パンドラ

須桜蛍夜

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盈月

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数日が過ぎた。天の川は依然として流れ続けて二つの星は別れたまま。何の変化も起こらない。

ーー予想以上にヘタレだったって事か。

それは、諦めをつけるには充分な日々だった。

"あいつは前に進めない"

見切りをつける。釈然としない気持ちを願いとともに投げ捨てて、今まで通りを受け入れる。別に難しい事じゃない。

そう気持ちに整理をつけ始めた頃、私達の前にあいつが姿を現した。


「西山」

いつの間に先回りしたのか、帰り道を歩く私達の行く先を塞ぐように彼は立っていた。両の拳を握りしめ、じっと何かを堪えるように身体を強張らせて。

「何?」

鈴の音。
賢太郎はビクッと身体を震わせるが、何も言わないまま俯き加減に黙り込んだ。
静かな空気。吹き抜ける風。それはどこか湿っぽさを含んでいる。

「用がないなら帰るけど」

彼を居ないものとして無造作にその横を通り過ぎる瑠璃。

「あ……」

「待ってよ」

慌ててその背中を追いかけた。横目に見えた幼馴染み。それは、小刻みに震えていた。

人に謝罪するというのは案外難しいものだ。謝罪というのは、負けを認める事で、過去の自分の正当性を捨てる事だから。だから怖い。

彼は、その恐怖を乗り越えようともがいている。もがいているけど、少し足りない。ゴールはすぐ目の前なのに、その一歩の怖さを乗り越えられない。

苦しんでいる幼馴染み。望み通りに動き出した展開。

私なら彼を助けられる。緊張を解き、優しく背中を押して全てを上手く進ませられる。それが一番楽で傷の少ない、最高の解決方法。

「ねぇ、アイスでも食べに行かない? 駅前に美味しい店できたんだけど」

「行かない。面倒くさい」

「えー。友達なんだしさ、私、瑠璃とどっかに遊びに行きたいんだけど」

「面倒くさい」

だけど私は、最良解を選ばなかった。 

「…………」

賢太郎は物を言わずに動かない。あれはただの透明人間。私達の空間に彼は存在しない。 広がっていく天の川。そこの角を曲がったら、きっと川は崖になる。

「じゃ、アイス奢るからさ。行こうよ」

「また今度ね」

「えっ、今度なら行ってくれーー」

「西山!」

角を曲がる直前だった。大声が私達を貫いて、透明人間が姿を現す。瑠璃は、面倒くさそうに振り返る。私もそれに倣って後ろを向いた。



「本当にすみませんでした」

あいつは、地面に地面に座り込んで深々と土下座をしていた。

「お前の言った通りだった。西山は何をしても動じないからって、大丈夫なんだって、罪悪感を感じないようにしてた。俺が見下して、支配しようとした人間に頭なんて下げたくなかったから。そして、恐かったから。だからーー」

「謝る必要なんてないって言ったでしょ。それだけならもう帰る」

心底興味のない瞳。それが賢太郎から離れていく。止めた足を動かして彼の決意を受け流す。

「西山!」

もう彼女は止まらない。無駄な事に時間を割かない。そのまま角の向こうへ消えていく。

「……ちっ」

賢太郎が吹っ切れたように走り出す。

「俺さ、昔、闇街の奴らに殴られた事があるんだ」

そして、がむしゃらに叫んだ言葉が瑠璃の足を止めさせた。

「闇街……?」

「学校の反対側にあるこの街の半分くらいを占める場所。警察も容認している本当の無法地帯。日本の法が適用されない所」

瑠璃は少し興味を持ったのか、無表情で続きを促す。

「で、俺、幼稚園くらいの時に間違って入っちまって殴られた。ガンつけたとかって理不尽な理由だったと思うけど、ボロボロになるまで暴力を振るわれた。恐かった。痛かった。もう俺は死ぬんだって幼心に確信した。そん時からだ、強い奴がどうしようもなく恐くなったのは」


聞いていると心が痛んだ。私は、あの時の事をはっきりと覚えている。

「賢太郎が怪我で入院した」と聞いて駆けつけた。あいつの身体は気持ち悪いほどに腫れ上がっていた。「恐いよ、恐いよ」とうなされるように泣きじゃくっていた。自分はあまりに無力だった。「恐くないから、痛くないから、大丈夫だから」そう言う事しかできなかった。私が悪いのに。私が諦めなかったら、そんな事にはならなかったかもしれないのに。


「それで、強者を演じた。いじめをして、強さに酔えば、恐怖を和らげられた。悪い事だって分かってたけど、やめられなかった」

「結局、何が言いたいの?」

鋭い声がすべてを切り裂く。私の心の重さも、あいつの懺悔も全てが砕けて塵と化す。

「……俺、西山に感謝してるんだ。お前のおかげで気づけたから、いじめじゃ強くなれねぇんだって。頭の中だけじゃなく、実感として。だからいじめをやめられた。ありがとう」

「わたしは何もしてない。あなたは勝手にそうなった」

「でも、俺は助かった。それに、お前が何と言おうと、俺はお前を傷つけた。許されない事をした。だから……だから、罪滅ぼしっていうのかな。お前のために何かしたい。自己満足かもしれねぇけど、なんかしなきゃいけねぇんだ」

「勝手にすれば」

会話は終わった。瑠璃は遠くへ消えていく。

「ふぅ……」

賢太郎が心の底から息を吐いた。全身がホッと緊張を解く。

「お疲れ様」

彼の隣に立って、頭を撫でた。

「やめろよ」

文句は言ってくるが、疲れているのか、払う事はしてこない。

「良かった。これで一歩前進だね」

「あぁ」

「という訳で、明日から一緒に帰ろうね」

「あぁ。……ってなんでだよ!?」

「だって、仲直りしたんだから、二人には仲良くなって欲しいでしょ。瑠璃は友達、賢太郎も友達。なら、二人が友達になれば便利だもん」

「便利って……」

「拒否権はなしだから」

言い捨てながら走り出した。後ろから声がするけど気にしない。今は、軽くなった心で輝く明日を感じたい。二つの星が繋がる様を考えたい。

「置いてくなんてひどいじゃん」

そして私は、嬉しさを全てぶつけるように友人の背中へ飛びついた。
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