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父と息子2
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すっかり日が落ち、外は真っ暗だったが中庭は数本の外灯の明かりと、リビングの大きな窓からの明かりでキャッチボールには差し支えない程度に明るかった。
黙って和也とのキャッチボールを始めた篤だったが、何球目かで気づく。
――バッティングセンターに行った時にだいたいわかってはいたが……相当レベルの高い選手だったんだろうな……。
キャッチャーという職業柄か、篤はキャッチボールの数球でだいたいその相手のレベルは見抜く。グラブの構え、捕球、送球。和也にはすべてにおいて隙がなかった。
無言で続けていたキャッチボール、最初に口を開いたのは和也だった。
「お前の学校の明後日の対戦校な、俺の母校なんだよ」
「!?」
篤の投げた球が暴投になり的外れな方向に飛んで行ったが、瞬時に反応した和也が見事に捕球。
自分がどれほど父親のことを知らなかったか、篤は改めて知った。それほどまでに、父にたいする興味がなかったのだが。
「俺はあそこに野球推薦で行ったんだ」
篤の足元にミットからこぼれ落ちたボールが転がった。
――親父の当時は知らねえが……いや、昔からそうだと思うが……あそこの野球推薦のレベル、ハンパじゃねえぞ。俺なんておよびじゃねえ……。
二人の間をすり抜ける生ぬるい夏の夜風が、サワサワと木々の葉を揺らす。
「初耳だぞ」
篤は球を拾いながら言う。納得できない、そんな響きがこもっていた。
「親父が野球やってたことすら知らなかったんだぞ」
拾った球を放る。今度はコースを外すことなく和也のグラブに納まった。
「なんで……やめたんだよ」
呟くような篤の声は、その時ちょうど吹いた風にかき消された。
「え? 聞こえないぞ」
「なんでやめたんだよっって聞いたんだよ!」
ほんの少しの間を置いて、篤が躊躇いがちに続けた。
「……ケガ……か……?」
「いや……」
和也はボールをゆったりとしたモーションで放りながら話し始めた。
「怪我なんかじゃないさ。逃げたんだ」
「逃げた?」
キャッチボールと並行して続く二人の会話。
「逃げたって……なにから……野球からかよ」
今まで、まともな会話すら交わしたことのない父と、まるでせき止めるもののない水の流れのように自然と、素直な言葉がでる。キャッチボールのせいかな――篤は今の父親に対する自分に驚いていた。
「そう、野球から。イヤなガキだったんだ。調子こいてて。で、高校でその鼻をへし
折られたんだ。練習嫌いだったから尚更だ。……今は後悔しか残っていない」
自分のまったく知らない、高校生だった父の姿――。
無言になった篤は、綺麗な軌道を描き自分のグラブに飛び込んできた球を手に取り、再び放る。放りながらボソリと言った。
「で、やめた自分は横道に少々逸れました、ってか」
「ま、そんなとこだな」
「その結果、デキ婚かよ。相手があの母さんでね……」
かわいかったんだよ昔は、と和也は困ったように笑った。あっそ、と思い切り振られた篤の腕から放られた球がパアンと乾いた皮に当たる快音を響かせた。ミットの中に納まった白球を右手に握った和也はそれを見てフッと笑う。
「俺はさ、お前がうらやましいんだよ」
「俺が?」
肩もそうとう良かったであろうことを伺わせる送球。その球を篤は取りこぼしそうになる。
――うらやましい?
「動揺を隠せないとキャッチャーは務まらないだろ」
グラブの先を篤に向けて和也が言う。なんかムカつく、と憮然とした表情で篤はボールを放った。
「お前の謙虚さと根性のせめて半分でも当時の俺にあれば……なんてな」
――謙虚……それは違う……俺のは謙虚とかじゃ……。
「俺はセンスがないから……とか言うなよ。そんなのは言い訳だ。言い訳なんてのは努力もしないヤツが言うセリフだ」
まるで篤の心の中を見透かし、痛い所を突かれたような言葉。
「ストイックな精神を持ち続けることのできるヤツは伸びるさ」
ボールを投げるのも忘れ、立ち尽くす篤。そんな篤に、なっ? と和也は明るく笑いかけた。
「お前なら、伸びるよ」
「あなた! いつまでそんなことやってるの! 早くご飯食べてちょうだい! 片付かないのよ!」
和也の締めのセリフも台無しにする奈緒の怒鳴り声。顔を見合わせ、肩を竦めた。
「ヤレヤレ……本当にかわいかったんだぞー……昔は……」
すごすごと家の中に戻っていく、少し前とは打って変わった情けない後姿を見せる父に苦笑いを浮かべつつ、篤は小さく呟いた。
「親父、サンキュー」
その微かな、精一杯の息子の声をちゃんと和也は耳に拾う。振り向くことなく背をむけたまま、手を挙げ家の中に戻って行った。
親父、俺知ってるんだぜ――親父の右足に大きな手術の後があるのを――。
黙って和也とのキャッチボールを始めた篤だったが、何球目かで気づく。
――バッティングセンターに行った時にだいたいわかってはいたが……相当レベルの高い選手だったんだろうな……。
キャッチャーという職業柄か、篤はキャッチボールの数球でだいたいその相手のレベルは見抜く。グラブの構え、捕球、送球。和也にはすべてにおいて隙がなかった。
無言で続けていたキャッチボール、最初に口を開いたのは和也だった。
「お前の学校の明後日の対戦校な、俺の母校なんだよ」
「!?」
篤の投げた球が暴投になり的外れな方向に飛んで行ったが、瞬時に反応した和也が見事に捕球。
自分がどれほど父親のことを知らなかったか、篤は改めて知った。それほどまでに、父にたいする興味がなかったのだが。
「俺はあそこに野球推薦で行ったんだ」
篤の足元にミットからこぼれ落ちたボールが転がった。
――親父の当時は知らねえが……いや、昔からそうだと思うが……あそこの野球推薦のレベル、ハンパじゃねえぞ。俺なんておよびじゃねえ……。
二人の間をすり抜ける生ぬるい夏の夜風が、サワサワと木々の葉を揺らす。
「初耳だぞ」
篤は球を拾いながら言う。納得できない、そんな響きがこもっていた。
「親父が野球やってたことすら知らなかったんだぞ」
拾った球を放る。今度はコースを外すことなく和也のグラブに納まった。
「なんで……やめたんだよ」
呟くような篤の声は、その時ちょうど吹いた風にかき消された。
「え? 聞こえないぞ」
「なんでやめたんだよっって聞いたんだよ!」
ほんの少しの間を置いて、篤が躊躇いがちに続けた。
「……ケガ……か……?」
「いや……」
和也はボールをゆったりとしたモーションで放りながら話し始めた。
「怪我なんかじゃないさ。逃げたんだ」
「逃げた?」
キャッチボールと並行して続く二人の会話。
「逃げたって……なにから……野球からかよ」
今まで、まともな会話すら交わしたことのない父と、まるでせき止めるもののない水の流れのように自然と、素直な言葉がでる。キャッチボールのせいかな――篤は今の父親に対する自分に驚いていた。
「そう、野球から。イヤなガキだったんだ。調子こいてて。で、高校でその鼻をへし
折られたんだ。練習嫌いだったから尚更だ。……今は後悔しか残っていない」
自分のまったく知らない、高校生だった父の姿――。
無言になった篤は、綺麗な軌道を描き自分のグラブに飛び込んできた球を手に取り、再び放る。放りながらボソリと言った。
「で、やめた自分は横道に少々逸れました、ってか」
「ま、そんなとこだな」
「その結果、デキ婚かよ。相手があの母さんでね……」
かわいかったんだよ昔は、と和也は困ったように笑った。あっそ、と思い切り振られた篤の腕から放られた球がパアンと乾いた皮に当たる快音を響かせた。ミットの中に納まった白球を右手に握った和也はそれを見てフッと笑う。
「俺はさ、お前がうらやましいんだよ」
「俺が?」
肩もそうとう良かったであろうことを伺わせる送球。その球を篤は取りこぼしそうになる。
――うらやましい?
「動揺を隠せないとキャッチャーは務まらないだろ」
グラブの先を篤に向けて和也が言う。なんかムカつく、と憮然とした表情で篤はボールを放った。
「お前の謙虚さと根性のせめて半分でも当時の俺にあれば……なんてな」
――謙虚……それは違う……俺のは謙虚とかじゃ……。
「俺はセンスがないから……とか言うなよ。そんなのは言い訳だ。言い訳なんてのは努力もしないヤツが言うセリフだ」
まるで篤の心の中を見透かし、痛い所を突かれたような言葉。
「ストイックな精神を持ち続けることのできるヤツは伸びるさ」
ボールを投げるのも忘れ、立ち尽くす篤。そんな篤に、なっ? と和也は明るく笑いかけた。
「お前なら、伸びるよ」
「あなた! いつまでそんなことやってるの! 早くご飯食べてちょうだい! 片付かないのよ!」
和也の締めのセリフも台無しにする奈緒の怒鳴り声。顔を見合わせ、肩を竦めた。
「ヤレヤレ……本当にかわいかったんだぞー……昔は……」
すごすごと家の中に戻っていく、少し前とは打って変わった情けない後姿を見せる父に苦笑いを浮かべつつ、篤は小さく呟いた。
「親父、サンキュー」
その微かな、精一杯の息子の声をちゃんと和也は耳に拾う。振り向くことなく背をむけたまま、手を挙げ家の中に戻って行った。
親父、俺知ってるんだぜ――親父の右足に大きな手術の後があるのを――。
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