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波紋
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泉に落ちた、たった1つの投石が、幾重にも連なり広がる。波を作る。
それはまるで、私達の運命のように。
†††
「星児」
シャワーを浴びる為に部屋から出ようとしていた星児の背中に、麗子が声をかけた。
「みちるちゃんのこと」
本当は、こんな甘い余韻に浸る中で彼女の話を持ち出したくはなかった。けれど、今話しておかないと、と麗子は振り向いた星児を見つめた。
「みちるちゃんに、男が1人近付いてる」
最近の激務で少し痩せた躯に朝の光が当たる。麗子から見える横顔は、射し込む光に逆光となっている。
ほんの一瞬、動揺したかのような気配は感じたが、表情までは分からない。
良かった、逆光で顔がよく見えなくて。
麗子は胸が詰まるような息苦しさを感じた。
こんな時の星児の表情は見たくない。
「どんなヤツ?」
星児の低い声が耳に届いた。声のトーンからは、今星児が何を考えどう思うのかは分からない。
麗子には、必死に感情を殺してる、そう感じた。目を閉じ、ため息をついた麗子は静かに話し始めた。
「私は直接見てないわ。金造ちゃんから聞いたのよ」
金造とは、藤間金造という名の、年齢不祥だがこの劇場の主も言われる管理人だ。
星児がここを買い取るずっと以前から変わらず管理人として勤めている。確実に、80は過ぎてそうな好々爺だった。
のんびりしていそうだが目は鋭く、全ての踊り子の様子を把握している。
「先週、いきなりみちるちゃん宛に大きな花束を持って現れたって」
星児は、そう言えば、と思い出す。
リビングに突如として花瓶に生けられたバラの花束が出現した。
普段、部屋の配置になど無頓着で、テレビとソファーの位置が逆に変わっていても気に留めない星児が初めて保に聞いた。
『なんだ、これ』
『酷い反応だな。みちるが客からもらったんだってよ。初めてじゃないだろ、こんなの』
保は苦笑いしていたが、その薔薇の花束だけは、星児には異様な存在感を放って見えたのだ。
特別な物だ、というオーラが見えた気がしたのだ。
「で、金造じいさんは何て?」
麗子は、金造の言葉を思い出しながら慎重に話し始めた。
「育ちの良いお坊ちゃんのようだけど何も知らないウブさみたいな印象はなかったって。金造ちゃん、あれは〝政治家の目〟だって言ってたわ」
〝政治家の目〟とは、実際に政治家を志す者の目を指してはいない。抜け目のない計算高さや狡猾さを垣間見せる鋭い目の事を言っている。
「そんな男が何の為にみちるに近付いた?」
「何って」
低くく静かに聞く星児の動かない横顔に麗子の胸の鼓動が加速する。
花を贈る意味、分かるでしょう、と内心でため息を吐いた。
この先の言葉にもそんな冷静でいられるかしら? と麗子は震えそうな唇をゆっくりと動かした。
「人生の殆どをあそこで過ごした金造ちゃんは、踊り子に近付く男も、言い寄る男も、それこそ星の数程見てきてる。その金造ちゃんが言ってた。彼は、みちるちゃんと特別な関係か、もしくはその一歩手前なのかもしれないって」
星児の反応を確かめる事なく、麗子は畳み掛ける。
「余裕があったって。その証拠に、後にも先にも彼は劇場に姿を現した事はない。つまり、たった一度だけ花束を介してみちるちゃんとなんらかのコンタクトを取った。外で、会うのか、もう既に会っているのかもしれない、というのが金造ちゃんの推察」
「なるほどな」
感情を押し隠すような静かな声だった。
思案顔で動かない星児の表情を麗子は伺う。
ねぇ、星児、気になるの?
麗子は、口先まで出てきた問いを呑み込み苦しさを必死にひた隠しに微笑む。星児は肩を竦めフッと笑うと傍に来、優しいキスをした。
「悪いムシが完全にみちるを喰っちまう前に御幸に会わせてよかったな」
それだけ言うと星児は麗子にもう一度キスをし、部屋から出ていった。
はぐらかされた、みたいだけど。個人的感情ではない、って言いたかったの?
星児、ちゃんと言葉にしてくれないと不安で仕方ないの、分かる?
うつ伏せになった麗子は枕に顔を埋めた。
いっそのこと、その彼にみちるちゃんをあげてしまいなさいよ!
そう叫びたかった。
私、こんなに自分が醜いって知らなかった。
麗子は枕に顔を埋めたまま嗚咽を漏らした。
†††
事務所で書類関係の確認していた星児のデスクの直通電話が鳴った。
相手はホスト仲間だった中薗だった。
「よぉ、何か分かったか」
「ったく、お前人使い荒ぇよ。分かってはいたけどよ」
中薗が電話の向こうで笑っていた。
ホストクラブの経営者となった今もまだ接客を続ける中薗は顔が広い。その為、星児は度々彼を探偵のように使っていた。
多少の文句は言いつつも中薗は心底嫌がる様子もなく、何時でもしっかりと星児の依頼をこなしていた。
「クラブ・胡蝶の元ホステスが俺の太客の中にいた。今はブティック経営かなんかしてる。新しい情報はムリだぜ」
「ああ、かえってその方がいい。俺はあそこのママの素性が知りてぇんだ。現役の若いホステスじゃぁ、あんま分かんねーだろ。ママに年が近い古参の方がリアルな情報を持ってんだろ」
「その通りだよ、星児。世間には知られていないママの素性ってヤツを聞いた」
中薗の言葉に星児の表情が動いた。
「何が分かった?」
「ママは確かにお前の睨んだ通り、津田恵三の私生児を生んでる。でもな、お前が予測していた〝息子〟じゃねぇ」
そうか、と答えた星児の中には微かな落胆が生まれる。
やっぱな。津田恵太の母親にしちゃ、若すぎる。都合良すぎか。
「じゃあ娘ならいるのか」
この件に関しては完全に興味が薄れてしまった星児だが、話の流れ上何気なくその先を中薗に促した。
「ああ。それがさ二人もだ。年子で娘を産んでる」
「娘が、二人?」
「双子かと思うくらいそっくりな姉妹だったそうだ」
自分達にはまるっきり関係のない情報と思われたその話に、星児は妙な引っかりを覚えていた。
*
それはまるで、私達の運命のように。
†††
「星児」
シャワーを浴びる為に部屋から出ようとしていた星児の背中に、麗子が声をかけた。
「みちるちゃんのこと」
本当は、こんな甘い余韻に浸る中で彼女の話を持ち出したくはなかった。けれど、今話しておかないと、と麗子は振り向いた星児を見つめた。
「みちるちゃんに、男が1人近付いてる」
最近の激務で少し痩せた躯に朝の光が当たる。麗子から見える横顔は、射し込む光に逆光となっている。
ほんの一瞬、動揺したかのような気配は感じたが、表情までは分からない。
良かった、逆光で顔がよく見えなくて。
麗子は胸が詰まるような息苦しさを感じた。
こんな時の星児の表情は見たくない。
「どんなヤツ?」
星児の低い声が耳に届いた。声のトーンからは、今星児が何を考えどう思うのかは分からない。
麗子には、必死に感情を殺してる、そう感じた。目を閉じ、ため息をついた麗子は静かに話し始めた。
「私は直接見てないわ。金造ちゃんから聞いたのよ」
金造とは、藤間金造という名の、年齢不祥だがこの劇場の主も言われる管理人だ。
星児がここを買い取るずっと以前から変わらず管理人として勤めている。確実に、80は過ぎてそうな好々爺だった。
のんびりしていそうだが目は鋭く、全ての踊り子の様子を把握している。
「先週、いきなりみちるちゃん宛に大きな花束を持って現れたって」
星児は、そう言えば、と思い出す。
リビングに突如として花瓶に生けられたバラの花束が出現した。
普段、部屋の配置になど無頓着で、テレビとソファーの位置が逆に変わっていても気に留めない星児が初めて保に聞いた。
『なんだ、これ』
『酷い反応だな。みちるが客からもらったんだってよ。初めてじゃないだろ、こんなの』
保は苦笑いしていたが、その薔薇の花束だけは、星児には異様な存在感を放って見えたのだ。
特別な物だ、というオーラが見えた気がしたのだ。
「で、金造じいさんは何て?」
麗子は、金造の言葉を思い出しながら慎重に話し始めた。
「育ちの良いお坊ちゃんのようだけど何も知らないウブさみたいな印象はなかったって。金造ちゃん、あれは〝政治家の目〟だって言ってたわ」
〝政治家の目〟とは、実際に政治家を志す者の目を指してはいない。抜け目のない計算高さや狡猾さを垣間見せる鋭い目の事を言っている。
「そんな男が何の為にみちるに近付いた?」
「何って」
低くく静かに聞く星児の動かない横顔に麗子の胸の鼓動が加速する。
花を贈る意味、分かるでしょう、と内心でため息を吐いた。
この先の言葉にもそんな冷静でいられるかしら? と麗子は震えそうな唇をゆっくりと動かした。
「人生の殆どをあそこで過ごした金造ちゃんは、踊り子に近付く男も、言い寄る男も、それこそ星の数程見てきてる。その金造ちゃんが言ってた。彼は、みちるちゃんと特別な関係か、もしくはその一歩手前なのかもしれないって」
星児の反応を確かめる事なく、麗子は畳み掛ける。
「余裕があったって。その証拠に、後にも先にも彼は劇場に姿を現した事はない。つまり、たった一度だけ花束を介してみちるちゃんとなんらかのコンタクトを取った。外で、会うのか、もう既に会っているのかもしれない、というのが金造ちゃんの推察」
「なるほどな」
感情を押し隠すような静かな声だった。
思案顔で動かない星児の表情を麗子は伺う。
ねぇ、星児、気になるの?
麗子は、口先まで出てきた問いを呑み込み苦しさを必死にひた隠しに微笑む。星児は肩を竦めフッと笑うと傍に来、優しいキスをした。
「悪いムシが完全にみちるを喰っちまう前に御幸に会わせてよかったな」
それだけ言うと星児は麗子にもう一度キスをし、部屋から出ていった。
はぐらかされた、みたいだけど。個人的感情ではない、って言いたかったの?
星児、ちゃんと言葉にしてくれないと不安で仕方ないの、分かる?
うつ伏せになった麗子は枕に顔を埋めた。
いっそのこと、その彼にみちるちゃんをあげてしまいなさいよ!
そう叫びたかった。
私、こんなに自分が醜いって知らなかった。
麗子は枕に顔を埋めたまま嗚咽を漏らした。
†††
事務所で書類関係の確認していた星児のデスクの直通電話が鳴った。
相手はホスト仲間だった中薗だった。
「よぉ、何か分かったか」
「ったく、お前人使い荒ぇよ。分かってはいたけどよ」
中薗が電話の向こうで笑っていた。
ホストクラブの経営者となった今もまだ接客を続ける中薗は顔が広い。その為、星児は度々彼を探偵のように使っていた。
多少の文句は言いつつも中薗は心底嫌がる様子もなく、何時でもしっかりと星児の依頼をこなしていた。
「クラブ・胡蝶の元ホステスが俺の太客の中にいた。今はブティック経営かなんかしてる。新しい情報はムリだぜ」
「ああ、かえってその方がいい。俺はあそこのママの素性が知りてぇんだ。現役の若いホステスじゃぁ、あんま分かんねーだろ。ママに年が近い古参の方がリアルな情報を持ってんだろ」
「その通りだよ、星児。世間には知られていないママの素性ってヤツを聞いた」
中薗の言葉に星児の表情が動いた。
「何が分かった?」
「ママは確かにお前の睨んだ通り、津田恵三の私生児を生んでる。でもな、お前が予測していた〝息子〟じゃねぇ」
そうか、と答えた星児の中には微かな落胆が生まれる。
やっぱな。津田恵太の母親にしちゃ、若すぎる。都合良すぎか。
「じゃあ娘ならいるのか」
この件に関しては完全に興味が薄れてしまった星児だが、話の流れ上何気なくその先を中薗に促した。
「ああ。それがさ二人もだ。年子で娘を産んでる」
「娘が、二人?」
「双子かと思うくらいそっくりな姉妹だったそうだ」
自分達にはまるっきり関係のない情報と思われたその話に、星児は妙な引っかりを覚えていた。
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