舞姫【後編】

友秋

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天使の秘密

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「この人達は?」

 保の声が掠れた。思考回路が迷路と化している。

「そっくりだ」
「うん」
「いや、二人ともみちるに」

 みちるは「そっちね」と微かに笑った。

「私のお母さんと、お母さんのお姉さん、なんだって」
「みちるのお母さんか、なるほど」

 保は写真の中の女性達を見つめた。

〝お姉さんなんだって〟

 よくは知らない事を意味する言葉だ。

 そうだ、と保は思う。

 みちるは孤児だ。両親には親戚縁者がいなかったという。

 故に〝母の姉〟にも会った事は無いのだろう。保はみちるの次の言葉を待った。

「その、お母さんのお姉さんが、何処かにいるのかなぁ、って思うの」

 頼りない、揺れそうな声だった。

「みちる」

 保は、胸を強く握り絞められたような痛みに耐える。

「会いたいな、って思うの」

 みちるの小さな呟きだった。

 今、どこへ捌けたらよいのか分からない、苦痛に押し潰されそうな感情の波を、母に似たこの女性なら聞いて受け止めてくれるかもしれないのに、という淡い恋しさが、みちるの中に湧いていた。




「じゃあ、これは預かっていくけどいいか?」

 保が手の平の上のペンダントをみちるに見せながら言った。

「はい。お願いします」

 布団から半分だけ顔を出すみちるの大きな黒い瞳が、申し訳なさそうに保を見上げていた。保はクスリと笑い、優しく聞く。

「天使は置いて行こうか?」

 みちるは小さく首を振る。

「天使も翼も、チェーンとセット。失くしちゃったら嫌だもん」
「そっか」

 保はティッシュにそっと包みスーツの胸ポケットに入れた。

「明日また来るから」
「うん」
「ちゃんと寝て、しっかり治すんだぞ」
「はーい」

 立ち上がった保は屈み込み、みちるの額にそっと唇を寄せた。保の優しいキスは、悲しみと苦悩に縛られたみちるの心を解き放ってくれる。

 保さん!

 みちるは保に抱きしがみつき、泣き喚きたい感情を必死に堪える。涙も堪えた。唇が離れ、保の瞳がゆっくり遠ざかる。

「ちゃんといい子にして、看護婦さん困らせないで寝るんだぞ」
「やだなぁ、保さん。私は看護婦さん困らせたりしません」

 保はハハハと笑いながら、軽く手を挙げて病室を出ていった。パタン、とドアが締まる。

 急激に、病室が静寂という空間に変わった。みちるは布団に潜り込んだ。

 今は、何も考えない。


 



 保はメガネ形のルーペを持ち上げ、頭にのせた。直したペンダントを持ち上げ、ライトにかざし、確認する。

 良かった、直ったな。

 高校生の頃からありとあらゆるアルバイトをこなしてきた保は、手先の器用さも手伝い、便利屋の如く、である。自宅の自室には、プロ並みに充実した工具セットまであった。

 早めに帰宅した保は、みちるから預かったペンダントのチェーンを直しに取り掛かり、無事修理を終えた。

 ペンダントトップを丁寧に通して机の上にそっと置いた保は、ふと天使に目が行った。

 みちるにそっくりな姉妹。妙な引っかかりを覚えていた。

 ごめんな、みちる。もう一回見せてもらうぞ。

 みちるの両親については、父親にばかり目が行き母親の事をあまり気に留めていなかったと、保は今更ながら思う。

 極細のドライバーを取り出し、先端で天使の抱く赤い石を傷付けないようそっと押した。

 ロケットが開き現れた写真に、保は机上のライトを当てて見た。美しい二人の女性の優しい笑顔が現れる。

 どちらがみちるの母親か聞かなかったな。

 保は隅々まで見て姉妹の背景に注目した。姉妹のすぐ後ろに着物のような合わせと和柄が見えた。

 小さな写真は二人入れば一杯だ。よく見ると、中にもう一人写っていた事が伺えた。

 着物だ。着物の女性が写っている。
 
 暫く写真を眺めていた保だったが、小さなため息をついた。

 みちるの為に何か手がかりを掴みたくとも、ここから得られる情報は余りにも少なかった。

 ロケットを閉じようとした保は、写真の真ん中に不自然な歪みが存在している事に気付いた。

 ライトの光を直接当ててよく見ると、写真の裏に何かが隠されているようだった。

 みちる、ごめん。ちゃんと元に戻すから。

 工具箱の中から針を取り出した保は目を閉じ、心の中で呟いた。

 手にした針を持ち直しロケットの隅に刺し込む。ゆっくりと丁寧に嵌め込まれた写真を外した保が見つけたのは、小さく折り畳んだ紙切れだった。まるで誰かが見つけてくれるのを待っていたかのように。

 何だ、これ。

 針を使わないと開けないほど小さな紙を、破かないように丁寧に開くと、ルーペを使わないと読めないくらい小さな文字が書いてあった。保は頭の上に乗せていたルーペを装着し、文字を読み始めた。

 東京都豊島区池袋ーー。

 雑居ビルと思われる住所と暗号のような番号が書かれていた。

 この住所、どこかで見た気がする。確か。

 メモに書き写しながら保は記憶を辿り、閃いた。

 私設私書箱だ。

 裏で暗躍するような一部の人間しか知らない、公になっていない私書箱が都内に幾つか存在する。この住所はその中の一つだった。自分達も稀に取引に利用する事があるから覚えていた。

 ここに何が? みちるの両親は、何をみちるに託そうとしたんだ?

 保は時計を見ると、メモを手に立ち上がった。

 まだやっているだろう。
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