この夏をキミと【完結】

友秋

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父の謎2

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 バットを構えた父の後ろ姿に篤は息を呑んだ。ネット越しの後ろ姿だからよくはわからないが、素人ではない、と一目でわかった。

 マシンから放たれた速球は、金属のぶつかるしけた打球音と共に前方に転がった。それを見て篤は、気のせいか、やはり素人だ、と肩を竦めた。しかし、その場を離れかけた時、何球目かでその打球音が変化した。

 おや、と目を凝らした篤が和也を見た瞬間、キィーン! と完全にミートした金属バットの快音が耳に飛び込んできた。見事な軌道を描き飛んで行った打球。その後は長打性の当たりの連発だった。

 ただ茫然と、父のバッティングを眺めていた篤は、その頭で必死に考えていた。

 父が野球をする姿など見たことはなかった。やっていた、という話を家族から聞いたこともなかった。ということは、少なくとも二十年は野球に触れていないはずだ。仮にもし、高校生の時に本格的にやっていたとしても、二十年ほどのブランクがあれば、百四十キロの球をたった数球で、真芯でとらえるバッティングなどそう簡単出来るものではない。そこから言える事はただ一つ。

 父は、相当な選手だったのだろう、という事。

 親父は一体? 息子でありながら父の事をほとんど知らない、という事実に今更ながら気付かされた篤だったが、それと同時に、初めて、父に興味に近い感情を抱いた自分自身に驚いていた。

  *

 真っ暗になったフロントガラスの向こうにはテールランプが連なって見えた。助手席で携帯電話を耳に当てる篤の頭には、奈緒の甲高い声がギャンギャンと響いていた。

「あー、もうっ、わかってるって! 帰って母さんのメシ食うからよ! ああっ? 親父と外食なんてするわけねーだろ! 今車の中だよ、うるせーな! あと二十分くらいだよ!」

 電話の向こうでは、まだ奈緒が何か言っていたが、篤はかまわず切った。

「悪いな。母さん怒っていたろ」
「まったくだよ。結局自分が一番夢中になってやんの。いったい何球打ったんだよ」
「悪い悪い。久しぶりにバット握ったら、あの感覚がたまらなくなってしまってな。血が騒いじまった」
「……」

 篤は頬杖を突き、真っ暗な車窓を黙って見ていた。

 父とはろくに会話を交わしてこなかったからこんな時、どう切り出して、どんな風に話しをして良いのかわからないのだ。往時よりも聞きたいことが増えたというのに。

――いつ野球やっていたんだよ。
――どうしてそんなにセンスあったのにやめたんだよ。そして何より……野球、好きなんだろ?

 まともに向き合った事のない父親に、素直に聞く勇気が持てなかった。

 車内を支配していた重い沈黙を最初に破ったのは、

「篤」

 和也だった。

「大丈夫だ。今篤がやっている事は決して無駄ではない」

 短い言葉は、深く響く。

「意味、わかんねーよ」

 助手席に座る篤は前方に続く、連なるテールランプを眺めたままぶっきらぼうに答えた。

「悔いの残らないよう、今篤のやりたい事を精一杯やれ、って事だよ」

 篤は父を見なかった。和也がどんな表情をしているかはわからない。和也の言葉を篤が素直に受け止めるにはもう少し時間が必要だった――。


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