舞姫【前編】

友秋

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警察内部のタブー

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 タブー。

 つまり〝禁忌〟

 それは触れてはいけない、事実の書。

 開けてはいけない、真実の扉――。



 都内とは言えど、下町の中にある署員200人前後規模の小さな警察署は、何か大きな事案がなければ日中は緩い空気が流れている。

 内勤の制服巡査が数人、喫煙所でタバコを吸いながら話し込んでいた。

「今回の人事で地域に来た亀岡さんてさ、ずっと上野、新宿みたいなA署クラスで生安の課長級張ってきたんだって?」
「らしいな」
「なのに退職間際、昇任配置でもないのにこんなちっさいC署になんてしかも地域課になんて……なぁ?」
「まあ事実上の、左遷てやつだな」

 これは噂だけどな、と一人の巡査が切り出した。

「亀岡さんがいた署に俺の同期がいて、ソイツから聞いたんだけどさ」

 話し出した男は急に小声になり、その場にいた巡査達がタバコを片手に頭を寄せる。

「どうも、タブーの案件に首を突っ込んじまったらしい」
「タブーって?」
「なんだよ、お前鈍いな。タブーっつったらお上が一枚噛んでるような何かだろうよ」

 話し出した男が続けようとした時だった。

「お前らー、こんなとこで油売ってる暇があったら調書整理や切符切りでもしてこい!」

 噂話をしていた彼等が驚いて振り向くと、年配のスーツ姿の男が立っていた。

「金井さん!」

 ダベっていた巡査達が慌ててタバコを消し、敬礼するとそそくさと各々の持ち場に戻って行った。

「亀さーん、奴らいなくなったぞ。そこから出てこいよ。一緒にタバコ吸いながらコーヒーでも飲もうや」

 金井はそう言うと、そこにある自販機にポケットから出した小銭を入れ紙コップのコーヒーを二つ買った。

 物陰に身を潜めていた制服姿の亀岡が苦笑いしながら姿を現す。タバコを吸おうと喫煙所に来たら若い者達が自分の噂話をしており、出られなくなっていた。

 立ち去ろうにも動けず立ち聞きする羽目になっていた。

「自分の警察人生で好奇の目に晒されるのは慣れてなくてな」

 亀岡は差し出されたコーヒーを受け取りながら自嘲気味に笑う。

「そんなモンに慣れてる奴なんていないさ」

 金井もコーヒーを啜りながら笑った。

 長年勤務すると、どこに配置されても必ず顔見知り、知り合いはいる。亀岡と金井は警察学校の同期だ。一緒になるのは卒業配置以来の事だった。

「まったく、亀さん何やってんだよ」
「何やっても何もさ……自分でもよく分かんねーんだよ」

 寝耳に水の辞令だった。

 あの署、あの部署、あの地位で退職までを全う出来ると思っていた。

『お前に辞令が出ている』

 署長に呼ばれた亀岡は、その時耳を疑った。何度も確認したが、間違いなかった。

 大抵は、自宅からさほど遠くはない勤務先で退職を迎えられる配慮がされる。しかし、今回の辞令は――、

「八王子からこっちじゃキツイだろ」
「まぁな。でも荒川や葛飾辺りじゃなかっただけマシだな」

 そうか、と言いながら金井はくわえたタバコに火を点けた。

 亀岡は特に大きな問題を起こした訳ではない。しかし、心当たりがあった。

 あの事故、あんなに根が深かったとはな。

 三年前亀岡の元に、兵藤保が持ち込んだ1人の少女の一件だ。過去、亀岡に〝シコリ〟を残していた事故の遺族だった。

 これをきっかけに出来得る範囲で調べてみよう、と思ったのが運の尽きだった。



 あの事故に関わった、刑事課や交通課の人間は殆ど退職していた。

 やっと探し当てた当時の同僚は、ある会社社長の運転手をしていた。

 ある会社とは、TUD総合警備。国内屈指の巨大コンツェルン津田グループ傘下の、民間最大手警備会社だ。

 警察官僚OBの有力天下り先と言われている、黒い噂の絶えない会社だった。

 そんなモンが絡んでると分かってりゃ、最初から首を突っ込んだりは、という思いを亀岡は直ぐに否定した。

 それでもとことん調べていただろうな。

 自分の中にあった〝シコリ〟は、十二年前、冷暗室で悲惨な現実を受け止め切れず呆然と立ち尽くしていたあの子の〝無念〟だったのだろう。

 亀岡もタバコを取り出しくわえると火を点けた。

 恐らく、吐き出したタバコの煙を見ながら亀岡は思う。

 俺が探ろうと嗅ぎ回っていた行為が、誰か……そう、あの事故に関わった、ある〝お偉方〟の逆鱗にでも触れたのだろう。

 今回の人事は、これ以上不審な動きはしてくれるな、という警告か。

 タバコを吸いながら、目を細めた亀岡は、そういや、と思う。

 この一件を持ち込んだ当の本人、兵藤からはあれ以来パタリと連絡が無くなったな。

 亀岡は三年前の電話を思い出した。

 今思えば、津田みちるの事を知りたかったんだな、アイツ。

 彼女は何処かに行ってしまってその後は知らない、とかぬかしてたが、嘘をついてるであろう事は薄々感じられた。

 未成年の彼女にいかがわしい仕事をさせていないのなら、と願いそっとしておく事にしたのだ。

 ただ、あの事故の真相が解明出来たら、彼女に報告してやりたいと亀岡は思うようになっていた。

「なぁ、亀さん」

 ずっと何かを考え黙り込んでいた亀岡に、金井が話しかける。

 亀岡が金井の方に顔を向けると、金井はタバコを指に挟み少し困った表情を見せていた。

「亀さん、俺達はもう若くないんだ。あんまりムチャしないで平穏に退職を迎えようや」

 金井の言葉には、様々な意味が込められている。亀岡は、軽く目を閉じた。

 同期の友人に対する思いやりなのだ。

「そうだな」

 そうしたいよ。ハハハと亀岡は力無く笑った。


 金井は現在警備課長。退職後の落ち着き先も、大方決まっている。

 巻き込んで迷惑などかける訳にはいかないな。

「谷中霊園の花見騒ぎも終わってるしな。後は夏祭りまでは特にないな。まぁ、古い下町だから治安も悪くない。のんびりやればいいさ、とは言っても地域は大変だな」
「まぁな。でも下町の人間は警察には友好的で働き易いよ」

 飲み干したコーヒーのカップを自販機横のゴミ箱に捨て、亀岡は言う。

「そいつは良かった。じゃあ俺はそろそろ仕事戻るわ。亀さん、今日は非番だろ? お疲れさん」

 金井は警備課の部屋に戻って行った。

 金井の背中を見送りながら亀岡はタバコを灰皿に押し付けた。

 夜勤明けの非番、とは言っても切符や調書の整理など雑務は残り、直ぐには上がれない。

 まさか、また自分が地域をやるとはな、と肩を竦めた。

 俺はホントにとんでもないモノを掘り起こしてしまったのかもしれないな。でも、もう後には引けない。

 コレは、自分の最期の、刑事としての仕事だ。

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