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カルテ27 椿山荘2
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車で家まで迎えに来てくれて、わたしを乗せた玲さんはどこへ行くのかしら、と思ったら……護国寺にある立派な庭園を持つホテルだった。
地下駐車場へ入って行くと建物への入口近くのスペースが空いていたのでそこに車を停めた玲さんが言った。
「ああ、菊乃、少し待っていてくれ」
助手席のドアノブに手を掛けていたわたしが、え? と玲さんを見ると、玲さんはもうすでに車から降りていて、サッと前を回ってこちら側に来た。
まさか、と思っていると案の定。
「どうぞ」
玲さん、助手席のドアを開けてくれた。
思い出した。お付合いしていた時、車で出かけた時はいつもこうしてドアを開けてエスコートしてくれた。
玲さんはお父様が元外交官で外国生活が長い。玲さんはこういう所作を自然に身に着けたんだと思う。
差し出された手に自分の手を乗せ、玲さんに促されて車から降りた。
エレベーターで地上に出ると、華やかな服装の若い女性達で賑わい、豪華なシャンデリアと大理石の広いフロアは花が咲いたようだった。
スーツ姿の男性たちの姿もその中に混じっている。
ここはホテル、というより少しばかり格式の高い結婚式場として有名だ。
今日は祝日だから、結婚式があったのね。
結婚式、というワードにふっと胸が重くなった。
玲さんとあのまま結婚していたら?
そんな事を考えていたわたしの肩を、玲さんがそっと抱いた。
「庭に出てみないか」
「庭?」
玲さんに促されてフロアの奥へと視線を向けると大きなガラス窓の向こうに緑豊かな立派な庭園が拡がっていた。
「春頃、ドイツから来た客をここに泊めて、庭を案内したんだ。その時中々好評だったんだよ。それで今日、菊乃をどこに連れて行こうか、と考えた時に真っ先にここを思い出したんだ」
建物から庭に出る場所が少し勾配のある石段になっていて、玲さんはさり気なくわたしの手を取ってくれだ。
ゆっくりと庭を眺めながら下りていく。
「素敵な庭園。ここの事は聞いてはいたけど、初めて来た」
「そうだな、いわゆる庭園としての観光で来る場所ではないからな」
「そうよ、だってここ、結婚式場だもの」
「君には縁のない場所か」
「一言余計」
玲さん、ハハハと笑った。
どちらにしても、とわたしは思う。
結婚目前までいっていたわたしと玲さん。結婚式の計画を立ててはいたけれど、海外挙式の予定だったから、都内、国内の式場を見たことはなかったものね。
少し平らな場所に出ても、玲さんはわたしの手を離さなかった。
無理に離したり振り払うなんて出来ない。妙な緊張でどきどきする胸を抱えて少し前を行く玲さんの背中を見ていた。
今日の玲さんは、いつも見るスーツ姿ではなくて、半そでのカラーシャツに少しばかりラフなズボンを合わせて、夏のオフスタイル。
背が高くて、足が長いからどんな格好をしても似合うのだけど、玲さんの着ているお召し物はすべて、いつだって、その洗練されたデザイン、ラインの美しさからいいものであることが分かる。
わたし、こんな人と結婚するかもしれなかったんだ。
今、どこかホッとしている自分がいる。
わたしは、どのみち玲さんとは一緒にはなれなかったと思う。
生きてきた世界も、これから生きる世界も違う人、なのかもしれない。
胸にはっきりとそんな想いが浮かんで、繋がれた手を離そうとして顔を上げると。
「菊乃、ほら」
夏の日差しの下、涼を感じさせる風が吹いて、頬を撫でた。池が目の前に広がっていた。
「あ、鯉」
立派な錦鯉が悠々と泳ぐ池。そこに流れ込む水を運ぶ川のせせらぎが辺り一帯に涼を与えてくれていた。
「都内ってことを忘れちゃいそう。ここは都会のオアシスみたい」
顔を上げたわたしに、玲さんは優しく笑った。
「ここは、蛍が見られることでも有名なんだ。もう少し前だったら、菊乃に蛍を見せてやれたな」
「そうなの、残念……あら、でも蛍は夜じゃないと見られないじゃない」
「その時はここに泊まればいい。一緒に」
「玲さんたら。冗談ばかり」
ハハハと笑う玲さんに苦笑いしてしまう。
巧くかわして笑いに変えるような気の利いた返しが出来ない。
まだドキドキしている。
玲さんの気持ち、どこまで本気か、わたし分からない。
黙り込んでしまったわたしに玲さん、クスリと笑った。
「蛍は、宵の口で見られる。
お泊りを心配するほどの事はない」
わたしは思わず。
「あ」
間抜けな声を出してしまった。
やだ、何を先走ってたんだろう。
玲さんが、クスクスと笑っている。
わたしの体温が、急激に上がる。
「笑わないで」
「いや、菊乃がそこまで考えてくれたんなら、僕は構わない、と思って」
「考えてません!」
アハハと笑った玲さんの手を振りほどいて、肩を叩こうとしたら、手首をぐっと掴まれてしまった。
「怒るなって」
「怒ってないわ。
ちょっと、恥ずかしかっただけよ」
俯いてしまったわたしの手は、また玲さんに握られてしまった。
寄り添おうと近づいて来る心からわたしは逃げなければいけないのに。
捕まえられてしまいそうだった。
わたしの心は、ここにはない筈なのに。
わたしはどうしてこんなところに、玲さんといるの。
緒方君……、どうして連絡くれないの。
どうして、昨夜のこと何も言ってきてくれないの。
脳裏をフッと過った愛しい人の姿に胸の中のわたしが手を伸ばしていた。
でも、直ぐにその人は消えてしまう。
そうだ、久しぶりに会えて嬉しかったくせに、逃げたのはわたしだった。
切なさに涙が出そうになった時だった。
「菊乃」
呼ばれて顔を上げると。
「ほら」
玲さんが、見てごらん、と目で合図して前方に視線を向けた。
指された方を見ると、白無垢打掛姿の花嫁さんと袴姿の花婿さんが美しい庭園をバックに並んで写真撮影をしていた。
花嫁さんの傍には、日傘をかざす介添え人さんがいて、細やかに世話をしている。
まるで、映画のワンシーンのよう。
容赦のない真夏の日差しの下でも、花嫁さんと花婿さんは幸せそうに微笑み合い、会話を交わす。
これが、夫婦の1ページ目なのね。
当たり前の事なのかもしれないけれど、今まで友人の結婚式に何度も招待されて見てきたシーンだけれど、とても新鮮な気持ちになった。
まったく知らない二人の節目の場面に立ち合えたからかしら。
最近のわたしは終焉を迎えようとしている夫婦ばかりを見ているからかもしれない。
写真撮影を終えてゆっくりと建物の中へ引き上げていく婚礼行列を見つめるわたしの手を握っていた玲さんの手に、少し力が込められた気がした。
「玲さん?」
玲さんは、花嫁さんと花婿さんの一行を見つめたまま動かない。
何を、考えているの?
そう言えば、玲さんだって本当ならもう結婚していてもいい人なのよね。
わたしが顔を俯けてしまうと。
「菊乃」
柔らかな声が降ってきた。
「食事、まだだろう?」
顔を上げると、ふわっと微笑む笑顔があった。
地下駐車場へ入って行くと建物への入口近くのスペースが空いていたのでそこに車を停めた玲さんが言った。
「ああ、菊乃、少し待っていてくれ」
助手席のドアノブに手を掛けていたわたしが、え? と玲さんを見ると、玲さんはもうすでに車から降りていて、サッと前を回ってこちら側に来た。
まさか、と思っていると案の定。
「どうぞ」
玲さん、助手席のドアを開けてくれた。
思い出した。お付合いしていた時、車で出かけた時はいつもこうしてドアを開けてエスコートしてくれた。
玲さんはお父様が元外交官で外国生活が長い。玲さんはこういう所作を自然に身に着けたんだと思う。
差し出された手に自分の手を乗せ、玲さんに促されて車から降りた。
エレベーターで地上に出ると、華やかな服装の若い女性達で賑わい、豪華なシャンデリアと大理石の広いフロアは花が咲いたようだった。
スーツ姿の男性たちの姿もその中に混じっている。
ここはホテル、というより少しばかり格式の高い結婚式場として有名だ。
今日は祝日だから、結婚式があったのね。
結婚式、というワードにふっと胸が重くなった。
玲さんとあのまま結婚していたら?
そんな事を考えていたわたしの肩を、玲さんがそっと抱いた。
「庭に出てみないか」
「庭?」
玲さんに促されてフロアの奥へと視線を向けると大きなガラス窓の向こうに緑豊かな立派な庭園が拡がっていた。
「春頃、ドイツから来た客をここに泊めて、庭を案内したんだ。その時中々好評だったんだよ。それで今日、菊乃をどこに連れて行こうか、と考えた時に真っ先にここを思い出したんだ」
建物から庭に出る場所が少し勾配のある石段になっていて、玲さんはさり気なくわたしの手を取ってくれだ。
ゆっくりと庭を眺めながら下りていく。
「素敵な庭園。ここの事は聞いてはいたけど、初めて来た」
「そうだな、いわゆる庭園としての観光で来る場所ではないからな」
「そうよ、だってここ、結婚式場だもの」
「君には縁のない場所か」
「一言余計」
玲さん、ハハハと笑った。
どちらにしても、とわたしは思う。
結婚目前までいっていたわたしと玲さん。結婚式の計画を立ててはいたけれど、海外挙式の予定だったから、都内、国内の式場を見たことはなかったものね。
少し平らな場所に出ても、玲さんはわたしの手を離さなかった。
無理に離したり振り払うなんて出来ない。妙な緊張でどきどきする胸を抱えて少し前を行く玲さんの背中を見ていた。
今日の玲さんは、いつも見るスーツ姿ではなくて、半そでのカラーシャツに少しばかりラフなズボンを合わせて、夏のオフスタイル。
背が高くて、足が長いからどんな格好をしても似合うのだけど、玲さんの着ているお召し物はすべて、いつだって、その洗練されたデザイン、ラインの美しさからいいものであることが分かる。
わたし、こんな人と結婚するかもしれなかったんだ。
今、どこかホッとしている自分がいる。
わたしは、どのみち玲さんとは一緒にはなれなかったと思う。
生きてきた世界も、これから生きる世界も違う人、なのかもしれない。
胸にはっきりとそんな想いが浮かんで、繋がれた手を離そうとして顔を上げると。
「菊乃、ほら」
夏の日差しの下、涼を感じさせる風が吹いて、頬を撫でた。池が目の前に広がっていた。
「あ、鯉」
立派な錦鯉が悠々と泳ぐ池。そこに流れ込む水を運ぶ川のせせらぎが辺り一帯に涼を与えてくれていた。
「都内ってことを忘れちゃいそう。ここは都会のオアシスみたい」
顔を上げたわたしに、玲さんは優しく笑った。
「ここは、蛍が見られることでも有名なんだ。もう少し前だったら、菊乃に蛍を見せてやれたな」
「そうなの、残念……あら、でも蛍は夜じゃないと見られないじゃない」
「その時はここに泊まればいい。一緒に」
「玲さんたら。冗談ばかり」
ハハハと笑う玲さんに苦笑いしてしまう。
巧くかわして笑いに変えるような気の利いた返しが出来ない。
まだドキドキしている。
玲さんの気持ち、どこまで本気か、わたし分からない。
黙り込んでしまったわたしに玲さん、クスリと笑った。
「蛍は、宵の口で見られる。
お泊りを心配するほどの事はない」
わたしは思わず。
「あ」
間抜けな声を出してしまった。
やだ、何を先走ってたんだろう。
玲さんが、クスクスと笑っている。
わたしの体温が、急激に上がる。
「笑わないで」
「いや、菊乃がそこまで考えてくれたんなら、僕は構わない、と思って」
「考えてません!」
アハハと笑った玲さんの手を振りほどいて、肩を叩こうとしたら、手首をぐっと掴まれてしまった。
「怒るなって」
「怒ってないわ。
ちょっと、恥ずかしかっただけよ」
俯いてしまったわたしの手は、また玲さんに握られてしまった。
寄り添おうと近づいて来る心からわたしは逃げなければいけないのに。
捕まえられてしまいそうだった。
わたしの心は、ここにはない筈なのに。
わたしはどうしてこんなところに、玲さんといるの。
緒方君……、どうして連絡くれないの。
どうして、昨夜のこと何も言ってきてくれないの。
脳裏をフッと過った愛しい人の姿に胸の中のわたしが手を伸ばしていた。
でも、直ぐにその人は消えてしまう。
そうだ、久しぶりに会えて嬉しかったくせに、逃げたのはわたしだった。
切なさに涙が出そうになった時だった。
「菊乃」
呼ばれて顔を上げると。
「ほら」
玲さんが、見てごらん、と目で合図して前方に視線を向けた。
指された方を見ると、白無垢打掛姿の花嫁さんと袴姿の花婿さんが美しい庭園をバックに並んで写真撮影をしていた。
花嫁さんの傍には、日傘をかざす介添え人さんがいて、細やかに世話をしている。
まるで、映画のワンシーンのよう。
容赦のない真夏の日差しの下でも、花嫁さんと花婿さんは幸せそうに微笑み合い、会話を交わす。
これが、夫婦の1ページ目なのね。
当たり前の事なのかもしれないけれど、今まで友人の結婚式に何度も招待されて見てきたシーンだけれど、とても新鮮な気持ちになった。
まったく知らない二人の節目の場面に立ち合えたからかしら。
最近のわたしは終焉を迎えようとしている夫婦ばかりを見ているからかもしれない。
写真撮影を終えてゆっくりと建物の中へ引き上げていく婚礼行列を見つめるわたしの手を握っていた玲さんの手に、少し力が込められた気がした。
「玲さん?」
玲さんは、花嫁さんと花婿さんの一行を見つめたまま動かない。
何を、考えているの?
そう言えば、玲さんだって本当ならもう結婚していてもいい人なのよね。
わたしが顔を俯けてしまうと。
「菊乃」
柔らかな声が降ってきた。
「食事、まだだろう?」
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