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カルテ25 ショックの種は思わぬとこから

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 人って、男も女も意中の異性の気を引くために面白い話題をしようと必死になるもの。

 それは、分かる。

 でもね、マスターはそういった事の為に口を滑らせるような人と思っていなかった。





 それはいきなりだった。

「菊乃、明日の夜は予定空けておきなさいね」

 仕事を終えて、帰り支度をしていた時だった。

「明日の夜? なんですかいきなり」

 蓉子先生からの、ほぼ強制的な明日のお約束に面食らう。

 空いてはいるけれど、いつもながらのこの命令形。要件によっては拒否権発動させていただきます。

 警戒色丸出しの表情を浮かべるわたしに先生は、フフフと笑った。

「私の師匠である染谷先生の傘寿のお祝いパーティーが帝国ホテルであるのよ。
そこにあなたを連れて行くから」

 えええ!? そんな急に!

「あら、よかったじゃないのー、菊乃ちゃん、パーティー!」

 このみさん、盛り上がってらっしゃるところ申し訳ないのだけれども。

「そんな、急に言われても、正式な場で着るようなカクテルドレス、わたし持っていませんし……」

 それは心配無用よ! と蓉子先生。

「私がいくらでも持っているから貸してあげる、ううん、もう若すぎて着られないドレス、あなたにあげるわ。これから着る機会、あるでしょうから」




 そんな事を経て、蓉子先生にドレスを頂いたわけだけれども、これが恥ずかしくなるくらいセクシーなものだった。

 美しい光沢放つシルクのドレスは、パーティー会場の人混みの中でもひと際目を引くような鮮やかなボルドー。

 シルク素材のスリムなドレスは身体のラインを綺麗に見せてくれていたけれど、背中が大きく空いていた。

 こんなの、着たことない。

 気恥ずかしさに、隅っこで小さくなっていたわたしのところにシャンパングラスを持った蓉子先生がやってきた。

「菊乃、似合うじゃないー!」

 はしゃぐ蓉子先生を上目遣いで見てしまう。

「こんなの、わたし恥ずかしいんですけど……」

 何言ってるの、とカラカラと笑う蓉子先生なんて、胸元までガバッと開いている。目のやり場に困るくらいセクシーなドレスだった。

「菊乃はおっぱいも大きいんだから、もっとお色気強調路線で行かなきゃダメよ。私より若いんだから!」

 いえ、もう……蓉子先生のがわたしより若いです。それよりなにより、お色気路線って何ですか。

 思わず苦笑いしてしまったわたしの手を、蓉子先生が掴んだ。

「菊乃、あなたみたいな若い子が壁の花みたいになっていてどうするの! ほら、先生に紹介するからいらっしゃい!」
「ええっ!」

 拒否する暇もなく、蓉子先生に手を引かれて沢山の人に囲まれた白髪の老紳士が、にこやかに話しをしている会場の中程まで連れて行かれた。

 老紳士は、今夜の主役である蓉子先生の師匠、染谷先生。

 蓉子先生の紹介を受けてご挨拶をすると、染谷先生は微笑みかけてくださった。

「蓉子から聞いているよ、とても有望な弁護士だ、とね。がんばりなさい」
「ありがとうございます」

 恭しく頭を下げたわたしに染谷先生が、楽しそうに笑った。

「そうだ、君に合いそうな人がいるよ。
この会がご縁となってくれたら嬉しいね」

 わたしに合いそうな人?

 蓉子先生を見ると、蓉子先生、意味深な笑みでウインク。

 嫌な予感。そう思った次の瞬間。

 会場を見渡していた染谷先生のお顔が一点で止まり、手を挙げた。

「手塚君、ちょっとこちらに来てくれないかー」





 この場にいる手塚先生、と言えば彼以外には恐らくいない。

 染谷先生がその名前を呼んだ瞬間、ああ蓉子先生の今夜の目的はこれだったのね、と一瞬で悟った訳なのだけど。

 ワイングラスを片手に持った長身男性がこちらに来るのを見て、ああやっぱり、と思った。

「菊乃……」

 三揃いのスーツ姿はまるでファッション雑誌に載るモデルのよう。

 ちょっと冷たい印象を与える切れ長の目に見つめられてドキッとして、思わず視線を逸らして会釈した。

「久しぶり」

 玲さんの、フッという笑い声が耳から滑り込む。

「まさかこんなところで会えるとはね」

 その言葉、そっくりそのままお返しします。

 心の中で呟いていると。

「なんだ、紹介するまでもなかったのかね」

 染谷先生が驚いたように言った。顔を上げたわたしが「それは……」と言いかけると玲さんが遮った。

「ええ、ちょっとした知り合いなんですよ」

 元婚約者を捕まえて〝ちょっとした〟もあったものではないでしょう?

 玲さんはこの世界ではちょっとした有名人だったけれど、わたしは殆ど知られていない。だから、玲さんが以前婚約していたことは知られていても、相手が誰だったか、なんて知っている人はごくわずかだったのだと思う。

 玲さんがこれから様々な場にわたしを連れて行って紹介しようとしていた矢先、わたし自身があんな〝騒ぎ〟を起こして、結果、婚約破棄という運びになった。

だから、わたしの事など知っている人は少ない。染谷先生がわたし達の関係を知らないのも当然の事。

 わたし達の関係をお教えする事になったら、自ずとわたしが〝やらかした〟過去を話す流れにもなりかねないから、玲さんは〝ちょっとした〟と言ってごまかしたのだろう。

 胸がちょっと痛くなった時、染谷先生がにこやかに微笑まれて言った。

「では尚の事、好都合ではないかね。
ぜひ、二人で楽しい時を過ごしてくれだまえ」

 染谷先生はハッハッハと笑い、蓉子先生の腰に手を添えて去って行った。

 別れ際、蓉子先生はわたしに囁いた。

「手塚先生とちゃーんと、お話ししなさい。この間の件、お礼言ってないんでしょう?」
「この間の件!?」

 マスター! 全部、喋ったのね!

「それに、例の彼、うまくいっていなそうじゃない。今夜は乗り換えのチャンスよ!」
「蓉子せんせい!」

 なんてこと言うんですか!

 思わず声を上げたわたしに蓉子先生はウインクをして、染谷先生に腰を抱かれたまま、楽しそうに去って行った。

 ああもう、と肩を竦めたわたしに玲さんが、クックと笑っていた。

 近くを通りかかったボーイのトレイからスマートな仕草でワイングラスを取ると、それをわたしに渡してくれた玲さん。





 そういえば、玲さんはこういう場所とても慣れている。

「ありがとう」

 差し出されたグラスを受け取ろうとしたら、玲さん、わたしの耳元に顔を寄せて囁いた。

「菊乃、よく似合っている。綺麗だよ」

 鼻先を懐かしいフレグランスがふわっと掠めて胸が胸が、ギュッと痛くなる。フルッと震え、首を竦めた。

 少し前に呑んだシャンパンと、ワインの香りが溶け合って悪酔いしそう。

 危険だよ。

 意識の深淵から声が聞こえ、さり気なく少しだけ離れた。

 微笑んで見上げる。

「そう? ありがとう、お世辞でも嬉しい」

 玲さん、フッと笑った。

「僕が無駄な世辞を言わない事は菊乃が一番知っている筈だけどな」

 わたしは黙って肩を竦めてみせて、グラスに口を付けた。玲さんのペースに呑み込まれないようにしないと。

「僕と一緒の時はそんな恰好をしてみせたことはなかったな」
「これは蓉子先生にさせられたのよ」
「そうか」

 ワインを呑みながら玲さん、クックと笑って、流し目。口の端を上げる意味深な笑みを浮かべた。

 ドキッとする。な、なに?

「あの頃より綺麗になったな」

 え?

 玲さんの目が真っ直ぐにわたしを捉えていた。いつにない真剣な瞳の色に、わたしは視線を外せずに固まっていた。

「柔らかさと色気が加わった」

 玲さんの美しい切れ長の目が放つ色気と芳香にクラッとしそう。

 後ずさりしそうになった時、玲さんの人差し指がわたしの顎に掛けられた。しなやかな仕草に動きを封じ込まれてしまった。

「菊乃」

 どうしよう、こんなところで、キスをされる!?

 焦りと羞恥と慄きとが入り混じって固唾を呑んだ時、玲さんがクッと笑った。

 え、なに?

「今、いい男がいるんだろう」

 な、なにを玲さんは!

 我に返ったわたしは顔のところにあった玲さんの手を払いのけた。

「どうして玲さんがそのことを――」
「例のクライアントから聞いたんだよ」

 例の、クライアント……ああ! 蓮さんと恵果さん⁈

「二人が一緒に挨拶に来てくれてね。菊乃がどんな解決方法を取ったのか気になったから、ちょっと聞いてみたんだ。そうしたら、彼らはちゃんと正直に話してくれた」

 何故、わたしの周りにはお喋りな人が多いの⁈

 微笑を浮かべる玲さんに、眉根を寄せて、恐々聞いた。

「蓮さん達は、どこまで……玲さんにお話ししたの?」

 玲さんはクスリと笑って肩を竦めた。夜景の見える窓際の、カウンターになっている席を指して言った。

「少し話さないか」

 何を話すの?

 警戒したものの、聞き出したい気持ちの方が勝ってしまった。わたしは頷いて、玲さんに従った。


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