舞姫【後編】

友秋

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 津田武はTUD総合警備の本社ビルの社長室の椅子でイライラと指で机を叩いていた。

 南向きの窓からは春の日差しが差し込んでいたが、柔らかな光も今の彼の目には陰鬱に映る。

 田崎逮捕の一報が入ってから二日が経っていた。警察の手こちらまで伸びてくるのも時間の問題だ。

 武は苛立たしげに舌打ちした。

 偉そうなことを言いやがって、全てが失敗に終わったじゃないか。しかもだ。

 田崎が撃った相手というのが銀座胡蝶のエミコママだという。

 よりによって、なんて相手を!

 エミコママ。中丸絵美子は、武が最も恐れる義父、津田恵三が唯一本気で愛した女と言われている。

 田崎と自分との関係から今回のような事件に至ったと義父の耳に入ったら。考えるだけでゾッとする。

 何故、彼女は現れたのだ!

 殆ど日本国内にいない義父が次に帰国するのは、誕生パーティが開かれる一週間後だ。事件が義父の耳に入っているかは分からないが、帰国までに何とかしなければいけない。

 拘留中の田崎に口裏合わせの証言をさせる事は人脈を持ってすれば不可能ではないな。

 妙案を思い付き、少し余裕が生まれた武は思い出す。

 剣崎も潰せなかったのか。

 武が舌打ちと共に受話器を取った時、ドアがノックされた。

「なんだ!」

 苛立った声で言った武に、冷静な秘書の声が返ってきた。

「社長宛てのお届け物がございます。差出人が書かれておりませんが、いかがなさいますか」

 武は、秘書が置いて行った小型小包を耳元で軽く振ってみた。中からはカタカタと乾いた軽い音と何か長いものが擦れ合う音がした。固いものとチェーンだ予測が付いた。

『あの女が肌身に付けて持っているモノがある筈だ、それを送れ』

 自分の言葉を思い出した。田崎が、津田みちるの私物を送ったのだ。

 開けてみると、箱の中には無造作に、切れたチェーンと小さな天使が入っていた。

 武の奥底にある記憶が蘇った。

 舞花のものだ。

 胸を締め付けるような郷愁に苦しめられる。記憶の糸を手繰らなくとも、フラッシュバックのようにもう一つのシーンが瞼に映った。

 武の腕の中で躍った白い躰。その胸元で揺れていた色違いの天使。

 姫花――!

 武は両手で顔を覆っていた。

 俺はもう引き返すことは出来ない! この道を突き進むことしか出来ないのだ!

 行く手に何が待っているのかなど、誰にも分からない。自分に残されたものが何なのかも。

 すでに、全てを失っていたのかもしれなかった。



 
「あ! セイジさん」
「おはようございます!」

 事務所に姿を現した星児に男達が一斉に声を掛けた。一気に空気が引き締まる。星児は彼らの声に軽く手を挙げながらそのまま自室に行こうとしたが。

「セイジさん、みちるさんは」
「ああ゛っ!?」
「なっ、なんでもないス!」

 星児の鋭い眼光にドスの効いた切り返しに、声を掛けた男はすくみ上った。

「無駄に尖がって人に当たってんじゃねーよ」

 後から来た保が手にしていた書類の束で星児の頭を思い切り叩いた。

「んだよっ、保!」

 頭に手をやりながら言う星児に保はため息をつく。

「苛立ったところで、みちるが俺たちのところに帰ってくるワケじゃない」
「そんな事はわかってる!」

 星児は自室に入り、ドアを閉める際に豪快な音を立てた。

「みちるさんは、どうなんスか?」

 星児に当られた男が保に心配そうに聞いた。保は苦笑いを返す。

「怪我は順調に回復しているんだけどな、精神的なショックがデカいらしくて、戻ってくるのはいつになるかちょっと見当はつかない」
「そうスか。心配スね」

 男の肩を叩いて保は星児の部屋に入っていった。



 みちるの舌は抜糸も済み、順調に回復している。喋る為のリハビリも始まった。しかし、拉致された後、星児達が駆け付ける前に田崎に何を吹き込まれたのか。

 星児と保の顔を見ると泣き出し、上手く使えない舌状態のままで何度も何度も『ごめんなさい』と言うだけだ。しまいには、スミ子に抱き付き顔を埋め、こちらを見る事も出来なくなる。

 そうなってしまうとスミ子もみちるを抱き頭を撫で、申し訳なさげに言うしか無くなる。
 
『ごめんなさいね。少し落ち着いて話しが出来るようになるまで待ってくれる?』

 みちると長く密に過ごしてきたのは自分達だというのに。

 あっという間に他人のようになってしまったな、みちる。

 保は胸が塞がれる想いを吐息で逃した。

 みちるは帰るところに帰るのだ。

 星児だって、分かっていてもどうしようもなく苛立つのだろう。自分もできる事なら当たり散らしたい。

 そうしないのは、どちらかがブレーキにならなければ本当の目的を果たす前に忘れてしまうからだ。

「みちるは俺らのとこには帰ってこない、か」

 星児は少し前の保の言葉を、自分自身に噛んで含めるように呟いていた。保は書類の整理をしながら言う。

「田崎の野郎、みちるに何を吹き込んだんだと思う」
「だいたいの想像は付く。俺がみちるを助けようとした時、みちる、目を合わせようとしなかった。恐らく、津田武と俺たち、それにみちるとの関係をどっかから仕入れてきて全部ぶちまけたんだろう。みちるは自分の実の父親が俺たちの仇だと聞かされたんだろうな」

 だからみちるは『ごめんなさい』と言ったのだ。

 みちる、お前はあの男と関係あるなど俺たちは思っていない。そう伝えたい。

「エミコママがこのまま目覚めなければ、確実にみちるはスミ子さんが、と言う話になるな。少なくとも、スミ子さんはもうみちるを手放す気はないだろう」
「そうだな」

 エミコは容態は落ち着いたが、未だ意識が戻らない。

 もしもの事態に対する覚悟をしなければいけないところまで来ているのかもしれない。

 苦悶の表情のまま片手で顔を覆う星児に、保はデスクの引き出しから手紙を出した。

「星児、例の招待状だ」

 御幸が手配し死後、執事が届けてくれた津田恵三の誕生パーティーの招待状だった。保が預かっていた。

 受け取った星児に聞く。

「どうする、行くのか」

 封筒から出した招待状を眺めていた星児は顔を上げた。

 苦悩の顔が変わった。不敵に笑う。

「行くさ。全てに決着を付けるラストチャンスだ。アイツだけじゃ我慢ならない。津田家とやらもぶっ潰してやる」

 自分たちの為だけじゃない。

 みちるを縛るのは、津田家の因縁、呪縛だ。

「俺たちのみちるを解放する為に」

 保は、窓の外に目をやった。みちるが入院する病院の方角を見つめる。

 みちる。

 自分たちはこの先、みちる以外の女性を愛する事はない。

 互いに口にはしないが、断言出来る。

「俺だって同じ想いだ。けれど、二人で暴走する訳にはいかないんだよな」

 星児は煙草を咥え、火を点けた。

「ああ、汚れは俺だけでいい。俺たちの役割分担は今も昔も変わらない。保は〝三人〟の支柱でいてくれ」

 そうなるのか、やはり。

 互いの穴を埋め合う。大事な相棒。

「命だけは粗末にするなよ」

 静かに言った保に星児は「ああ」と応える。

「みちるを頼むな」

†††
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