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嵐の夜に2
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アルバイトから戻り、シャワーを浴び、リビングの明かりを点けたみちるの顔が曇った。
外は強風も吹き荒れ、窓ガラスがガタガタと音を立てている。雨と風の夜だ。みちるにとって最も苦手なシチュエーションだった。
タオルで髪を拭きながら、不安な顔でテレビをつける。何か音がないと、とても1人ではいられない。
今夜は確か麗子さんが、と思っていたが、電話機が留守録があった事を知らせるランプを灯していた。シャワーを浴びている間に連絡があったのだ。
『みちるちゃん、ごめんなさい。今夜は嵐で飛行機が飛びそうにないの。なんとか他の方法で帰れるか頑張ってみるから、みちるちゃん、家中の電気点けて頑張って!』
麗子の慌てる声の録音を聞きみちるは「えー……」と言葉を失った。
どうしよう。
いつもなら、この時間は夕食の準備に取り掛かるのだが、みちるはソファーに座り、背もたれに身体を預けた。
外は相変わらず、雨と風が大きなうねりを上げていた。
手にしていたバスタオルに顔を埋め、うずくまる。手が震えていた。
大丈夫、って思いたい。でも、でもーー!
『お父さんもお母さんも、だいっきらいよ!』
あの日の夜、何かが起きていた。生まれて初めて、両親に対して文句を言い、怒って部屋に駆け込んで布団に潜り込んだのだ。
大変な事だったはずなのに、理由も、内容も、何故か覚えていないのだ。
気付けば、真っ暗な夜の闇の中に一人になっていた。
吹き荒れる風と激しく窓に打ち付ける雨の音しか聞こえない真っ暗な家の中に、一人だけだった。
そう、あの夜も、こんな嵐の夜だったーー。
どのくらいの時間が立っただろう。みちるはバスタオルに顔を埋めたままだった。
鳥肌が立つ程の恐怖に、思い返す事が出来ない記憶。雨と風の夜が、記憶の断片をフラッシュバックのように呼び起こす。
みちるが今いるこの場所は、明るく、テレビからは賑やかな音が聞こえる。心休まる場所。
なのに、どうしてこんなに恐いの。
バスタオルからそっと顔を上げた時、稲光が走った。
――!
言葉にならない恐怖が襲う。次の瞬間。ドー……ン……という地響きのような雷鳴が響き渡った。
「やだよおぉー!」
誰もいないと分かっていても、叫ばずにはいられなかった。
まだ下ろしていなかったリビングの窓のブラインドにみちるは気付き、慌てて立ち上がりそこに駆け寄る。しかし、ブラインドの紐に手を掛けた時、フラッシュのような稲光と雷鳴がほぼ同時に襲いかかった。
「きゃあぁあぁっ!」
みちるが目を閉じ、耳を塞ぎ、その場にうずくまった。雷鳴の後、そっと目を開けるとパッと全ての電気が消えた。
「うそ……うそでしょ?」
静寂と暗闇。外では相変わらず暴風雨が恐怖を煽る音を立て続ける。
「あ……あ……」
うずくまったまま、震えるみちるに追い討ちをかける閃光が部屋に射す。
「いやあぁああ――――っ、やだぁ――――っ」
ギュッと目を閉じ身体を固くし、轟く雷鳴に泣き叫んだ時だった。
「みちる!」
しっかりと抱き締める強い腕の感触があった。
全身に感じるこの躯の感触は。心を痺れさせる、私の名前を呼ぶこの声は!
みちるは、その腕の中でそっと顔を上げた。
窓から再び射し込んだ稲光が、その人の姿をはっきりと浮かび上がらせた。
スーツのジャケットは着ておらず、ネクタイにベスト姿。彫りの深い凛々しい顔には、前髪から滴る水滴が伝っていた。
「星児さん、どうして?」
「みちるがわーわー泣く声が聞こえたんだよ。だから帰ってきた」
冗談ぽく笑った星児は、みちるを優しく自分の胸に埋めさせた。
頬にあたるのは、細いようなのに固く逞しい胸。全身に感じる、その感触は。
拾われたあの日、抱き締めてくれたあの時と同じ!
みちるの中で込み上げるものが溢れ返りそうになる。漏れそうな嗚咽を堪えた。
「な、泣いて……ません……」
みちるは星児の腕の中で必死に声を絞り出した。星児は、ふうん、と笑う。
「じゃあ、これは何だ?」
え?
抱き締めていた腕が緩んだ次の瞬間、涙で濡れていたみちるの頬にフワリと唇の感触があった。
「……ぁ」
しびれる。その唇は、媚薬。フルッと躰を震わせたみちるは目を閉じた。
力が、入らない。
ゆっくりとみちるの頬から唇を離した星児は耳元に囁く。
「正直に言えよ」
甘い囁き声に、みちるの唇から「ふ……ぁ……」と吐息が漏れた。
星児の胸に、微かに震える手を突いたみちるは、激しく脈打つ鼓動に息苦しくなった呼吸を整え、見上げた。
「泣い、ちゃって……ました」
青息吐息でその一言だけを言うのが精一杯だった。
みちるを抱き締めていた星児の腕の片方が腰に移り、抱く。躰の密着度が高くなった。
ダメ、ドキドキが止まらない。心臓が壊れる。でも。
気持ちがいい。みちるは目を閉じる。深く、深く堕ちていく。
「もう、怖くないな?」
耳から躰に流れ込む柔らかな甘い声にみちるは首を竦めた。
「は……ぃ」
微かに頬を上気させるみちるに、星児はフッと笑った。
「せっけん……」
「え……?」
そっと目を開けたみちるが顔を上げた時、パッと明かりが点いた。瞳に星児の姿がはっきりと目に映り、涙が溢れそうになる。
いつの間にか雷鳴は遠く小さくなっていた。
「シャワー、浴びたろ。石鹸の香りがする」
「あ……はい」
優しく微笑みながら言う星児に、みちるも微笑んだ。
「星児さんは、タバコの香りがします」
ああ、と彼はみちるの頬に手を添えた。
冷たい手にみちるはピクンと震えた。普段の倍以上の速さと思われる鼓動が続いている胸に手を当て深呼吸をする。
星児は静かに問いかけた。
「みちる、前に言った事覚えてるか?」
「前に、言った事?」
みちるは小さく首を傾げながら彼を見上げた。
「ああ。キスをした時に言った事」
星児の瞳で、妖しげな光が揺れたーー。
みちるは、星児の顔がゆっくりと近付いてきた時には、自然と目を瞑り、唇が重なるのを感じていた。
優しく、甘い。腰を抱く腕も、頬に添えられた手も。全てが自分と一体となり、溶けていく。
触れ合っているだけだった唇に柔らかな別の感触があった。
「……ん……」
不思議な感覚。強ばるように閉じていた唇の力が、自然と抜けていった。
『続きは大人になったら教えてやるから』
初めてのキスをしたあの日の言葉がみちるの中に蘇る。
これが、続き?
ゆっくりと唇を離した星児がみちるの瞳を見つめたまま囁くように言う。
「俺がみちるにした事、俺にして」
「星児さんが……したこーー」
言い終わらないうちに、再び唇が重ねられた。
「……んふ……ぅ……」
ごく自然な流れのように滑り込んだ舌が優しく絡まり、掬い上げる。誘われるようにみちるは同じように繰り返した。
星児の指がみちるの髪をゆっくりと、愛しそうにすいていく。
意識がとろける。そんな、キス。
「みちる」
静かに離れた唇は、次第にみちるの首筋に下りていった。
「……ん……ぁ」
その感触に、みちるはフルッと震えた。
堕ちちゃうーー!
白くなりかけていた意識を必死に捕まえたみちるは力ない手で喘ぐように星児を押した。微かに乱れる呼吸を必死に整えながら見上げる。
「星児さん、濡れてます。早く、着替えないと、風邪ひいちゃう」
ドキドキと激しく早鐘のように脈打つ胸を手で押さえ躊躇いがちに話すみちるに、星児はクスリと笑った。
「そうだな」
短く応え、みちるの頬に軽くキスをし、立ち上がった。
「シャワー浴びてくる」
密着していた躰がフッと解放され、みちるは一気に脱力し、ぺタンと床に座り込んだまま星児を見上げた。
星児は口角を上げた笑顔を見せる。
「一緒にシャワー浴びるか?」
みちるの顔が一瞬で真っ赤になった。
「浴びませんっっっ!」
星児がハハハと笑い、「残念だな」と言う。屈託ない少年のような笑みがみちるの胸を締め付けた。
手を軽く挙げてリビングから出て行った星児の残像を追い、みちるはそっと両手で顔を覆う。
星児さん、私の気持ち、分かりますか? 苦しいの。すごく。私、どうしたら。分からないの。
苦しさに喘ぎ溺れそうな意識は、誰かを探す。
抱きしめてください。助けてください。
ーー保さん……。
星児とみちるが身体を離す直前に、小さな事変があった。
玄関のドアが開き、再び静かに閉まったのだが、みちるも星児も気付く事はなかった。
静かに穏やかに揺れていたそれぞの〝糸〟は、ほどく事ができない程に絡まり始める。
外は強風も吹き荒れ、窓ガラスがガタガタと音を立てている。雨と風の夜だ。みちるにとって最も苦手なシチュエーションだった。
タオルで髪を拭きながら、不安な顔でテレビをつける。何か音がないと、とても1人ではいられない。
今夜は確か麗子さんが、と思っていたが、電話機が留守録があった事を知らせるランプを灯していた。シャワーを浴びている間に連絡があったのだ。
『みちるちゃん、ごめんなさい。今夜は嵐で飛行機が飛びそうにないの。なんとか他の方法で帰れるか頑張ってみるから、みちるちゃん、家中の電気点けて頑張って!』
麗子の慌てる声の録音を聞きみちるは「えー……」と言葉を失った。
どうしよう。
いつもなら、この時間は夕食の準備に取り掛かるのだが、みちるはソファーに座り、背もたれに身体を預けた。
外は相変わらず、雨と風が大きなうねりを上げていた。
手にしていたバスタオルに顔を埋め、うずくまる。手が震えていた。
大丈夫、って思いたい。でも、でもーー!
『お父さんもお母さんも、だいっきらいよ!』
あの日の夜、何かが起きていた。生まれて初めて、両親に対して文句を言い、怒って部屋に駆け込んで布団に潜り込んだのだ。
大変な事だったはずなのに、理由も、内容も、何故か覚えていないのだ。
気付けば、真っ暗な夜の闇の中に一人になっていた。
吹き荒れる風と激しく窓に打ち付ける雨の音しか聞こえない真っ暗な家の中に、一人だけだった。
そう、あの夜も、こんな嵐の夜だったーー。
どのくらいの時間が立っただろう。みちるはバスタオルに顔を埋めたままだった。
鳥肌が立つ程の恐怖に、思い返す事が出来ない記憶。雨と風の夜が、記憶の断片をフラッシュバックのように呼び起こす。
みちるが今いるこの場所は、明るく、テレビからは賑やかな音が聞こえる。心休まる場所。
なのに、どうしてこんなに恐いの。
バスタオルからそっと顔を上げた時、稲光が走った。
――!
言葉にならない恐怖が襲う。次の瞬間。ドー……ン……という地響きのような雷鳴が響き渡った。
「やだよおぉー!」
誰もいないと分かっていても、叫ばずにはいられなかった。
まだ下ろしていなかったリビングの窓のブラインドにみちるは気付き、慌てて立ち上がりそこに駆け寄る。しかし、ブラインドの紐に手を掛けた時、フラッシュのような稲光と雷鳴がほぼ同時に襲いかかった。
「きゃあぁあぁっ!」
みちるが目を閉じ、耳を塞ぎ、その場にうずくまった。雷鳴の後、そっと目を開けるとパッと全ての電気が消えた。
「うそ……うそでしょ?」
静寂と暗闇。外では相変わらず暴風雨が恐怖を煽る音を立て続ける。
「あ……あ……」
うずくまったまま、震えるみちるに追い討ちをかける閃光が部屋に射す。
「いやあぁああ――――っ、やだぁ――――っ」
ギュッと目を閉じ身体を固くし、轟く雷鳴に泣き叫んだ時だった。
「みちる!」
しっかりと抱き締める強い腕の感触があった。
全身に感じるこの躯の感触は。心を痺れさせる、私の名前を呼ぶこの声は!
みちるは、その腕の中でそっと顔を上げた。
窓から再び射し込んだ稲光が、その人の姿をはっきりと浮かび上がらせた。
スーツのジャケットは着ておらず、ネクタイにベスト姿。彫りの深い凛々しい顔には、前髪から滴る水滴が伝っていた。
「星児さん、どうして?」
「みちるがわーわー泣く声が聞こえたんだよ。だから帰ってきた」
冗談ぽく笑った星児は、みちるを優しく自分の胸に埋めさせた。
頬にあたるのは、細いようなのに固く逞しい胸。全身に感じる、その感触は。
拾われたあの日、抱き締めてくれたあの時と同じ!
みちるの中で込み上げるものが溢れ返りそうになる。漏れそうな嗚咽を堪えた。
「な、泣いて……ません……」
みちるは星児の腕の中で必死に声を絞り出した。星児は、ふうん、と笑う。
「じゃあ、これは何だ?」
え?
抱き締めていた腕が緩んだ次の瞬間、涙で濡れていたみちるの頬にフワリと唇の感触があった。
「……ぁ」
しびれる。その唇は、媚薬。フルッと躰を震わせたみちるは目を閉じた。
力が、入らない。
ゆっくりとみちるの頬から唇を離した星児は耳元に囁く。
「正直に言えよ」
甘い囁き声に、みちるの唇から「ふ……ぁ……」と吐息が漏れた。
星児の胸に、微かに震える手を突いたみちるは、激しく脈打つ鼓動に息苦しくなった呼吸を整え、見上げた。
「泣い、ちゃって……ました」
青息吐息でその一言だけを言うのが精一杯だった。
みちるを抱き締めていた星児の腕の片方が腰に移り、抱く。躰の密着度が高くなった。
ダメ、ドキドキが止まらない。心臓が壊れる。でも。
気持ちがいい。みちるは目を閉じる。深く、深く堕ちていく。
「もう、怖くないな?」
耳から躰に流れ込む柔らかな甘い声にみちるは首を竦めた。
「は……ぃ」
微かに頬を上気させるみちるに、星児はフッと笑った。
「せっけん……」
「え……?」
そっと目を開けたみちるが顔を上げた時、パッと明かりが点いた。瞳に星児の姿がはっきりと目に映り、涙が溢れそうになる。
いつの間にか雷鳴は遠く小さくなっていた。
「シャワー、浴びたろ。石鹸の香りがする」
「あ……はい」
優しく微笑みながら言う星児に、みちるも微笑んだ。
「星児さんは、タバコの香りがします」
ああ、と彼はみちるの頬に手を添えた。
冷たい手にみちるはピクンと震えた。普段の倍以上の速さと思われる鼓動が続いている胸に手を当て深呼吸をする。
星児は静かに問いかけた。
「みちる、前に言った事覚えてるか?」
「前に、言った事?」
みちるは小さく首を傾げながら彼を見上げた。
「ああ。キスをした時に言った事」
星児の瞳で、妖しげな光が揺れたーー。
みちるは、星児の顔がゆっくりと近付いてきた時には、自然と目を瞑り、唇が重なるのを感じていた。
優しく、甘い。腰を抱く腕も、頬に添えられた手も。全てが自分と一体となり、溶けていく。
触れ合っているだけだった唇に柔らかな別の感触があった。
「……ん……」
不思議な感覚。強ばるように閉じていた唇の力が、自然と抜けていった。
『続きは大人になったら教えてやるから』
初めてのキスをしたあの日の言葉がみちるの中に蘇る。
これが、続き?
ゆっくりと唇を離した星児がみちるの瞳を見つめたまま囁くように言う。
「俺がみちるにした事、俺にして」
「星児さんが……したこーー」
言い終わらないうちに、再び唇が重ねられた。
「……んふ……ぅ……」
ごく自然な流れのように滑り込んだ舌が優しく絡まり、掬い上げる。誘われるようにみちるは同じように繰り返した。
星児の指がみちるの髪をゆっくりと、愛しそうにすいていく。
意識がとろける。そんな、キス。
「みちる」
静かに離れた唇は、次第にみちるの首筋に下りていった。
「……ん……ぁ」
その感触に、みちるはフルッと震えた。
堕ちちゃうーー!
白くなりかけていた意識を必死に捕まえたみちるは力ない手で喘ぐように星児を押した。微かに乱れる呼吸を必死に整えながら見上げる。
「星児さん、濡れてます。早く、着替えないと、風邪ひいちゃう」
ドキドキと激しく早鐘のように脈打つ胸を手で押さえ躊躇いがちに話すみちるに、星児はクスリと笑った。
「そうだな」
短く応え、みちるの頬に軽くキスをし、立ち上がった。
「シャワー浴びてくる」
密着していた躰がフッと解放され、みちるは一気に脱力し、ぺタンと床に座り込んだまま星児を見上げた。
星児は口角を上げた笑顔を見せる。
「一緒にシャワー浴びるか?」
みちるの顔が一瞬で真っ赤になった。
「浴びませんっっっ!」
星児がハハハと笑い、「残念だな」と言う。屈託ない少年のような笑みがみちるの胸を締め付けた。
手を軽く挙げてリビングから出て行った星児の残像を追い、みちるはそっと両手で顔を覆う。
星児さん、私の気持ち、分かりますか? 苦しいの。すごく。私、どうしたら。分からないの。
苦しさに喘ぎ溺れそうな意識は、誰かを探す。
抱きしめてください。助けてください。
ーー保さん……。
星児とみちるが身体を離す直前に、小さな事変があった。
玄関のドアが開き、再び静かに閉まったのだが、みちるも星児も気付く事はなかった。
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