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誤算
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夏を迎える木々の濃い緑が流れる景色の中でチラチラ視界に入っていた。
星児の運転する車は郊外へ向かっていた。
都心から離れたパチンコなら、誰かに会う事もない。パチンコなど、別に凄くしたかったわけじゃないが、あのまま家にいるのは危険と思ったから、出て来た。
2度目のキスは予定外だった。ハンドルを握りタバコをくわえたまま星児は苦笑いした。
『亀岡さんに頼んどいた』
不意に保の昨日の言葉を思い出す。
恐らくみちるは何処にもヒットはしないだろう、と星児は思う。
先日の源さんとのやり取りから、ほんの少し、みちるを取り巻いていた環境が見えた。
『チイちゃんは両親事故で亡くしたって言ってた。あまり、自分自身の事話したりしない子だったんだけど、〝里親〟って言葉もチラッと出ていたな』
〝チイちゃん〟
みちるの〝ち〟だけを取っての〝チイちゃん〟なのか。そしてそれがみちるの源氏名だったのか。それは聞かなかった。
源さんのその呼ぶ口調に、みちるに対する愛着みたいなモノを星児は感じ取っていた。
『チイちゃんが僕とこ来た時さ、すんごく手が荒れてて。爪だって、割れてボロボロだったんだ。あのくらいの子であんな手の子、今どきいないよ。ショックだったなぁ……』
両親の事故。里親。みちるには恐らく、帰る家などないのだろう。
初めてみちるに会ったあの日から、星児の中で引っかかっていたモノがあった。
みちるの、目だ。
真っ黒で澄んだ大きな瞳は純で無垢な心を映し出す。あの街にいたのに、荒んだ色が微塵も見えなかった。不器用で必死で、けれど、前を見て生きている。きっと、本人は出来得る限り真っ直ぐな人生を歩みたいのだろう。
星児はパチンコの台に向かいながらタバコをくわえた。
勢いよく弾き出された球は開いた羽の間にどんどん呑み込まれる。デジタル数字が目まぐるしく変わり、当たりを予感させていた。
最近出回り始めた大当たり確率変動機を搭載した台を入れている店だった。あっという間に星児の台のスロットが7揃えになる。
機械が銀色の玉を滝のように排出し始め、店員がケースを持ってきた。
星児はタバコをくわえたままそれを受け取りジャラジャラと玉が流れ出る出口に置いた。
混み合っている店内で多少の羨望の眼差しが集中し、星児は肩を竦めた。
正直、今日は何も考えず玉を打つだけで良かったのにな。
誤算……そうだ、誤算だ。
『チイちゃん拾ってくれたのがセイジで良かったよ』
源さん、それは違うかもしんねーよ。
この先、〝誤算〟が〝誤算〟を生み、それが、先の計画を、運命のベクトルを変えていくなどと、星児も保も、みちるも知る由も無かった。
†††
保は閉店した高級新車販売店の事務所で退社の準備を始めていた。
「お疲れー」
「お疲れ様です」
併設の整備工場の整備士達が彼に声を掛けて退社していく。デスクを片付ける手を休めずに頭を下げた。
まだ入社二年目だ。最後まで残り、残務を片付けていた。
「よし、と」
周囲にひと気が無くなり、さあ帰るか、となった時、デスクの上に置いてあったポケベルが鳴った。ディスプレイには、亀岡の自宅番号が出ていた。
刑事は滅多な事では自宅番号などおおっぴらにしないはずだが、よほど保を信頼しているのか、亀岡からの連絡は大抵自宅からだった。
毎度、用件が用件だけに職場からもかけられないのだろうが。
保は周囲に人がいないのを確認してデスク上の電話をそばに寄せた。
「よ、お疲れさん」
内緒話はムリだろうな、というMAX音量の声に保はさりげなく受話器を耳から離す。
「お疲れ様です。亀岡さん、早いですね。もう自宅」
「俺くらいになると、サッサと帰らねーと若いのが帰れねーからな」
「なるほど」
ほんの少し世間話を交えたところで、例のな、と亀岡が切り出した。
「とりあえずどれも、何処にもヒットしなかったぞ」
「そうですか、ありがとうございます」
保がホッと胸を撫で下ろした時「でもな」と亀岡が続けた。保に一瞬不穏な感覚が走る。
「あの中に1つだけ気になる名前があったんだ」
「気になる、名前?」
亀岡は、眉根を寄せた保をより一層不安に陥れる。
「〝津田みちる〟って子がいたろ。生まれ年が書いてなかったから、イマイチハッキリせんのだが、この名前、どっかで聞いた覚えがあるんだよ。それが何処で、いつなんだか、がどうしても思い出せないんだがな。……ん? 兵頭聞いてるか?」
ハッとした保は、聞いてますよ、と答え受話器を持ちなおした。
「そうなんですか、覚えがあるのに、見当も?」
「ああ。でも何か思い出したら直ぐにお前に連絡するわ」
「お願いします」
じゃあまた、と電話を切った自分の声は震えていたかもしれない。亀岡は、何かを感付いてしまうかもしれない。
もしかしたら亀岡に頼んだのは間違いだったか? 保の中に、言い知れない不安が渦巻く。
そう言えば、と保は星児との昨夜の会話を思い出す。
亀岡に調べてもらっている事を聞いた星児が呟くように話していた。
『津田って名前がどうも引っかかるんだよ』
実のところ、自分も感じていた。けれど、引っかかる何かに蓋をした。
保は応えた。
『津田なんて名前、そんなに珍しくないだろ?』
そうだよ、認めるさ。俺はみちるとまだ一緒にいたいんだよ。
誤算が、誤算を生む――。
星児の運転する車は郊外へ向かっていた。
都心から離れたパチンコなら、誰かに会う事もない。パチンコなど、別に凄くしたかったわけじゃないが、あのまま家にいるのは危険と思ったから、出て来た。
2度目のキスは予定外だった。ハンドルを握りタバコをくわえたまま星児は苦笑いした。
『亀岡さんに頼んどいた』
不意に保の昨日の言葉を思い出す。
恐らくみちるは何処にもヒットはしないだろう、と星児は思う。
先日の源さんとのやり取りから、ほんの少し、みちるを取り巻いていた環境が見えた。
『チイちゃんは両親事故で亡くしたって言ってた。あまり、自分自身の事話したりしない子だったんだけど、〝里親〟って言葉もチラッと出ていたな』
〝チイちゃん〟
みちるの〝ち〟だけを取っての〝チイちゃん〟なのか。そしてそれがみちるの源氏名だったのか。それは聞かなかった。
源さんのその呼ぶ口調に、みちるに対する愛着みたいなモノを星児は感じ取っていた。
『チイちゃんが僕とこ来た時さ、すんごく手が荒れてて。爪だって、割れてボロボロだったんだ。あのくらいの子であんな手の子、今どきいないよ。ショックだったなぁ……』
両親の事故。里親。みちるには恐らく、帰る家などないのだろう。
初めてみちるに会ったあの日から、星児の中で引っかかっていたモノがあった。
みちるの、目だ。
真っ黒で澄んだ大きな瞳は純で無垢な心を映し出す。あの街にいたのに、荒んだ色が微塵も見えなかった。不器用で必死で、けれど、前を見て生きている。きっと、本人は出来得る限り真っ直ぐな人生を歩みたいのだろう。
星児はパチンコの台に向かいながらタバコをくわえた。
勢いよく弾き出された球は開いた羽の間にどんどん呑み込まれる。デジタル数字が目まぐるしく変わり、当たりを予感させていた。
最近出回り始めた大当たり確率変動機を搭載した台を入れている店だった。あっという間に星児の台のスロットが7揃えになる。
機械が銀色の玉を滝のように排出し始め、店員がケースを持ってきた。
星児はタバコをくわえたままそれを受け取りジャラジャラと玉が流れ出る出口に置いた。
混み合っている店内で多少の羨望の眼差しが集中し、星児は肩を竦めた。
正直、今日は何も考えず玉を打つだけで良かったのにな。
誤算……そうだ、誤算だ。
『チイちゃん拾ってくれたのがセイジで良かったよ』
源さん、それは違うかもしんねーよ。
この先、〝誤算〟が〝誤算〟を生み、それが、先の計画を、運命のベクトルを変えていくなどと、星児も保も、みちるも知る由も無かった。
†††
保は閉店した高級新車販売店の事務所で退社の準備を始めていた。
「お疲れー」
「お疲れ様です」
併設の整備工場の整備士達が彼に声を掛けて退社していく。デスクを片付ける手を休めずに頭を下げた。
まだ入社二年目だ。最後まで残り、残務を片付けていた。
「よし、と」
周囲にひと気が無くなり、さあ帰るか、となった時、デスクの上に置いてあったポケベルが鳴った。ディスプレイには、亀岡の自宅番号が出ていた。
刑事は滅多な事では自宅番号などおおっぴらにしないはずだが、よほど保を信頼しているのか、亀岡からの連絡は大抵自宅からだった。
毎度、用件が用件だけに職場からもかけられないのだろうが。
保は周囲に人がいないのを確認してデスク上の電話をそばに寄せた。
「よ、お疲れさん」
内緒話はムリだろうな、というMAX音量の声に保はさりげなく受話器を耳から離す。
「お疲れ様です。亀岡さん、早いですね。もう自宅」
「俺くらいになると、サッサと帰らねーと若いのが帰れねーからな」
「なるほど」
ほんの少し世間話を交えたところで、例のな、と亀岡が切り出した。
「とりあえずどれも、何処にもヒットしなかったぞ」
「そうですか、ありがとうございます」
保がホッと胸を撫で下ろした時「でもな」と亀岡が続けた。保に一瞬不穏な感覚が走る。
「あの中に1つだけ気になる名前があったんだ」
「気になる、名前?」
亀岡は、眉根を寄せた保をより一層不安に陥れる。
「〝津田みちる〟って子がいたろ。生まれ年が書いてなかったから、イマイチハッキリせんのだが、この名前、どっかで聞いた覚えがあるんだよ。それが何処で、いつなんだか、がどうしても思い出せないんだがな。……ん? 兵頭聞いてるか?」
ハッとした保は、聞いてますよ、と答え受話器を持ちなおした。
「そうなんですか、覚えがあるのに、見当も?」
「ああ。でも何か思い出したら直ぐにお前に連絡するわ」
「お願いします」
じゃあまた、と電話を切った自分の声は震えていたかもしれない。亀岡は、何かを感付いてしまうかもしれない。
もしかしたら亀岡に頼んだのは間違いだったか? 保の中に、言い知れない不安が渦巻く。
そう言えば、と保は星児との昨夜の会話を思い出す。
亀岡に調べてもらっている事を聞いた星児が呟くように話していた。
『津田って名前がどうも引っかかるんだよ』
実のところ、自分も感じていた。けれど、引っかかる何かに蓋をした。
保は応えた。
『津田なんて名前、そんなに珍しくないだろ?』
そうだよ、認めるさ。俺はみちるとまだ一緒にいたいんだよ。
誤算が、誤算を生む――。
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