この夏をキミと【完結】

友秋

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夏の終わりに

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 九月に入っても厳しい残暑が続き、日差しは真夏のそれと変わらなかった。校舎に照り付ける日射がまぶしく、木々の木陰を縫うように歩いても照り返しにさらされるようだった。頬を伝う汗を拭い、篤は空を見上げた。

「まだ、夏終わってねーのな」

 未だ秋の予感すら感じさせない、入道雲が似合いそうな青い空を見て篤はこみ上げてくる苦い想いを胸にしまいこみ、再び歩き出した。

 夏休みも終わり、三年生たちはそれぞれ自身の進むべき進路の為に本腰を入れ始めていた。放課後のグラウンドにはもう三年生の姿はない。篤は二年生と一年生が部活動を開始したグラウンドを尻目に、野球部の部室へと向かった。

「おう、緒方、そこに座っててくれ」

 部室のドアを開けると、木戸は片づけものをしていた。そうだ、監督は今年で退職だった、と篤は木戸の姿をぼんやりと眺めながら傍にあったパイプ椅子に座った。

 窓からは、ついこの間まで、懸命に汗を流す自分の姿があったグラウンドが見えた。今は声を出しながら練習に精を出す一、二年生の姿があるのみだ。

 日差し、土埃、汗、それらにまみれる匂いが今でも鼻先に残っている。篤は思う。

 もう、あの中に入ることはないのかな、俺。

 ぼんやりとグラウンドを眺めている篤に、木戸が話し掛けた。

「お前は、本当に野球はこれで最後にするのか」

 グラウンドを眺めたまま「はい」と答えた篤に、木戸は片づけの手を休めてため息を吐いた。あの日から、篤はまるで魂が抜けたようにぼんやりとしており、ひと月経っても立ち直る様子がない。今日はそんな篤と少しゆっくりと話しをしようと木戸が、ここへ呼んだのだった。

「お前はまだ進路も決めていないんだってな」
「……」

 篤は返事をしなかった。

 ただがむしゃらにやって来た野球を通して今まではなんとなく、漠然とでも将来に繋がる希望みたいなものが見えていた。悔いのなくこの野球の生活を終わらせられれば、そこからそれを足掛かりに何でもできる、何でも考えられる、そう思っていた。

 しかし、その野球が、あんな、どうしようもない形で幕を下ろしてしまった。あの瞬間、今まで持っていた裏付けのない自信、みたいなものが一気に崩壊した。一歩も前に進めない真っ暗闇に放り出されたように、篤は自信も活力も失ったのだ。

「もう少し、野球をやらんか?」
「え?」

 一瞬、監督が何と言ったのか、篤は分からなかった。ゆっくりと自分の中で反芻し、聞き返した。

「野球を、続ける、ということですか?」

 大きく頷く木戸の顔は真剣だった。

「お前はあの日、フィールドに大きな忘れ物をしてきただろう?」
「それは……」

 篤は自分の右手を見た。

 そう、あの日の感覚は今でも忘れない。いや、一生忘れない。この手からすっぽ抜けてとんでもない方向へと飛んで行ってしまった白球の軌跡は、目に焼き付いたまま消えることはないだろう。あれを、忘れ物、と言っていいのだろうか。

 負けた事はもちろん悔しい。でも、それ以上に仲間に必要以上の気を使わせてしまったことが何よりも悔しかった。

 自分が泣いてはいけないんだ、と篤は歯を食いしばり、涙一つ見せなかった。自分は泣いて良い立場ではない、そう思ったから。

 しかし後になって考えた時篤は、キャプテンである自分が泣かなかった事がかえって仲間たちが流すべき悔し涙を止めてしまったのではないか、とも思えた。

 自身の手を見つめたまま黙り込む篤に木戸は静かに言った。

「何も今、野球をスパッと切ってしまうことはないぞ。まだ続ける道はあるんだぞ。お前ならな」
「野球を、続ける道?」

 野球一筋でやって来た篤ではあったが、進路と野球をセットに考えた事は一度もなかった。プロになれる道などなく、勉強も嫌いで大学進学という事も考えていなかった。まだ親と話したこともなかったが、高校を出たら働く、そう考えていた。そんな篤が、野球は高校まで、と考えるのは至極当然の事だった。

 それに、最後となったあの試合、明らかな篤のミスによる敗戦に、祖父の大介はさすがに止めを刺すほどの事までは言わなかったが、顔には書いてあった。〝もう辞めろ〟と。

 いや、お前には才能がない、かな。と篤は思い出して苦笑する。どちらにしても、自分の前にある分岐点には〝野球〟と書かれた矢印看板は無かった。

「この前の試合にな」

 試案顔で固まる篤に木戸はゆっくりと話し始めた。

「H自動車の野球部の監督が俺の古くからの友人でな、この前の試合、観に来ていたんだ」

 H自動車の野球部は、社会人野球の全国大会常連の名門チームだ。篤は目を丸くして監督を見た。

「お前、勉強好きか?」
「は?」

 何を唐突に、と篤は思わず間抜けな声を出してしまったが、木戸は構わず続ける。

「お前、大学に行って勉強続けたいか?」
「嫌です」

 一瞬の迷いもない即答に数秒の間があったが、木戸がすぐにワハハハハと笑い出した。そして、直ぐに真顔になる。

「お前、車は好きか?」
「は? あ、いや別に、特には……」
「好きだな、好きだよな、車。いや、絶対好きだな!」
「あ、はっ、はい! 大好きです!」

 半ば強引に車好きにされたが、篤は監督の意図が読めた。木戸は満足げに、よし! と篤の肩を叩いた。

「お前、あさってS市にあるH自動車のグラウンド行って来い!」

 あまりにも急な話に、篤は呆気に取られて木戸を見ていた。
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