7 / 64
ダブルベッド1
しおりを挟む
保がハンドルを握るスポーツカーは夜の首都高を疾走していた。
ゆったりとした皮貼りの後部シートに1人座るみちるの瞳に、夜の街を彩る街の明かりが流れて映る。
私は何処へ向かっているんだろう。私は何の為に生きていこうとしてるんだろう。
車内にはカーラジオが流れ、運転席と助手席に座る保と星児の会話が時折聞こえた。静かに話す2人の会話は難しく、みちるにはまだ分からなかった。
夜の闇と、車の心地よい揺れ。睡魔がみちるを眠りに誘う。みちるはシートに身体を預け、瞼を閉じた。
†
おとうさん、おかあさん? どうしていないの? だれか。だれか、ーー
手を伸ばしたが、伸ばした手は誰に触れる事はなかった。
暗くて寒い、1人だけの部屋。
パッと目を開いたみちるはガバッと身体を起こした。
目の前は真っ暗闇だ。不安と恐怖がみちるの全身に襲いかかる。
「あ、あ……」
ポロポロと涙が溢れた。
私はやっぱり一人? みちるは辺りを手探りで確かめた。
少しづつ暗闇に慣れ、大きなベッドの上にいる事が分かった。微かにタバコの香りがした。
ここは?
「目が覚めたか」
開かれたドアから部屋に差し込んだ眩しい明かりを背にスリムな男の影が差した。ビクッと震えたみちるは顔を上げる。
「あ、の」
「車の中で眠っちまって、起きねーから抱いてここまで運んだんだよ」
ベッドの上でオロオロとするみちるの傍に男が歩み寄った。
開け放たれたドアからの光に眩しげにみちるは目を細めていたが、声を聞き、傍に来たのが星児と分かった。
「なんだ、泣いてたのか?」
優しく頭を撫でられて顔を覗き込まれ、涙が止まらなくなった。
「また、一人になっちゃったと思ったの。暗いのはいや」
両手で顔を覆い泣き出したみちるは次の瞬間、
「――!?」
全身を何かに包まれた感触に顔を上げた。
「一人にはしねーから安心しろ」
あたたかい。フワフワと宙に浮いているような感覚にみちるは目を閉じた。
頬に触れる胸は硬く、抱きしめる腕の力は強くとも優しかった。
張り詰めていた緊張から全身が解放され、みちるの中に眠っていた遠い日の男親の温かな記憶を柔らかに呼び起こしていた。
「そばに、いてくれるんですか?」
答えが怖くて勇気を振り絞って声にした言葉は耳を澄まさなければ聞こえないような微かな音となった。
「ああ」
ほんの少しの間が怖かった。けれど、星児の胸に密着するみちるの耳に響く甘い声だった。
信じていいのか。いや、今は信じるしかない。
「大丈夫。星児は自分が口にした約束は必ず守る。みちるを一人にはしない。俺もね」
息を吐いたみちるを、もう一人のキーパーソンの言葉が優しく包み込んだ。まるで心の中の言葉に答えるかのような保の声だった。
星児の腕が緩む。もう一つの手がみちるの頭を撫でた。
目を開け、顔を上げるとそこには柔らかな表情で覗き込む保がいた。
「さ、風呂入ってこい」
保はニコッと笑い、みちるの頭をクシャッと撫でた。
みちるが寝かされていた寝室と思われる部屋から出ると、そこは15畳ほどの広いリビングだった。
余計な家具のない、シンプルなソファとテーブルだけの殺風景な部屋。大きな窓が印象的だった。
カウンターキッチンの向こうで保が何か作っている。星児は冷蔵庫から缶ビールを出していた。
「あの……」
「風呂はアッチ」
保がカウンターの向こうから廊下の先を指差しながら言った。
「そうだな、とりあえずは俺のTシャツでも着とくか」
「みちるの物は少しずつ揃えるよ」
プシュ、と音を立てて缶ビールを開けながら星児が言う。
みちるは改めて目を見張った。星児は肩からバスタオルを掛けただけの上半身裸だった。
自分はずっと直にあの胸に。急に恥ずかしさが込み上げ、みちるは真っ赤になってうつ向いた。
「一人がダメなら一緒に入ってやろうか?」
「えぇえ!?」
すっとんきょうな声と共に思わず顔を上げたみちるは星児と目が合う。口の端を上げた笑顔でこちらを見ていた。
「せー――じっっ!!」
保がキッチンから怒鳴った。
「ハハハッ! 冗談だよ。早く入って来い」
星児はビールの缶を持ち窓からベランダへ出て行った。
みちるは目を見開いたまま、茫然と星児の背中を見送っていた。
「アイツたまにああいう事言うけどスルーでいいから」
保が肩を竦め苦笑いする。
「あ、はい……」
でも、イヤな気持ちは、しなかったです、よ。
内心でそっと呟いたみちるは少しの間、窓の外、ベランダでタバコを吸う星児の背中を見ていた。
「これ、俺のTシャツ。ちょっと大きくて悪いけどな、今は我慢してくれ。出てきたらウマイもの食わしてやるから」
保はみちるにTシャツを渡しながら言った。
「保の料理はプロ級だぞ」
ベランダからの星児の声を聞きながら、みちるは深緑色の柔らかな綿地に英字のロゴが入ったTシャツを見た。
緊張で固くなっていた顔が緩む。
「はい、ありがとう、ございます」
自然と口を突いて言葉が出た。
「笑うといい顔になりそうだ」
「……え?」
ドキンッとみちるの心臓が跳ね顔を上げると保はニッと笑いながらキッチンに戻って行った。
温かい何かが自分を包み込んでいくような気持ちに胸が熱くなった。
これが〝居心地の良さ〟なのだとみちるが気付くのはもう少し先の事になる。
みちるは、広いバスルームの中にある鏡に映る自分の姿を見た。
笑うと、いい顔? 私が?
鏡の中には、笑いたくても心の底からちゃんと笑えなかった自分がいた。
笑える日なんて、来るのかな。
鏡から視線を外し、みちるは洗面室からバスルームまでを見回した。
男2人の生活をしているはずの家だが、少しばかり贅沢な造りのバスルームは綺麗に掃除されており、微かなグリーン系のいい香りがしていた。
バスタブに入ったみちるは目を閉じた。
瞼の裏に、2人の男が浮かぶ。
私はあの2人を信じて。甘えていいのかな?
†
ゆったりとした皮貼りの後部シートに1人座るみちるの瞳に、夜の街を彩る街の明かりが流れて映る。
私は何処へ向かっているんだろう。私は何の為に生きていこうとしてるんだろう。
車内にはカーラジオが流れ、運転席と助手席に座る保と星児の会話が時折聞こえた。静かに話す2人の会話は難しく、みちるにはまだ分からなかった。
夜の闇と、車の心地よい揺れ。睡魔がみちるを眠りに誘う。みちるはシートに身体を預け、瞼を閉じた。
†
おとうさん、おかあさん? どうしていないの? だれか。だれか、ーー
手を伸ばしたが、伸ばした手は誰に触れる事はなかった。
暗くて寒い、1人だけの部屋。
パッと目を開いたみちるはガバッと身体を起こした。
目の前は真っ暗闇だ。不安と恐怖がみちるの全身に襲いかかる。
「あ、あ……」
ポロポロと涙が溢れた。
私はやっぱり一人? みちるは辺りを手探りで確かめた。
少しづつ暗闇に慣れ、大きなベッドの上にいる事が分かった。微かにタバコの香りがした。
ここは?
「目が覚めたか」
開かれたドアから部屋に差し込んだ眩しい明かりを背にスリムな男の影が差した。ビクッと震えたみちるは顔を上げる。
「あ、の」
「車の中で眠っちまって、起きねーから抱いてここまで運んだんだよ」
ベッドの上でオロオロとするみちるの傍に男が歩み寄った。
開け放たれたドアからの光に眩しげにみちるは目を細めていたが、声を聞き、傍に来たのが星児と分かった。
「なんだ、泣いてたのか?」
優しく頭を撫でられて顔を覗き込まれ、涙が止まらなくなった。
「また、一人になっちゃったと思ったの。暗いのはいや」
両手で顔を覆い泣き出したみちるは次の瞬間、
「――!?」
全身を何かに包まれた感触に顔を上げた。
「一人にはしねーから安心しろ」
あたたかい。フワフワと宙に浮いているような感覚にみちるは目を閉じた。
頬に触れる胸は硬く、抱きしめる腕の力は強くとも優しかった。
張り詰めていた緊張から全身が解放され、みちるの中に眠っていた遠い日の男親の温かな記憶を柔らかに呼び起こしていた。
「そばに、いてくれるんですか?」
答えが怖くて勇気を振り絞って声にした言葉は耳を澄まさなければ聞こえないような微かな音となった。
「ああ」
ほんの少しの間が怖かった。けれど、星児の胸に密着するみちるの耳に響く甘い声だった。
信じていいのか。いや、今は信じるしかない。
「大丈夫。星児は自分が口にした約束は必ず守る。みちるを一人にはしない。俺もね」
息を吐いたみちるを、もう一人のキーパーソンの言葉が優しく包み込んだ。まるで心の中の言葉に答えるかのような保の声だった。
星児の腕が緩む。もう一つの手がみちるの頭を撫でた。
目を開け、顔を上げるとそこには柔らかな表情で覗き込む保がいた。
「さ、風呂入ってこい」
保はニコッと笑い、みちるの頭をクシャッと撫でた。
みちるが寝かされていた寝室と思われる部屋から出ると、そこは15畳ほどの広いリビングだった。
余計な家具のない、シンプルなソファとテーブルだけの殺風景な部屋。大きな窓が印象的だった。
カウンターキッチンの向こうで保が何か作っている。星児は冷蔵庫から缶ビールを出していた。
「あの……」
「風呂はアッチ」
保がカウンターの向こうから廊下の先を指差しながら言った。
「そうだな、とりあえずは俺のTシャツでも着とくか」
「みちるの物は少しずつ揃えるよ」
プシュ、と音を立てて缶ビールを開けながら星児が言う。
みちるは改めて目を見張った。星児は肩からバスタオルを掛けただけの上半身裸だった。
自分はずっと直にあの胸に。急に恥ずかしさが込み上げ、みちるは真っ赤になってうつ向いた。
「一人がダメなら一緒に入ってやろうか?」
「えぇえ!?」
すっとんきょうな声と共に思わず顔を上げたみちるは星児と目が合う。口の端を上げた笑顔でこちらを見ていた。
「せー――じっっ!!」
保がキッチンから怒鳴った。
「ハハハッ! 冗談だよ。早く入って来い」
星児はビールの缶を持ち窓からベランダへ出て行った。
みちるは目を見開いたまま、茫然と星児の背中を見送っていた。
「アイツたまにああいう事言うけどスルーでいいから」
保が肩を竦め苦笑いする。
「あ、はい……」
でも、イヤな気持ちは、しなかったです、よ。
内心でそっと呟いたみちるは少しの間、窓の外、ベランダでタバコを吸う星児の背中を見ていた。
「これ、俺のTシャツ。ちょっと大きくて悪いけどな、今は我慢してくれ。出てきたらウマイもの食わしてやるから」
保はみちるにTシャツを渡しながら言った。
「保の料理はプロ級だぞ」
ベランダからの星児の声を聞きながら、みちるは深緑色の柔らかな綿地に英字のロゴが入ったTシャツを見た。
緊張で固くなっていた顔が緩む。
「はい、ありがとう、ございます」
自然と口を突いて言葉が出た。
「笑うといい顔になりそうだ」
「……え?」
ドキンッとみちるの心臓が跳ね顔を上げると保はニッと笑いながらキッチンに戻って行った。
温かい何かが自分を包み込んでいくような気持ちに胸が熱くなった。
これが〝居心地の良さ〟なのだとみちるが気付くのはもう少し先の事になる。
みちるは、広いバスルームの中にある鏡に映る自分の姿を見た。
笑うと、いい顔? 私が?
鏡の中には、笑いたくても心の底からちゃんと笑えなかった自分がいた。
笑える日なんて、来るのかな。
鏡から視線を外し、みちるは洗面室からバスルームまでを見回した。
男2人の生活をしているはずの家だが、少しばかり贅沢な造りのバスルームは綺麗に掃除されており、微かなグリーン系のいい香りがしていた。
バスタブに入ったみちるは目を閉じた。
瞼の裏に、2人の男が浮かぶ。
私はあの2人を信じて。甘えていいのかな?
†
0
お気に入りに追加
31
あなたにおすすめの小説
極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~
恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」
そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。
私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。
葵は私のことを本当はどう思ってるの?
私は葵のことをどう思ってるの?
意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。
こうなったら確かめなくちゃ!
葵の気持ちも、自分の気持ちも!
だけど甘い誘惑が多すぎて――
ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。
断る――――前にもそう言ったはずだ
鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」
結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。
周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。
けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。
他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。
(わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)
そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。
ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。
そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?


甘すぎるドクターへ。どうか手加減して下さい。
海咲雪
恋愛
その日、新幹線の隣の席に疲れて寝ている男性がいた。
ただそれだけのはずだったのに……その日、私の世界に甘さが加わった。
「案外、本当に君以外いないかも」
「いいの? こんな可愛いことされたら、本当にもう逃してあげられないけど」
「もう奏葉の許可なしに近づいたりしない。だから……近づく前に奏葉に聞くから、ちゃんと許可を出してね」
そのドクターの甘さは手加減を知らない。
【登場人物】
末永 奏葉[すえなが かなは]・・・25歳。普通の会社員。気を遣い過ぎてしまう性格。
恩田 時哉[おんだ ときや]・・・27歳。医者。奏葉をからかう時もあるのに、甘すぎる?
田代 有我[たしろ ゆうが]・・・25歳。奏葉の同期。テキトーな性格だが、奏葉の変化には鋭い?
【作者に医療知識はありません。恋愛小説として楽しんで頂ければ幸いです!】

淫らな蜜に狂わされ
歌龍吟伶
恋愛
普段と変わらない日々は思わぬ形で終わりを迎える…突然の出会い、そして体も心も開かれた少女の人生録。
全体的に性的表現・性行為あり。
他所で知人限定公開していましたが、こちらに移しました。
全3話完結済みです。

【完結】俺様御曹司の隠された溺愛野望 〜花嫁は蜜愛から逃れられない〜
雪井しい
恋愛
「こはる、俺の妻になれ」その日、大女優を母に持つ2世女優の花宮こはるは自分の所属していた劇団の解散に絶望していた。そんなこはるに救いの手を差し伸べたのは年上の幼馴染で大企業の御曹司、月ノ島玲二だった。けれど代わりに妻になることを強要してきて──。花嫁となったこはるに対し、俺様な玲二は独占欲を露わにし始める。
【幼馴染の俺様御曹司×大物女優を母に持つ2世女優】
☆☆☆ベリーズカフェで日間4位いただきました☆☆☆
※ベリーズカフェでも掲載中
※推敲、校正前のものです。ご注意下さい
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる