霜降に紅く

小曽根 委論(おぞね いろん)

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 翌朝。目が覚めると、宮浦の姿はなかった。布団も自分のものしか部屋にない。

「おはようございます」

 女の声が、土間から聞こえる。

「ああ、おはようございます。……ええっと」

 そう言えば、この女の名を、宗兵衛は聞いていない。今さら尋ねるのも失礼かと戸惑っていると、彼女はこちらに顔を向けて言った。

「私のことは『女』とでもお呼びください。どうせ、名などあってないような身の上でございます」

 あまり、ハイそうですか、と素直に返事をしにくい言い草だった。が、家主の宮浦でさえ彼女の身の上は詮索をしていないのだ。ここで自分が探りを入れるのも気が引けた為、宗兵衛は黙って首を縦に振る。そして、その行為が彼女に伝わらないものだと後から気づき、分かりました、と声に出して言った。

 目を瞑っている以外はあまりにも健常者と振る舞いが変わらない。宗兵衛は時折、この女は実は目が見えているのではないかと錯覚してしまう。
 女はそんな宗兵衛に、さらに言葉を投げかけようとしたが、そこへ宮浦が入って来た。

「おお、仲田殿。おはようございまする。喜一郎殿の居所、いつでも行けますぞ」

「おはようございます、宮浦殿。まさか、確認に行ってくださったのですか?」

「無論。貴方さえよければ、今からでも是非」

「お待ちください。仲田様は朝餉がまだにございます」

「おお、そうか。では、まずは腹ごしらえだな」

 宮浦は妙に上機嫌だった。彼は彼で、喜一郎に思うところがあるのだろう。

 女の指示を受けて、宗兵衛は揚々と朝餉を取った。他のふたりはすでに食事を終えているらしく、彼の様子をただ眺めている。

「さて、それでは私は外でお待ちしております。準備が出来たら、お声掛けください」

 宗兵衛が空にした食器を、女が流しへ持っていく。その折を見計らうようにして、宮浦はそそくさと立ち上がって言った。わざわざ外で待つ必要もあるまいに……と宗兵衛は思ったが、それを指摘しようかと考えているうちに、彼は草履をはき終えてさっさとあばら家の外へ出てしまった。

 困惑気味に板の間から土間へ顔を出し、宮浦が消えていった戸口を見ていると、流しから女の声がした。

「お気になさらず。あの方は変わっておられますから」

 ……やはり、見えているのではないか?
 様々な怪訝を払拭できぬまま、宗兵衛は準備に取り掛かった。

「随分、時間がかかりましたな」

「すみません」

「いやいや。そういう意味で言ったのではございません。宿敵を前にして、さぞ丹念な下準備をなさったのだろうと思いましてね。ハハハハ」

「……」

 宮浦の態度が、おかしい。
 少しばかり機嫌が良すぎる。
 宗兵衛は釈然としない想いを募らせていく。

 喜一郎の居場所は、かなり山奥の方であるらしかった。女がこさえてくれたにぎり飯を携え、ふたりはずんずんと仇討山を進んでいく。

「こんな山奥に、奴はいるんですか?」

「もうすぐですよ。頑張りましょう」

 声の浮かれ具合が尋常ではない。下手をすればこの男、アヘンでも吸ったのかとさえ疑いたくなる。
 嫌な胸のざわつきが宗兵衛を襲い出した頃、

「さあ、着きましたぞ」

 ようやく、目的地についた。
 ……が、

「宮浦殿……これは?」

 宗兵衛は、己の目つきが厳しくなるのを禁じえなかった。

 だだっ広い空間に、いくつもの土まんじゅう。異様な光景は何ら説明がなくても、ここが墓地だというのを明確に示していた。

 宗兵衛が混乱する中、宮浦は言いながら、土まんじゅうのひとつを指差す。

「ホレ。『それ』が……喜一郎殿よ」

「……」

 無造作な墓。宗兵衛は指し示されたそれを一瞥すると、すぐに視線を宮浦に戻した。彼は広間の端にある巨木の裏から、何やら持ち出している。

 太刀だ。

「宮浦殿……」

「さあ!」

 訝る宗兵衛に、宮浦が吠える。その表情に、人の良い中年の面影はない。

「仲田宗兵衛! そこなる岩瀬喜一郎は、まこと剣技に長けておられたぞ! さぞお主の剣も素晴らしいものであろう! いざ! この私と勝負を願い給う! ハッハハハハハ!」

 狂笑する宮浦。宗兵衛は自分の顔色が、怪訝から不快に変わるのを自覚する。

 宮浦は、そんな宗兵衛にお構いなく刀を抜いた。そのギラギラした双眸が、宗兵衛の不快感を増長させる。

「……悪いが、断る」

「何故だ! 私はお前の宿敵を斬った者。即ち、私はお前の本望を奪った者なのだぞ! さあ、かかって来い! 私に、存分に斬り合いをさせろ!」

「俺は、こいつが死んでさえくれればどうでもいい。そなたにはむしろ礼を言いたい。代わりに斬ってくれて、かたじけないとな」

 それまでこちらも、受けた恩に報いるべく礼儀を尽くしてきたが、こうなった以上それも不要と判断した。思ってもいない結末だったが、これで家に帰れるのだから、まあ良しである。

「……貴様、そんなことが許されると思っているのか?」

「そちらの都合は知らん。斬り合いがしたいなら、他をあたってくれ」

「貴様! 貴様! ……いいか、そのまま帰ろうとしてみろ。お前のその身体、二目を見られぬように斬り刻んでやるぞ!」

 本当に、今朝までの宮浦の面影は、微塵もない。
 これが本性か。宗兵衛はため息をつくと、朝に白布を解いたソレを懐から出し、真っすぐ宮浦へ向けた。

 短筒である。

 想定外の行動だったのか、相手は呆気にとられた顔をする。宗兵衛は、そんな宮浦の口から何か言葉が出るより先に引き金を引いた。

 轟音が響き、宮浦のみぞおち辺りへ着弾した。一帯へ紅い血を派手にまき散らしながら、彼はその場へ倒れた。衝撃からか、いささか首がおかしな角度に曲がっている。

「……うるせえよ」

 低く漏らす。その声が宮浦の耳に届いている様子は、すでに無かった。
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