
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「私はおきつねさまの従者になる際に、一族を滅ぼすという約束を交わしました。今さらそれを覆すことは出来ませんし、しようとも思いません」
一族を滅ぼす。
それは泰四郎にとって、分かっていながらも聞きたくない言葉であった。
「滅ぼす、か」
老人は、力なくその言葉を繰り返した。
「それが理解出来ん。お前は、誰よりもおっ母を好きだったんじゃないのか。何故そのお前が、おっ母の何よりも恐れた事を成そうとするのだ。教えてくれ、ゆい」
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