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喫煙室と中庭 side遼太
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喫煙室から見える中庭の桜。この時期は葉が落ちて、みんな枝のみの枯れ木のようだ。
けど、そのおかげで中庭に死角が消えて、見通しが良くなってこちらとしては実に都合が良い。
くわえたタバコに火を点けた時、パタパタと中庭に出てきたひよりがこっちを見上げた。
口を大きく動かして、手を振ってる。ひよの口の動きから察するに、
〝りょ・う・ちゃ・ん〟
だな。
俺は煙に目を細めながら手を振り返した。
喫煙室は職員室の隣にあるのだが、その職員室が中庭の真上にあること、ひよりは教えてやるまで知らなかった。
どうも、校舎の見取り図を未だ把握できていないらしい。
興味がないのか。ただ、覚えられないのか……。
時々迷子になっている一年生がいる、と巷で噂になっている。
確かに、近代的と言える大きな校舎が自慢の学校ではあるが……学校で迷子とか、方向音痴もここまでくると見事としかいいようがない。
本当に、大丈夫かアイツ、と心底心配になる。
危なっかしい事この上ないひよを放置するみたいな形で俺、家を出ちまった事、少し後悔している。
危なっかしい。これは色んな意味で。
今ひよから離れて大丈夫だったのか?
多分、ひよには分からないであろう複雑な想いに悶々としながらくわえタバコで中庭を眺めていると。
ひよが小さな子猫を抱き上げ、持ち上げると俺に見せた。
かわいいでしょ、と言ってる。
ネコが?
ひよが?
俺的には、後者なんだけど。
思わず弛む頬を必死に保ち、とりあえず頷いてやる。
で、ひよは。満足そうにネコに頬ずりすると、他のネコとも戯れ始めた。
新学期始まって一週間は松葉杖が離せなかったひよ。
しばらくはひまりさんに車で送り迎えしてもらっていたけど、今週に入ってようやく普通に歩けようになった。
走ったりはまだ出来ないから、体育なんかは休んでいるみたいだが、とりあえずは一安心ということだ。
俺は、タバコくわえてスラックスのポケットに手を突っ込んでひよを眺めて目を細めた。
中庭や喫煙室が誰もいない間の、束の間のひよと俺の時間。
ひよは、ネコが何か面白いことをすれば、俺の方を向いてそれを指さして笑って、俺も一緒に笑う。
直接触れるどころか会う事すら難しくなって、言葉を交わすことも出来なくなった今、俺達にとって昼休みのこの時間は本当に貴重な、大事な時間になってしまった。
大晦日から元旦にかけてのひよとの時間。
無防備にくうくう寝てるひよを前にして、俺がどんだけ我慢したか、ひよは分かんないだろうな。
ひよと朝まで一緒にいたのは――ガキの頃はしょっちゅう泊まりにきて、俺の布団にもぐり込んで来たりしてはいたが――こんな関係になってからは初めてだ。
かわいい寝顔が、たまらなく愛しかった。けどここで、離れ離れになるからと言って一線を越えてしまったら、ここぞという時に後ろめたい気持ちになってしまうと思うんだ。
一番の要因は、兎にも角にも、ケンさんへの意地。
だから、眠るひよに、キスだけで踏みとどまった。
辛いな。あと、どんだけ我慢しなけりゃいけないんだ、なんて考え始めてしまうと、ため息が出る。
そのうち、高橋がやって来て、ひよと何か話し始めた。
楽しそうに話してら。
急に夢から覚めたみたいな感覚に襲われて、俺はタバコを灰皿に押し当ててもみ消した。
高橋のヤツは、中庭が職員室から丸見えだってこと、よーく分かっているらしく、ひよに変な真似することはない。
とはいえ、やっぱ、おもしろくはない。
深く息を吐いた時だった。
「ここは中庭がよく見えていいね、ロリコン遼太君」
聞き慣れた声。振り向きたくもないね。
一気に不愉快な感情が胸にどーんと押し寄せる。
「前にも言ったろ。年の差は、7つだ。俺はギリでロリじゃねーと思ってんだよ」
腕を組んで、隣に立った養護教諭、河合東矢を睨みつけた。
「苦しいねぇ、色んな意味で」
東矢がクックと笑いながらタバコの箱をトントンと叩いて一本取り出した。
「そういや、昨日だっけな。三年のヤローが、東校舎で迷子になってた一年生拾ったって言ってたな。〝可愛い〟連発して腹抱えて笑ってたっけ」
迷子。一年生。
ひよだろ、それ。危なっかしいこと極まりない。
大きくため息吐いた俺に、東矢はタバコをくわえながら言った。
「心配でしょうがねーの、それは恋愛感情か? ちょっと違うんじゃねーの?」
不躾な東矢の言葉は、正直ムッと来た。コイツの言葉はいちいち俺の癇に障る。
「お前に、何が分かるんだよ」
静かに言ったつもりだったが、怒気を含んだ声は、思っていたよりも低く響き、ドスが効いたものとなった。
東矢は、タバコをくわえたまま、肩を竦めた。
そうだ、こんなヤツには分からないだろ。
時間かけて自分の中に浸透し、抜けなくなってしまった存在が、恋愛感情とかもう完全に超越してしまったものになっていることなんて。
互いに、自分の一部のように思うほど、大事なんだ。
窓の外を見つめたまま、黙り込んだ俺に、東矢はタバコの煙を吐き出し、言った。
「他人の恋愛になんて、俺は口出しするような人間じゃないつもりなんだけどさ。お前のそれに関しては、ちょっと物申したいわけよ」
は? と俺が東矢を睨むと。
「睨むなよ。お前だって分かってるんだろ? 真っ当な関係じゃないってことは」
俺とひよが、今は教師と生徒、という関係だってことを言いたいらしかったが。
「関係ないね。バレなきゃいいんだ」
吐き捨てるように言った俺に東矢は、そうはいかねー、と珍しく強い真剣な口調で言った。
「バレなきゃいいだって? 冗談じゃないぞ。どこにそんな保障がある? お前の教師としてのキャリアが終わっちまうかもしれないんだぞ! お前は、教師としての素質がどれほど備わっているか、どれだけ教師として周りが期待しているか、分かってないみたいだな!」
一気にまくしたてた東矢に、俺は何も言い返せずに黙ってしまった。東矢は、そんな俺の前で、ちっとも吸っていないタバコを灰皿に押し付けた。
「俺は、反対だからな」
どうしてコイツに、俺のプライベートを指南されなけりゃならないんだ。むかむかする感情が、胸にじわじわと込み上げてきた。
「そういや遼太」
東矢が思い出したように言う。
「お前、家を出たんだったな」
「それがなんだよ」
睨む俺に東矢はニッと笑った。
「ハニートラップとか、ありだなと思ってさ」
「は!?」
怒りで言葉が続かねぇ。
「いい駒を用意してやるよ」
「なに言ってんだ、お前!」
とんでもねぇ、コイツ!
思い返せば、ひよとの仲が最初にギクシャクした時の原因は、お前じゃねぇか!
東矢の野郎は、俺が一声怒鳴ろうと口を開けたほんの一瞬の隙に、喫煙室から出て行った。
ひらひらっと手を一振りして。
逃げやがった。
「くっそっ!」
行き場を失った怒りをぶつけるように床を蹴った。
壁蹴りそうになるのは何とか踏み止めた。
今蹴ったら確実に穴が開く。
にしても。
なんだよ、何しようとしてるんだ!?
冗談じゃねーぞ! 俺はともかく、ひよに余計なことしたら、アイツぜってー許さねぇ!
窓の外を見やると、ひよがこちらを気にしながら校舎に戻っていく姿が見えた。
ああ、友達が迎えに来たのか。
何度目かで振り返ったひよに、軽く手を挙げてやると、満面の笑顔が返ってきた。
俺は、安心したように駆けていくひよの後姿が校舎の中に消えるまで、見送った。
いつか、誰に咎められることもなく、堂々と言える日が来るのかな。
俺は、ひよりが好きなんだよ、って。
けど、そのおかげで中庭に死角が消えて、見通しが良くなってこちらとしては実に都合が良い。
くわえたタバコに火を点けた時、パタパタと中庭に出てきたひよりがこっちを見上げた。
口を大きく動かして、手を振ってる。ひよの口の動きから察するに、
〝りょ・う・ちゃ・ん〟
だな。
俺は煙に目を細めながら手を振り返した。
喫煙室は職員室の隣にあるのだが、その職員室が中庭の真上にあること、ひよりは教えてやるまで知らなかった。
どうも、校舎の見取り図を未だ把握できていないらしい。
興味がないのか。ただ、覚えられないのか……。
時々迷子になっている一年生がいる、と巷で噂になっている。
確かに、近代的と言える大きな校舎が自慢の学校ではあるが……学校で迷子とか、方向音痴もここまでくると見事としかいいようがない。
本当に、大丈夫かアイツ、と心底心配になる。
危なっかしい事この上ないひよを放置するみたいな形で俺、家を出ちまった事、少し後悔している。
危なっかしい。これは色んな意味で。
今ひよから離れて大丈夫だったのか?
多分、ひよには分からないであろう複雑な想いに悶々としながらくわえタバコで中庭を眺めていると。
ひよが小さな子猫を抱き上げ、持ち上げると俺に見せた。
かわいいでしょ、と言ってる。
ネコが?
ひよが?
俺的には、後者なんだけど。
思わず弛む頬を必死に保ち、とりあえず頷いてやる。
で、ひよは。満足そうにネコに頬ずりすると、他のネコとも戯れ始めた。
新学期始まって一週間は松葉杖が離せなかったひよ。
しばらくはひまりさんに車で送り迎えしてもらっていたけど、今週に入ってようやく普通に歩けようになった。
走ったりはまだ出来ないから、体育なんかは休んでいるみたいだが、とりあえずは一安心ということだ。
俺は、タバコくわえてスラックスのポケットに手を突っ込んでひよを眺めて目を細めた。
中庭や喫煙室が誰もいない間の、束の間のひよと俺の時間。
ひよは、ネコが何か面白いことをすれば、俺の方を向いてそれを指さして笑って、俺も一緒に笑う。
直接触れるどころか会う事すら難しくなって、言葉を交わすことも出来なくなった今、俺達にとって昼休みのこの時間は本当に貴重な、大事な時間になってしまった。
大晦日から元旦にかけてのひよとの時間。
無防備にくうくう寝てるひよを前にして、俺がどんだけ我慢したか、ひよは分かんないだろうな。
ひよと朝まで一緒にいたのは――ガキの頃はしょっちゅう泊まりにきて、俺の布団にもぐり込んで来たりしてはいたが――こんな関係になってからは初めてだ。
かわいい寝顔が、たまらなく愛しかった。けどここで、離れ離れになるからと言って一線を越えてしまったら、ここぞという時に後ろめたい気持ちになってしまうと思うんだ。
一番の要因は、兎にも角にも、ケンさんへの意地。
だから、眠るひよに、キスだけで踏みとどまった。
辛いな。あと、どんだけ我慢しなけりゃいけないんだ、なんて考え始めてしまうと、ため息が出る。
そのうち、高橋がやって来て、ひよと何か話し始めた。
楽しそうに話してら。
急に夢から覚めたみたいな感覚に襲われて、俺はタバコを灰皿に押し当ててもみ消した。
高橋のヤツは、中庭が職員室から丸見えだってこと、よーく分かっているらしく、ひよに変な真似することはない。
とはいえ、やっぱ、おもしろくはない。
深く息を吐いた時だった。
「ここは中庭がよく見えていいね、ロリコン遼太君」
聞き慣れた声。振り向きたくもないね。
一気に不愉快な感情が胸にどーんと押し寄せる。
「前にも言ったろ。年の差は、7つだ。俺はギリでロリじゃねーと思ってんだよ」
腕を組んで、隣に立った養護教諭、河合東矢を睨みつけた。
「苦しいねぇ、色んな意味で」
東矢がクックと笑いながらタバコの箱をトントンと叩いて一本取り出した。
「そういや、昨日だっけな。三年のヤローが、東校舎で迷子になってた一年生拾ったって言ってたな。〝可愛い〟連発して腹抱えて笑ってたっけ」
迷子。一年生。
ひよだろ、それ。危なっかしいこと極まりない。
大きくため息吐いた俺に、東矢はタバコをくわえながら言った。
「心配でしょうがねーの、それは恋愛感情か? ちょっと違うんじゃねーの?」
不躾な東矢の言葉は、正直ムッと来た。コイツの言葉はいちいち俺の癇に障る。
「お前に、何が分かるんだよ」
静かに言ったつもりだったが、怒気を含んだ声は、思っていたよりも低く響き、ドスが効いたものとなった。
東矢は、タバコをくわえたまま、肩を竦めた。
そうだ、こんなヤツには分からないだろ。
時間かけて自分の中に浸透し、抜けなくなってしまった存在が、恋愛感情とかもう完全に超越してしまったものになっていることなんて。
互いに、自分の一部のように思うほど、大事なんだ。
窓の外を見つめたまま、黙り込んだ俺に、東矢はタバコの煙を吐き出し、言った。
「他人の恋愛になんて、俺は口出しするような人間じゃないつもりなんだけどさ。お前のそれに関しては、ちょっと物申したいわけよ」
は? と俺が東矢を睨むと。
「睨むなよ。お前だって分かってるんだろ? 真っ当な関係じゃないってことは」
俺とひよが、今は教師と生徒、という関係だってことを言いたいらしかったが。
「関係ないね。バレなきゃいいんだ」
吐き捨てるように言った俺に東矢は、そうはいかねー、と珍しく強い真剣な口調で言った。
「バレなきゃいいだって? 冗談じゃないぞ。どこにそんな保障がある? お前の教師としてのキャリアが終わっちまうかもしれないんだぞ! お前は、教師としての素質がどれほど備わっているか、どれだけ教師として周りが期待しているか、分かってないみたいだな!」
一気にまくしたてた東矢に、俺は何も言い返せずに黙ってしまった。東矢は、そんな俺の前で、ちっとも吸っていないタバコを灰皿に押し付けた。
「俺は、反対だからな」
どうしてコイツに、俺のプライベートを指南されなけりゃならないんだ。むかむかする感情が、胸にじわじわと込み上げてきた。
「そういや遼太」
東矢が思い出したように言う。
「お前、家を出たんだったな」
「それがなんだよ」
睨む俺に東矢はニッと笑った。
「ハニートラップとか、ありだなと思ってさ」
「は!?」
怒りで言葉が続かねぇ。
「いい駒を用意してやるよ」
「なに言ってんだ、お前!」
とんでもねぇ、コイツ!
思い返せば、ひよとの仲が最初にギクシャクした時の原因は、お前じゃねぇか!
東矢の野郎は、俺が一声怒鳴ろうと口を開けたほんの一瞬の隙に、喫煙室から出て行った。
ひらひらっと手を一振りして。
逃げやがった。
「くっそっ!」
行き場を失った怒りをぶつけるように床を蹴った。
壁蹴りそうになるのは何とか踏み止めた。
今蹴ったら確実に穴が開く。
にしても。
なんだよ、何しようとしてるんだ!?
冗談じゃねーぞ! 俺はともかく、ひよに余計なことしたら、アイツぜってー許さねぇ!
窓の外を見やると、ひよがこちらを気にしながら校舎に戻っていく姿が見えた。
ああ、友達が迎えに来たのか。
何度目かで振り返ったひよに、軽く手を挙げてやると、満面の笑顔が返ってきた。
俺は、安心したように駆けていくひよの後姿が校舎の中に消えるまで、見送った。
いつか、誰に咎められることもなく、堂々と言える日が来るのかな。
俺は、ひよりが好きなんだよ、って。
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