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追憶
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小さな駅舎がある無人駅の周辺は草原のみが拡がる。北国の空は、ひと足早い秋の終わりを告げる鈍色に覆われていた。
強く吹き抜ける潮風が草原の高く伸びた草を揺らす。聞こえる音と言えば岩壁に打ち付ける荒い波の音と、その草原の草が風に鳴く音だけだ。
一両編成のディーゼルカーが独特なエンジン音を辺りに響かせながら走り去って行くと、ここは波音と風音のみの世界となった。
ハンチング帽を目深に被り小さめのボストンバッグを一つ持った男が一人、ひと気のないホームに立っていた。
マッチ箱のような駅舎に入った彼は黄色の古い公衆電話を見つけ、受話器を取った。
小銭を入れ、ダイヤルを回すと少しして、ガチャンという音と共に相手の声が耳に届いた。
「ああ、慎ちゃんか。例の、今確かに受け取ったよ。ありがとな、恩に着る」
相変わらず憎たらしいくらいにふてぶてしい声だった。
「上手く使ってくれよな。俺の人生の半分以上と引き換えで手にしたんだからな」
「分かってるよ」
一息置いた後のひと言は、あの日少年だった彼を彷彿とさせる、素直な声だった。
「あのさ、俺達は慎ちゃんに……ずっと傍にいて欲しいんだよ――」
電話を切った安永慎二は駅舎を出た。
先には荒い波が打ち寄せる暗い北の海が広がる。慎二の脳裏には、あの日の光景がつい昨日の事のように鮮明に残っていた。
†
20年前のあの日。大阪にいた慎二はその火事をたまたま観たニュースで知った。
ほんの数秒の小さなニュース。しかし、直ぐに分かった。
故郷が燃えている!
皆は無事なのか!
取るものも取りあえず長崎に飛んで来、故郷の変わり果てた景色に愕然とした慎二だったが、違和感と不自然さに戸惑った。
新聞もニュースも故郷のあの集落の事を一切伝えないのだ。
集落へ通じるたった一本の道は土砂と倒木により、潰されいた。
家族との連絡も取れず、何がなんだか分からないまま慎二は山の麓周辺を当たった。
警察、消防、役所。しかし、何処にも誰もいなかった。
火は、二日後に降った雨で鎮火したが、まだ燻り続けていた。そんな中だった。
「星児、たもっちゃん――!」
彼等を見つけたのは、山向こう、反対側の街の警察だった。
寸暇も惜しんで誰か生き残りは、と探し続けていた慎二は、これで最後だ、と駆け込んだ山向こうの警察署で星児と保を見つけたのだ。
「山の麓のバス停でうずくまっているのを今朝村人が見つけましてね。何処から来たのかは言わないんで、どうしたものかと思っていました」
穏やかそうな年配の警察官が慎二に説明した。
焼け出されたと思われる星児と保だったが、特に火傷を負った様子も煤を被った黒ずみも見られなかった。
雨に相当濡れたのだろう。小さな身体を寄せ合い1枚の毛布にくるまって震えていた。
あの集落からここまで歩いたのか。道が無いだろ。子供の足じゃーー、
慎二は星児と保の足元に視線を落として息を呑んだ。
服は泥だらけで靴はボロボロになっていた。慎二は幼い彼等のその姿に胸が締め付けられそうになった。
涙一杯の目をした保が、わあぁっ、と泣き出し慎二に飛び付いて来た。
「しんちゃん――!」
「たもっちゃん……っ」
慎二は小さな身体を抱き締めた。泣き止まない保の背中を優しく撫で。星児を見た。
星児は唇を噛み締めてそこに立っていた。泣くまいと必死に堪えているのだ。
ここまでずっと保を守り、時には奮い立たせてきた事を、慎二は察した。
「星児、よく頑張って堪えたな」
星児の頭をそっと撫でた。
どんなに耐えてたとはいえ、まだ九歳の子供だった。慎二の優しい手に触れた瞬間、保同様、星児は声を上げて泣き出した。
慎二は、よしよし、と二人を同じように抱き締めた。
「良かった、家族の方がみえて」
傍にいた警官の言葉に安永が「いや僕は家族では……」と言いかけた時だった。
二人が服を引っ張った。彼等を見ると、小さく首を横に振り、何かを目で訴えていた。
何だ? 一瞬怪訝に思った慎二だったがすぐに何か勘づいた。
「ええ、すみません、弟達がお世話になりました」
詐欺師をしてきた慎二にとって、でたらめな事をもっともらしくベラベラと述べ立てるのは朝飯前である。
適当にごまかし、星児と保を引き取り、警察署を後にした。
慎二はこの時、詐欺の罪で執行猶予期間中だった。
保護観察として面倒を見てくれていた女性に訳を話してここへ来ていたのだ。
この子達は、連れては帰れない。
疲れた頭をフル回転させ、彼は離島の教会で牧師をしている高校時代からの友人に頼る事にした。
ずっと自分の身を案じてくれていた友人だった。アイツならと藁をも掴む気持ちで連絡をした。
突飛な願い出をした慎二に、牧師である友人は二つ返事とはいかないまでも、とりあえず連れて来てみなよ、と電話口で言った。
「君達の事は明日、知り合いに相談しに行く。とりあえず今日は連絡船のターミナル近くの旅館にでも泊まろう」
電話を切った慎二は、星児と保に優しく言った。
強く吹き抜ける潮風が草原の高く伸びた草を揺らす。聞こえる音と言えば岩壁に打ち付ける荒い波の音と、その草原の草が風に鳴く音だけだ。
一両編成のディーゼルカーが独特なエンジン音を辺りに響かせながら走り去って行くと、ここは波音と風音のみの世界となった。
ハンチング帽を目深に被り小さめのボストンバッグを一つ持った男が一人、ひと気のないホームに立っていた。
マッチ箱のような駅舎に入った彼は黄色の古い公衆電話を見つけ、受話器を取った。
小銭を入れ、ダイヤルを回すと少しして、ガチャンという音と共に相手の声が耳に届いた。
「ああ、慎ちゃんか。例の、今確かに受け取ったよ。ありがとな、恩に着る」
相変わらず憎たらしいくらいにふてぶてしい声だった。
「上手く使ってくれよな。俺の人生の半分以上と引き換えで手にしたんだからな」
「分かってるよ」
一息置いた後のひと言は、あの日少年だった彼を彷彿とさせる、素直な声だった。
「あのさ、俺達は慎ちゃんに……ずっと傍にいて欲しいんだよ――」
電話を切った安永慎二は駅舎を出た。
先には荒い波が打ち寄せる暗い北の海が広がる。慎二の脳裏には、あの日の光景がつい昨日の事のように鮮明に残っていた。
†
20年前のあの日。大阪にいた慎二はその火事をたまたま観たニュースで知った。
ほんの数秒の小さなニュース。しかし、直ぐに分かった。
故郷が燃えている!
皆は無事なのか!
取るものも取りあえず長崎に飛んで来、故郷の変わり果てた景色に愕然とした慎二だったが、違和感と不自然さに戸惑った。
新聞もニュースも故郷のあの集落の事を一切伝えないのだ。
集落へ通じるたった一本の道は土砂と倒木により、潰されいた。
家族との連絡も取れず、何がなんだか分からないまま慎二は山の麓周辺を当たった。
警察、消防、役所。しかし、何処にも誰もいなかった。
火は、二日後に降った雨で鎮火したが、まだ燻り続けていた。そんな中だった。
「星児、たもっちゃん――!」
彼等を見つけたのは、山向こう、反対側の街の警察だった。
寸暇も惜しんで誰か生き残りは、と探し続けていた慎二は、これで最後だ、と駆け込んだ山向こうの警察署で星児と保を見つけたのだ。
「山の麓のバス停でうずくまっているのを今朝村人が見つけましてね。何処から来たのかは言わないんで、どうしたものかと思っていました」
穏やかそうな年配の警察官が慎二に説明した。
焼け出されたと思われる星児と保だったが、特に火傷を負った様子も煤を被った黒ずみも見られなかった。
雨に相当濡れたのだろう。小さな身体を寄せ合い1枚の毛布にくるまって震えていた。
あの集落からここまで歩いたのか。道が無いだろ。子供の足じゃーー、
慎二は星児と保の足元に視線を落として息を呑んだ。
服は泥だらけで靴はボロボロになっていた。慎二は幼い彼等のその姿に胸が締め付けられそうになった。
涙一杯の目をした保が、わあぁっ、と泣き出し慎二に飛び付いて来た。
「しんちゃん――!」
「たもっちゃん……っ」
慎二は小さな身体を抱き締めた。泣き止まない保の背中を優しく撫で。星児を見た。
星児は唇を噛み締めてそこに立っていた。泣くまいと必死に堪えているのだ。
ここまでずっと保を守り、時には奮い立たせてきた事を、慎二は察した。
「星児、よく頑張って堪えたな」
星児の頭をそっと撫でた。
どんなに耐えてたとはいえ、まだ九歳の子供だった。慎二の優しい手に触れた瞬間、保同様、星児は声を上げて泣き出した。
慎二は、よしよし、と二人を同じように抱き締めた。
「良かった、家族の方がみえて」
傍にいた警官の言葉に安永が「いや僕は家族では……」と言いかけた時だった。
二人が服を引っ張った。彼等を見ると、小さく首を横に振り、何かを目で訴えていた。
何だ? 一瞬怪訝に思った慎二だったがすぐに何か勘づいた。
「ええ、すみません、弟達がお世話になりました」
詐欺師をしてきた慎二にとって、でたらめな事をもっともらしくベラベラと述べ立てるのは朝飯前である。
適当にごまかし、星児と保を引き取り、警察署を後にした。
慎二はこの時、詐欺の罪で執行猶予期間中だった。
保護観察として面倒を見てくれていた女性に訳を話してここへ来ていたのだ。
この子達は、連れては帰れない。
疲れた頭をフル回転させ、彼は離島の教会で牧師をしている高校時代からの友人に頼る事にした。
ずっと自分の身を案じてくれていた友人だった。アイツならと藁をも掴む気持ちで連絡をした。
突飛な願い出をした慎二に、牧師である友人は二つ返事とはいかないまでも、とりあえず連れて来てみなよ、と電話口で言った。
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