舞姫【中編】

友秋

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吐露

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 御幸家に来た二日後の朝食の席で、みちるは右京から、父の恵太と兄弟のような関係であった事を聞いた。

 両親を亡くした事故後、福祉施設にいた自分を迎えに来てくれた紳士が右京である事も知った。

『だから右京さんに会った時、懐かしい気持ちが湧いたんですね』

 ティーカップを持つみちるが、微かにくゆる湯気の向こうで柔らかに微笑んでいた。

『覚えてます。お父さんのお友達が私を迎えに来てくれたんだ、って思ったから』

 みちるの表情が崩れ、壊れそうな感情を必死に持ちこたえているように見えた。

『すまなかった。私は君を引き取れなかった。引き取る訳にはいかなかったのだ』

 君を、生き残った君を、隠さなければいけなかったから。あの男から。

 だから御幸は、東京から離れた地に住む知人に里子として引き取って貰った――筈だった。

 苦しげに話す右京にみちるは優しく首を振った。
 
『右京さんのお友達だったというおじさんは、優しかったですよ。でも……』

 みちるが中学に上がる頃、彼は急死。未亡人となった夫人が栃木の山中にある人手が足りなかった旅館にみちるを売り渡し、金を受け取り消えた。

『みちるさん、まさかそんな中学生くらいの貴女が仲居をなさって? だから、お着物を』
 
 過去を吐露するみちるの言葉を傍で一緒に聞いていたミキエが、震えそうな声で言った。みちるはその小さく頷く。

『はい。だからお着物は、自分でも着られました。でも下手でしたし、忘れてしまいました』

 みちるは言いながら、苦しそうな表情を見せるミキエを気遣うように肩を竦めて笑った。重い空気を変えようと努め、明るく話しを続ける。

『私にはちゃんと、その時その時に助けてくれる素敵な出会いを神様が与えてくださったんです。だから』

 聞けば、旅館ではみちるの姿を見るに見兼ねた仲居頭が手持ちのお金を彼女に握らせ真夜中逃してくれた、という。
 
『だから私は不幸せとかじゃないですよ。どんな時も、優しい人が傍にいたもの』




「君から彼女の名を聞いた時、まさかと思ったよ」

 辛い過去の記憶を手繰り寄せ、泣くのを必死にこらえて語ったみちるの姿が御幸の脳裏に蘇る。

 いたたまれなさに、御幸は微かに顔をしかめた。

「やっと見つけた、という感動は凄かったね。これほどの興奮は初めての経験だったね」

 星児の胸には不穏な気配が広がってゆく。

 御幸はまさか、という想いと、初めて知ったみちるの過去が、星児の中に重くのし掛かっていた。

 みちるの過去には、星児と保の過去と幾つかの共通点があった。

 突然失った大事な家族。

 迎え来てくれた大人は自分を引き取ってはくれなかった。

 そして、とある先に託された。

 しかし、その先に決定的な違いがある。

 俺には保がいて、保には俺がいて、そして麗子がいた。

 それで、何よりも俺達はあそこで人格も権利もしっかりと守られ、自由だった。でもみちるは、違った。

 星児は、みちるが最初に流れ着いたロリパブの店長だった源さんの話を思い出す。

『チーちゃんがここに来た時ね、凄く手が荒れてて。あのくらいの年の子があんな手をしてるの初めて見たから――』

 みちるは街で拾われた日、星児に言った。

『イヤ! あそこにはもう帰りたくない!』

 年齢を偽り、必死に訴えていた。

 星児は握りしめていた拳により一層の力を込め、奥歯を噛み締める。何処かに力を込めなければ、潰されてしまいそうだった。

 その時、コトン、と御幸が猪口を卓に置いた音が静寂に包まれる座敷に響いた。

 しかしね、と御幸は静かに口を開く。

「彼女の口からはひと言も恨み言は出て来なかったよ」

 星児は顔を上げ御幸を見た。

「自分の事を、不幸、とまで言わなくとも、せめて、辛かった、大変だった、くらいの事を言ってくれれば、と思ったね。意地らしい姿は、かえってこちらを苦しめる」

 星児は卓の上にあった、酒が並々注がれた猪口を乱暴に取り上げ、グイッと飲み干す。

 そう。〝不遇〟を自らのアピールパーツとして装飾品に出来るくらいの人間は強いのだ。しかし、そんな〝器量〟はみちるには無かった。

「みちるはあんま賢くはねぇ、というか、言い方変えれば不器用なんだよ」

 御幸は「そうだね」と小さく笑った。燗を持ち、星児の空になった猪口に酒を注ぎながら、本当はと話しを続ける。

「もう彼女は君には返さない事も考えた。しかし、少しばかり状況が変わってね」
「状況?」

 星児が眉根を寄せた。

「長くこちらに置いておくのはよろしくない問題が幾つか発生した。早く、そちらに帰して〝津田〟の人間と関わらないようにさせたい、とだけ言っておこう。

 何か物が挟まったような歯切れの悪い物言いだった。星児は怪訝な表情を見せが御幸は、それに、と続ける。

「彼女の、君に対する〝誤解〟と〝猜疑心〟をそのままにはしておけないからね」

 星児がハッと息を呑んだ。
 
「君はそのままで良いと思っているのかもしれないし、私もその〝誤解〟を君の為に解こうとは思っている訳ではない。全て、彼女の為だ」
「みちるの為……」
「そう。彼女はずっと人の優しさを信じる事だけを糧に生きてきた。
それが初めて、心の底から信じた人間に裏切られたのかもしれない、という迷いと闘っている。
つまり、信じた者に対する猜疑心という迷宮で出口を探してさ迷っている。
彼女をそこから出してあげなければいけないだろう」

 みちるが幸せになる道がそこにあるのなら、いっそ誤解されたままでいい、そう思っていた筈だったのに。

 星児は心の中で苦笑いする。

 御幸の今の言葉に、俺は心の何処かでホッとしてやがる。

 猪口を手にした御幸が上目遣いで星児を見、クスリと笑った。

「君は本当は女性を手玉に取る側の男だろう?」

 幾多もの意味が込められたようなひと言と、含み笑い。星児はフンと視線を剃らし返事はしなかった。

 星児の様子に御幸は余裕の笑みを見せながらもう一つの話題を切り出した。
 
「みちるの〝水揚げ〟を私が引き受けよう」

 星児が目を見開いた。御幸の言葉が星児の心に真っ直ぐに深く斬り込まれた。

「勿論、彼女と話しをした上で、だがね」
「当然だ。最初に言ったとおり、みちるが嫌だと言えばこの話は無しだ」

 気を抜けば、震え掠れそうな声。星児は、自分から申し出た用件であったのに何故動揺する、と自身を叱咤する。

「分かっている。だから、彼女と話しをすると言ったのだ。それから、君に以前話した話をもう少し詳しくしよう」

 眉根を寄せた星児の視線を真っ直ぐに受け、御幸は静かに話しを始めた。

「私はたった1人の芸妓の〝身請け〟しかしていないという話だ」

 星児は、ああ、という顔をした。

姫扇ひめおうという素晴らしい舞いを披露する芸妓だった。後にも先にも私が愛した女性は彼女だけだ。彼女の身請けをした後は茶屋遊びも一切していない」

 星児が微かに腰を浮かせた。

 実際にはたった一人の芸妓の身請けをしていないのに拡がった噂。

〝御幸右京はお茶屋遊びが好きで、幾人かの芸舞妓の身請けをしている〟

 そんな噂が立つくらいの色男。

 御幸は星児に意味深な笑みを見せひと言付け加えた。

「実際に私はお茶屋遊びが好きな男だったのでね」

 星児は肩を竦めハンッと笑った。

「今はそんな澄ましてんけど、かなりの遊び人だったんだろ、アンタは」

「お茶屋遊びが好きだっただけだ」と猪口を持ったまま御幸がハハハと笑った。

 御幸が初めて見せた相好を崩した。

「君は不思議な男だ。どんな男を相手にしても、自分のスタンスを貫けるのだろう」

 そういう星の元に生まれた男なんだろう。

 星児は「さあな」とだけ答え、タバコを取り出した。

 御幸は「それともう一つ」と話しを切り出した。星児はタバコを口にくわえ、御幸を見た。
 
「みちるはまだ、自身の素性は知らない。私が彼女の父の従弟である事を話してはいないのだ。話せば自ずと分かる事もあるのでね」

 星児はくわえたタバコに火を点けようとライターを持っていたが、そのまま固まる。

 自ずと分かる、みちるの素性?

 これ以上に何か出てくるというのか?

「話す時期はいずれ来る。その時に話せば良い。それよりも、君に約束して欲しい事がある」

 星児はくわえていたタバコを口から外し、御幸が低い声で言ったその言葉を聞いていた。


「みちるを必ず守って欲しい」


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