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陸 明治三十四年
洞窟と欠けた記憶
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「栄之進さんには、内緒にしていたんだけど」
どれだけ待つのか、この女にしては珍しい……と思っていたが、やがて彼女は重い口を開いた。
「実は私、十年前の記憶がないの」
「ああ、そのことか」
「知ってるの!?」
一世一代の暴露のつもりだったのだろうが、あいにく俺はそれをすでに聞いていた。肩すかしをくらったいわは、眼球まわりの筋肉を目一杯伸ばして俺を見る。
「草太郎さんに教えてもらったんだ。村はずれの洞穴で頭を打って、一年分の記憶が吹っ飛んだってヤツだろう」
「あの野郎。絶対に私から話すから、それまでは秘密にしてって約束したのに」
実の兄をあの野郎呼ばわりとは穏やかではないようにも感じるが、いわが腹を立てるときは大体そんなものだ。
「まあまあ。それで? もしかして、その洞窟に行こうとしているってわけか?」
「うん、まあ……」
いわは承服しかねる顔をしていたが、それでも話は続けてくれた。
「十年前に頭を打ってから何度もそこへ足を運んだけど、結局記憶は戻らなくてあきらめてたの。でも、栄之進さんと一緒にあそこに行ったら、もしかしたら何か思い出せるかもしれないって考えてさ」
「唐突だな。俺が一緒に行ったら記憶が戻るかもって、何か根拠があるのか」
「ない」
「何だよ、それ」
いわの返しに膝の力が抜け、あやうく転びそうになる。
「ないけど……直感的にそう思ったんだ。悪いけど、つきあってよ」
「……」
俺はどこか引っかかった。
「別につきあうのは構わんが、俺はお前の記憶が戻らなくてもまったく気にしないぞ」
「私が気になるの。さ、行きましょ」
いわは踵を返し、再び歩き出した。
俺は納得したわけではないが、彼女なりの気持ちの整理の付け方なのだろうと考えることにして、いわのあとについていった。
いわと俺がしばらく歩いて行くと、やがて長い一本道に出た。道の両側は畑が広がっている。
そのまま道なりに進む。
「まだ歩くのか」
「もうすぐだから」
「それもう聞き飽きたぞ」
「本当にもうすぐだよ。ほら、足元気を付けて」
そう言うと彼女は突然、畑のあぜ道に立ち入りだした。
「おいおい、良いのか」
「あまり良くない。畑踏まないでね」
「……お前なあ……」
幸いあぜ道はそこまで細いものではなかったので、うっかり踏み外すようなことは無かった。が、いわの口ぶりから察するにここは余所様の畑だろう。見つかって叱られたりしないのかと、だいぶ冷や汗をかいてしまった。
畑を突っ切ったところで、俺は後ろを振り返る。
さっきまでいた一本道はほどなく行き止まりになっていて、そこに竹藪が茂っていた。
「あの藪のあたり、だれか住んでいるのか?」
「その話は後でするからついてきて。もうすぐだから」
気になって尋ねたのだが、いわの応えは無愛想だった。
俺は肩をすくめ、無言でいわの後ろにつづいた。
畑を抜けたあとは、雑木林の一帯だった。彼女は特にためらいもせず、その中に分け入っていく。
「こんなところに洞穴があるのか?」
「うん、あれだよ」
「へ!?」
いきなり到着を宣言されたため、間の抜けた声が出た。
山肌の手前に存在していた雑木林は、意外と小さいものだったらしく、林に入って割とすぐに目的地の洞穴を見つけることができた。
ここからだとまだ少し歩くが、確かに大した距離ではない。
「よし、じゃあ行きますか」
最後のひと踏ん張りだ。俺たちは洞穴の入り口まで、足元に気を付けながら進んだ。
どれだけ待つのか、この女にしては珍しい……と思っていたが、やがて彼女は重い口を開いた。
「実は私、十年前の記憶がないの」
「ああ、そのことか」
「知ってるの!?」
一世一代の暴露のつもりだったのだろうが、あいにく俺はそれをすでに聞いていた。肩すかしをくらったいわは、眼球まわりの筋肉を目一杯伸ばして俺を見る。
「草太郎さんに教えてもらったんだ。村はずれの洞穴で頭を打って、一年分の記憶が吹っ飛んだってヤツだろう」
「あの野郎。絶対に私から話すから、それまでは秘密にしてって約束したのに」
実の兄をあの野郎呼ばわりとは穏やかではないようにも感じるが、いわが腹を立てるときは大体そんなものだ。
「まあまあ。それで? もしかして、その洞窟に行こうとしているってわけか?」
「うん、まあ……」
いわは承服しかねる顔をしていたが、それでも話は続けてくれた。
「十年前に頭を打ってから何度もそこへ足を運んだけど、結局記憶は戻らなくてあきらめてたの。でも、栄之進さんと一緒にあそこに行ったら、もしかしたら何か思い出せるかもしれないって考えてさ」
「唐突だな。俺が一緒に行ったら記憶が戻るかもって、何か根拠があるのか」
「ない」
「何だよ、それ」
いわの返しに膝の力が抜け、あやうく転びそうになる。
「ないけど……直感的にそう思ったんだ。悪いけど、つきあってよ」
「……」
俺はどこか引っかかった。
「別につきあうのは構わんが、俺はお前の記憶が戻らなくてもまったく気にしないぞ」
「私が気になるの。さ、行きましょ」
いわは踵を返し、再び歩き出した。
俺は納得したわけではないが、彼女なりの気持ちの整理の付け方なのだろうと考えることにして、いわのあとについていった。
いわと俺がしばらく歩いて行くと、やがて長い一本道に出た。道の両側は畑が広がっている。
そのまま道なりに進む。
「まだ歩くのか」
「もうすぐだから」
「それもう聞き飽きたぞ」
「本当にもうすぐだよ。ほら、足元気を付けて」
そう言うと彼女は突然、畑のあぜ道に立ち入りだした。
「おいおい、良いのか」
「あまり良くない。畑踏まないでね」
「……お前なあ……」
幸いあぜ道はそこまで細いものではなかったので、うっかり踏み外すようなことは無かった。が、いわの口ぶりから察するにここは余所様の畑だろう。見つかって叱られたりしないのかと、だいぶ冷や汗をかいてしまった。
畑を突っ切ったところで、俺は後ろを振り返る。
さっきまでいた一本道はほどなく行き止まりになっていて、そこに竹藪が茂っていた。
「あの藪のあたり、だれか住んでいるのか?」
「その話は後でするからついてきて。もうすぐだから」
気になって尋ねたのだが、いわの応えは無愛想だった。
俺は肩をすくめ、無言でいわの後ろにつづいた。
畑を抜けたあとは、雑木林の一帯だった。彼女は特にためらいもせず、その中に分け入っていく。
「こんなところに洞穴があるのか?」
「うん、あれだよ」
「へ!?」
いきなり到着を宣言されたため、間の抜けた声が出た。
山肌の手前に存在していた雑木林は、意外と小さいものだったらしく、林に入って割とすぐに目的地の洞穴を見つけることができた。
ここからだとまだ少し歩くが、確かに大した距離ではない。
「よし、じゃあ行きますか」
最後のひと踏ん張りだ。俺たちは洞穴の入り口まで、足元に気を付けながら進んだ。
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