霜降に紅く

小曽根 委論(おぞね いろん)

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 すがすがしいほど真っすぐな問いであった。まあ正直、こんなところにまで足を踏み入れている時点で、そう思うなという方が無理な話ではある。宮浦は続けて言った。

「そのような大仰な太刀を携え、懐には仏像を忍ばせ、仇討山の噂を聞きつけてその中にまで入ってくる……よもや、これで自分は仇討ちとは関係ないとは言わせませぬぞ。出来れば、詳しいいきさつをお伺いしたいのですが、如何ですかな?」

「……」

 あまり大っぴらにはしたくない話ではあった。しかし、一宿一飯の恩もある。場所も場所だけに、彼なら『あやつ』の居所を知っている可能性があり、それならば洗いざらい話してしまった方が得策であろう、と宗兵衛は考えた。

「……いかにも、その通りでございます」

 間違いがあるとすれば、白布で覆って懐に隠した一尺足らずのソレは仏像ではない、という点のみだ。その大きさ故に、着物の上から「何か持っているな」というのが分かったのだろうが、この誤りをわざわざ伝える義理は勿論、無い。

「楽しい話ではございません故、簡単にお話し致します」

「お願いします」

 宮浦の雰囲気が神妙なものになった。女は気を使ったのか、膳を片付けて流しに下がっている。

「仇討ちの相手は、名を岩瀬喜一郎と申します。岩瀬家と仲田家は禄高こそ近いようでございましたが、あまり縁の深くない間柄でした。それが、私の父と、この喜一郎が同じ酒屋で意気投合し、ともに申し合わせて立ち飲みをするようになっていったのでございます」

「お父上は、お酒を家では召し上がらなかったのですか?」

「喜一郎と懇意になってからは、家よりも店で飲むことが増えましたね。喜一郎は歳が私の兄と同じ、という事もあって、特に父は彼と酌み交わすのを楽しみにしておりました」

「ふむ」

「ところが、関係が深くなり、互いに飲む酒の量も増えて来た辺りで、少しずつ父が困り始めました。実は喜一郎は酒癖が悪く、恐ろしい癇癪持ちだったのです」

「おやおや、それはそれは」

「他の客と諍いも増え出しまして、弱った父は喜一郎に、しばらく酒を飲む機会を減らしたいと提言します。それが、彼を決定的に怒らせました。せっかくここまで気の合う飲み仲間が出来たというのに、その関係を無しにするというのかと、年の離れた父に対してそれはひどい暴言を浴びせたそうです」

「……」

「それでも、ここで縁を切るか、そうでなくとも薄めておかなければと、父は粘ります……が、結局受け入れられることはありませんでした。話せば話すほど、喜一郎の心はこじれ、挙句の果てに彼は、父を斬り殺してしまいます」

「……なるほど」

「喜一郎は嫡男でしたが、これが引き金となって岩瀬家を勘当となりました。しかしそれでも、父への仕打ちをそのままにしておくことは出来ません。私は兄たち家族に仲田の家を任せ、仇討ちに出た、と、こういう経緯にございます」

「なるほど……なるほど。いや、よく分かり申した」

 宮浦は腕組みをして、今の話を反芻するかのように二度三度、四度と首を縦に振った。

「仲田殿、岩瀬喜一郎というその男の特徴を、教えてはいただけませぬかな? もしかしたらその男も、この『仇討山』に隠れているかもしれませぬ故」

 こちらから乞い願おうとしていた内容を、向こうから投げかけてくれた。つくづくこの僧は有難い。

 岩瀬喜一郎は、かなり図体の大きい男であった。喧嘩が絶えない性分のため、左の耳が柔術家よろしく潰れている他、日によって右足も疼く時があるらしい。表情や態度は基本太々しく、どうして父のような温和な人間がアレと意気投合したのか不思議なくらいであった。

「貴方自身は、喜一郎殿とお会いしたことはありますか?」

「二度ほど。あまり近づきたくない輩だな、というのが当時からの本音です」

 そしてそれは、彼を知るほぼ全員の意見でもあった。事実、仇討ちを決めてから常陸国を出るまでに、色々な人から金品を貰っている。これを使ってどうか仇討ちを果たしてくれ、と何回言われたか分からない。

「意外ですな。では、今はお金には困っておらぬと」

「それこそ、今は……ですね。この生活があとどれくらい続くか分からぬ以上、余計な散財は出来ません」

 宗兵衛の言葉に、宮浦は大きく頷いた。そして、何度も反復して岩瀬喜一郎の名を口に出す。記憶をたどっているのだろうか。宗兵衛は邪魔にならぬよう、黙って僧を見つめた。

 少しして、

「ふむ。間違いないですな。その人物、会ったことがございます」

「! 何と!」

 そこまでの言葉が出てくるとは想定していなかった。宗兵衛は思わず身を乗り出す。
「あいや、しばらく、仲田殿。行灯が消えてしまいます」

 宗兵衛の動きに連動して、行灯の火が大きく揺れた。我に返り、宗兵衛は慎重に姿勢を戻す。

「……失礼しました。しかし、そのお言葉は……?」

「間違いございません。岩瀬喜一郎、確かに聞いたことのある名でございます。大層、剣術に長けたお方でございましたな」

 そう言えば、武術全般に優れていたとは宗兵衛もかつて小耳に挟んでいた。あれだけの体なのだ、そうでなければむしろおかしい。

「よろしければ明日、ご案内しますよ。彼はしばらく前から、ずっと同じところに居ます。行けばきっと会えますよ」

「これは……これは……」

 もはや言葉にもならない。

「ささ、ともなれば明日は大事な一日。今日のところは早めに床へつくと致しましょう」

 宮浦は言うと、そそくさと二人分の布団を敷きだした。女の分は押入れのままだ。

「あ、あの……」

「ああ、アレは自分の仕事が終わったら勝手にやりますから大丈夫です。この家の中にいる限り、彼女は健常な者と何ら変わりません。その代わり、部屋の奥から寝てくださいね。手前に寝ると、彼女に踏まれますよ」

 事も無さげに、彼は笑う。宗兵衛はつられて愛想笑いをしたが、いささかその内容は信じられないものであった。

 板の間の奥から順に並んだ二つの寝床。雨天の日などは仕方なく木賃宿を使っていた宗兵衛だったが、ここ最近はそんな機会もなく、ちゃんとした床で横になるのは久しぶりだった。就寝のことわりを宮浦に伝えて布団に入ると、宗兵衛は程なく眠りについた。
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