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麗子からみちるへ1
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夏の終わりが近付いていた。
太陽の位置が次第に低くなり、窓から差し込む陽射しが優しい秋色に染まり始めた。
リビングのソファーに座るみちるはぼんやりと柔らかな光が当たるベランダの鉢植えを眺めていた。
星児から外出禁止令を出されたみちるに、保がたくさんレンタルビデオを借りて来ていた。日中はそれらを観て過ごす。
ここ数年の話題作は殆ど保と観に行っていた為、保が借りて来てくれるのは、隠れた名作や知り合う以前のヒット作、などみちるに〝自由の無かった数年間〟に公開された旧作だった。
エンディングロールが終わり、みちるはテーブルの上にあったリモコンを操作して停止し、ビデオカセットを取り出した。
ケースにしまい、眺める。
これは、恋愛モノだった。みちるは、選ぶ保の姿を想像し、クスリと笑う。
保は、怖がりな彼女にホラーは借りて来なかったが、ハードなアクションものが殆どかと思えば、さりげなく情愛たっぷりの恋愛モノが紛れ込んでいた。
見事なセレクトです、保さん。
レンタルショップの袋に鑑賞を終えたビデオを二本入れたみちるは読みかけの本に手を伸ばした。
『みちる』
まだみちるが十六だった夜のひと時。
星児が戻らない夜、ベッドに入ると必ず本を読んでいた保をみちるはいつも眺めていた。そんなみちるの頭を保は優しく撫で、語りかけた。
「みちるも沢山本を読みなさい。これから社会の荒波の中に飛び込んでゆくみちるの中に、きっと何かを与えてくれるから」
「何か?」
みちるは保を見つめ、首を傾げる。
「そう。何か。それが何、って具体的には俺も言えない」
えー、と頬を膨らませたみちるに保はクスリと笑い、本を閉じた。
「言えない、と言うか分からない」
「保さんにも分かんない事あるの?」
キョトンとした表情で言ったみちるに、保は一瞬目を丸くし、アハハッと笑いだした。
髪をかきあげて笑う明るい笑顔にみちるの胸がキュンと絞まる。しかし、笑われた事に対して軽く剥れてみせた。
保はみちるに、ごめんごめん、と言いながら頭を撫でた。
「俺は分かんない事だらけだよ。何でも知ってるわけがない」
枕を背に座っていた保は、横になっていたみちるを優しく抱き起こした。
両手でそっとみちるの頬を包んだ保の視線はしっかりとの彼女の双眸を捉える。
「みちるの未来に待ち受けてるものなんて、俺はエスパーじゃないんだから分からないだろ?
俺が言う〝何か〟って言うのは、みちるが壁にぶつかった時やツラい事があった時にそれを乗り越えるヒントや勇気を与えてくれるものだ。
けど、それが何かは自分にしか分からない。
長い年月をかけて自分の中に積み重ねたものしかないんだよ」
保は、ちょっと分からない、という顔をしたみちるの額に優しくキスをした。
「ん、まだ分かんないか」
「うん……」
眉を下げ困った顔をしているみちるを愛しそうに見つめる保は諭すように言う。
「いいんだ、今は分からなくても」
「いいの?」
ああ、と保は優しく微笑み、みちるの髪をそっと鋤いた。髪一本まで慈しむように。
「本当に、芯から身につくものは知らず知らずのうちに浸透してゆくものなんだから。だから、今を大事にするんだ」
静かに言った保は、みちるに頬擦りした。
「んん……保さん……」
みちるはくすぐったそうに肩を竦めて笑った。
脳裏を駆け抜けた保との思い出と共にみちるは本を取った。
保さん。今ならほんの少しだけ、わかる気がします。
これまでに、保がみちるに与えてきた本は多岐に渡る。
小説だけでなく、エッセイや雑学、社会通念を説いたものまで。
どれも、みちるを飽きさせないものだった。
今手の中にあるのは自己啓発ものだ。
『保さんは学校の先生みたいね』
以前、ふと漏らしたみちるの言葉に保は笑って答えた。
『一応、教員免許は持ってるよ。社会科のね』
保さんなら、素敵な先生になってるね。
みちるは、目を閉じた。
私にはちゃんと先生がいる。保さんが教養と知識、星児さんはーー?
星児には、あんな事があった直後の事件で、知られたくはなかったが、隠しておける筈はなかった。
『みちるは暫く外出禁止な』
真剣な表情でみちるの目を見る彼は、そう言った。
指の長い大きな手がみちるの顔を抱き、その黒い瞳が彼女の双眸を覗き込んでいた。
このシチュエーションは、みちるの脳裏にあの日の記憶と感覚を蘇らせる。
瞬きも出来ないみちるは、隣にいた保の手をキュッと握っていた。
高鳴る胸を、痺れる心を、落ち着かせる為。
『外出禁止、ですか?』
『そ』
フッと笑った星児にみちるの心臓が跳ねる。
『何もなくて良かった』
耳元でそう囁いた星児の唇がみちるの頬を掠めた。
肩を竦めたみちるに、星児は、そうだ、とニヤリと笑う。
『みちるにはこの先俺以外の男に溺れないよう、免疫つけてやるから』
『ぇえ゛ぇっ? な、なっ……なん!?』
上擦る声を上げたみちるを、保は星児から引き離す。
『黙れっ、元夜王! みちるはテメーの客じゃねぇっっ!』
保の言葉に星児はワハッと笑った。
躰に残る感覚を目を閉じ、懸命に掻き消す。
『俺以外の男に溺れないように』
そう、星児さんは私に教える為、それだけ。他意は、ないの。分かってる、でも胸が、痛いよ。
みちるは本をテーブルに置き、座っていたソファーにうつ伏せに倒れ込んだ。
苦しいです。胸が、潰れちゃいそうです。
暫く目を閉じていると、電話が鳴った。取ると、麗子の艶っぽい声がみちるの耳に届いた。
「みちるちゃん、お暇でしょ?」
太陽の位置が次第に低くなり、窓から差し込む陽射しが優しい秋色に染まり始めた。
リビングのソファーに座るみちるはぼんやりと柔らかな光が当たるベランダの鉢植えを眺めていた。
星児から外出禁止令を出されたみちるに、保がたくさんレンタルビデオを借りて来ていた。日中はそれらを観て過ごす。
ここ数年の話題作は殆ど保と観に行っていた為、保が借りて来てくれるのは、隠れた名作や知り合う以前のヒット作、などみちるに〝自由の無かった数年間〟に公開された旧作だった。
エンディングロールが終わり、みちるはテーブルの上にあったリモコンを操作して停止し、ビデオカセットを取り出した。
ケースにしまい、眺める。
これは、恋愛モノだった。みちるは、選ぶ保の姿を想像し、クスリと笑う。
保は、怖がりな彼女にホラーは借りて来なかったが、ハードなアクションものが殆どかと思えば、さりげなく情愛たっぷりの恋愛モノが紛れ込んでいた。
見事なセレクトです、保さん。
レンタルショップの袋に鑑賞を終えたビデオを二本入れたみちるは読みかけの本に手を伸ばした。
『みちる』
まだみちるが十六だった夜のひと時。
星児が戻らない夜、ベッドに入ると必ず本を読んでいた保をみちるはいつも眺めていた。そんなみちるの頭を保は優しく撫で、語りかけた。
「みちるも沢山本を読みなさい。これから社会の荒波の中に飛び込んでゆくみちるの中に、きっと何かを与えてくれるから」
「何か?」
みちるは保を見つめ、首を傾げる。
「そう。何か。それが何、って具体的には俺も言えない」
えー、と頬を膨らませたみちるに保はクスリと笑い、本を閉じた。
「言えない、と言うか分からない」
「保さんにも分かんない事あるの?」
キョトンとした表情で言ったみちるに、保は一瞬目を丸くし、アハハッと笑いだした。
髪をかきあげて笑う明るい笑顔にみちるの胸がキュンと絞まる。しかし、笑われた事に対して軽く剥れてみせた。
保はみちるに、ごめんごめん、と言いながら頭を撫でた。
「俺は分かんない事だらけだよ。何でも知ってるわけがない」
枕を背に座っていた保は、横になっていたみちるを優しく抱き起こした。
両手でそっとみちるの頬を包んだ保の視線はしっかりとの彼女の双眸を捉える。
「みちるの未来に待ち受けてるものなんて、俺はエスパーじゃないんだから分からないだろ?
俺が言う〝何か〟って言うのは、みちるが壁にぶつかった時やツラい事があった時にそれを乗り越えるヒントや勇気を与えてくれるものだ。
けど、それが何かは自分にしか分からない。
長い年月をかけて自分の中に積み重ねたものしかないんだよ」
保は、ちょっと分からない、という顔をしたみちるの額に優しくキスをした。
「ん、まだ分かんないか」
「うん……」
眉を下げ困った顔をしているみちるを愛しそうに見つめる保は諭すように言う。
「いいんだ、今は分からなくても」
「いいの?」
ああ、と保は優しく微笑み、みちるの髪をそっと鋤いた。髪一本まで慈しむように。
「本当に、芯から身につくものは知らず知らずのうちに浸透してゆくものなんだから。だから、今を大事にするんだ」
静かに言った保は、みちるに頬擦りした。
「んん……保さん……」
みちるはくすぐったそうに肩を竦めて笑った。
脳裏を駆け抜けた保との思い出と共にみちるは本を取った。
保さん。今ならほんの少しだけ、わかる気がします。
これまでに、保がみちるに与えてきた本は多岐に渡る。
小説だけでなく、エッセイや雑学、社会通念を説いたものまで。
どれも、みちるを飽きさせないものだった。
今手の中にあるのは自己啓発ものだ。
『保さんは学校の先生みたいね』
以前、ふと漏らしたみちるの言葉に保は笑って答えた。
『一応、教員免許は持ってるよ。社会科のね』
保さんなら、素敵な先生になってるね。
みちるは、目を閉じた。
私にはちゃんと先生がいる。保さんが教養と知識、星児さんはーー?
星児には、あんな事があった直後の事件で、知られたくはなかったが、隠しておける筈はなかった。
『みちるは暫く外出禁止な』
真剣な表情でみちるの目を見る彼は、そう言った。
指の長い大きな手がみちるの顔を抱き、その黒い瞳が彼女の双眸を覗き込んでいた。
このシチュエーションは、みちるの脳裏にあの日の記憶と感覚を蘇らせる。
瞬きも出来ないみちるは、隣にいた保の手をキュッと握っていた。
高鳴る胸を、痺れる心を、落ち着かせる為。
『外出禁止、ですか?』
『そ』
フッと笑った星児にみちるの心臓が跳ねる。
『何もなくて良かった』
耳元でそう囁いた星児の唇がみちるの頬を掠めた。
肩を竦めたみちるに、星児は、そうだ、とニヤリと笑う。
『みちるにはこの先俺以外の男に溺れないよう、免疫つけてやるから』
『ぇえ゛ぇっ? な、なっ……なん!?』
上擦る声を上げたみちるを、保は星児から引き離す。
『黙れっ、元夜王! みちるはテメーの客じゃねぇっっ!』
保の言葉に星児はワハッと笑った。
躰に残る感覚を目を閉じ、懸命に掻き消す。
『俺以外の男に溺れないように』
そう、星児さんは私に教える為、それだけ。他意は、ないの。分かってる、でも胸が、痛いよ。
みちるは本をテーブルに置き、座っていたソファーにうつ伏せに倒れ込んだ。
苦しいです。胸が、潰れちゃいそうです。
暫く目を閉じていると、電話が鳴った。取ると、麗子の艶っぽい声がみちるの耳に届いた。
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