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参 昭和四十二年

相談事

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 弘一が、父と風呂に入っている。

 俺は、寝室で布団を準備している妻に声をかけた。

「まだ怒ってるのか」

「別に、怒ってるわけじゃないけど」

「嘘つけ。腹立ててますって、顔に書いてあるぞ」

「うるさいなあ」

 妻は手を止め、俺の方へ身体をむけた。

「それじゃあ言わせてもらいますけどね。あなたたち、皆して弘一に甘くないですか?」

「ん、そうか?」

「今日の通信簿の件にしたってそうです。あなた、あれちゃんと見ました?」

「見たさ。でも、まだ一年生なんだし、成績なんてあんなもんじゃないのか?」

 妻は眉間にシワを寄せ、渋い顔で頭をかく。

「……そっちじゃなくて」

「え?」

「いつも落ち着きがなく、授業中でも時々関係無い事をしているって、書いてあったでしょう。こっちの方よ」

「ああ、それか」

 そう言えばその辺は読んでいなかったな。けど、それを言ってわざわざ妻の機嫌をさらに悪くする必要はない。俺は適当に話を合わせた。

「もう小学生になったんだから、ちゃんと集団生活に慣れてもらわないと困るじゃない。その辺ちゃんと考えてる?」

「そう焦るなよ。そんなの、それこそこれから学んでいく事だろう」

 妻は、俺の言い分に納得した様子を見せなかった。彼女は再び、布団を敷く手を動かしはじめる。

「相談があるんですが、聞いてもらえますか」

「なんだ」

「私達、引っ越しません?」

「はあ?」

 予想外の申し出に、思わず大声が出る。

「ここはよその家から少し離れすぎです。そのくせ、あの気味悪い竹藪には妙に近い。子育ての環境としては良くないと思うのですが、いかがでしょう?」

「バカ言うなよ。そんな今さら……」

「あなたは、あの子があの竹薮で迷子になるかもって、考えた事ありますか?」

 俺の意見を遮って、彼女は続ける。

「確かに、あそこには怖い話がいっぱいあって、弘一もそれを知ってます。でも、子供の好奇心なんて、いつどういうふうに転がるか分からないじゃないですか。気まぐれであの中に迷い込んで、出てこられなくなったらどうするんですか」

 そんな場所に何時間も放置をしていたのはどこの誰だよ。

 俺は思ったものだが、事態の悪化を恐れて言わないでおいた。

「……どうですか。引っ越し」

 布団も敷き終え、一通り言いたい事を言い尽くしたらしい妻は、俺に意見を求めてきた。

 俺は、しばらく考える素振りを見せてから、ゆっくりと言った。


「分かった。少し考えさせてくれ」


 正直な話、引っ越しなんて考えていない。

 ただ、妻の言葉に一理あるのも事実だ。

 我が家は、集落から離れて黄泉小径へ至る、長い長い一本道の途中にポツンとある。

 父の話では、俺たちの祖先に当たる人物が敢えてここに引っ越してきたという。あの竹藪を怖がって荒れ地になった畑にもう一度手を加え、そこでどっさり農作物を収穫しようと考えたからだと聞いている。

 当時は、一家総出で畑作業をしていた。昔の事なので兄弟もたくさんいたし、そこからさらに親戚にも協力を頼んだりして、相当大がかりに農業を営んでいたそうだ。

 しかし今、それに携わっているのは父と母だけだ。

 父にはたくさんの弟や妹がいたらしいが、俺は息子と一緒でひとりっ子だ。俺以外の子供が産まれなかった事を父は相当嘆き、自分の代でこの家業が終わると悲しんでいたものである。

 俺は父に好きな仕事をしろと言われたので、今の自動車部品工場に就職した。すでに大半が荒れ地に戻っていた我が家の畑だが、いつの日か全てがそうなってしまう事を約束された状況にある。この家に住む利点は、遠くない未来にゼロとなってしまうのだ。

 つまり、先々まで考えた場合、妻の意見を拒む理由はほぼ無いに等しいのである。

 ただ、妻は俺のところへ嫁ぐ際、我が家の立地条件などを含め、全てを承諾しているはずなのだ。

 それを今さら唐突に拒否されても、いい気分はしない。

 というわけで、俺は妻の提案に乗るつもりはない。

 そのかわり、黄泉小径に近づかないよう弘一に釘を刺す必要があるのだが、それくらいは仕方がないだろう。
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