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決意
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家に戻った星児はリビングの電気を点けた。
部屋は綺麗に片付けられており、ダイニングのテーブルの中央には色ガラスの小さな花瓶が置かれて可愛らしい花が生けてあった。朝見たのとは違った花だった。
ネクタイを緩めながらそれを見る星児の脳裏にみちるが楽しそうに花を生ける姿が浮かび、彼の頬が僅かに緩む。
少し考えさせてくれ、とだけ答えた星児にエミコは、前向きに検討していただけたら、とにこやかに微笑み、エレベーターホールまで出てきて見送ってくれた。
ネクタイを取りワイシャツのボタンも幾つか外した星児は、煙草を咥えフラリとベランダに出た。ライターで火を点け、煙を吐き出しながら、空を見上げる。
春はスモッグが多く、星はうっすら微かに、しか見えなかった。それでも星児はベランダの柵に手を掛けて目を凝らした。
故郷の話はちょっとキツイかったな。
脳裏に父の姿が浮かぶ。
親父は、今の俺を見たら何て言うだろうな。いや、あの親父なら別に何とも言わねーな。
フッと自嘲気味に笑った星児は身体の向きを変え、ベランダの柵を背に寄りかかった。
自分が信じた道を生きるのなら、それを貫け、そんな信念の男だった気がする。
がむしゃらに走って来た星児が今初めて振り返ろうとしていた。
自分のしてきた事は、決して綺麗な事ではないが、信念があって、自分の、自分らしい生き方と信じ曲げる事なく、後悔も決して無かった。それが今、揺らいでいる。
みちるの人生を想った時に、星児の胸に後悔に似た苦悩が押し寄せた。
自分の選択は、間違いでは無かったか?
みちるを母親である女性に会わせてやれなかった、という現実に、星児の心が軋んでいた。
今、目の前に選択を迫る天秤があった。大きなチャンスを掴む為には、後悔を重ねてはいけない。みちるをエミコに〝返さなければ〟いけない。
別れを意味する決意だ。
どちらの道を選ぼうとも、エミコが東京を去ってしまう前にみちるを本当に手放さなければいけないのかもしれない。
星児はまだ充分に吸える煙草を灰皿に落とした。
「今日くれぇ煙草不味かった事ねーな。どちらにしても保に相談しねーと、か」
†††
深夜、みちると龍吾の乗るタクシーがマンションの前に滑り込んだ。先に降りたみちるは上を見上げ、あれ? と声を上げた。誰もいない、と思っていた部屋に明かりが点いていた。
タクシーの運転手に、ちょっと待っていてくれ、と言い置いて降りて来た龍吾もみちるの視線の先を見た。
「ああ、そういや保さんはまだ事務所でなんかやってたけど、セイジさんは夕方出掛けたっきり戻って来なかったな」
「そうなの。じゃあ星児さんが帰ってるんだ」
一応確かめて、と龍吾に促されたみちるはマンションのオートロックのインターホンを押した。数秒後、星児の声がし、龍吾が答えた。
「セイジさん、みちるさん送り届けに来ました」
「ご苦労さん、今下まで行く。待ってろ」
優しく、微かな甘さを余韻に残す星児の声だった。
こちらの返答も待たずに切れたインターホンを見たまま龍吾が複雑な表情で固まっていた。不思議そうにみちるが見上げる。
「龍吾君?」
みちるには聞き慣れた星児の優しい声は、今では殆ど仕事でしか接する事が無く威圧的な彼の声しか聞き覚えの無い龍吾には違和感しか与えない。不気味以外の何者でも無かった。身震いすら引き起こす。
とりあえずエントランスで待とうね、と鍵を開けたみちると中に入り、龍吾は聞いた。
「セイジさんて、みちるさんの前ではいつもあんな?」
「え?」
意味が分からない、という表情でキョトンとするみちるを見て龍吾は肩を竦めた。
「……何でもない。今の質問は忘れていい」
「何の質問だ?」
低く刺すような凄味のある声と共に龍吾の頭がガシッと背後から掴まれた。
ヒッ、と一瞬で龍吾の身体を鳥肌の立つ感覚が貫く。ゆっくり、恐る恐る振り向くと。
「あ、星児さん! もう下りて来てたの?」
明るい声で言ったみちるに、龍吾の頭を片手で掴んだままの星児がニッと笑った。
「ああ、エレベーターがちょうどうちの階で止まってたからな」
龍吾は緊張に強張る顔で首を竦めたまま動けない。最近、身長で星児を抜いたが、実際の身長よりも大きく見せる圧倒的な威圧感たるや、星児のオーラは凄い。固まったまま動かない龍吾に星児は言う。
「おう、龍吾、みちるに何を聞いたんだか知らねーけどよ、とりあえずご苦労サン」
「は……ハイッ!」
上擦りそうな返事をする龍吾を、みちるは目を丸くして見ていた。保にも、常にふてぶてしいまでの態度で受け答えする龍吾の初めて見る姿だった。
こんな龍吾君、初めて見たよ。
手を離した星児に向き合う形になった龍吾は直立不動で軽く頭を小突かれていた。まるで蛇に睨まれた、何とかだ。
イタズラして怒られてる小さな子供みたいだね。
みちるはグッと笑いを堪えると同時に、星児という男のもう一つの顔を見たように思う。周囲の者に、畏怖を抱かせる〝剣崎星児〟という男の顔を。
エレベーターの扉が閉まり、二人を見送った龍吾は肩の荷を下ろしたように安堵のため息をついた。
さて、とりあえずは事務所帰るか。
業務完遂の報告をしなければ、仕事を終えた事にはならない。給料は貰えない。未だ幼い龍吾にも〝働く〟という意味が分かり始めていた。
本来ならば、まだまだお気楽に過ごせる年頃だ。
『高校くらいは行かせてやるぞ』と星児は龍吾に言ってくれたが、断り、働く道を選んだのだ。
俺は、早くセイジさんみたいな男になりたかったから。
龍吾がエントランスを出て待たせていたタクシーに走り寄ると、ドアが開いた。乗り込む前にマンションを仰ぎ見る。
部屋の明かりは変わらず点いていた。
星児がみちると接する姿を、龍吾は今夜初めて見た。
愛する女に見せる姿、か。
龍吾はタクシー内に視線を移し、乗り込むと運転手に言った。
「運転手さん、いつもの事務所までよろしく」
「はい」と答えた運転手はドアを閉め、タクシーは夜の街へ向かって走り出した。
†††
洗い立ての心地よいシーツの感触と背中に感じる星児の躯に挟まれて、みちるは、ふぅ、と息をついた。背後から星児が優しくキスを落とす。
「星児さん、何かありましたか」
「どうしてそんな事聞く?」
「いつもより、お酒の匂いが強いです」
「ん、少しだけ呑んだ」
えー……、とみちるは振り向き星児を軽く睨んだ。
「少しじゃないでしょう?」
星児はクスリと笑うとみちるの髪を指で梳き、唇を塞ぐように自分の唇を重ねた。
揮発したアルコールが唇を伝いみちるの躰に流れ込み、微かな酔いが回る。
星児さん?
激しく強引に開かれる快楽への扉から、目眩く襲う、波がくる。
星児の腕の中で悦楽の波に呑み込まれ、意識を手放す寸前、みちるはいつもと少し違う姿を見た気がした。
何だろう? 何が何時もと違うんだろう。
「ぁ……あんんっ、星児さ……っ」
ブルッと小さく震えたみちるの躰を、星児が強く抱き締めた。
もう絶対に離さない、どこにも行くな、と言っているように、強く、固く。
ハアハアと息があがるみちるを腕に抱いた星児は耳元に唇を寄せた。吹きかかる甘い息にみちるの唇から悩ましい吐息が漏れた。
星児の胸に手を突き顔を上げたみちるの瞳が、柔らかな色が挿す星児の瞳とぶつかる。一瞬、寂し気にも見えたその目にみちるの胸がドキンと跳ねた。
星児さん、どうしてそんな目を。
何かを聞こうとしたみちるを遮るように、星児が静かに口を開いた。
「みちる、前にも似たような事を聞いた気もするんだけどよ、いいか、一つ聞いて」
星児の、指の長い少し冷たい手がみちるの頬にそっと触れた。
みちるは真っ直ぐに星児を見詰め、星児はそれに応えるように視線を逸らす事なくみちるを瞳に捉えた。
「みちるの親族の誰かがみちるの前に現れて、一緒に来てくれ、と言ったら――みちるはどうする?」
星児にしてみれば単刀直入な問いで、現実味を帯びた重要な質問だが、みちるにしてみれば、ただ漠然とした、非現実な質問でしかなかった。
「そんな事」
しなやかに伸ばしたみちるの白い両手が星児の両の頬に添えられた。みちるにとって星児と保と離れる事など、考えも出来ない事だ。
三人にとって互いの身体は、精神から融け合う一部だ。
コン、というノックの音がし、ドアが静かに開いた。
「……お取り込み中悪いけど」
リビングからの微かな明かりが差し込み、保が立っていた。今帰ったらしく、スーツのジャケットだけを脱いだ、ネクタイにワイシャツ姿だった。
「星児、またみちる困らせてんのか」
んだよ、と体勢を変え保の方を向いた星児が剥れた声を出す。
「俺がいつみちるを困らせる事したんだよ」
「いつも」と答え、ネクタイを取りワイシャツのボタンを外しながら部屋に入って来た保はみちるの傍に座った。
なー? と言いながら保はみちるに優しくキスをする。
「なんだよ、それ」
頭を掻きながらぼやく星児に、みちるは小さく笑った。
「星児さん、保さん」
二人が同時にみちるを見ると、明るい笑顔を見せて肩を竦め言った。
「私、何処にも行きたくない」
これが今言える精一杯。私はずっと星児さんと保さんと一緒にいる。絶対に、何処にも行かない。
「お願い、何処にも」
言い終わらないうちに、唇を星児が塞ぎ、保が柔らかな肢体を抱き締めた。
何処にもやらない。例え、みちるにとって、血を分けた人間であっても!
俺達は一緒にいるんだ。ずっと一緒に。
†††
部屋は綺麗に片付けられており、ダイニングのテーブルの中央には色ガラスの小さな花瓶が置かれて可愛らしい花が生けてあった。朝見たのとは違った花だった。
ネクタイを緩めながらそれを見る星児の脳裏にみちるが楽しそうに花を生ける姿が浮かび、彼の頬が僅かに緩む。
少し考えさせてくれ、とだけ答えた星児にエミコは、前向きに検討していただけたら、とにこやかに微笑み、エレベーターホールまで出てきて見送ってくれた。
ネクタイを取りワイシャツのボタンも幾つか外した星児は、煙草を咥えフラリとベランダに出た。ライターで火を点け、煙を吐き出しながら、空を見上げる。
春はスモッグが多く、星はうっすら微かに、しか見えなかった。それでも星児はベランダの柵に手を掛けて目を凝らした。
故郷の話はちょっとキツイかったな。
脳裏に父の姿が浮かぶ。
親父は、今の俺を見たら何て言うだろうな。いや、あの親父なら別に何とも言わねーな。
フッと自嘲気味に笑った星児は身体の向きを変え、ベランダの柵を背に寄りかかった。
自分が信じた道を生きるのなら、それを貫け、そんな信念の男だった気がする。
がむしゃらに走って来た星児が今初めて振り返ろうとしていた。
自分のしてきた事は、決して綺麗な事ではないが、信念があって、自分の、自分らしい生き方と信じ曲げる事なく、後悔も決して無かった。それが今、揺らいでいる。
みちるの人生を想った時に、星児の胸に後悔に似た苦悩が押し寄せた。
自分の選択は、間違いでは無かったか?
みちるを母親である女性に会わせてやれなかった、という現実に、星児の心が軋んでいた。
今、目の前に選択を迫る天秤があった。大きなチャンスを掴む為には、後悔を重ねてはいけない。みちるをエミコに〝返さなければ〟いけない。
別れを意味する決意だ。
どちらの道を選ぼうとも、エミコが東京を去ってしまう前にみちるを本当に手放さなければいけないのかもしれない。
星児はまだ充分に吸える煙草を灰皿に落とした。
「今日くれぇ煙草不味かった事ねーな。どちらにしても保に相談しねーと、か」
†††
深夜、みちると龍吾の乗るタクシーがマンションの前に滑り込んだ。先に降りたみちるは上を見上げ、あれ? と声を上げた。誰もいない、と思っていた部屋に明かりが点いていた。
タクシーの運転手に、ちょっと待っていてくれ、と言い置いて降りて来た龍吾もみちるの視線の先を見た。
「ああ、そういや保さんはまだ事務所でなんかやってたけど、セイジさんは夕方出掛けたっきり戻って来なかったな」
「そうなの。じゃあ星児さんが帰ってるんだ」
一応確かめて、と龍吾に促されたみちるはマンションのオートロックのインターホンを押した。数秒後、星児の声がし、龍吾が答えた。
「セイジさん、みちるさん送り届けに来ました」
「ご苦労さん、今下まで行く。待ってろ」
優しく、微かな甘さを余韻に残す星児の声だった。
こちらの返答も待たずに切れたインターホンを見たまま龍吾が複雑な表情で固まっていた。不思議そうにみちるが見上げる。
「龍吾君?」
みちるには聞き慣れた星児の優しい声は、今では殆ど仕事でしか接する事が無く威圧的な彼の声しか聞き覚えの無い龍吾には違和感しか与えない。不気味以外の何者でも無かった。身震いすら引き起こす。
とりあえずエントランスで待とうね、と鍵を開けたみちると中に入り、龍吾は聞いた。
「セイジさんて、みちるさんの前ではいつもあんな?」
「え?」
意味が分からない、という表情でキョトンとするみちるを見て龍吾は肩を竦めた。
「……何でもない。今の質問は忘れていい」
「何の質問だ?」
低く刺すような凄味のある声と共に龍吾の頭がガシッと背後から掴まれた。
ヒッ、と一瞬で龍吾の身体を鳥肌の立つ感覚が貫く。ゆっくり、恐る恐る振り向くと。
「あ、星児さん! もう下りて来てたの?」
明るい声で言ったみちるに、龍吾の頭を片手で掴んだままの星児がニッと笑った。
「ああ、エレベーターがちょうどうちの階で止まってたからな」
龍吾は緊張に強張る顔で首を竦めたまま動けない。最近、身長で星児を抜いたが、実際の身長よりも大きく見せる圧倒的な威圧感たるや、星児のオーラは凄い。固まったまま動かない龍吾に星児は言う。
「おう、龍吾、みちるに何を聞いたんだか知らねーけどよ、とりあえずご苦労サン」
「は……ハイッ!」
上擦りそうな返事をする龍吾を、みちるは目を丸くして見ていた。保にも、常にふてぶてしいまでの態度で受け答えする龍吾の初めて見る姿だった。
こんな龍吾君、初めて見たよ。
手を離した星児に向き合う形になった龍吾は直立不動で軽く頭を小突かれていた。まるで蛇に睨まれた、何とかだ。
イタズラして怒られてる小さな子供みたいだね。
みちるはグッと笑いを堪えると同時に、星児という男のもう一つの顔を見たように思う。周囲の者に、畏怖を抱かせる〝剣崎星児〟という男の顔を。
エレベーターの扉が閉まり、二人を見送った龍吾は肩の荷を下ろしたように安堵のため息をついた。
さて、とりあえずは事務所帰るか。
業務完遂の報告をしなければ、仕事を終えた事にはならない。給料は貰えない。未だ幼い龍吾にも〝働く〟という意味が分かり始めていた。
本来ならば、まだまだお気楽に過ごせる年頃だ。
『高校くらいは行かせてやるぞ』と星児は龍吾に言ってくれたが、断り、働く道を選んだのだ。
俺は、早くセイジさんみたいな男になりたかったから。
龍吾がエントランスを出て待たせていたタクシーに走り寄ると、ドアが開いた。乗り込む前にマンションを仰ぎ見る。
部屋の明かりは変わらず点いていた。
星児がみちると接する姿を、龍吾は今夜初めて見た。
愛する女に見せる姿、か。
龍吾はタクシー内に視線を移し、乗り込むと運転手に言った。
「運転手さん、いつもの事務所までよろしく」
「はい」と答えた運転手はドアを閉め、タクシーは夜の街へ向かって走り出した。
†††
洗い立ての心地よいシーツの感触と背中に感じる星児の躯に挟まれて、みちるは、ふぅ、と息をついた。背後から星児が優しくキスを落とす。
「星児さん、何かありましたか」
「どうしてそんな事聞く?」
「いつもより、お酒の匂いが強いです」
「ん、少しだけ呑んだ」
えー……、とみちるは振り向き星児を軽く睨んだ。
「少しじゃないでしょう?」
星児はクスリと笑うとみちるの髪を指で梳き、唇を塞ぐように自分の唇を重ねた。
揮発したアルコールが唇を伝いみちるの躰に流れ込み、微かな酔いが回る。
星児さん?
激しく強引に開かれる快楽への扉から、目眩く襲う、波がくる。
星児の腕の中で悦楽の波に呑み込まれ、意識を手放す寸前、みちるはいつもと少し違う姿を見た気がした。
何だろう? 何が何時もと違うんだろう。
「ぁ……あんんっ、星児さ……っ」
ブルッと小さく震えたみちるの躰を、星児が強く抱き締めた。
もう絶対に離さない、どこにも行くな、と言っているように、強く、固く。
ハアハアと息があがるみちるを腕に抱いた星児は耳元に唇を寄せた。吹きかかる甘い息にみちるの唇から悩ましい吐息が漏れた。
星児の胸に手を突き顔を上げたみちるの瞳が、柔らかな色が挿す星児の瞳とぶつかる。一瞬、寂し気にも見えたその目にみちるの胸がドキンと跳ねた。
星児さん、どうしてそんな目を。
何かを聞こうとしたみちるを遮るように、星児が静かに口を開いた。
「みちる、前にも似たような事を聞いた気もするんだけどよ、いいか、一つ聞いて」
星児の、指の長い少し冷たい手がみちるの頬にそっと触れた。
みちるは真っ直ぐに星児を見詰め、星児はそれに応えるように視線を逸らす事なくみちるを瞳に捉えた。
「みちるの親族の誰かがみちるの前に現れて、一緒に来てくれ、と言ったら――みちるはどうする?」
星児にしてみれば単刀直入な問いで、現実味を帯びた重要な質問だが、みちるにしてみれば、ただ漠然とした、非現実な質問でしかなかった。
「そんな事」
しなやかに伸ばしたみちるの白い両手が星児の両の頬に添えられた。みちるにとって星児と保と離れる事など、考えも出来ない事だ。
三人にとって互いの身体は、精神から融け合う一部だ。
コン、というノックの音がし、ドアが静かに開いた。
「……お取り込み中悪いけど」
リビングからの微かな明かりが差し込み、保が立っていた。今帰ったらしく、スーツのジャケットだけを脱いだ、ネクタイにワイシャツ姿だった。
「星児、またみちる困らせてんのか」
んだよ、と体勢を変え保の方を向いた星児が剥れた声を出す。
「俺がいつみちるを困らせる事したんだよ」
「いつも」と答え、ネクタイを取りワイシャツのボタンを外しながら部屋に入って来た保はみちるの傍に座った。
なー? と言いながら保はみちるに優しくキスをする。
「なんだよ、それ」
頭を掻きながらぼやく星児に、みちるは小さく笑った。
「星児さん、保さん」
二人が同時にみちるを見ると、明るい笑顔を見せて肩を竦め言った。
「私、何処にも行きたくない」
これが今言える精一杯。私はずっと星児さんと保さんと一緒にいる。絶対に、何処にも行かない。
「お願い、何処にも」
言い終わらないうちに、唇を星児が塞ぎ、保が柔らかな肢体を抱き締めた。
何処にもやらない。例え、みちるにとって、血を分けた人間であっても!
俺達は一緒にいるんだ。ずっと一緒に。
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